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<症状>

 早速、私は小百合に訊ねました。最近噂になっている秘密結社について何か知っていることはないか、と。すると妹は、小百合は一瞬面白そうに目を細めました。あんな怪しげな噂を真に受けているの、とでも言いたげに。


 それでも口を開けばいつもと変わらぬ率直さで、知っていることを全て教えてくれました。尤もそれは、私が漠然と期待していた情報の半分にも満たないものでしたが。


 妹の話は次のようなものでした。その秘密結社とやらは(今まで聞いたことのない、嘲るような冷えた口調に、一瞬どきりとしました)『シャロットの乙女』と呼ばれているらしい、その呼称は、ある女子生徒が男子からの交際の申し込みを断わる際に「私はシャロットの乙女だから」と言い添えたという取って付けたようなエピソードに由来している、組織がどんな活動をしているのかは全く判らない、入会した者はそれまでの友人と絶縁させられるらしい、会員の数は噂にばらつきがあって正確には判っていない、でも同じクラスの柊薔子ちゃんと小林美紅ちゃんが会員だという噂はどうやら事実らしい、二人には各々、いつも行動を共にしていた仲良しグループがあったけれど、二週間ほど前からグループを離れて独りで行動するようになった──


 私は今名前が出た二人の顔を思い浮かべながら、彼女たちはグループから強制的に外された、つまりいじめられているのではないかと妹に訊きましたが、あっさり否定されました。いじめじゃない、彼女たちは自ら進んで孤立しているのだと。


 確かに柊薔子と小林美紅、二人の最近の顔には半透明の澱のようなものがこびり付いていて、それが喜びや驚きや微笑みなどごく自然な表情の変化を妨害しているように見えました。


 私は彼女たちの担任ではないので授業中の様子から判断するしかないのですが、以前の二人は授業態度は熱心で単語テストの成績も良く、特に小林美紅は積極的に質問するような真面目な生徒でした。


 ところが妹の情報通り、二週間ほど前からでしょうか、二人共に授業中は上の空、視線はふわふわと彷徨ったかと思えばとんでもない一点を(例えば自分の手の爪とか、校訓が書かれた貼り紙とか)凝視したり、黒板や教科書に集中しているようには見えません。


 私も二、三度注意はしましたが、その度に茫洋と頷くだけで改善の気配はなし。授業の最初に毎回行っている単語テストの成績も、急激ではないにしろ徐々に落ち始めていました。


 とはいえ、この変化をすぐ秘密結社に帰結させることは控えようと思いました。因果の順序が曖昧だからです。『シャロットの乙女』に入ったから変わったのか、変わったから『シャロットの乙女』と噂されるようになったのか。


 あれこれ推測するより本人に訊いてみるのが一番でしょう。私もそれはよく解っていたのですが、これがなかなか実行に移せません。この時初めて私は、“秘密結社”なる言葉の隠然たる影響力を思い知りました。それには、普通の集団にはない淫靡な毒、触れてはならぬ禁忌の揺蕩が感じられます。


 血腥い入会儀式、月光の下での夜宴(サバト)、裏切り者の粛清、秘密の暗号、そして、或いは、性的な遊戯も……。


 もちろん私とて、そんなゴシック・ロマンめいた情景を心底から恐れていたわけではありません。ただ、クラブやサークルではなく秘密結社と呼ばれている以上、相応の翳を負うているのではないか、と。その部分に触れるには、やはり幾許かの躊躇があったのです。


 それでも、機会は訪れました。妹から情報を得た三日後、中庭の隅で独りお弁当を広げている柊薔子を見かけた私は、跫音を忍ばせて彼女に近付きました。教室から弾けてくる笑い声を背景にした独りきりの昼食ではありましたが、彼女を囲む空気に侘びしさや孤独の翳はなく、寧ろ、他人を拒絶する凄みを感じたのです。


 或いは、私は“少女”という存在を過大視しているのかもしれません、いえ、きっとそうでしょう。その時も勢いに乗って気安く声を掛けるのが躊躇われ、私は一旦立ち止まって慎重に言葉を選びました。


 最近の授業態度をやんわりと糾すとか、一人でお昼をとっている理由を訊ねる方が穏当な接近法かと思いましたが、何を聞き出そうとしているかはすぐに察知されてしまうだろうし、こういった遠回りは大人の嫌らしい手練手管と看做されて逆に警戒心を煽ることにもなりかねないと判断して、私は単刀直入に訊ねることにしました。柊さん、あなたが『シャロットの乙女』だという噂は本当なの? と。


 すると彼女は私を見て、さあ……と一言呟きました。私を見て? いいえ、とんでもない! 彼女は私を“見て”はいませんでした。ああ、あの眼。何という眼でしょう。虚ろとも無気力とも違う。寧ろ生き生きとして活力に溢れている。でも、何も見ていないのです。


 いえ、これでは誤解を招くかもしれないのでさらに言い換えましょう。彼女は何も見ていないという境地で何かを見据えていました。こう考えることもできます。その何かへ向かう情熱が彼女の眼に蓋をしているから何も見えないのだ、と。


 私は半ば諦めながらももう一度問いを繰り返しましたが、反応は予想通り。肯定も否定もせず他人事のように首を傾げて押し黙ってしまいました。私は何の成果も得られぬまま、お食事中邪魔しちゃってご免ね、などと間抜けな去辞を残してその場を離れるより他ありませんでした。


 その途中、私は未練がましくも振り返ってもう一度彼女の様子を窺いました。キャラクターが描かれた小さなランチボックスを膝の上で抱えて、じっと俯いています。風の竪琴に聞き入るかのように。そして私が去ろうとしたその時、風に乗った薄桃色の花びらが彼女の頸筋を掠めました。


 すると彼女はそこに繊細な指先を運んで、触れて、撫でたのです。恥じらうような微笑みを添えて。私は何故か、見てはいけないものを盗み見てしまったという罪悪感に囚われて、来た時以上に自分の跫音にびくつきながら退散しました。


 そしてわが聖域、職員室に戻ると、何とも不甲斐ないのですが、これ以上『シャロットの乙女』について詮索するのは止めようと自分に言い聞かせました。私には教師として担任として、解決すべき問題が山積しているのだから、と。

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