表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ラブメちゃんストラテジ~! ~蹴散らせトライアングル~

作者: 木村伸太郎

恋愛に魔法や超能力が使えたらという趣旨で小説を書いてみました。

 絶対にかなわない恋だと思った。だって、彼にはもう他に好きな人がいるのだから。だから私はあの人の言葉を信じることにした。

「本当に、これで大丈夫なんですか?」

 私は目の前の女性に問いかけた。

「心配しないで~。これで彼の心はあなたに傾いていくはずよ~」

 女性はのほほんとした口調で言うと、私の緊張を解きほぐすように安らかな笑顔を浮かべた。

「絶対にかなわないような願でも~、私たちの能力があれば大丈夫。魔法に不可能はないのよ~。あとは~、あなたがあなた自身の力を信じてあげればいいだけ~」

 女性の言葉はその締まりのない口振りとは裏腹に、私の心を大きく突き動かした。

当初は魔法という言葉に半信半疑だったけれど、今なら信じられるような気がする。だって、今の私はこんなにもやる気で満ち溢れているのだから。

それに、これまで何度も想像しようと思ってできなかった、彼と付き合っている自分の姿を、今の私はこんなにも鮮明に思い描けてしまうのだから。

「フフフ、あなたも魔法の力を実感できたようね~。いいこと~、魔力の最大の源は恋する力よ~。あなたが、彼の気を引けば引くほど、その力は高まって行くの~。そして、彼があなたを本当に愛していると感じたら、迷わず彼にキスするのよ~。そうすれば、あなたは彼と永遠に結ばれるわ~」

 女性の言葉に私はとてつもない恥ずかしさを覚え、顔が熱くなった。

 キス、かあ。まだ、したことないけど、彼とだったら。

心音がみるみる加速していくのがわかった。

「その表情を見る限り、どうやら心配はいらないようね~。それじゃあ、私は陰ながら見守っているから~、あなたは全力で頑張りなさい~」

 女性はそう言って私に微笑んだ。私は女性に深く頭を下げてお礼をした。

 こうして、私の新たな人生が幕を開けたのだった。



「ち~す」

 開かれたドアと共に、元気のよい女子の声が聞こえてきた。

 きれいに茶色に染められたショートパーマの髪をなびかせた、快活な美少女。一学年下の後輩で同じ部活に所属している、(ゆかり)()好葉(このは)ちゃんが勢いよく教室に飛び込んできた。

 いつものことである。

「せんぱ~い。ほめて、ほめて。今日は依頼とって来たよ」

 好葉ちゃんは、僕のもとへ一直線に駆け寄ってきた。

「相変わらず元気いいなあ、好葉ちゃんは。そして、羨ましいぞ、(そら)()

僕の隣にいた友人の倉戸が、好葉ちゃんに声をかけた。

「あ、倉戸先輩。ちわ~す」

「それで、依頼主はもちろん女子だよな?」

「え? そうですけど。倉戸先輩の割り込む余地なんてありませんよ」

「うわ~! 好葉ちゃんはいつも直球だな。偶には、期待させてくれてもいいんじゃないか?」

「そんなこと言ってぇ、倉戸君は女の子紹介しても何もしないじゃない。どうせ前の彼女のこと、いまだに引きずってるんでしょお」

 二人の会話に、入り口の方から誰かが割って入ってきた。

「お、春咲さん? 早かったな。文化祭実行委員の方はもう終わったのか?」

 倉戸は春咲さんの言葉を全く気に介さず、彼女に話しかけた。

「うん。ゆすらちゃんに頼んだらぁ、大体一人でやってくれちゃったあ。あの娘、ああいうのすごく得意みたい」

「はは、さすが、冬桜さんだな。美人は何でもできるってのは本当だったらしいな」

「それで好葉ちゃん、依頼って?」

 春咲さんは倉戸の話を見事に流して、好葉ちゃんに依頼について質問した。

「あ、それなんですけど。私の友達に木苺苺ちゃんって娘がいるんですけど、その娘がバスケ部の先輩と付き合いたいらしいんですよ。そこで、私たち恋愛研究部の出番じゃないですか。力を合わせてイチゴちゃんの恋を応援しましょう!」

 好葉ちゃんはいつにもまして、力のこもった声で言った。

 はあ、これからまた、色々大変になりそうだ。僕は周りに気付かれないように、ハッとため息を吐いた。

 恋愛研究部。略してラブ研。それが、僕が所属している部活だ。そして、ここにいるのがその部員たちである。何を隠そう、今、僕たちはこう見えて部活動の真っ最中なのだ。

 さて、そこで何故僕がこのようなわけのわからない部に所属しているかというとそれには理由がある。僕がこの部活の創設者の一人だからだ。

 あれは、二年生に進学したばかりのころだった。僕が友人の恋の相談を受けることになったのが切っ掛けだった。僕は恋愛をした経験がなかったため、どうしてよいかわからなかった。しかし、恋愛マンガで得た知識を参考に適当なアドバイスをしていたら、あろうことかそいつの恋が実ってしまったのだ。

 それから、立て続けに何人かの恋の悩みを聞くことになり、その度に何故だかうまくいってしまい、気付いたらこんな部活を立ち上げるまでになってしまった。

 まったく迷惑な話である。思えば、帰宅部だったころは本当に楽だった。この部に入ってからは、好葉ちゃんや(くら)()、それに春咲さんがやたらと依頼を取り付けてくるので、自由な時間がほとんど取れていない。最近やっと、ひと段落したと思ったら、またこれだ。

 高校生というのは、本当に恋愛に事尽きない生き物である。

「それで、実際のところ、その依頼は例の事件がらみなのか? 好葉ちゃんのことだから、ただ友達の恋愛を助けるってだけじゃないんだろ?」

 倉戸が持ち前の爽やかな笑顔を保ちつつも、少し真面目な口調で好葉ちゃんに尋ねた。

 場に一瞬、緊張が走った。

「倉戸先輩もなかなか勘が鋭いですね。率直に言いますと、はい。その通りです」

「そっかあ。そうなると、こっちも気を引き締めて行かなきゃねえ」

 好葉ちゃんの言葉に、春咲さんが苦笑いで応じだ。

「ねえ、好葉ちゃん? やっぱり、その娘の周りの恋愛事情も、そのままにしておくとヤバいことになっちゃうってことで、いいんだよね?」

「そうですね。これから詳しくお話ししますが、イチゴちゃんが好きなバスケ部の先輩は、おそらく、生徒会に目をつけられていると思います。あたしたちが動かないと、例の無気力人間が、また一人増えることになりますね」

 春咲さんの問いに、好葉ちゃんは真剣な眼差しで応えた。

 それにしても、さすが、名探偵一家の跡取り娘を自負しているだけのことはある。好葉ちゃんは、見た目はどこからどう見ても、はやりもの好きな今どきの女子高生だが、実は将来有望な女子高生名探偵なのだ。

 女子高生名探偵。まさか、そんなものが実在しているとは思わなかった。世の中、探せばいるものだ。

 そもそも、なぜ、そんな普通ではお目にかかれないような存在が、この学校に実在しているのかだが、それにはちゃんと理由がある。

 それは、この学園で通常ありえないような出来事が起こっているからだ。

 理事長の方針で、僕たちの通う高校では生徒会が主導になって学生が経済活動を行っている。生徒から集めたお金を担保にして、生徒会が学園傘下の子会社を経営しているのだ。理事長の言い分では、生徒に若いうちから経営力を身に着けさせるのが狙いらしい。

 まあ、それだけ聞くともっともらしいのだが、実際に会社を運営しているのは生徒会役員だけである。我々のような一般生徒は、生徒会がより良い活動を行うために、強制的に募金をさせられているのだ。

 そのため入学当初、周りの生徒は皆一様に、生徒会による徴収の際に嫌々お金を差し出しているように見えた。しかし妙なことに、二年になるにつれて状況ががらりと変わってしまったのだ。

 結論から言うと、今僕のクラスでは、大半の学生が積極的に生徒会にお金を差し出している。

 はっきり言って、異常である。

 そして、その件について不可解なことがもう一つある。それは、生徒会役員まで上り詰めた女生徒とそれまで付き合っていた男子生徒が、ことごとく性格が豹変してしまうことだ。

 一年の頃、クラスメイトだった友人を例に挙げてみよう。

 そいつとは高校に入学してからの付き合いだったが、席が近かったことから学校では常に行動を共にしていた。しかし、当時クラスの学級委員長だった女子と付き合うことになってから態度が急変した。

 もともと調子のいい奴だったが、付き合ってからすぐのころは手の付けようのないくらい厭味ったらしい人間になった。まあ、人生で初めてできた彼女だし、しょうがないかと思っていた。それから、疎遠になり、学年が上がる際に行われたクラス替えで別のクラスになったので、しばらくの間そいつのことは忘れていた。

 異変に気付いたのは、些細な切っ掛けからだった。倉戸にそいつが彼女と別れたと聞き、どうしているかと様子を窺いに行ったら、そこには別人がいたのだ。

 彼女と別れたばかりなのに、そいつはそうとは思えないような清々しい表情をしており、久しぶりに会った僕たちには、すごく丁寧な対応をしてくれた。

 正直、背筋がゾッとした。あの、自分の幸せより他人の不幸を好むような男が、初めての恋愛を経験したからと言って、こうも立派に更生できるものなのだろうか。

 常に不満を呈していた表情は爽やかな笑顔に置き換わり、愚痴ばかりしゃべっていた口からは他人を気遣い尊重する言葉が発せられていた。

 あまりにも異常な変化ではあるが、それだけなら、友人としてむしろ喜ぶべきことだと、僕は無理やりにでも思っただろう。

 ただ、どうしても一つ気にかかることがあった。それは、そいつの瞳があまりにも死んだ魚の目と酷似していたからだ。まるで、生気がなくなってしまったかのように不気味だった。僕たちへの対応があまりにも好青年なだけに、かなり異様に感じられた。

 それから、倉戸と共にその友人の変化についての調査することにした。その時に親しくなったのが春咲さんと好葉ちゃんだ。僕たちはどうやら同じ目的で動いていることがわかり、互いに協力関係を結ぶことにした。

 好葉ちゃんの捜査は、さすが名探偵だけあって僕や春咲さんよりもずっと進んでいた。僕と春咲さんはお互いに、生徒会がこの異常事態に関与していることについては確証を持っていたが、そこに恋愛が絡んでいることまではわかっていなかった。

 そう、生徒会は自分たちに都合の良い男子生徒をつくるのに、恋愛感情を利用していたのだ。

 詳しい証拠をつかんでいないため、ここからは好葉ちゃんの推測になってしまうのだが、生徒会はその支配下の女子学生に、男子生徒を落とさせているのだ。

 そして、その娘にメロメロになった男子生徒を生徒会幹部が洗脳し、例の異常人間を量産していくというわけだ。

 そこで、僕たちは恋愛研究部を設立し、生徒会の配下になっている女生徒から、男子生徒を守っているのである。

 その方法はいたって単純である。生徒会が目を付けそうな女生徒を探り出す。もしくは生徒会に狙われそうな男子生徒を割り出し、その男子生徒にはこちらが用意した生徒会とは無関係の女子と付き合ってもらうのだ。

 僕たちが選ぶ女子の条件は、生徒会に狙われた男子生徒を本当に愛していることである。そして、その娘の恋を僕たちが全力でサポートするのだ。

 これがなかなか難しいのだが、今のところ好調で、かなり高い成功率を収めている。そのため、最近では生徒会とは全く関係ない恋愛の相談を受けることも多く、かなり忙しい毎日を送っている。

 それにしても、なんで僕たちがこれほどまでに高い成功率を収めているか不思議である。なぜなら、僕たち恋愛研究部には、まともな恋愛経験者がほとんどいないからだ。

 唯一倉戸だけは、一時期、幼馴染と半分付き合っているような関係にあったが、それも過去の話である。今ではその娘も留学してしまい、倉戸はその穴を埋めるようにこの部活に毎日顔を出している始末だ。

 春咲さんは、僕の学年でトップクラスの美少女と言われているが、それにしては今まで浮いた話を一度も聞いたことがない。毎日のように部活に顔を出しているし、クラスでは友達の冬桜さんといつも一緒に行動している。

 余談だが、この冬桜さんというのが、春咲さんと並び学年トップクラスと称される美少女である。そのため、僕のクラスは他のクラスの男子生徒からかなり羨ましがられている。

 そして、好葉ちゃんだが、彼女は恋愛には全く興味なさそうだ。外見は春咲さんと並んでも全く見劣りしないくらいの美少女だし、その気になれば誰とでも付き合えそうな気がする。けれど、まあ、彼女の場合、今は男女関係よりこの学園の異常事態の方が何倍も興味があるのだろう。

 後は、今日は来ていないが、もう一人部員がいる。例にもれず、そいつも今まで誰とも付き合ったことがない。そいつも、かなりかっこいい男なのだが恋愛よりもはまっていることがあり、今はそちらに熱中している方が楽しいようだ。

 と、そういうわけなので、我が部にはまともに異性と付き合ったことがある人間が一人も所属していないのである。

 それなのに、僕たちはこうして毎日のように依頼に追われているわけなのだから、世の中わからないものである。

「それでえ、好葉ちゃんのお友達はあ、今現在、その好きな相手とはうまくいっているのお?」

「う~ん。まあ、頑張ってはいるんですけど。このままだと、別な女にとられるのは目に見えてるんですよね」

 春咲さんの問いに、好葉ちゃんは苦笑しながら応えた。

「て言うと、相手の男に別に好きな人がいるとか、そんなところか?」

「今日はやけに冴えてますね、倉戸先輩。まあ、そういうことなんですよね。しかも、相手の男が二股かけてるみたいで、三角関係ができてしまってるみたいなんですよ。今のところ、イチゴちゃんの入り込む隙間が全くないみたいなんです」

 はあ、また面倒な仕事になりそうだな。

「すごいやりがいのありそうな仕事じゃない。あたしたちが何とかしないと生徒会の思うつぼなんだしい。みんなで協力して、好葉ちゃんのお友達の恋を応援しよお」

 春咲さんがなんだかやる気になったようだ。

「ありがとうございます、春咲先輩。その娘、すごく良い子で、生徒会とか関係なしに幸せになってほしいと思ってるんです。ルート先輩も倉戸先輩もどうかよろしくお願いします」

「任せとけって。こうして、この部に依頼された以上、俺たちは全力で好葉ちゃんの友達をサポートするぜ。そうだろ? 部長」

 倉戸がそう言ってこちらに笑いかけた。倉戸もやる気十分なようだ。こいつも春咲さん同様、つくづく困っている人間を放っておけない奴だ。

「ああ、うん。そうだね」

 好葉ちゃんと倉戸を交互に見ながら、僕は苦笑いを浮かべて頷いた。

「わあ、ありがとうございます! ルート先輩、大好きです!」

 好葉ちゃんは満面の笑顔で僕に抱きついてきた。相変わらず、行動が大げさだ。

「お、相変わらずモテモテだな、空深。くそ~、羨ましいぜ!」

「もう、好葉ちゃん。ルート君が困ってるでしょお。もう高校生なんだから、そういう大胆な行動は慎んだ方がいいんだよお」

「お? 春咲さん、好葉ちゃんに嫉妬か? くそ~、何で空深ばっかり。しかも冬桜さんも含めて美少女ばかりに。羨ましすぎるぜ!」

 こうして、僕たちは好葉ちゃんの友達の恋の手助けをすることになったのだ。


 あれはもう、手の打ちようがない。それが、好葉ちゃんの友達の恋愛対象を一週間秘密裏に調査した結論だ。

「さすがの俺たちも、あれは無理なんじゃないかい?」

「う~ん。何もしていないうちから決めつけるのは良くないけどお、確かに、ちょっときついかもお」

 倉戸の言葉に春咲さんも同意した。

「ううう、確かに。話を聞いたときから、ちょっと難しそうだとは思ってたんですけど、実際見てみると、これはもうお手上げですね」

 依頼を取ってきた当の本人である好葉ちゃんも、もう半分あきらめモードに入っている。

 まあ、当然のことだろう。

 好葉ちゃんの友達、木苺苺さん。その恋の相手、虹崎(にじさき)()(とり)君は二人の女性から好意を寄せられており、木苺さんが入り込む隙間が微塵もないのだ。

 好葉ちゃんの話では、虹崎(にじさき)君の三角関係は、木苺さんが彼を好きになる前から出来上がっていたらしい。

 ようするに、初めから木苺さんの入り込む余地はなかったということだ。

「どうする、空深? これは、今までで最も難しいヤマになりそうだが」

「アハハ、そんなの愚問だよ倉戸君。ルート君がこのまま黙ってるなんてありえないよお。今までだって、みんなくじけそうなことがあったけど、その度にルート君が何とかしてくれたでしょお。今回だってきっと、ルート君なら大丈夫だよお」

 春咲さんのせいで、何もしないであきらめるという選択肢が消されてしまった。はあ、いつもこうやって、ずるずる流されてしまうんだよな。

 春咲さんは僕を買い被っているようだけど、今まで何とかなったのはほとんど運によるものが大きかった。そもそも、大体の計画は好葉ちゃんが考えてくれるから、僕はたまに気付いたことを言っているだけなんだけどな。

まあ、でもしょうがないか。

「僕たちが動かないと、虹崎君は生徒会にいいように洗脳されてしまうってことだよね。だったら、やっぱり見過ごせないよ」

 僕がそう言うと、例のごとく好葉ちゃんが僕に抱き着いてきた。

「先輩、やっぱ、かっこいいです。あたし、なんだかやる気出てきました」

「さすが部長。おいしいとこもってくじゃねーか」

「だから言ってるでしょお、ルート君は他の人とは違うんだってえ。それとお、好葉ちゃんはルート君から離れようねえ」

 好葉ちゃんに続いて、倉戸と春咲さんも調子を取り戻してきたようだ。まあ、そうでなければ困る。なんだかんだ言って、三人ともなかなかの切れ者だ。この三人が力を合わせればきっと、僕が何もしなくても何とかしてくれるはずだ。

「それじゃあ、時間ももったいないですし、これから作戦会議を始めましょう」

 好葉ちゃんの言葉に、この場の全員が首を縦に振った。

 この日、学校が閉まるギリギリの時間まで、僕たちはずっと作戦を練り続けた。

 

好葉ダイアリー

 私の名前は縁野好葉。由緒ある名探偵一家の跡取り娘だ。

 これは、探偵としての仕事や、友達との交流などを記した私のプライベート日記である。


 ルート先輩たちに苺ちゃんの件を報告した前日、私はいつものように生徒会長の動向を探っていた。

 どうして、私が生徒会長を調べているのか。それは、私がこの私立雹月学園に潜入している事と関係している。

 私がクライアントから受けた依頼。それは、雹月学園が生徒会主導で行っている経済活動の実態調査である。

 この学園では、理事長の方針で、生徒に学園の経営を一部委託している。表向きは学園理事会が社長を務めている会社を、実質的には生徒会が中心となって運営しているのだ。

 まあ、それだけなら、教育の一環と捉えられなくもない。しかし、話はそう単純ではない。現生徒会長が主導権を握ってから、ここ数年で学園の株価が急上昇しているのだ。そして、その輝かしい業績の裏で、悪いうわさが絶えず広がっている。

 一つは、生徒会による、生徒に対するお金の徴収である。生徒会は生徒から集めたお金を、自分たちが経営している学園傘下の子会社を運営するための資金に回しているのだ。

 これには、この学園に通う生徒や保護者にかなりの不評を集めている。が、しかし、問題はここからである。それは、入学当時は嫌々募金していたにも関わらず、月日が進むごとに積極的に募金する学生が増えていくことだ。ルート先輩に聞いた話では、去年も今年と同じ傾向にあったらしい。

 さらに不可解なことは、積極的に生徒会にお金を差し出す学生は皆一様に、生気が失われたような表情をしていることである。まるで、何年も修行を重ねた僧侶のごとくである。

はっきり言って異常である。

 二つ目の問題は、表立って公表されていないが、精神科がある国立大学などの大きな病院にこの学園の生徒が度々収容されていることである。この件についても、病院に運ばれた生徒の保護者から数件、私の家に相談が持ちかけられている。

 これらの問題を踏まえて、ちょうど今年度から高校生になる予定だった私は、昨年の高校受験の際にここ雹月学園を受験したのだ。

雹月学園は、下は幼稚園、上は大学院博士課程までを広大な敷地に一つに集めた、いわゆるマンモス学園として知られている。

 そして、私の通う高等部には、普通科や特進、それに体育コースの他にさらに、調理科や自動車科など多くの専門分野を備えている。

各学科の偏差値はそれぞれ異なっているため、平均的な学力の私でも、比較的偏差値の低い普通科にはすんなりと合格できた。

 ガラガラッ!

 廊下の隅でひっそりと待つこと数十分、帰りのホームルームを終えた三年生たちがやっと教室から出てきた。生徒会長が所属している特進科は、大学受験に備えて普通科よりも長い時間授業を受けている。そのため、私はホームルームが終わってからずっと、生徒会長が出てくるのを待っていたのだ。

周りの空気と一体化する縁野家秘伝の奥義を使い、私は三年生が賑わう廊下にさりげなく溶け込んだ。

 しばらくして、生徒会長が数人の取り巻きと共に廊下に現れた。私は気配を消して、生徒会長の後を追った。

 結論から言うと、本日も何の成果も上げることはできなかった。生徒会長は取り巻きたちを引き連れ、一直線に校門まで歩くと、そこで待っていた黒塗りの高級車に乗って、そのまま真っ直ぐに帰宅してしまったからだ。

「生徒会長が、事件に関わっているのは間違いないと思うんだけどな。生徒会会議にも出てないみたいだし、中々尻尾を掴ませてはくれないか。いっそのこと家まで乗り込んじゃおっかな」

 校門の前で一人佇むと、私は誰に言うでもなく独り言をつぶやいた。

 それから、ルート先輩の顔を見に部活にでも顔を出そうと思ったところで、携帯電話にメールが届いた。差出人はクラスメイトで親友の一人、木苺(きいちご)(いちご)ちゃんだった。

 メールには折り入って相談があると書かれていたため、私は部活に行くのはあきらめ、そのままイチゴちゃんの家へと向かった。

「あ、好葉、わざわざ急にごめんね~」

 インターホンを鳴らすと、イチゴちゃんが待ち構えていたように飛び出してきた。それから、私はイチゴちゃんに彼女の部屋へと案内された。

「あれ、アイサちゃんは?」

 イチゴちゃんの部屋に誰もいないのを見て、私は真っ先に彼女に尋ねた。私とイチゴちゃんが一緒に遊ぶときは、大抵、もう一人の親友である虹崎(にじさき)秋沙(あいさ)ちゃんも一緒にいるからだ。

「う~ん、ちょっとね。今日の相談って言うのが、アイサにはできないこと、何だよね」

 イチゴちゃんはバツが悪そうに苦笑いを浮かべ、私を見た。それから、意を決したような表情で私に詰め寄ってくると、

「好葉の部活って、恋愛の協力してくれるんだよね? あたし、ど~しても付き合いたい人がいるの! だから、力を貸してくんない!」

 イチゴちゃんのあまりの気迫に、私はつい気圧されてしまいそうになった。

「うん、わかった。わかったから、いったん落ち着こう」

 私の両肩を掴み、目を見開いて息を荒げるイチゴちゃんに、私は優しく微笑んだ。

「ごめん。あたし、こう見えて、マジの恋愛って生まれて初めてなんだ。好葉やアイサと違って、あたし、普通に男子に友達多いけど、でもそんなの関係ないみたいなんだ。その人の前だと、普段通りにできないの。心臓が破裂しそうで、苦しいの! だから、好葉、あたしを助けてよ!」

 イチゴちゃんは今にも泣きそうな顔で、私に懇願した。

 イチゴちゃんは、金髪のロングヘアーで、耳に派手なピアスをつけ、毎日化粧して登校している、いかにも遊んでいそうな外見をしている。おまけに胸も大きい。それに、彼女が言うように、不良系の男子たちと仲が良く、一緒に遊びに行ったりもしている。

 そんなイチゴちゃんが、まさか、恋愛関係の相談を私に持ちかけてくるなんて、正直、夢にも思わなかった。恋愛経験ゼロの私なんかより、彼女の方がよっぽど、その手のことに詳しそうだと思っていたからだ。

「え~と、イチゴちゃん。つかぬことをお聞きしますが、イチゴちゃんは今まで何人くらいと付き合ったことがあるの?」

「えっ? あたし、今まで誰とも付き合ったことないよ。て言うか、だから、好葉に相談してるんじゃん!」

 マジっすか! てっきり、私たちといないときは、男を取っ替え引っ替えしてるのかと思ってた! もしかして、私って、親友失格?

「それで、好葉。あたし、どうすればいい~?」

「うん、わかった。とにかく、とりあえず、その好きな人のことについて詳しく聞かせてよ」

 困惑するイチゴちゃんをやんわりと落ち着かせ、私は事の顛末について彼女から聞き出した。

「って、え~! よりにもよって、アイサちゃんのお兄さんなの~! あの、ちょっと陰のありそうな、無口な感じの。それに、確かアイサちゃんって、かなりのブラコンじゃなかったっけ?」

「うん。だから、アイサには相談できないって言ったでしょ?」

 そりゃそうだよね。アイサちゃんは、二言目にはお兄ちゃんとか言ってる娘だもん。高校生にもなって、『あたし、将来お兄ちゃんのお嫁さんになるの~』とか平然と言い張ってるくらいだし。

「アイサのこともあるけど、結構、問題は山積みなんだよね~!」

「と言うと?」

「虹崎先輩って、実はかなりモテるんだよね~。私が調べた範囲でも、今、二人の美人の先輩が虹崎先輩にアプローチかけてるんだ」

 成程、結構倍率が高いわけね。それにしても、アイサちゃんのお兄さんとは、アイサちゃんの家で何度か会ったことあるけど、そんなにかっこよかったかなあ? ルート先輩の方が絶対イケてると思うけど。

まあ何にせよ、アイサちゃんには悪いけど、彼女のブラコンを治すって意味でもちょうど良い機会だし。

「いいよ。イチゴちゃんの恋、私たち恋愛研究部が責任を持って応援するよ」

「ええ、マジでえ、やった~!」

 イチゴちゃんは私に向けとてもうれしそうな笑顔を浮かべて喜んだ。その満面の笑みを見て、私はイチゴちゃんの恋を何とかして実らせることを、心に誓ったのだった。


 その後、私は早速、アイサちゃんにメールをし、彼女の家に押しかけた。ルート先輩たちに報告するのに、ある程度イチゴちゃんの現状を知りたかったからだ。

 イチゴちゃんは、私の迅速な行動に多少驚いていたが、彼女も私同様に積極派なので、すぐにアイサちゃんのお兄さんに会いに行く覚悟を決めてくれた。

 突然の私たちの訪問に、アイサちゃんは全く動じず、何も聞かずに自分の部屋へと案内してくれた。ただ、アイサちゃんの表情がいつにもまして無表情なのが気になった。

アイサちゃんの部屋に入ってすぐに、壁に立てかけられた時計が目に映った。時刻は七時半を回っており、今さらながら、私はアイサちゃんに家の人にご迷惑にならないかを尋ねた。

「気にしなくていいよ。今、家に、私しかいないから」

「え、アイサちゃん家って、ご両親、お忙しいの?」

「うん。父が外交関係の仕事してて、しょっちゅう海外に出張してる。母も毎回それについて行くから、家にはほとんど両親がいない」

 私の質問に、アイサちゃんは淡々と答えた。アイサちゃんとは知り合って数か月になるが、家庭の事情について聞いたのは初めてだ。

「あれ、そう言えば、アイサちゃんってお兄さんもいなかったっけ?」

 イチゴちゃんがそのことを気にしてそわそわしていたので、私が代わりに聞いてあげた。

「お兄ちゃん? お兄ちゃんは、文化祭実行委員の仕事で遅くなるって言ってた。でも、それにしてはちょっと遅いよね。どうしたんだろう。車に引かれたりしてなきゃいいけど。ああ、すごく心配だよ。夕飯は先に食べてろって言ってたけど、こんな気持ちじゃ食事がのどを通らないよ。それに、お兄ちゃんと一緒じゃなきゃ、せっかく私が愛情を込めて作った手料理もおいしく食べられないし」

 両親のときとは打って変わって、アイサちゃんは人が変わったように豪く饒舌に生き生きとしゃべりだした。さっきまで、少し機嫌が悪そうにしていたのは、お兄さんの帰りが遅くて心配していたからか。

どうやらアイサちゃんは、私の想像をはるかに上回るブラコンだったようだ。

 それからしばらくの間、三人で閑談していると、アイサちゃんのお兄さんが帰ってきた。

「あ、お兄ちゃん!」

 玄関の扉が開く音がした途端、アイサちゃんは、先程までのつまらなそうな顔を一新し、嬉々とした表情でお兄さんを出迎えに行った。

 気になってイチゴちゃんに視線を向けると、彼女は顔を真っ赤に染め、胸に手をあてながら深呼吸を繰り返していた。

 イチゴちゃんのこんな姿初めて見た。本当にアイサちゃんのお兄さんが好きなんだな。そんなイチゴちゃんの様子を見て、私は改めてイチゴちゃんの恋を応援しようと決めたのだった。

 アイサちゃんの話声と共に、こちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。アイサちゃんの部屋の隣が、確かお兄さんの部屋だったはずだ。もう夜も遅いことだし、私はアイサちゃんのお兄さんに一言挨拶するためアイサちゃんの部屋の戸を開けた。

「あの、こんばんは。お邪魔してます」

 ドアを開けると、目の前にアイサちゃんとお兄さんがいたので、私は早速挨拶をした。

「あっ、どうも」

 急に私が飛び出してきてびっくりしたのか、お兄さんは慌てたような声で私に挨拶を返した。

 そんなお兄さんの表情を見つめていて、私はある重大なことに気付いた。お兄さんの体から、微かに、今までの生徒会の被害者と同じにおいがしたのだ。

 私の家は代々頂上犯罪と言われるような難関な事件を扱ってきた。警察が解けないような難事件を、私のご先祖様たちが次々と解決してきたのだ。そして、それにはいくつかの理由があった。その一つが凶悪な犯罪者が醸し出す負のオーラを感じ取る能力である。

おじい様の話では代々縁野家に伝わる超能力だと言っているが、まあ、そんな大層なものではないだろう。

 ただ、口では説明できないが、何となく、犯罪者が持つ思念のようなものを感覚的に受け取ることができるのだ。

「あの、先輩、お邪魔してます」

 イチゴちゃんが覚悟を決めたようにアイサちゃんの部屋を飛び出してきた。

「あ、苺ちゃんも来てたんだ。どう、その後は」

「先輩に教わった通りやってるので、バッチリです!」

 イチゴちゃんとお兄さんは何やら共通の話題で盛り上がった。

「お兄ちゃん、あたしの友達と話すのもいいけど、さっさとご飯食べちゃってよ。いつまでたっても片付かないじゃない」

 イチゴちゃんに嫉妬でもしたのか、アイサちゃんが不機嫌そうな声を上げた。

「ああ、わかってるよ。それじゃ、苺ちゃん、また」

イチゴちゃんに向かって軽く微笑むと、お兄さんはそそくさと自分の部屋に入ってしまった。イチゴちゃんは名残惜しそうな顔で、じっとお兄さんの部屋のドアを見つめていた。

「それじゃあ、お兄ちゃん帰ってきたから、あたしも一緒にご飯食べるけど、二人はどうする?」

「あ、私たちはさっきイチゴちゃん家で軽くすませてきちゃったから、アイサちゃんの部屋で待ってるよ」

「そう。じゃあ、少し待ってて」

 そう言うと、アイサちゃんは夕食の準備をするために居間の方へ向かって行った。

「ほらイチゴちゃん、私たちはこれから作戦会議よ」

 茫然とお兄さんの部屋のドアを見つめているイチゴちゃんを、私はアイサちゃんの部屋へと強引に引っ張った。

「うう、あとちょっと待ってれば、私服姿の先輩を拝めたのに」

「さっき、またねって言われたばかりじゃない。それなのに部屋の前で待ち伏せなんかしてたら危ない子だって思われちゃうよ。それよりも、私にいい案があるから、任せてよ」

「えっ、マジで! 好葉大好き」

 イチゴちゃんは嬉々とした表情で私に抱きついてきた。ボーっとしたかと思えば、飛び上がって喜んでみたり、物凄い情緒の揺らぎだ。これが恋愛ってものなのだろうか。

 今更ながら、私は恋の力の凄まじさを痛感したのだった。

 咄嗟にひらめいた計画をイチゴちゃんに話し終わってからすぐに、アイサちゃんが部屋に戻ってきた。

「もう、お兄ちゃんったら。私の前で他の女の話なんかするなんて、ほんと、信じらんない」

 アイサちゃんは、愛しのお兄さんと食事を終えたばかりだというのに、何やら不機なご様子だった。

「他の女の話って、アイサ、先輩とどんな話したの?」

 さすがイチゴちゃん。すごい勢いで食いついた。

「えっ? ああ、うん。何かさ、一緒に文化祭実行委員に選ばれた人と思うように話ができなくて、どうすればいいかって」

 えええ、その程度の話なの? そんなんで不機嫌になっちゃうなんて、この娘、どんだけお兄ちゃん大好きなのよ!

「それって、あの早見先輩って人のことでしょ? あの人、最近やたら先輩に近づいてる感じがするんだよね。先輩もまんざらでもなさそうな顔してるし。要注意よね!」

 ずいぶん詳しいな、おい。

「そう、その早見って人。イチゴその人のこと知ってるの?」

「うん、まあね。それよりも、先輩、他に何か言ってなかった?」

「あ、うん。後は、ツグミさんの話をチラッと」

「ツグミ? ああ、三森先輩。彼女こそ一番の要注意人物よね! 女友達みたいな顔して先輩に近づいてるけど、ああいう女が実は本音ではそれ以上になりたいと望んでるタイプなのよ」

「うん。あたしも、そんな気がする」

 あ~あ、二人で盛り上がっちゃってるよ。どうでもいいけど、アイサちゃん。他の女を警戒するなら、もう少しイチゴちゃんがお兄さんのことについて詳しいことを不思議に思った方がいいんじゃない?

 それからしばらくして、二人の熱が収まるのを確認して、私は先程イチゴちゃんに話した計画を実行することにした。

「そう言えば、アイサちゃん。アイサちゃんって、数学がすごく得意だったよね? 最近、私授業についてけなくてさ、良かったら、これから少し教えてくれない?」

「うん。別にいいけど。もしかして、今日いきなり家来たのって、それが理由?」

「あはは、正解。数学の宿題やっててさ、急に思いついたんだよね。ほら、私ってイチゴちゃんと一緒で、思い立ったらすぐ行動ってタイプじゃない?」

「確かに、最近、証明問題とか入ってきて結構難しくなったかも。宿題ならもう済ませてあるから。時間もないし、やるなら、さっそく取り掛かろ」

「でね~、もう一つお願いがあるんだけど。教科書とルーズリーフ、あ、それから筆記用具、貸してくれたら嬉しいな」

 アイサちゃんは呆れた顔で、私を見ると、苦笑いを浮かべ勉強道具をそろえてくれた。まあ、本当の目的はイチゴちゃんとお兄さんの関係がどの程度なのか確かめに来たんだけどね。

アイサちゃんの家に来た理由は、その場で考えればいいと思っていたが、それなりにうまくいったみたいだ。

 後は、私がアイサちゃんを引き付けてる間に、イチゴちゃんがお兄さんの部屋にお邪魔するだけだ。

 生徒会が関わっているかもしれない以上、正確な情報を把握しておく必要がある。私はこっそりイチゴちゃんに取り付けた、捜査用の盗聴器を耳に付けつつ、アイサちゃんの気を引くため、熱心な素振りで彼女に数学を教わったのだった。


 トントン!

「うん? アイサ?」

「せんぱ~い。お邪魔しまーす」

 イチゴちゃんはお兄さんの部屋の前で何度か大きく深呼吸すると、軽くノックをし、勢い良く部屋へと飛び込んで行った。

「えっ、イチゴちゃん?」

「先輩ともっとお話ししたいなって思って、つい、来ちゃいました」

 イチゴちゃんはそう言って、クスクスと楽しそうな笑い声をあげた。

「はは、そうなんだ」

 対するお兄さんは、気まずそうに笑っていた。

「先輩、何やってるんですか?」

「えっ? ああ、これ、つい最近発売したゲームなんだ」

「あ、それ知ってる~。うちのクラスでも結構流行ってます。あたしは、あんまりゲームとかやんないんですけど、前からちょっと興味あったんですよね。よかったら、先輩がゲームしてるとこ、見させてもらっていいですか?」

「うん、いいけど。アイサたちの方は、いいの?」

「あ、それなら大丈夫です。今、好葉がアイサちゃんに勉強教えてもらってますから。あたし、ちょうど暇だったんです」

「なんだ、そういうことだったのか。それなら、別にいいよ。それだったら、二人でできるゲームとかもあるけど」

「先輩優しい! でも、あたしあんまりゲームしたことないから、やっぱり先輩のやってるの見てる方がいいです」

「そうなんだ。それなら、適当にどこか座ってよ」

 どうやら、イチゴちゃんはうまくお兄さんの部屋へ乗り込めたようだ。

 それから、イチゴちゃんに解説をしながらお兄さんがゲームを再開した。

 

「苺ちゃん、ちょっと、近づきすぎじゃ……」

「え~、だってえ、あたし、目が悪いからこのくらいの距離じゃなきゃ見えないんです」

「だったら、もっと画面の近くに行ってもいいけど」

「このくらいの距離が一番見やすいんです。それに、ゲームの音が大きくて、このくらい先輩に近づかなきゃ、先輩の声が聞き取り辛いんです」

「それにしたって、肩が寄り添うくらいってのは、近づきすぎなんじゃ」

「いいんです。女の娘は、好きな男の側に寄り添っていたいんです」

 お、さすがイチゴちゃん。さっきまであんなに緊張してたのに、覚悟を決めたら強い娘だ。

「ははは、苺ちゃんは相変わらず、大げさだな」

 うわ、思いっきり流したよ、お兄さん。声から察するに、完全に冗談として受け取ってる。私の探偵の勘から察するに、アイサちゃんの度を過ぎた愛情が、お兄さんに女性に対する免疫を与えたのではないだろうか。これは、予想以上に手強いかもしれない。

「ちょっと、好葉、ちゃんと聞いてる?」

「えっ? ああ、うん」

 アイサちゃんが訝しげな表情で私の顔を覗いてきた。さすがの私も、苦手な教科の勉強をしながらイチゴちゃんの動向を探るのは結構しんどいものがある。

「それじゃあ、この例題解いてみて」

 アイサちゃんは、教科書を指差して言った。私は慌ててその問題を確認したが、全く解けそうになかった。

「え~と、どうやってとけばいいんだっけ?」

「あんた、ほんとに聞いてたの? 今私が教えた公式に、ただ数字を当てはめるだけの簡単な問題じゃない」

「あ、ああ、そうだったね。で、どんな公式だっけ?」

 アイサちゃんは口をポカンと開けて私を見つめると、怪訝そうな顔で大きくため息をついた。

「ほんと、あんたたち、何しに来たのよ?」

 アイサちゃんはそう言うと、何かを思い出したように左右を見渡した。

「あれ? イチゴは?」

 しまったあ! 予想外に早く気付かれた。

「もしかして、あの娘……」

 アイサちゃんは目を大きく見開き険しい表情を浮かべた。それから、机を勢い良く叩いて立ち上がると、猛スピードで部屋を出て行ってしまった。イチゴちゃん、ごめ~ん。

 その後、アイサちゃんの部屋で、私たちは彼女にみっちりと絞られた。イチゴちゃんがお兄さんと仲良くなることを、アイサちゃんが嫌々ながら認めてくれたのが、不幸中の幸いである。

 一方、アイサちゃんが最後に漏らした一言が引っ掛かった。

「まあ、イチゴがお兄ちゃんのことをそんなに好きだって言うのなら、私は止めないけどさ。それで、お兄ちゃんの中から、あの女を消してくれるなら、あたしにとっても都合良いしね。最悪、イチゴからだったら、お兄ちゃんを簡単に取り返せそうだし」

 対するイチゴちゃんは、

「ふん、あたしが先輩を射止めたら、もう、アイサになんか指一本触れさせないんだから! せいぜい、今のうちにべったり甘えておきなさい」

 もちろん、アイサちゃんの家から大分離れてからの言葉である。

 まあ、何にせよ、生徒会が絡んでる可能性がある以上、これからお兄さんを綿密に調査する必要がありそうだ。ルート先輩たちにも手伝ってもらって、何とかしてイチゴちゃんの恋を実らせてあげないと大変なことになる。

 アイサちゃん家の方角へ、暢気にベーっと舌を伸ばしているイチゴちゃんを眺めながら、私はこれからのことについて思案を巡らせたのだった。


 恋花レポート

 この世には、現実にはありえないようなことが実在していることがある。例を挙げると、魔法や超能力がそれにあたる。そして、私がその能力者である。

 類は友を呼ぶ、といった言葉があるように、私の周りにも同じような能力者が何人か存在している。その一人が、今、私の目の前にいる春咲さんだ。

「で、例の男子の記憶はうまく覗けたの?」

 相も変わらず、春咲さんは偉そうな態度で私に尋ねてきた。

「まあ、同じクラスだから。適当な理由で話しかけて、そのまま記憶を覗かせてもらったわ」

「ね、簡単なことだったでしょ? 何で、あんたは毎回この程度のことで渋るのよ」

「だから、私はあなたと違って普段男子とはあまり話すことはないのよ。それなのにいきなり話しかけたりしたら、変に勘違いされたりするかもしれないでしょ」

 それに、私はそもそも男子が苦手なのよ。

「あんたが自意識過剰なだけでしょ。それに、そんなだから、愛しのルート君にはいまだに話しかけることすらできないじゃない」

「それは、今は関係ないでしょ!」

 本当、余計なお世話よ!

「だからあ、他の男子と普通に話せないのに、好きな男となんてまともに話せるわけないじゃないって言ってるのよ。そんなんだと、そのうち、ゆすらに出し抜かれちゃうんじゃない」

「うっ……」

 返す言葉が出てこなかった。学年トップクラスの美少女と言われている冬桜ゆすらさんが、あろうことか、私と同じ人を好きなのだ。

 本来なら潔く負けを認めて身を引いた方がいいのであろうが、私のルートに対する気持ちは、そんなに簡単にあきらめきれるほど単純なものではない。

 それに、私が好きになった人は、幸いと言うべきか、女性が苦手なのである。ゆえに、美人の冬桜さんが相手でも、今のところ大丈夫そうである。

「まあ、ルート君は恋愛には興味なさそうだしい、今のところまだ、心配いらなそうなんだけどねえ。何たって、あたしと同じクラスで、部活まで一緒なのに、全然あたしになびく気配がないんだもん。あれは、重症よねえ」

 思わず、あんたこそ自意識過剰なんじゃないの! と言い飛ばしたいのを寸前で堪えた。悔しいが、眼前の女性もまた、冬桜さんと競うほどの美少女だったからだ。

 それに、春咲さんは私と冬桜さんの前では本性を現しているが、クラスではみんなから愛される人気者を演出しているのだ。

 要するに、猫をかぶっているのである。しかも、芸能人も顔負けな程あざとい。去年まで同じクラスだったのだが、本性を知ったときには思わず茫然としてしまった。

 だって、この娘、ほんとにすごいんだもん。

 中間テストでは学年五位くらいだったのに、期末は最下位近くで、理由が回答欄を一行ずつずらしました、ですって。みんなの前でそれを先生に指摘されたとき、真っ赤な顔でハニカミながら、舌をだして、えへっ。男子からはときめかれ、女子からはしょうがない娘みたいな笑いをかき集めていた。思い出しても悔しいことに、当時は私もそれを見て、本当にこの娘はかわいいなと思ってしまっていたのだ。さらに言うと。こんな娘が男子からだけじゃなく女子から好かれるタイプなんだな、と感心したことも覚えている。

 少し話しはずれたが、こんな表向き完璧美少女の春咲さんを相手にしても、ルートは全く動じないということなので、今はまだ安心していてもよいのだろう。

 それからしばらく春咲さんの相手をしていると、インターホンの音が部屋に響いた。

「やっと着たみたいね」

 そう言うと、春咲さんは客人を招き入れるために自室を出て玄関へ向かった。

「こんばんは、恋花ちゃん。今日もよろしくね」

 春咲さんに案内されて入ってきたのは、先程話題に上がっていた冬桜ゆすらさんだった。

「あ、こんばんは冬桜さん。こちらこそ、今日はよろしく」

 育ちの良さそうな物腰に、艶やかに伸びた黒髪。穏やかな眼差しに、優美な笑顔。いかにも、お嬢様然とした美少女に、私は若干気圧されそうになった。

春咲さんを通じてもう何度も会っているが、いまだになれないものだ。

「それで、今日の生徒会の集まりはどうだったの? 例の会長はまたサボり?」

「うん。今日も会長は来なかった。やっぱり、ラブメちゃんの予想通り重役の集まりにしか出てこないんじゃないかな。私が集会に参加するようになってからまだ一度も見てないし」

「う~ん。ここは、やっぱりゆすらが一刻も早く幹部になることを期待するしかないみたいね」

「うん。空深君たちのこともあるし、私もできるだけ早く幹部になれるように頑張るね」

 胸の前で両手の拳を握りしめ、冬桜さんは真剣な表情で言った。

 それにしても、冬桜さんは春咲さんと違って本当にいい娘だわ。

 私たちは生徒会と敵対している。敵対と言っても、面と向かって争っているわけではなく生徒会のしようとしていることを陰で邪魔しているのだ。そして、冬桜さんは、私たちのために単身生徒会にスパイとして潜入しているのだ。

 どうして、私たちが生徒会と敵対しているのか。それは生徒会が悪い魔法使いに支配されているからである。

 生徒会が支配されているということは、言い換えればこの学園の中枢を乗っ取られたということである。そして、私たちが女王と呼ぶ悪い魔女の目的は、学園に通うすべての生徒の洗脳である。

 女王の目的を知ってしまった以上、黙って見過ごすことはできない。なぜなら、学園の全ての生徒の洗脳とは、すなわちルートも洗脳されてしまうことだからだ。そんなことは幼馴染として、絶対に許せない。

 以前、生徒会がルートに手を出したときに知り合った春咲さんと冬桜さんと共に、私は生徒会と戦うことを心に誓ったのだ。

「それじゃあ、時間ももったいないしそろそろ始めよっか」

 春咲さんが冬桜さんと私を交互に見て言った。私も冬桜さんも無言で首を縦にふった。

 今日、私たちがここに集まったのは、三人の能力を合わせた魔法を発動するためだ。その魔法とは、私が覗いてきた男子生徒の記憶を、ここにいる三人で共有するものだ。

 私の能力は、他人の脳波と波長を合わせることで、相手の記憶を共有したり、その人の記憶の一部を消去したりすることができるものだ。

 それから、冬桜さんの能力は他人の夢を自由に操ることである。

そこで、私の能力で冬桜さんの脳波と波長を合わせ、三人で同じ夢を見ようとしているのだ。

 ちなみに、この技を維持するには大変膨大な魔力を消費するが、そこで、春咲さんの出番である。純粋な魔女の家系で英才教育を受けた春咲さんが私たちに魔力を提供することで、この魔法は完成するのである。

「それじゃあ準備はい~い」

「ええ」「はい」

 春咲さんの掛け声に私と冬桜さんが声を合わせた。次の瞬間、私たちは夢の中へと引きこまれていった。


 物心ついたころから、ずっと部活に打ち込んできた。

だからなのか、恋とはどんなものなのかよく理解できなかった。

けれど、今ならわかる気がする。

なぜなら、あの娘と目が会う度に、こんなにも鼓動が高鳴ってくるのだから。


 蹴散らせ三角関係

 最近、放課後が待ち遠しくなってきた。もちろん、面倒な授業が早く終わってほしいのは当たり前だが、それ以上の理由が今の俺にはある。

 それは、気になる女子と二人きりになれるからだ。それというのも、近々行われる学園祭の実行委員に、その娘と一緒に選ばれてしまったのだ。

 選ばれたときは、少し面倒だと思った。しかし、部活をサボる口実にはちょうど良いと思い直した。その後、俺に続いて彼女も選ばれたのは予想外の出来事だった。

自分のくじ運の強さに感謝である。

肩まで伸びた少し茶色に染められたサラサラの髪に、程よく突き出た胸とくびれ。まさに女の娘と言った外見のクラスメイト。

俺こと虹崎花鶏は今、早見(はやみ)()(ひわ)のことがとてつもなく気になっている。

 まあ、しかし何だな。放課後二人で仕事をするようになってもう三日目になるが、気持ちとは裏腹に会話とは思うように出てこないものだ。

 いや、逆か。好きな相手だからこそ、下手なことが言えないプレッシャーで、うまい話題が思いつかないのか。

 本日、ホームルームの際にクラスのみんなに書いてもらった、文化祭でやりたいクラスの出し物が記入された用紙を眺めてから、もう十分以上経過している。その間、俺は早見さんと挨拶程度しか会話を交わしていなかった。

 無言のプレッシャーに耐えきれず、彼女の方を一瞥すると、タイミングよく彼女もこちらを向いた。目が合った。その途端、抑えきれないほど心臓が脈を打ち始めた。

「男子の案はどう? 女子の方は喫茶店とリサイクルショップっていうのが多かったけど」

 数秒間、見つめあった後、彼女が耐え切れなくなったように顔を真っ赤にして話しかけてきた。アンケート用紙を男女別に分担していたのだが、彼女の方は一通り見終わったようだ。

「えっ、あ、こっち? まあ、似たようなもんかな」

 俺は適当に相槌を打った。それというのも、彼女のことで頭がいっぱいで、まったく用紙に目を通していなかったからだ。

「あっ、そうなんだ。文化祭でやりたいことって言われたら、やっぱりそうなっちゃうよね。でも、リサイクルショップは別として、喫茶店は別のクラスとかぶっちゃう可能性が高いよね」

「まあな。他のクラスと被った場合、生徒会への貢献度の高いクラスが優遇されそうだけど、俺たちのクラスには役員が一人もいないからな。おそらく、争ったら負けるだろうな」

 各クラスが同じ出し物を申請した場合、アンケート用紙を早く出したクラスが優先されることになっている。しかし、この学園は生徒会が異常に強い権力を握っているため、独断で決められてしまう可能性は大いにある。

「それじゃあ、リサイクルショップにする?」

「リサイクルショップって? 適当にいらない物を集めてきて、それを売るのか?」

「あっ、それなんだけど、古着なんかでいいんじゃないかな? うちのクラスの女子って、結構みんなファッションにうるさいし。今みんな成長期だから、着れなくなったけど捨てきれない服とか、結構みんな持ってそうじゃない?」

 成程、古着のリサイクルか。いい案かもしれない。コストも掛からなそうだし、面倒な準備も必要なさそうだ。それに、値段の設定などは、古着の専門店やインターネットなどを参考にすれば良い。

「それ、いいかもしれないな」

「本当。良かった」

 彼女は安心したようにため息をつくと、こちらを見て満面の笑顔を浮かべた。

 ヤバい! 心臓が破裂しそうなくらい苦しくなってきた。

「あ、それじゃあ、第一希望は古着のリサイクルショップで決まりだね。後二つ選ばなきゃいけないけど、虹崎君、何かいい案あるかな?」

 前述したように、他のクラスと文化祭の出し物が被らないために生徒会には第三希望まで書いた用紙を提出することになっている。

 俺は早見さんの期待に応えようと、机の前に無造作に散らばっている男子分のアンケート用紙に慌てて目を配った。

 メイド喫茶に、お化け屋敷など定番の出し物ばかりが目に飛び込んできた。それにしても、みんな適当だよな。マンガやアニメでもあるまいし、メイド喫茶やお化け屋敷など簡単に準備できるはずがない。部活などで昔から伝統的に文化祭の出し物として行っているのならまだしも、クラス替えをして半年程度の俺たちが一から準備するのは不可能だ。

 早見さんに良いところを見せるチャンスだったのにまったくいい案が浮かばず、またしても無言の時間が経過していった。今日は、この仕事をするようになって初めて会話らしい会話が続いただけに、自分の頭の悪さにうんざりした。

「う~ん。やっぱり、みんな似たようなことしか書いてないよね。第一希望も決まったことだし、もうこの際、第二と第三希望はホラーハウスにメイド喫茶にしておく?」

「いや、それは現実的にちょっと」

 一瞬、静寂が辺りを包んだ。気になって、チラッと早見さんを窺うと、彼女は目を丸くして固まっていた。それから、申し訳なさそうな顔で俯くと、

「あ、うん、そうだよね。適当なこと言ってごめんなさい」

 しまったあ! せっかく気を聞かせて早見さんが話しかけてくれたのに、つい、現実的な受け答えをしてしまった。

 しかも、さっきから心臓の勢いが一向に収まってくれないせいで、緊張しすぎてつい、強い語調で対応してしまった。

 くそっ、ここは素直に謝っておくべきか。いや、しかし別に悪いことをしたわけではないし、ここは、良い提案をしてこの嫌な空気を変えるべきか。

だめだ、考えれば考えるほどわけがわからなくなってくる。早く何とかしなければ。

 ガラッ!

「ああ、やっぱりまだ教室に残ってたんだ。文化祭実行委員の仕事だっけ? そんなのさっさと切り上げて、体育館来てよ。あんたがいないと、五対五で試合できないんだからさ」

 やかましい声の女が教室のドアを開けて入ってきた。女子バスケット部のキャプテンで中学からの腐れ縁、クラスメイトの三森(みもり)(つぐみ)が俺を睨みつけるようにして、こちらに向かって歩いてきた。

 確かに一刻も早く場の空気を変えたいと思っていたが、他人に頼んでまでそうしたいとは思わなかった。

せっかくの早見さんとの時間が、こいつのせいで台無しだ。

「あっ、三森さん。ご、ごめんなさい。遅くまで虹崎君を拘束しちゃって。私がいたらないばっかりに」

「あ~、早見さん。こちらこそ、ごめんね。文化祭の準備邪魔しちゃったかな? でもさ、どうせこいつ、あんまり役に立ってないでしょ?」

 早見さんが俺の代わりに鶫に応じた。一応、俺たちは三人共同じクラスだが、早見さんと鶫が話しているところはあまり見たことがなかった。そのせいか、早見さんは少し緊張した面持ちで鶫を見つめていた。

「えっ? あ、そんなことないよ。さっきだって、私が適当な案を通そうとしたら、ちゃんと注意してくれたし。それに、虹崎君がただいてくれるだけでも、私、心強いし」

「ふ~ん。それなら、ま、いいんだけどさ。でも、早見さんって、ずいぶんこいつのこと信頼してるのね」

 腕を胸の前で組みながら、じと目で早見さんを見つめ、鶫はからかうように言った。

「ええっ、あっ、違うの。私が言いたかったのは、私一人だけだったら、クラスの一大事を決めるなんてとてもじゃないけどできないから。だから、私の意見を一緒に考えてくれる虹崎君がいると、本当に助かるな、っていうか、そういうことなの」

 顔中を真っ赤に染めると、早見さんは鶫の方へ両腕をぶんぶんと振り回した。そして、話し終えると、しゅんとしたように顔を下げて俯いてしまった。

 それにしても、鶫の野郎! 早見さんになんてこと言うんだよ。それに、早見さんのあの対応といい、何だか、無駄に傷ついてしまった。

「それならそれでいいんだけど。それよりも、こいつ、文化祭実行委員に決まったのをいいことに、部活休んでんだよね。最近、ずっとサボりがちだし。今日こそは連れて行こうと思ってるんだ」

 そう言うと、鶫は再び俺に視線を戻しきつく睨んできた。

「しょうがねえだろ! 別になりたくてなったわけじゃないんだし。それに、俺がいなくたって、爽やお前がいれば、部活には支障ねぇだろ?」

 鶫から目をそらすと、俺は半ばやけくそ気味に言った。こうしてわざわざ俺を呼びに来てくれた鶫には悪いが、どうしても部活に顔を出す気にはなれなかった。

「だから、あんたがいないと人数足りないって言ってんでしょ。何度同じこと言わせるのよ! あんた本当にバカなのね」

「それこそおかしい話だろ? どうせお前が入って九人なら、もう一人女子入れればいい話だろ? それで五対五で人数もそろうじゃねぇか」

 うちの学校の男子バスケ部は、あまり強い部類ではなく真面目に練習に来る学生は全学年合わせて八人しかいない。女子も同様にあまり目立った業績がなく、毎日来ている学生は六人程度だ。そのため、体育館も男女共通で使用することになっており、練習も合同で行っている。

 ちなみに、この学園の高等部には第八体育館まであるが、俺らが使っているのは、一番古くて小さい第一体育館である。

「はあ、あんた、うちらの実力知ってるでしょ? あたし以外で男子とまともに試合できる娘なんているわけないじゃん。だからさ、あんたでも、いないよりいた方がましなのよ! それに、今日はどうしてもあんたに来てもらわなきゃならない理由があるのよ」

「あ~、わかったよ。そこまで言われたら俺も出ないわけにはいかねぇよな。それじゃあ、この仕事が一段落したら、今日は部活に顔出すよ。それでいいだろ?」

 このままここでこいつと言い争っていてもらちが明かない。ここは、適当にこいつを納得させておいて、いったんこの場を引いてもらった後、バックれるしかないな。

「最初っから素直にそう言えばいいのよ!」

 偉そうに俺を見つめた後、鶫はニコッと微笑むと、そのまま早見さんの方に顔を向けた。

「早見さん、あたしのせいで仕事を中断させちゃって、ほんとにごめんねぇ。それでさ、あたしも同じクラスで無関係ってわけじゃないし、こいつ連れてかなきゃなんないからさ、あたしにも手伝わせてよ!」

 しまったあ! こいつ、一から女バス立ち上げるほど、行動的な女だった。俺が素直に納得したからと言って、黙って頷いて帰ってくれるような奴じゃなかった。

「ええっ、そんなあ。三森さん部活中でしょ? さすがに悪いよ。それに、だいたいの案は決まったところだから、後は私が一人でやっとくよ。だから、虹崎君ももう部活に行ってもいいよ。今日は一緒に考えてくれてありがと」

 そう言って、早見さんは僕に向かって微笑んだ。また、俺の心臓はドクドクと激しく脈を打ち出した。

 早見さん、なんて良い子なんだ。しかし、このまま早見さんに仕事を押し付けるわけにはいかないよな。

「あっ、さっきのリサイクルショップの話なんだけど、どうせなら第三希望まで全部それにするってのはどうだ? 第一希望が古着だとして、第二が古本とか。それにそうだな、第三はゲームソフトとか電化製品なんてどうだ?」

「ああ、虹崎君すごい! それいい案かも。それなら、どれに決まっても、みんなにいらない物を持ってきてもらうだけで、あまり手間はかからなそうだし、それに他のクラスと被ることもなさそう」

 早見さんは目を大きく見開き、予想以上に俺の意見を受け入れてくれた。これで俺の評価も下がらなくて済みそうだ。

「えっ、もしかして、決まったの? それじゃあ、もう早見さん一人でほんとに大丈夫そうね。だったら、さっさと部活行くわよ!」

 俺の制服の襟元をつかむと、鶫は教室のドアへと俺を引きずって行った。

「それじゃあ、早見さんおつかれ~」

 ドアの前で立ち止まると、鶫は早見さんに向き直り軽く手を振った。

「あ、早見さん、それじゃあ、明日の昼休みにでも一緒に生徒会に用紙を出しに行こうぜ」

「うん、わかった。虹崎君、部活がんばってね」

「ああ、じゃ、またな」

「うん。おつかれ~」

 こうして、俺は鶫に引きずられるまま教室を後にした。早見さんと別れてもしばらくの間、熱い鼓動は冷めることはなかった。


「あっ、虹崎先輩。こんにちは~」

 体育館に入るなり、元気な声が俺の耳に響いてきた。慌ててそちらを見ると、ロングウエーブの髪を金色に染め、耳にはピアスをつけた、典型的な今どきの女子高生を彷彿させる女の娘が元気よく駆け寄ってきた。

「あたし、今日から男バスのマネージャーすることになったんで、よろしくお願いしま~す」

 目の前の女子は、口を大きく開いて無邪気な笑顔を僕に向けた。

 この娘は、木苺苺ちゃん。一学年下で俺の妹の同級生だ。ついこの間までは、妹がたまに家に連れてきたときにチラッと顔合わせするくらいだったが、最近、あることがきっかけで妙に俺に懐いてくるようになった。

「あ、苺ちゃん、こんにちは。えっ? でもなんで急にマネージャーなんかに?」

「え~、そう言うこと聞いちゃいますぅ? そんなのお、先輩に毎日会えるからに決まってるじゃないですかぁ」

 相変わらず、大げさなリアクションを返す娘だ。妹のアイサもそうだが、今どきの娘はみんなこうなのだろうか。それにしても、他の部員たちの冷やかしの声が耳に痛いので、苺ちゃんにはこれからはもっと普通の受け答えをするように注意しなければ。

「へ~、あんた、昔から年下にはもてるよねぇ。それに、さっきは早見さんにも慕われてるみたいだったし。女の娘にデレデレするのもいいけど、練習は真面目にやってよね」

「なっ、急に何言ってんだよお前」

 苺ちゃんの目の前だというのに鶫が余計な茶々を入れてきた。

「大丈夫ですよぉ、三森先輩。虹崎先輩には他の女子が見えないくらいあたしを見てもらいますから。他の女なんかにデレデレさせません!」

 はあ、苺ちゃん。いちいちオーバーリアクションで返さなくていいから。それに、微妙に返答がずれてる気がするし。苺ちゃんの今の言葉にはさすがの鶫もどういった反応をしてよいかわからず、ポカンと口を開けたまま茫然と苺ちゃんを眺めていた。

 苺ちゃんと仲良くなった切っ掛け。それは、一か月程前の放課後のことだった。バスケ部顧問の田中先生が苺ちゃんのクラスの体育の授業を受け持っている関係で、実技試験の成績が今一だった苺ちゃんは、追試として放課後うちの部活に連れてこられたのだ。

 田中先生が苺ちゃんに出した課題はフリースローを十本中三本決めることだった。そんなに難しくない課題だと思ったが、苺ちゃんは何度シュートしても、一本も決めることは出来なかった。

それもそのはずだ。シュートのフォームが滅茶苦茶だったからだ。田中先生の話では、苺ちゃんは普段から授業をサボりがちなため、まともにシュート練習をしたことがないらしい。それなら、今この場で教えてあげればいいものだが、まじめに授業を受けないとどうなるかを身に染みてわからせるためだと言って、田中先生は苺ちゃんを放置していた。

 苺ちゃんとは知らない中でもないし、少しかわいそうだと思った俺は、先生の目を盗んで苺ちゃんに簡単なシュートのコツを教えてあげた。

 苺ちゃんは、運動神経自体はそんなに悪くなく、物覚えも良かった。そのため、少し教えただけでかなりの上達を見せた。

 そして、見事課題をクリアした苺ちゃんは、俺に満面の笑みで感謝してくれた。それからも、妹に連れられて俺の家に遊びに来た際には、ちょくちょく世間話をするようになり、気付いたら懐かれてしまっていたのだ。

「おお、虹崎。おまえ、羨ましい奴だな、全く」

友人の達也が調子のいい声で俺に声をかけてきた。

「はあ、いいなー虹崎。俺も彼女ほしいなー」

 達也はどこか遠くを見つめるように言った。そして、達也の視線の先では鶫とバスケ部キャプテンの九澄爽が、楽しそうに会話をしていた。

「やっぱり、あの二人って付き合ってんのかなー? まあ、悔しいけど、お似合いだもんな」

「はあ、そうか? 確かに爽は俺らの中で断トツにうまいし、まあ、顔もカッコいいと思う。けど、それに比べて鶫はたいしたことないんじゃないか?」

 俺は達也の言葉に否定的な返答をした。何だか、聞いていてあまり良い気分になれなかったからだ。最近、俺が部活に顔を出すのが憂鬱になっているのも、これが原因だった。

「おいおい、お前、マジで言ってんの? 三森鶫って言えば、春咲さんと冬桜さんのツートップに次いで、学年十強に入るほどの美少女だぞ。お前、いくら昔からの付き合いだからって、三森がかわいく見えないってことはないだろ!」

「そういうのは、好みの問題だろ? 確かに俺もツートップの二人は美人だと思うけど、鶫はそんな感じしないけどな」

「おいおいマジかよ! お前、それ面食いとかいうレベルじゃねえぞ。三森がかわいく見えないってことは、お前の好みがどうかしてるとしか思えない」

 達也はむきになって俺に噛みついてきた。まあ、こいつの気持ちはわからなくもない。こいつは隠しているつもりみたいだが、最近こいつが鶫に告白するのを、俺は偶然目撃しているのだ。ああ、何だか思い出したら、また、無性にイラついてきた。


 あれは、二週間ほど前の部活帰りだった。俺は借りていたマンガを返そうと達也を探していた。更衣室と体育館に達也がいないことを確認した俺は、そのまま体育倉庫へと向かった。すると、鶫と達也の話声が耳に入ってきた。

 何やら深刻そうな雰囲気を察した俺は、入り口の前でそのまま聞き耳を立てることにした。

「三森、俺、お前のこと前から好きだったんだ。俺と付き合ってくれ」

 達也らしい、実に率直な告白だった。そして、鶫の反応も素早かった。

「ごめん。私、好きな人いるから」

 そこで、しばらく無言の時間が続いた。おそらく、達也がフラれたショックで、茫然としているのだと思った。空気を察してか、鶫も達也が次の言葉をかけるまで一言も口にしなかった。

「そうか。そうだよな。三森にも、好きな男の一人や二人くらいいるよな」

 それから数分の後、気を取り直したように達也が鶫に話しかけた。達也の口調にはいつもの勢いはなく、無理して普通にふるまおうとしているようだった。けれど、その声は震えていた。

「ごめん」

 鶫の声にも、いつもの溌剌さは感じられなかった。

「はは。実は俺わかってたんだよな。お前に好きな人がいること」

「えっ? うそ!」

 達也の言葉に、鶫は意外な反応を見せた。声を聞く限りかなりの動揺が窺えた。

考えてみると、鶫に好きな奴がいるなんて想像したこともなかったな。なんか、『今は恋愛よりバスケやってる方が楽しいの』とか言ってそうなイメージがあるしな。

「お前の好きなのって、爽、だろ? 良かったな。おそらく両思いだぜ」

「え?」

「俺、お前のこと好きだから、見ていて良くわかるんだ。お前が爽を見るときの真剣な瞳は、何だか、お前を見る俺の瞳と被って見えるんだ。そして、それはお前を見る爽の瞳も全く同じなんだよ」

 達也は、何だかかっこつけた言い回しで、名言を口にした。突っ込みたい気持ちは山々だったが、それよりも、さっきから言いようのない不安にも似た気持ちが俺を支配していたため、それどころではなかった。

「三森、お前の好きな奴ってのは、爽なんだろ? だったら、俺のためにもお前ら付き合ってくれよ。そうしてくれたら、俺の気も少しは晴れるからさ」

 鶫は何も言わなかった。それからすぐに、達也が逃げるようにしてこちらへ向かってくる気配がしたので、俺は急いでその場を後にした。

 その日は、一日中モヤモヤした気分で、あまり眠れなかった。


「よーし、全員集合」

 爽が手を叩きながら、各自練習をしていた部員を集めた。どうやら鶫との会話は済んだようだ。

「それじゃあ、虹崎も来たことだし、試合形式での練習始めようぜ」

「きゃ~、先輩、頑張って下さ~い」

 爽の言葉に、苺ちゃんが大はしゃぎし、俺に向けて期待の眼差しを送ってきた。

 はあ、まいったな。期待してもらえるのはうれしいけど、俺はこの中で別にとりわけ強いってわけじゃないんだよな。これで、爽と違うチームにでもなったら、カッコ悪いところを見せてしまうかもしれない。

 そんなことを思いながらチーム分けしたせいか、爽とは別のチームになってしまった。

「お、虹崎と一緒じゃん。今日こそは爽に俺たちの底力を見せてやろうぜ」

 はあ、達也と一緒でもな。こいつ、身長は高いし弱くはないけど、強くもないんだよな。それに比べて、爽と別のチームになったのは痛い。

 俺たちのチームは夏の大会で地区準優勝に輝いたのだが、九割以上が爽一人の活躍によるものである。うちのバスケ部は平均身長175センチ以下と、バスケ部員としてはかなり小さい部類であり、爽も例にもれず168センチしかない。しかし、その卓越したバスケのセンスと、チームをまとめる統率力で、次々と強豪校を下していったのだ。

 爽はその気はないみたいだが、ちゃんとしたバスケの強豪校にでも入れば、間違いなく一流の選手になれるだろう。こんなところにいるのは、非常に残念である。

「アハハ、あんた割とくじ運悪いわね。マネージャーなんて貴重な存在なんだから、木苺さんに愛想つかされないように、せいぜい頑張ることね」

 鶫が俺の方に近づいてきて、からかうような笑みを向けた。こいつ、爽と一緒のチームだからって調子に乗ってるな。本当にこいつは、見ているだけでむかつく奴だ。

「それじゃあ、始めるぞ」

 爽の掛け声とともに、全員持ち場に着いた。審判を引き受けてくれた女子部員の合図で試合が始まった。

 結果は見事に惨敗だった。ただ一つ救いがあるとすれば、俺の撃ったシュートがうちのチーム唯一の得点源だったことだ。

 苺ちゃんは、『あの九澄先輩からゴールを奪えるなんて、やっぱり先輩はすごいです! 試合してる姿も滅茶苦茶かっこよかったです』と絶賛してくれたが、あまり喜ぶ気持ちにはなれなかった。


 家に帰ると、妹が玄関まで飛び出してきた。

「お兄ちゃんおかえり。イチゴがマネージャーになったんでしょ? どうだった?」

「え? ああ、うん、タオルとか用意してくれて、かなり助かったよ」

 そう答えると、アイサは不思議そうな表情で俺の顔を覗き込んできた。

「さては、お兄ちゃん、初っ端からイチゴにかっこ悪いとこ見せたでしょ?」

 相変わらず鋭い妹である。

「お兄ちゃんって、調子悪いと口数が減るからわかりやすいんだよね。どうせ、爽さんと別のチームになって、思いっきりやられちゃったんでしょ」

 何もかもお見通しだとでもいうように、アイサは俺に優しく微笑みかけた。

「もう、ほんっと、しょうがないお兄ちゃんね。それじゃあ、今日も一緒に添い寝してあげようか?」

「くっ、それはもういいから! 今日は大丈夫だよ。それよりも、早く飯食おうぜ。試合したせいで、かなり腹減っちまったからよ」

 俺は慌てて話を逸らした。鶫と爽の関係が気になって眠れなかった時期に、アイサが心配して俺のベッドに潜り込んで来てくれていたのだ。

 その時の俺は、そのことを注意するのも億劫な程やつれていたことと、誰かが傍に居てくれる安心感から、しばらくの間そのままアイサと一緒に寝ていたのだった。

まあ、そのおかげで立ち直れたようなものなので、アイサには感謝はしているのだが。

それにしても、思い返してみると、妹と一緒に寝るなんて俺はなんて恥ずかしいことをしていたんだ。とんでもない、黒歴史である。

「ふん。どうせ、ツグミさんにかっこ悪いとこ見せちゃって落ち込んでるくせに。ホント素直じゃないんだから」

 独り言のようにアイサが小声で何か呟いたが、俺の耳には届かなかった。


 恋花レポート

 一通り、私が見てきた虹崎君の記憶を観賞すると、春咲さんは堪えきれないように、お腹を抱えて笑い出した。まあ、いつものことである。

「アハハハハハ、何これ? こいつ、マジウケる。妹に添い寝してもらってるだって、マジありえないんですけどお」

「ラブメちゃん、そんなに笑っちゃ悪いよ。でも、この虹崎君って相当自分の気持ちに鈍感みたいね」

 春咲さんを宥めながら、冬桜さんが私に意見を求めるように言った。

「まあ、そうね。妹さんが言うように、もっと素直に自分の気持ちを見つめた方がいいかもしれないわね。それに、クラスで見ている感じでも、三森さんの方も虹崎君を好きなように見えるし」

「う~ん。虹崎君が自分の気持ちに気付いて、三森さんとちゃんと向き合ってあげれば、普通だったら全て解決って感じかな。でも、三森さんが生徒会役員に利用されてる娘だったら、逆に難しくなるかも」

「うん、それもそうなんだよね。ああ~、私が三森さんや早見さんの記憶も探ることができれば、もっと簡単なのに」

 私の能力は他人の思考を共有するものなので、本来ならば女性陣の記憶を探った方が効率が良いのだ。

「まあ、それはしょうがないわよ。女王に私たちの存在がばれちゃってるんだから」

 春咲さんの言うように、私たちの存在は女王に感づかれている。まあ、感づかれたといっても、自分の邪魔をしている奴らがいる、程度なのだが。

 私たちの対処法として、女王は配下の女性にカウンターで発動する魔法をかけている。すなわち、女王の息のかかった女性に魔力的な接触をすると、その人物が攻撃魔法で吹き飛ばされてしまうのだ。そのせいで私は、以前痛い目にあわされたことがある。さらに厄介なのは、魔法が発動すると、その情報が女王に伝わってしまうため、私たちの計画が台無しになってしまうことだ。

以上のことから、私は男性のみに記憶の共有を仕掛けている。

「それで、あんたたちは誰が怪しいと思う?」

「壁が大きければ大きいほど、恋愛が成就した場合に女王が得られる魔力が大きいんだよね? だったら三森さんは違うんじゃ」

「う~ん。それはそうなんだけど。この三森さんってこの虹崎って奴と中学時代からの付き合いなんでしょお? あたしから言わせると、そんなに長い間一緒にいて何にも進展していないのは、割と大きな壁って気がするけど。あんたはどう思う?」

 冬桜さんの話は最もだと思ったが、確かに春咲さんの意見にも一理ある。

「後輩の娘ってことはないの?」

 こちらに質問を振られたので、とりあえず頭に浮かんだ疑問を口にした。

「それはないと思う。イチゴって娘は、あの好葉ちゃんが虹崎君とくっ付けたいって言ってきた娘だから」

「女子高生名探偵、だったかしら? その娘ってそんなにすごいの?」

「少なくとも、あたしが普通じゃないってことには気付いてるみたい。わざわざ監視しに部活に乗り込んでくるくらいだし。それに、うちの部が結成されてから、何度か生徒会と渡り合ってるけど、あの娘のおかげで結構食い止められてるところが多いし。かなりできる、と思う」

 まあ、人を貶す専門の春咲さんが、ここまで褒めるということは信用して間違いなさそうだ。それはそうと。

「あんた、あんな部活立ち上げておいて、ルートにもしものことはないんでしょうね?」

「だから、大丈夫って言ってんでしょ。ルート君はあたしがちゃんと守ってあげてるから。それよりも、あたしたちが今考えるべきことは生徒会を引っ張り出して、女王を暴き出すことでしょ。そうすれば、ルート君に危険はなくなるし、あたしらもこんな面倒なことからおさらばできるんだし」

 そのために、ルートを囮に使ってることがどうかって言ってるのよ! まあ、どの道、このまま何もしないよりは春咲さんが近くで守ってくれる方が安全だとはわかっているのだが。それでも気持ちが納得してくれないのだ。

「まあ、とりあえず、そろそろ朝になるし、細かい計画は明日立てましょ。それじゃゆすら、後お願い」

「うん、わかった。それじゃあ、いったん能力を解くね。それじゃあ、おやすみなさい」

 こうして、共有していた私たちの意識は元に戻された。そして、春咲さんのセットした目覚ましが鳴るまでの短い時間、私たちはしばしの休息についたのだった。



「イチゴちゃん。早速マネージャーに志願したらしいですよ」

 部室に入るなり、開口一番で好葉ちゃんが僕に報告してきた。木苺さんをバスケ部のマネージャーにすることは、我々恋愛研究部が木苺さんの恋を成功させるための作戦の一環だった。

「まあ、ここまではいいとしても、これからどうやって、虹崎君とくっ付けるかが問題だよな」

 倉戸が一番の問題点を指摘した。もう既に、本命と思われる女子が二人もいる虹崎君をどうやって攻略するかが、今日の議題になっていたからだ。

「でも、その前に、早見さんと三森さんのどちらが生徒会の息のかかった娘かを特定した方がいいんじゃない。それを確認しないとお、こっちがうまく動いても生徒会に邪魔されちゃうかもお」

 春咲さんの話ももっともだ。

「まあ、確かにそうだな。それで好葉ちゃんの友達ってのは、本当に生徒会と関係ないんだよな?」

「昨日もお話ししましたけど、それは問題ないですよ。イチゴちゃんとは入学当初からずっと一緒に行動してますからね。もし、生徒会が近づいてきたら、嫌でもわかりますよ」

 倉戸の質問に、好葉ちゃんは自信満々に答えた。そもそも、この学園の経済活動に不信を持って入学した好葉ちゃんが、友達の異変に気付かぬはずがない。よって、ここは好葉ちゃんを信用しても良いだろう。

「それじゃあ、話を戻すけど、みんなは誰が怪しいと思う?」

「タイミング的に、早見先輩ですかね。いかにも騙されそうな性格っぽいですし」

「俺は、三森さんかな。昔から虹崎君と知り合いらしいし、いかにも生徒会が目をつけそうじゃないか?」

 春咲さんの問いに、好葉ちゃん、続いて倉戸がそれぞれの意見を口にした。

 二人の意見は、どうやら食い違ったようだ。

「ルート君は?」

 春咲さんが僕に返答を求めてきた。倉戸の意見は理にかなっているが、好葉ちゃんの言うことも最もだ。これは迷いどころだな。

生徒会に目をつけられるのはかなわなそうな恋の悩みを抱えている娘、と好葉ちゃんが以前言っていたよな。その理屈から考えると、どちらも当てはまる気がする。早見さんも三森さんも、お互いを意識しているように見えるからだ。

だったら、今ある情報で、虹崎君のことが好きで、かつ一番虹崎君と結ばれる可能性が低いのは。

「妹、かな」

 一瞬辺りが静寂に包まれた。しまったあ! 考えてもらちが明かないと思い、適当に言ってみたのだが、思った以上に場を白けさせてしまった。

「確かに、それは盲点だったぜ」

「アイサちゃん、ですか? 確かに、あまりにもありえないと思い対象から外してました。けど、考えてみると多少ブラゴン気味なところがあるかもしれないです。さすがです、先輩」

 あれ、何だか二人ともまじめに受け取ったみたいだ。それにしても、春咲さんが急に後ろ向きになって、お腹を抱えているのが気になる。何だか、今にも爆笑しそうなのを必死に堪えている感じだ。

 それから、それぞれの意見をもとに生徒会に利用されている娘の特定を行ったが、結局三人とも怪しいという結論になった。そこで、春咲さんが早見さんを、倉戸と僕で三森さんをそれぞれマークすることになった。

 そして、木苺さんについては、とりあえず今のところは持ち前の積極性を生かして頑張ってもらうことにした。


 蹴散らせ三角関係

 昼休み、俺は約束通り早見さんと一緒に、文化祭の申請書を提出するため生徒会室へ向かった。隣を歩く早見さんからは、物凄く良い香りがして、俺の鼓動はとめどなく脈を打ち続けていた。緊張しているときのような息苦しさはなく、癒されるような心地よい気分だった。

 思い返してみると、達也が鶫に告白したあの日も、こうやって早見さんに癒されたんだったよな。


 あの日、体育倉庫から走り去った後、そのまま家に帰る気分にもなれず、俺は自販機が立ち並ぶ多目的ルームでコーヒーを飲みながら時間をつぶしていた。

「あれ、虹崎君?」

 突然声をかけられ、そちらに視線を向けると、早見さんが穏やかな笑顔で立っていた。

「何だかつらそうな顔してるけど、大丈夫?」

「あっ、ああ、早見さんか。えーと、少し部活ではしゃぎすぎちゃってさ。今、軽く休憩してたとこなんだ」

「バスケ部だっけ? やっぱり運動部って大変なんだね」

「まっ、まあな」

 早見さんとは同じクラスになって結構立つが、まともにしゃべったのはこれが初めてだった。それから、少しの間、早見さんと軽くおしゃべりをした。蟠った気分を発散させたかったせいか、思ったよりも会話が弾み、気が付くと先程までの不快感が嘘のように和らいでいた。

 それにしても不思議だ。さっきまでの息苦しさが何事もなかったかのように消え去り、激しかった鼓動も、心地よいほど穏やかなリズムを保っていた。

「良かった。虹崎君の顔色がいつもの明るさを取り戻したみたい」

 会話が一区切りついたところで、早見さんがニコヤカに微笑んだ。その笑顔があまりにもかわいかったからか、僕の心臓は先程までと違った勢いを見せ始めた。

 その後、達也に電話で呼び出されたため、早見さんとはそこで別れた。結局達也の顔を見たせいで、また鶫のことを思い出し憂鬱な気分になったが、早見さんのおかげか当初よりは大分落ち着いた気がした。

 それ以来、俺は早見さんを無意識に目で追うようになり、偶に廊下などですれ違う際に、軽く挨拶をするような仲になったのだ。

 

 生徒会室に着くと、俺たちと同じ目的で来た学生が長蛇の列を作っていた。俺たちの順番まで、十分待ちと言ったところだ。

 しばらくの間、早見さんと文化祭の準備について話をしていると、思いがけない人物が俺たちの後ろに並んだ。

 その娘のあまりの美貌に、俺は思わず息をのみ込んだ。学年ツートップの一角、(はる)(さき)(あい)()さんだ。

「あ~、思ったより並んでるう。やっぱり、時間ぎりぎりに来た方が良かったかなあ」

 春咲さんは、並んでいる列を見て悔しそうに言った。

「ねえねえ、君たち、あたしと同じ学年だよね? どれくらい並んでるのお?」

「えっ、あ、私たちもさっき来たばかりで、だいたい二、三分くらいです」

 春咲さんの問いに早見さんが答えた。

「ふ~ん。そうなんだあ。でもお、こんなに並ぶなんて予想外だよねえ。いくら、早いもの順で優遇されるからってさあ」

「はあ、確かにそうですよね」

「ねえねえ、君たちはクラスの代表かな? どんな出し物に決めたのお?」

「あ、私たちのクラスはリサイクルショップにしようかと」

「え~! リサイクルショップ? それ、あたしたちと同じじゃん」

 春咲さんが大声を上げて驚いた。春咲さんのクラスか、もしくは部活の出し物と、俺たちのクラスがどうやら被ってしまったようだ。

「ねえ、何とかならないかなあ?」

 春咲さんは、いかにも譲ってほしいと言わんばかりに、胸の前で両手を組み、瞳をうるうるさせて近づいてきた。

 うわ、目、大きい。それに、まつ毛、長! それにこの甘い香り! 

少し近づかれただけなのに、俺の鼓動は恐ろしいくらいの勢いで脈打った。

 春咲さんは、早見さんから俺の方へ視線を移すと、輝くような笑顔で、

「ねぇ、だめかなあ?」

 うわー、かわい過ぎる! 鶫なんか目じゃないぜ! 

「な~んて、嘘。そんなの、フェアじゃないよね。まだ、提出まで時間ありそうだしい、どうせなら、今、ここでじゃんけんで決めない? あとくされなくさあ」

「そう言うことなら。私たちの方が提出が早くなるとは言っても、結局は生徒会の一存で決められてしまうわけですし。ね、虹崎君もそれで良いよね?」

 早見さんの言葉に、俺は無言で頷いた。早見さんの声が、少しギスギスしているのが気になった。チラッと早見さんの表情を窺うと、心なしか顔を強張らせているように見えた。もしかしたら、早見さんは春咲さんみたいなタイプが苦手なのかもしれない。

じゃんけんは早見さんのお願いで俺がすることになった。

「あっ、虹崎君、勝負の前にちょっといい?」

 じゃんけんをするため、いざ、春咲さんと向き合おうとしたところで、早見さんが、真剣な眼差しで俺の顔を覗いてきた。

「運が良くなるための、おまじない」

 そう言って、早見さんは俺の傍まで詰め寄ると、ニコッと穏やかに微笑んだ。その途端、さっきまではち切れそうなほどの勢いで脈打っていた鼓動が、嘘のように鎮まってきた。そして、春咲さんと向き合っても、それは変わることはなかった。

 明鏡止水の境地に立ったような、清々しい気持ちだ。今の俺なら、何をやらせても負ける気がしない。いまだかつてないほど、俺の心臓は心地よいリズムを奏でていた。

「それじゃあ、いくよお。最初はグー、ジャンケンポン」

 春咲さんの掛け声で勝負が開始された。結果は、俺の勝ちだった。

「ちぇっ、負けちゃったあ」

 春咲さんは悔しそうな笑みを浮かべながら片目を閉じ軽く舌を伸ばした。言うまでもなく、滅茶苦茶かわいかった。が、先程までとは打って変わって、俺の心臓は微塵も動く気配はなかった。

 早見さんにじっと見つめられただけで、こんなにも心が落ち着いてしまうとは。これが、愛の力って奴なのか?

 俺は改めて、早見さんへの思いを実感したのだった。

 それから三人で、春咲さんの部活の出し物の代案を考えた。俺達の番が回ってくるころには、何とか春咲さんの納得のいく案がまとまった。むしろこっちの方が良かったと春咲さんが喜んでくれたので、俺と早見さんも一安心だった。


 恋花レポート

 次の日も、私たちは春咲さんの家で、虹崎君の記憶を共有していた。今日は、春咲さんの指示で、彼女が接触したときの虹崎君の記憶に着目していた。

「これで決まりね。好葉ちゃんも怪しいって言ってたし、おそらく生徒会に利用されてるのはこの娘で間違いないわ」

 一通り見終わったところで、春咲さんはそう断言した。

「早見さんってこと? でも、いきなりどうして」

「鼓動の強さ。早見さんと話してるとき、虹崎って奴がいちいちそれに触れてるでしょ? それに、早見さんに見つめられたのが原因で、あたしを見てもドキドキしなくなるなんて、明らかにおかしいでしょ?」

 私の質問に、春咲さんは怪訝そうな顔で答えた。相変わらず、自信たっぷりな女。

「もしかして、早見さんは吊り橋効果を利用してるってこと? 恐怖などで動悸が激しいときに近くに異性がいると、その人を好きだと勘違いするっていう」

「そういうこと。普通は、お化け屋敷とかジェットコースターで応用するんだけどね。早見さんはそれを魔法の能力一つでできちゃうってわけ」

 冬桜さんの問いに、春咲さんは苦笑して答えた。なるほど、確かに、魔法でそんなことができれば、異性を落とすのにこれ以上ないくらい効果的だ。生徒会に能力を与えている女王とは、相当な切れ者のようだ。毎度のことながら、正直頭が下がる。

「そうと決まれば、後は簡単よね?」

「どうするの?」

 春咲さんは、質問した冬桜さんに晴れやかな笑顔を見せると、

「決まってるじゃない。三森さんを虹崎君にけしかけて、黒幕の生徒会役員を引っ張り出すのよ」

 相変わらず悪知恵の働く春咲さんであった。


 翌日の昼休み、私は春咲さんの指示で、三森さんに話しかけるタイミングを見計らっていた。三森さんは友人と話しながらも、虹崎君と早見さんが学園祭の相談をしているのを横目でチラチラと窺い、時折ため息を吐いていた。何だか見ていてかわいそうだった。本当は両思いなのに。

昼休みもあとわずかというところで、三森さんは友達に何かを言って席を立ち、そのまま教室を出て行った。お手洗いかと思い追うのを躊躇ったが、ここで予定通りに動かないと後で春咲さんにぐちぐち文句を言われそうなので、私はそのまま三森さんの後を追うことにした。

 予想に反し、三森さんの行った先は自販機のある多目的スペースだった。三森さんはレモン味の炭酸飲料水のペットボトルを購入すると、一口で飲み干してしまいそうな勢いでごくごくと音を立てて飲み始めた。

「はぁ、すっきりした。あそこにいると疲れるのよね。ほんと、やってられないわ」

 三森さんは、小声で独り言を漏らした。相当ストレスをため込んでいたのが、一目瞭然だ。私は大きく息を吸い込むと、そのまま三森さんの方へ近づいた。

「こんにちは。何だかお疲れの様ね」

「えっ、桃色(とうしき)さん? どうしたの、あたしに何か用?」

 三森さんは辺りを確認した後、驚いた顔で答えた。それも当然である。一応同じクラスだが、まともに話すのは今日が初めてだったからだ。そのため、ただでさえ人見知りな私はかなり緊張していた。しかし、これもルートのためと勇気を振り絞る。

「何だか、三森さんが恋愛小説のヒロインのように見えてしまって、つい。迷惑だったかしら?」

 私は平然を装うと、春咲さんが昨日考えたセリフをそのまま口にした。何だか言っていて無性に恥ずかしかった。

「えっ、そう? 図書委員の桃色さんにそう言ってもらえるなんて、何だかてれるな。それで、どんなところがヒロインっぽく見えたの?」

「いかにも、恋に悩んでるって表情をしているところかしら」

「ええっ、本当? 私そんな変な顔してた?」

「ええ、年相応の女の娘らしい、とっても素敵な表情をしていたわ。良かったら、相談に乗りましょうか?」

 私は恋を導く扇動者のような優美な笑顔を意識して、三森さんを見つめた。少し頬が引き攣っているが、まあそこはしょうがないということで。

「うん、ありがとう。でも、大丈夫」

 三森さんは一瞬悩んだような顔をしたが、すぐに持ち前の元気な笑顔を見せた。

「そう、だったら一言だけ。最近見た小説の一説なんだけど」

私はあの日彼に告白したことを後悔していない。だって、こんなにも自分を変えられることができたのだから。実ろうと枯れてしまおうと、恋は人を成長させてくれる。一番してはいけないことは、恋する気持ちを胸にしまい込み、そこで立ち止まってしまうことだ。全ての恋が最終的には幸せへとつながっている。立ち止まっていては、一生幸運をつかむことはできないのだ。

 三森さんは、持っていたペットボトルを思わず落としてしまうほど、衝撃を受けた表情をしていた。三森さんは私に近づいてきたと思うと、私の手を握りしめ、

「桃色さん、ありがとう。おかげで吹っ切れたよ。ほんと、うじうじ悩むなんてあたしらしくなかった」

 三森さんは、落ちていたペットボトルを拾い、ふたを開けて残りを豪快に飲み干すと、駆け足で教室の方へ戻って行った。

 それにしても、いくらふたが閉まっていたからとはいえ、落としたペットボトルをそのまま飲んじゃうなんて、本当に元気な娘だ。三森さんみたいなタイプは嫌いじゃないな。

 私はそのまま三森さんの後姿を見送るように見つめた。春咲さんの作戦とはいえ、少しの罪悪感に駆られた。しばらくして、昼休みを終えるチャイムが鳴ったため、私も慌てて教室へ戻った。


蹴散らせ三角関係

 部活が終わった後、他の部員が帰宅したのを確認し、俺は体育倉庫に向かった。鶫に呼び出されたからだ。

 一体何の用事だろう。昼休みの終わり際にいきなり物凄い形相で、放課後話がある、と言ったときの鶫の顔は鬼気迫るものがあった。

 それにしても、まさかこの場所を選ぶとは、あいつはどうかしている。仮にも以前告白された場所だというのに。思い出したらまた、嫌な気分になってきた。

 それから、しばらく待っていたが、鶫の来る気配が一向にしないため俺は体育倉庫をいったん出ることにした。体育館は、誰もいないせいでいつもの喧騒がなく、静まり返っていた。

 フリースローラインに移動すると、俺は倉庫から持ってきたバスケットボールを構え、ゴールをめがけてシュートした。

 パシュッ! 心地よい音と共に、ボールはゴールをすり抜けていった。

「お待たせ。いやー、一緒に帰ってる娘たちまくのに苦労しちゃってさ。結局いい案が思いつかなくて、大分歩いたところで忘れ物したことにして戻ってきた」

 数本シュートを決めたところで、ようやく鶫が戻ってきた。走って来たのだろう、笑ってはいるものの、額から汗が零れ落ちていた。それを見ると、何だか怒る気にはなれなかった。

「それで、用っていったいなんなんだ? やっぱり倉庫で話した方がいいのか?」

「えっ、ううん。別に、もう誰もいないからここでいいよ。ちょっとさ、あまり人がいない所であんたと話したかったの」

 そう言った鶫の声は若干震えているような気がした。よく見ると、鶫はこちらへ真剣な眼差しを向けており、顔は真っ赤に染まっていた。

 何だよ、これ。二人きりで話したいとか言ってるし。これじゃあ、まるで今から告白するみたいじゃないか。

 そう思うと、急に心臓が高鳴りだしてきた。まさか、鶫が俺のことを。いや、でも、こいつは爽が好きなはずだろ?

 おい、黙ってないで、何か用があるなら早く言ってくれよ。

時間が止まってしまったかのように、一分一秒がとても長く感じられた。

「あ、あのさ。あたし、あんまり頭良くないから。だから、こういうとき、なんて言えばいいかわからないからさ、とりあえず単刀直入に言うね」

 鶫の言葉には、いつもの溌剌さはなく、一言一言が震えていた。

「あた、あたしさ、あんたのこと、その……」

「お~す、久しぶり~。って、あれぇ、アトリ君とツグミちゃんだけ~?」

 鶫が何か言いかけたところで、急に体育館のドアが開き、間延びした声が響いてきた。そちらへ振り向くと、部活を引退した三年生の先輩がこちらに手を振っていた。

「あれ、籠井(かごい)先輩じゃないですか? 久しぶりっすね。なんか用っすか?」

「え~、別に何か用ってわけじゃないんだけどね~。体動かさなくなってずいぶん経つからさ~、ちょっと運動したくなったの~」

 確かに。先輩の言うことはわかる。中学時代、俺も今の先輩と同じ気分を味わった。

「それ、わかりますよ。何なら、俺が相手になりましょうか?」

「え~、アトリ君、あんまり先輩を立ててくれないからなあ。遠慮しておく~」

そう言うと、先輩は鶫の方を向き、

「それよりもさ~、ツグミちゃんどうしちゃったの~? 何だか元気ないみたい」

「えっ、あっ、小鷺さん、お疲れ様です。ちょっと練習のし過ぎで、ボーっとしてました」

 鶫は動揺しつつ、先輩に挨拶した。

「アハハ~。ツグミちゃん、頑張り屋さんだもんね~。もしかして、二人っきりで、練習してたの~」

「えっ、あっ、はい。そんなとこです」

「え~、何々、その反応? 何だか怪しい~。もしかして、私って、物凄くお邪魔だった~」

 先輩は、全てを見透かしたようにニヤニヤ笑いながら俺と鶫を交互に眺めた。

「いやー、そんなんじゃないんですよ。俺の方が鶫に相談があって、少し話を聞いてもらってたんです」

 俺は先輩にそう言うと、今度は鶫の方を見て、

「お前も、わざわざ隠そうとしてくれて、ありがとな」

 鶫は嘘がつけない性格だ。何か隠そうとしてもすぐに顔に出てしまう。先程までの真面目な表情から察するに、鶫は俺に他人には言えない大事な話があるのは間違いない。

 そう思った俺は、とりあえず鶫を庇うため、先輩には俺が鶫に用事があることにした。

 先輩は思いのほか俺の言葉に素直に納得してくれた。

「まあ、それもそうだよね~。君たちに限ってそんなことあるわけないか~。だって、鶫ちゃんは爽君のことが好きなんだもんね~」

 先輩の言葉を聞いた瞬間、体中の血が一気に引いたような感覚を覚えた。続いて、とてつもない息苦しさが、俺を襲った。

 それから後のことはあまり覚えていない。鶫が必至な顔で、先輩に否定していた気がするが、それも定かではない。

 気が付くと、朝になっていて、俺の横で妹が寝息を立てていた。


 恋花レポート

「アハハハハ、作戦成功! これで、今回の黒幕はあいつで決定ね」

 もう日課になりつつある、春咲さん家のお泊り会。今日の春咲さんは、自分の作戦がうまくいってものすごく上機嫌だ。

「でも、ちょっと、三森さんがかわいそう」

 心優しい冬桜さんは、ちょっぴり切なそうな顔をしていた。同性の私から見てもその表情はものすごくきれいだった。

「はあ、何で? あの娘がさっさと告白しないからこうなるんでしょ。自業自得じゃない」

 春咲さんは平然とした顔でそう言い放った。相変わらず、他人の心をいたわれない女だ。少しは冬桜さんを見習ってほしい。

「それはそうと、あんたの演技、結構うまくできてたじゃない。いくら、私が考えたセリフを言うだけとはいえ、少し心配してたんだけど」

「ちょっと、その話はやめて。思い出すだけで恥ずかしいから」

「え、何で? 三森さんがちゃんと計画通り動いてくれたってことは、あんたの演技はそれなりだったってことでしょ。素直に喜びなさいよ」

「あたしも、恋花ちゃんの演技、とても素敵だったと思う」

 ううう。冬桜さんまで。もうその話はしないで。あんな物語の登場人物みたいなセリフを現実で言ったなんて、どう考えてもお笑い事じゃない。

「まあ、その調子で明日も頼むわよ。今度はあの女と直接対決だから」

 昨日の今日でもう直接対決? 相変わらず行動が早い。

「ゆすら、あの籠井って女について、何か知ってる?」

 春咲さんは冬桜さんに籠井先輩のことを質問した。冬桜さんは私たちの仲間として、生徒会に単身乗り込んでいる。ようはスパイである。よって、生徒会内部の情報は冬桜さんに詳しく聞くことができるのだ。

「一応、三年生なので生徒会ではそれなりに高い地位にいるかな。でも、幹部会に出席するほどではないと思う」

「中の上から、上の下とこか。まあ、今回も会長の情報は得られそうにないわね」

 春咲さんはため息をついてそう言った。

 私たちが戦っている生徒会について、まだ詳しいことはわかっていない。わかっているのは、生徒会役員の中に女王と深く関わっている人物がいるということだけだ。

 それは、例の生徒会が運営している経済活動で得られたお金が、女王のもとへ渡っている可能性があることから推測される。

 春咲さんは、魔女の一族の命令で、裏切り者の魔女である女王を追っている。しかし、同時に魔女の存在を世間に気付かれないように注意をしなければならない。そのため、生徒会が怪しいからと言って、生徒会をまるごと潰すわけにもいかず、こうして女王の邪魔をして、生徒会が尻尾を出すのを待っているというわけだ。そして、生徒会の面目上、女王の側近、もしくは本人として、一番怪しいのが生徒会長である。一方、この生徒会長というのが、神出鬼没でなかなか捕まえることができない。もちろん、授業には出ているのだから強引に迫ることは可能である。しかし、問題なのが、生徒会長が我が学園の理事長の孫娘であり、容易に接触できるような人物ではないことだ。ようするに、下手なことをしたら即退学である。

 春咲さんの任務は女王を捕まえることで、生徒会を潰すことではない。そのため、生徒会長が女王だと確信しない限り、春咲さんは生徒会長に手出しできないのである。

「とにかく、明日が勝負よ! ゆすらはあの籠井って奴の監視をお願い。もし早見さんと接触があるようであれば写真撮るの忘れずに。後でルート君たちに証拠として提出したいから」

「うん、了解」

 春咲さんは、冬桜さんの返事を聞くと今度はこちらを見て、

「あんたは、明日私と行動ね。あたしが演技のお手本見せてあげるから、黙って見てなさい」

 春咲さんは腰に手を当て偉そうに言った。少しむっとしたが、我慢した。私は春咲さんの方を見て、苦笑しながら黙って首を縦に振った。いちいちこの娘の言動に反応していては身が持たない。


 次の日の昼休み、私は頃合いを見て虹崎君を廊下へ呼び出した。

「へー、桃色さんが春咲さんと知り合いだったなんて意外だな」

「そう? 別に知り合いってほどでもないけど」

「それで、春咲さんはいったい俺に何の用なのかな」

 虹崎君は少しにやけた顔をしていた。学年一位の美少女に呼び出されたのだから当然か。それにしても、男性というのはどうしてこんなにも美女に弱いのだろうか。好きな娘がいないならともかく、虹崎君には気になる女性が二人もいるのに。

 そうこう言っている間に、春咲さんと待ち合わせしていた恋愛研究部の部室に着いた。部室には春咲さん以外は誰もいなかった。ルートがいたらどうしようと緊張していたのだが、いらぬ心配だったようだ。

「あ、虹崎君。わざわざこんなとこまで来てもらってごめんねえ。何か良くわからないけどぉ、あたしが男子と二人で話してるとこ見られると、大騒ぎになっちゃうからあ」

「いやー、それは、まあ、そうだよね。それよりも、用事って?」

「文化祭の出し物なんだけどねえ。虹崎君たちが出してくれた案がうまく通ったのお。だから、どうしても直接お礼が言いたくてえ」

 軽く頭を下げると、春咲さんはそのまま上目づかいで虹崎君を見つめて言った。今の彼女には、いつも私や冬桜さんに見せるような生意気さは微塵も感じられなかった。

「そんな。俺らこそ、春咲さんたちの第一希望を奪ってしまうような形になったんだし。あれくらい当然だよ」

「ううん、そんなの、あたしの方が並んだの遅かったんだし、虹崎君は全然気にすることじゃないよお。それよりも、虹崎君の考えてくれた代替え案が部活の仲間にすっごく好調で、本当、感謝してるのお」

「ははは、そんなに感謝してもらえるなんて、何だかてれるなー」

 虹崎君は後頭部を掻きながら、デレデレと顔を歪ませていた。その表情からは、普段の無愛想な感じが微塵も想像できなかった。

「それでねぇ、あたし、どうしても虹崎君にお礼がしたいのお」

「お、お礼ですか?」

「そう、お礼」

 春咲さんは、恥ずかしそうに頬を赤らめ、瞳をうるうるさせながら真剣な顔で、虹崎君を見つめた。それを見た虹崎君は、沸騰したように顔中を真っ赤にしたかと思うと、意識が朦朧としたように、二、三歩後ずさった。

 本当、こういうことやらせたら、この娘天才よね。

 そろそろ虹崎君がかわいそうに思えてきた。

「虹崎君、どうしたのお? 大丈夫?」

 春咲さんはしれっとした顔で、心配そうに虹崎君に声かけた。あざとすぎるわ、この娘!

お願いだから、もうやめてあげて~!

 そう思って眺めていると、一瞬春咲さんはこちらを見て口を釣り上げ満足そうな笑みを浮かべた。そうか、この女、こうやって自信を保っているのね。本当、嫌な性格してるわ。

「それでぇ、あたし恋愛研究部に所属してるでしょお。だからあ、虹崎君の恋の悩みを一つ解決してあげるよお。それがあたしのお礼」

 虹崎君が正常に戻るのを窺って、春咲さんが晴れやかな笑顔で言った。虹崎君は春咲さんの予想外の答えに若干戸惑いを見せたが、すぐに苦笑いを浮かべると、今のところ大丈夫だと春咲さんに伝えた。

「いいから、いいから、遠慮しないであたしに言ってみなあ。あたし、こう見えても結構悩みとか聞くの得意なんだよお」

「でも、今のところ大丈夫かな。まだ恋とか良くわからないし」

 虹崎君がそう言うと、春咲さんは頬を膨らませ虹崎君を睨んだ。

「恋花ちゃんに聞いて知ってるんだよお。虹崎君、今、早見さんとバスケ部の娘と二股かけてるでしょお?」

 ちょっと、そこで何であたしに振るのよ! 虹崎君が、何か言いたそうな目でこちらを見つめてるじゃない。

「あ、その、何か最近、虹崎君が早見さんと仲良くしてるな~と思って。私、虹崎君は三森さんが好きだと思ってたから、それが意外だって春咲さんに話してたの」

 もう、これでいいんでしょ!

「え? 何でそこで鶫が出てくるんだよ。俺とあいつは昔からの腐れ縁であって、別にそれ以上は」

 虹崎君はかなり動揺した顔をしていた。わかってはいたけど、無理して三森さんのことを考えないようにしている感じだった。

「う~ん。虹崎君にお礼がしたいと思って来てもらったんだけどぉ、何だか気に障ることしちゃったかなあ。ごめんなさい」

 春咲さんは、先程までのミーハーな態度を一転し、今度は気弱な素振りを見せ始めた。

「え、あ、そんなことないよ。こちらこそ、春咲さんのお礼を無下にするようなことしてごめん。でも、俺、今はまだ恋の悩みとかは大丈夫だから。もし、今後何かあったら、そのときは改めて春咲さんに相談しに行くよ」

「うん、待ってるう」

 虹崎君は、春咲さんの返事を聞くと、そのまま振り返り部室を出ていこうとした。

「あ、待って。一言だけいいかなあ」

 虹崎君が部室のドアに手をかけたところで、春咲さんが虹崎君を呼び止めた。虹崎君はそのままその場で立ち止まり、振り返ってこちらを見た。

「恋の切っ掛けは様々だけどぉ、最終的に残るのは一緒にいて安心する人。そしてそれが当然だと思える人だとあたしは思うのお」

 春咲さんはそこで一瞬間を置き、真剣な顔で虹崎君を見つめると、

「だからぁ、虹崎君がもし恋に悩むようなことがあったらぁ、そのときはそれを思い出してえ」

 春咲さんの言葉を聞いた虹崎君は、少し考えるように俯くと、気を取り直したように苦笑を浮かべ、

「ああ、そうするよ。春咲さん、それに桃色さんも、今日はありがとな」

 そう言って、虹崎君は部室を後にした。

その後、部室に残った私は、昼休みが終わるまでの間、永遠と春咲さんの自画自賛を聞かされたのだった。


その日の放課後、私と春咲さんは籠井さんという三年生が校門から出てくるのを待ち伏せていた。籠井先輩は、一仕事終えたような清々しい顔をしており、口元がかすかに緩んでいた。

「こんにちはあ。籠井先輩、ですよね」

 春咲さんは、先輩の前に立ちはだかると、朗らかな笑みで声をかけた。

「え、そうだけど~、君たちは~?」

「あ、あたし、二年の春咲愛芽って言います。今日は先輩に少しお話がありまして、ここで待たせてもらってましたあ」

「ああ~、どっかで見たことあると思ったら、あの~。一個下で冬桜さんと並んでツートップとか言われてる~。そんな娘が、あたしに何の用なの~? 何か関わりあったっけ~」

 先輩は首をかしげて、不思議そうに春咲さんを眺めた。

「はい。早見真鶸さんの件で少しお伺いしたくて」

 籠井先輩の眉間に、一瞬しわが寄ったのが見えた。あまりにも予想外の出来事で、表情を隠せなかったのだろう。一仕事終えた解放感のせいもあるかもしれない。

「アハ、わかりやすい反応、どうもありがとうございま~す。三年がこうだと、生徒会もたかが知れるわね」

 籠井先輩は歯を噛みしめると、先程までの緩やかな表情を一転して、獣のような形相で春咲さんを睨んだ。

「アハハハハハ、何その顔? あんた、あたしと違って、あんまり顔良くないんだからさあ、そういう顔しない方がいいわよお。今よりモテなくなったら救いようないでしょお?」

「あなたたち、私にそんな態度とってどうなるかわかってるんでしょうね」

 先輩は、悔しさを押し殺すように両手をきつく握りしめると、声を絞り出すように言った。

「アハ、下っ端役員特有の後光ですかあ? 年下相手に恥ずかしくないんですかあ? でもお、、かわいそうですけどお、そんなもの、あたしの前ではごみ屑程度の価値もありませんよお」

 春咲さんは蔑むような目で籠井先輩を嘲笑った。

「くっ、言わせておけばあ……」

「まあまあ、そんなに怖い顔で睨まないで下さいよお。それにい、こんなとこで争って、誰か他の人に見られても先輩の立場が危うくなるだけですよお。一先ず場所変えません?」

 籠井先輩が我を忘れて春咲さんに飛び掛かろうとすると、春咲さんは余裕の笑みでそれを制した。先輩もまだ理性は残っていたらしく、すんでのところで自我を保った。

 それから、私たちは、人気のない校舎裏まで移動した。籠井先輩は今にも後ろから春咲さんに飛び掛かろうとしていたが、先輩の後ろで私が見張っていたため、行動には移さなかった。

「はい、到着う。この時間のこの場所なら、誰も来ませんよお」

 目的地についてそうそう、春咲さんは籠井先輩を挑発するような笑みを浮かべた。

「あなたたちの目的は何なの? もしかして、私を脅して生徒会に推薦させようって気?」

 ここまで来る途中に冷静さを取り戻したのか、籠井先輩はいきなり襲ってくるようなことはなかった。

「プッ、アハハハハハハハ。これまで、いろんな役員潰してきたけど、ここまで見当はずれの問いは初めてだよ。こいつ、マジウケる!」

「なっ」

「あんた、馬鹿でしょ?」

「はぁ?」

「簡単な挑発に乗って、ここまで着いてきたんだろうけどさあ。ここであたしらが、人数集めてあんたを待ち伏せしてたらどうすんのお?」

 籠井先輩の顔が、血の気が引いたように真っ青になった。額には嫌な汗が滲んでいる。

「まあ、幹部以外はこんなものよね。それじゃあ、馬鹿なあんたにひとつ教えておいてあげるよお」

 そこで、いったん春咲さんはニッコリとした笑顔を浮かべると、

「あたしら、生徒会の敵だから」

 籠井先輩はようやく自分の立場を実感したらしく、今にも逃げ出しそうな、おびえた表情で後ずさった。

「その顔を見ると、あんたも聞いてはいるみたいね。あたしらのこと」

「ま、まさか、あなたが女王を捕えに来たって言う、魔女の制圧部隊」

「そう。だから、あんたの高校生活も、残念ながら今日で終わり」

 春咲さんはそう言うと、手から燃え盛る炎を作りだし、籠井先輩に向けて放った。春咲さんは炎を操る魔女のスペシャリストなのだ。

 しかし、灼熱の炎が籠井先輩を燃やし尽くすことはなかった。籠井先輩に炎が当たる瞬間、女王の仕掛けたカウンター魔法が発動したのだ。

 以前私がやられたのと同じ魔法だ。生徒会役員は女王によって守られているのだ。

 だが、私と違い純粋な魔女である春咲さんには、その程度の魔法は無意味だった。籠井先輩から放たれた光の矢を、春咲さんはいとも簡単に吹き飛ばしてしまった。

「ふ~ん。確かに、これだと、今のあんたとゆすらには、少しきついかもしれないわね」

 春咲さんは私を見て何事もなかったかのように言った。私はあれをまともに受けて、一週間くらい動けなかったのに。さすが正真正銘の魔女である。私や生徒会役員とは格が違う。

「さてと。これで、後はあんたを始末するだけね」

 春咲さんは笑顔を絶やさぬまま、一歩一歩ゆっくりと籠井先輩に近づいて行った。

 籠井先輩はあまりの恐怖に、腰を抜かすように地面に崩れ落ちた。先輩はしりもちをついた体勢にもかかわらず、後方で地面をひっかくようにしながら、必死に春咲さんから遠ざかろうとしていた。その表情は真っ青で、目からとめどなく涙が流れていた。

 そんな先輩の表情を嘲笑うように、春咲さんはゆっくりと地面を踏みしめるようにして先輩の方へ近づいて行った。

「私の知っていることは、何でもしゃべるから! だからお願い、お願いします。これ以上近づかないでー!」

 そんな先輩の願いは、もちろん春咲さんに届くことはない。

「ごめんねえ、残念だけどぉ、あんたみたいな小物に聞くことなんて一つもないのよ。だから安心して私に燃やされなさい」

 籠井先輩の目の前で立ち止まると、春咲さんは頬に両手を当てうっとりと官能的な笑みを浮かべた。

「大丈夫よ。先端から、ゆっくりと、じわじわと、なぶりながら、跡形も残さずに、燃やし尽くしてあげるからあ」

 それからしばらくの間、学校の校舎裏には、切り裂くような女性の叫び声が響き渡った。


「ハァア、楽しかったあ」

 体中の液体を流しつくしたまま生気を失ったような顔で倒れている籠井先輩を見下ろし、春咲さんは満足そうな笑顔を浮かべていた。自業自得とはいえ、籠井先輩が少し不憫に思えた。

「大丈夫よお、殺してないから。あたしはどこかの女王と違って、博愛主義者だから」

 どこがよ! と突っ込む気にもなれなかった。それは、先程までの春咲さんが行なっていた、籠井先輩に対する一方的な制裁を目の当たりにしたばかりだからだ。はっきり言って、冗談にもなっていない。

「でも、本当にこいつ等って、恋愛に応用できる能力しか使えないみたいね。まあ、特殊能力なんて、一長一短に身に着くものじゃないし、当然なんだけど。でも、魔法って言ったらやっぱりあたしみたいに、相手を攻撃してこそよねえ」

 春咲さんは私の彼女に対する恐怖心を見透かしたように同意を求めてきた。

 私は春咲さんの問いには答えず、苦笑いで応じた。

「まあ、気分もすっきりしたことだし、あたしは先に家帰ってるから。後はよろしくう」

 春咲さんはそう言って微笑むと、手をヒラヒラさせて去って行った。

 春咲さんの後姿を眺めながら大きくため息を吐くと、私は屍のように地面に倒れる籠井先輩の側まで近づいた。

 籠井先輩が本当に生きているのか心配になり、私はしゃがみこんで彼女の表情を覗いた。籠井先輩は白目をむいていたが、口元からはかすかな吐息が漏れていた。

 それにしても、見事なものだ。籠井先輩は目に涙を浮かべ鼻水や涎を垂れ流していたが、傷跡は一つもなかった。つい先程まで、全身が炎に包まれて暴れまわっていたのが嘘のようだ。

 春咲さんの話では、彼女の魔法で生み出された炎は任意に燃やすものを選べるらしい。今回は、衣服や体を燃やさずに魔力の根源を燃やし尽くしたそうだ。

 魔力は精神力と切り離せない関係だ。その魔力を燃やし尽くすということは、すなわち、心に直接障害を与えることだ。

 そんな炎をまともに受けた籠井先輩は、相当の恐怖を身に染みて味わったのだろう。春咲さんが言うには、心に障害は残るがしっかりとした療養を取れば元に戻るらしい。それでも、当分は病院生活を強いられそうだ。

 おそらく、この人も男子生徒の恋心を利用して同様のことを行ってきたのだから、当然の報いなのかもしれないが。

 まあ、とにかく、もう今日は疲れたし、さっさと仕事を済ませて私も帰ろう。

 深く息を吐くと、私はそのまま籠井先輩の頭に手を乗せ、その手に能力を込めた。

 次の瞬間、私の中に籠井先輩の記憶が溢れてきた。


 私は爽君が好きだった。一目惚れだった。

あの輝くような笑顔が、それまで荒みきっていた私の心を救ってくれた。

だから、私はあの女、三森鶫が目障りだった。


 生徒会役員籠(かご)()小鷺(こさぎ)の事情

生徒会のために、私はこれまで不良や優等生、それに体育会系に芸術肌、と色々な男と付き合ってきた。

 その度に、私の心はやつれていった。

 そんな私の心を癒してくれたのが、爽君だった。

 中学で部活の後輩だった鶫に誘われ、バスケ部を見学に行ったのが出会いだった。

 それから私は彼と毎日会うために、鶫が一から立ち上げた女子バスケ部に入部した。

しかし、私の思いが彼に届くことはなかった。私の初めての本当に好きな人への告白は、見事に砕け散ったのだ。どうやら爽君には思い人がいるらしかった。それからすぐのことだった。達也君から、爽君が鶫を好きだということを聞いたのは。

私は、鶫が花鶏君に思いを寄せていることを知っていた。鶫は何かあると、すぐに花鶏君に話しかけるので、誰の目から見てもバレバレだった。

おそらく、爽君もそれを知っているからこそ鶫に告白しないのだろう。

そう考えると、私は無性に腹が立ってきた。気が付くと、鶫にも私や爽君と同じ思いを味あわせてやりたいと願うようになっていた。

生徒会役員が作成した能力者の可能性を秘めた生徒を記したリストで、早見真鶸の名前を見つけたのはそんな矢先だった。好きな男性の項目に、花鶏君の名前が記載されていた。

これは使える、と思った。

それから私は、生徒会幹部に早見さんの引き抜き役を申請した。

私はこれまでに、多数の男子生徒と付き合い、多くの実績を積み上げてきた。その生徒会に対する貢献度が認められ、早見さんを生徒会にスカウトする案内役として私は無事選ばれたのだった。


鶫の告白を邪魔した翌日の昼休み、私はメールで早見さんを人気のない校舎裏まで呼び出した。

「ど~お、早見さん。彼とは順調にいってる~?」

 緊張して固まっている早見さんに、私は穏やかな笑顔で話しかけた。もう、こうして会うようになってから結構日が経つというのに、いまだに早見さんは私と会うとこの調子だ。

「あ、はい。おかげさまで、虹崎君とはどんどん仲良くなれてる気がします」

「そう、それは良かった~。早見さんはすごくいい娘だから、絶対にこの恋を実らせてあげたいって~、私、本気で思ってるから~」

「あ、ど、どうもありがとうございます。こうして応援してくれる先輩のためにも、私、頑張ります」

 本当に、頑張ってもらわなきゃ困るわ。

「それはそうと~、能力の方はど~お? うまく使えてる~?」

「は、はい。心臓の音がしっかりと伝わってくるので、うまくできてると思います」

「そう、それは良かったわ」

 生徒会で秘密裏に行われている、役員候補の選抜がある。それは、生徒会の真の支配者である、女王の魔法で特殊能力が開発するかどうかの選別である。

 私もその選別をされたらしいのだが、いつどこで行われたのかわからない。生徒会長のさらに上に君臨する、女王と呼ばれる存在にも会ったことはない。

 しかしながら、この女王の能力によって特殊能力に目覚めなければ、この学園では絶対に生徒会役員になれないのだ。生徒会役員の素質があっても、必死に努力しても、である。聞くところによると、幹部が推薦しても駄目らしい。

 いくら早見さんが、生徒会がピックアップしたリストに載っていたからといっても、実際に役員候補に選ばれるかは、ちょっとした賭けだった。

 だが、幸いにも早見さんは能力を開花してくれたので、私の心配は無用に終わった。

 その、早見さんの能力とは、一言で表すと相手の心臓を制御する能力である。自分と目が合った相手の脈拍を自由に操ることができるのだ。

 その上さらに、能力を使用している間、ターゲットの鼓動を直接耳で聞き取ることもできるらしい。

 私の能力が大したことないものだったので、聞いたときはかなり羨ましいと思った。そんなすごい能力だったら、他人を簡単に殺すことができるではないか。

 まあ、私たちの目的は魔法を使った戦闘じゃなくて、恋愛対象の男性から精力を奪うことなんだけどね。 

 それから、生徒会上層部の会議で話し合われた結果、早見さんの能力を応用した恋の戦略は、吊り橋効果を狙う作戦に決定した。

「それでね~、早見さん。今日、私があなたを呼んだ理由なんだけど~」

 そう言って、私は勿体つけるように間を開けてから、

「そろそろ~、告白してみな~い?」

 早見さんは、爆発でもしたのかと思うように、一瞬で顔を真っ赤に染め上げた。そして、私の提案には何も答えずに、黙って下を向いてしまった。

 この娘は本当に純情な娘だ。今の私とは大違いだ。私もこの学園に入学したての頃は、こんなだったな。思い出すと、ふと自嘲の笑みがこぼれた。

 このままうまくいけば、目の前の娘もいずれ私みたいになってしまうのだろうか。そう思うと、何故だか軽い喪失感を覚えた。

「先輩、あの、私、まだ、その、自信、ないです」

 しばらくぼうっと早見さんを眺めていると、彼女は声を絞り出すようにしてポツリポツリと答えた。

「大丈夫よ~。私、偶にこっそりとあなたたちの様子を見てたけど、なかなかいい感じだったわよ~」

 私は早見さんを勇気づけるように言った。

 このタイミングで私が早見さんに告白を迫ったのは、鶫に先を越されないためだ。しかし、実際のところ、早見さんとアトリ君が割といい感じなのは本当のことだった。

 私事を相当からんでいるとはいえ、生徒会役員として行動している以上、私もあまり早計な行動はとれない。ある程度行けると踏んでの提案だった。

「え、そ、そう、ですか?」

 私の言葉に早見さんは俯いていた顔を上げうれしそうに答えた。恋する乙女は単純で助かる。

「うん~。とってもお似合いに見えたわよ~」

「えへへ、そう、ですか。なんだか少し照れますね」

「ど~お、告白する勇気は出た~?」

 だらしなく表情を崩して喜んでいる早見さんに、私はもう一度本題を切り出した。しかし、早見さんは私のその問いに対して、困ったような顔をすると、またしても、考え込むように顔を下げてしまった。

 まあ、この年頃の女子は恋愛に飢えているが、同時に告白することで好きな人との関係が危うくなることを恐れている。ましてや、早見さんのような内気な娘は特にその傾向が強い。待つだけでは何も変わらないとわかっていても、勇気を絞り出すことができないのだ。

 告白をしなければ現状を進めることは困難だ。だが、一方で後退する可能性も少ないのだ。

もしかしたら、相手の方から接近してくれるかもしれない。運よく何かしらのチャンスが回ってくるかもしれない。そのような期待がもてるのなら、わざわざリスクを負う必要はない。少なくても現状で十分満足しているのならば。

 そのため、告白しなければ前に進めない、例え失敗しても次につなげる、などといった在り来たりの言葉を私がいくら懇切丁寧に説いたとしても、状況は変わらないだろう。

 それならば、こちらで、早見さんが告白できる勇気を絞り出させてあげればよいだけだ。つまり、早見さんに対し、このままでは花鶏君が別な女と付き合ってしまうという危機感を与えるのだ。

 告白の有無に関わらず、現状の花鶏君との関係が崩れてしまうとするならば、早見さんも覚悟を決めざるを得ないだろう。

「まあ~、私も無理にとは、言わないんだけど~」

 そこで言葉を区切ると、私はゆっくりと早見さんに近づいた。そして、彼女の肩に手を触れて、私に顔を向けさせ、

「このままだと~、アトリ君、ツグミちゃんにとられちゃうよ!」

 私は早見さんの目を見て、はっきりと断言した。先程までリンゴ見たいに真っ赤だった早見さんの顔が、血の気が引いたように急速に青ざめていった。

「あたし、昨日見ちゃったんだ~。ツグミちゃんが~、アトリ君に告白しようとするところ~」

 そう言って、私は昨日見たことを早見さんに詳細に説明した。

 私の話を聞き終えた早見さんは、目をパッチリと見開いたまま後方へ倒れ込むように後ずさった。相当動揺しているのだろう、真っ青になった唇がぶるぶると震えていた。

 予想通りの反応だった。それは、私が特殊能力を使用したからだ。

 私が女王から頂いた特殊能力、気が付いたら使えるようになっていたそれは、目を合わせることで他人の危機感を刺激する能力だ。

 まあ、この場合能力を使用しなくても同様の結果になっていたとは思うが、せっかく使えるのだから使用するに越したことはないだろう。

 私はこの能力で、何人もの男に私と一緒にいられなくなるかもしれない危機感を与えて、彼らを惑わしてきた。

 少なからず私に好意を抱いた連中に、この能力は絶大な効果を発揮した。

 だから私は確信していた、次に早見さんが口にする言葉を。

「か、籠井先輩、どうしよう。私、どうすればいいですか?」

 フフフ、焦ってる、焦ってる~。かわいい~。

 人間とは保守的な生き物だ。状況が変わることをかなり恐れている。こと、恋愛においてそれは、進展における妨げになる。が、反面、現状が捻じ曲げられるような場合において、それは状況を維持するための行動に対する活力として働くのだ。

 ようするに、押してダメなときは引いてみろ、の引きの効果である。

「やっぱり、こ、告白した方が?」

「大丈夫よ、安心して~。告白って言っても、直接的なものではなく、それを匂わすような感じでいいから~」

 私は早見さんの焦りを和らげるような声で答えた。

「私に任せて~、早見さんのために、徹夜で私がとっておきの案を考えてきたから~」

「先輩、いつも本当にすみません」

「いいのよ。早見さんが幸せになってくれれば、私もうれしいから~」

 感謝するのは私の方よ。あなたのおかげで、鶫を追い詰められるのだから。

 こうして、私は、早見さんの告白用に考えてきたセリフを、彼女に伝えた。早見さんはとても嬉しそうに私に感謝していた。

 その顔をみているとつい、私的なことは抜きにして、彼女が本当に幸せになってほしいと思ってしまった。


 恋花レポート

 籠井先輩の記憶の回収を終えると、私は春咲さんに教えられた特殊能力者対策委員会に電話をかけた。

 籠井先輩の身柄を引き渡すためだ。

 対策委員会は、いつもながら異常な速さで、私のもとへとやって来た。おそらく電話してから五分も立っていないのではないだろうか。

 本当、どこにあるか気になる。

 対策委員の女性は籠井先輩を抱えると、にこやかな笑顔で私にお礼を告げ、瞬く間にどこかへ消えてしまった。もしかしたら、彼女は瞬間移動の能力者なのかもしれない。

 これで、籠井先輩が復帰しても女王に口封じとして襲われることはないだろう。

 私たちがこれまで倒してきた生徒会役員たちは、全て対策委員に引き渡している。

 春咲さんに聞くところによると、引き渡された役員たちは、魔法による尋問を受け女王に関する情報を徹底的に絞り出されるとのことだ。

 それからしばらく療養させ、問題がないと判断されれば、必要な記憶を消去されたうえでまた普通に登校させるらしい。

 その際には、もちろん女王の接触を考慮して監視役の魔女が派遣されるらしい。ようは、囮に使用されるのだ。

 まあ、女王側もバカではないと思うので、復帰した役員に対して制裁を加えに来るようなことはしないだろうが。

 何にしろ、これで少し安心した。記憶を覗いたせいか、私は籠井先輩のことを嫌いじゃないと思ったからだ。有益な情報は得られなかったが、その代り彼女がこれまで苦労して今の立場を気付き上げてきたことがわかった。そして、いくら魔法が使えたとしても、真に愛する人には目を向けてもらえなかった切なさも。

 私は籠井先輩が次の恋に進めるように、彼女の九澄爽に対する思いに関する記憶を消去した。

 もう、私が彼女にしてあげられることはないが、最後にせめて、復帰後の彼女の幸せを心から願おう。いつか、彼女が本当の恋を経て幸福な人生を歩めますように。

 それから私は、用も済んだことだし、さっさとこの場を立ち去ることにした。

 辺りは、もうすっかりと夜の闇に染まっていた。一仕事終えた解放感からか、ふと、空を見上げてみると、大きくてきれいな三日月が雲を退けるようにして輝いていた。


 学校を出た後、私はそのまま春咲さんと合流した。場所は春咲さんの家の近所にあるファミレスだ。私たちは春咲さんの家に泊まっている間、毎晩ここで夕食をとっていた。

 先程メールが来て、春咲さんはもうここに着いていて中で待っているようだ。

 私は、扉を開け店内に入った。店に入ると店員に御一人様ですか、と尋ねられた。私は友人が中で待っていると店員に伝え、奥の方へ進んだ。

 店内は学生で賑わっていた。ここは値段もお手頃で駅にも近いことから、雹月学園の生徒もよく利用している。

 私は無意識にルートがいないかを探していた。もし会えたらどうしようという淡い期待が私の鼓動を掻きたてた。

 しかし、いくら店内を見渡しても好きな男性はいるはずもなく、代わりに学年トップの美少女が私の方へ手を振っていた。

 私は、目的の席まで移動すると冬桜さんの隣に迷わず腰を下ろした。

 春咲さんは女王様志向が強いので、隣に私が座ると嫌な顔をしそうだからだ。

 その点、冬桜さんは見た目通り、優しいお嬢様なので、隣に私が座っても優雅に微笑み、

「お疲れ様、恋花ちゃん」

 と穏やかに声をかけてくれた。

「ああ、遅かったわね。ゆすらがあんたを待つって言うから、おかげで腹ペコじゃない」

 本当にこの娘は冬桜さんと真逆の性格だ。

 それから、私たちはメニューを開き、各自何にするか選んだ。

 春咲さんは和牛ステーキにパンとサラダのセットを注文した。相変わらず値段を気にせず良く食べる娘だ。その割にあまり胸は育たないようだが。

 私だって育ち盛りだし、本当はハンバーグを食べたかった。しかし、ここ最近毎日ここで夕食をとっていたためいいかげん財布が底をつきそうだったので、泣く泣くパスタのミートソースにサラダのセットを頼んだ。

 冬桜さんは、パンプキンポタージュにサラダとパンのセットを注文した。冬桜さんはあまり夕食を食べないらしく、いつもここへ来るとこんな感じだった。冬桜さんの家は相当なお金持ちなので、決してお金を節約しているわけではないだろう。

 もしかしたら、自分を磨くためにダイエットでもしているのかもしれない。

 そうなると、冬桜さんの好きな人は私と同じなので、ルートのためということになる。

 そう考えたら、自分の食事もこれで良かったと思い直した。ただでさえ外見で負けているのに、これ以上差をつけられるわけにはいかない。

それから、三人ともドリンクバーを注文した。

「で、何かわかった?」

 メロンソーダを口にしながら、春咲さんは指して興味なさそうに籠井先輩の件について聞いてきた。

「今回もいつもと一緒ね。有力な情報は一切なし」

 私も儀礼的に答えた。

 数人の生徒会役員の記憶を覗いてきたが、私たちは女王に対する有益な情報を今まで一度も得られていなかった。

「幹部クラスでも、女王が何なのか今一わかってないみたいだし、やっぱり生徒会長から直接聞きださないとダメみたいね」

 春咲さんはそう言うと、私から冬桜さんの方へ視線を移した。

「やっぱり、ゆすらに頑張ってもらうしかないみたい」

「うん。私もできるだけ早く幹部になれるように頑張る」

 冬桜さんは力強く頷いた。

 何だか自分が役立たずのように思えて、少し胸が苦しくなった。

「ラブメちゃんも恋花ちゃんも、これからもよろしくね。私が頑張れるのは二人がいてくれるおかげだから」

 冬桜さんはとても素敵な笑顔を浮かべ、私と春咲さんを交互に見た。

 この娘マジで良い娘だわ~! 冬桜さんの笑顔はすごくきれいで、そして輝いて見えた。

 私もこの娘に負けないようにがんばらなきゃな。素直にそう思った。

 そうこうしているうちに、料理がきた。

 やはり現物を見ると、春咲さんの頼んだステーキは滅茶苦茶おいしそうだった。

「それで、今日はどうする?」

 食事をし終えると、春咲さんが私と冬桜さんに質問してきた。

「えっ、今日は籠井先輩の記憶を共有するんじゃなかったの?」

 てっきり私はそう思っていたので、意外な顔で聞き返した。

「どうせ、いつもの役員と変わんないんでしょ? お泊り会は今日までなんだし、せっかくだから今夜はぱーっと遊ばない?」

 私たちは一応高校生である。当然のことながら、私と冬桜さんは両親と暮らしている。従って、親には試験勉強と称して集まった春咲さん家のお泊り会だが、体裁上、ちょうど試験一週間前にあたる今日までと決めていた。

 それにしても、この娘はいつも勝手なんだから。わざわざ籠井先輩の記憶を覗いたのが、これじゃあ無駄みたいじゃない。

「そんな顔しないの。もしかしたら何かわかることがあったのかもしれないんだし。何だかんだ言ってあんたには感謝してるのよ」

 私の心を察したようにそう言うと、春咲さんは晴れやかな笑顔を浮かべた。

「せっかく女子が三人で集まってるんだし、今日は女王のことは忘れて思いっきり楽しもう」

「賛成。私そういうのに憧れてたから、すごく楽しみ」

 冬桜さんはとてもうれしそうな笑顔で春咲さんに同意した。

 冬桜さんの楽しそうな笑顔を見てしまっては、もう何も言えない。

 それに、私も何だかわくわくしてきた。

「それじゃあ、さっそく帰りましょ。今日は寝かさないわよお!」

 春咲さんはとても楽しそうに私たちに微笑んだ。普段の言動のせいで忘れていたが、この娘も私たちと同じ年頃の女子高生なのだ。

 しかたない。今日はとことん付き合ってやるか。

 こうして私たちは春咲さんの家に向かうと、一晩中遊び明かしたのだった。



「確かに、これは決定的ですね」

春咲さんの持ってきた写真を見て、好葉ちゃんが声を上げた。その写真には、早見さんと生徒会役員と思しき女性が親しそうに話しているのが写っていた。

「この人が生徒会役員だってのは、確かなのか?」

 倉戸が確認するように春咲さんに質問した。

「その人の名前を、それとなくゆすらちゃんに尋ねてみたんだけど、多分間違いないと思う」

「籠井小鷺先輩、三年一組のクラス委員で生徒会役員です」

 春咲さんの言葉を裏付けるように好葉ちゃんが言った。

「さすが好葉ちゃん。その辺は抜かりないねえ」

「仮にも探偵一家の名誉がかかってますからね。ターゲットである生徒会役員の名前と顔を覚えてるくらい、当然です」

 倉戸の賛辞に、好葉ちゃんは自信満々に答えた。

「でも、これで生徒会役員が早見さんなのは間違いないとして、これからどうする?」

「うーん、確かにそうだよな。俺たちの目的は生徒会の目論見を未然に防ぐことだから、虹崎君と早見さんを付き合わせないようにすればいいんだが、そうなると」

 倉戸は春咲さんの問いにそこまで答えると、好葉ちゃんに視線を移した。

「そうですね。確かに現状を考えるとイチゴちゃんよりも、三森先輩と虹崎先輩の仲を取り持った方がうまくいく確率は高いですよね」

 好葉ちゃんは倉戸の言葉に対して、少し悲しそうな顔で俯いて答えた。

 好葉ちゃんは、探偵の仕事でこの学園に入学した。生徒会の陰謀を暴くためだ。だからこそ、生徒会の行動を妨げるためのベストな行動を選択しなければならない。私情を挟み勝手な行動をとることは許されないのだ。

 しかし、好葉ちゃんはこの案件を持ってきたときに言っていた。生徒会とか関係なしにイチゴちゃんには幸せになってもらいたい、と。

 地面を見つめ目を潤ませている彼女を見ると、何とかしてあげたいと心から思った。

「何とか、当初の予定通り木苺さんと虹崎君をくっ付ける方向で進めることはできないかな。依頼を受けたのは木苺さんなんだし、恋愛研究部の信用にも関わってくる問題だしさ」

「まあ、俺もできればそうしたいとは思ってるんだけどな。でも、ここで俺たちが失敗したら、虹崎君が生徒会に洗脳されてしまうってことになりかねないんだぜ」

「先輩。あたしとイチゴちゃんのためにありがとございます。でも、大丈夫です」

 好葉ちゃんは、顔を上げると僕に向かって儚げに微笑んだ。

「おそらく、虹崎先輩は三森先輩が好きだと思います。でも、私の見たところ虹崎先輩は無意識にそれを否定しようとしています」

「好葉ちゃんはどうして、そう思うのお?」

「人は身近な存在に好意を抱く傾向があります。その他にも好意を向けられた相手を好きになる、共通の趣味の人を好きになるというのもあります。そして、これら三つは全て虹崎先輩と三森先輩に当てはまります。私は恋愛についてあまり詳しくはありませんが、心理学的に見て虹崎先輩が三森先輩に無意識に好意を抱いている可能性は、かなり高いと推測されます」

 春咲さんの問いに、好葉ちゃんは淡々と答えた。

「虹崎先輩と中学時代同じ部活だった他校の生徒に、秘密裏に虹崎先輩と三森先輩の関係を尋ねてみたところ、ほとんどの人があの二人はできていたと公言しています。さらに、三森先輩と親しかったという女性は、三森先輩の方は少なくとも明確に虹崎先輩を意識していたとおっしゃっていました」

「さすが女子高生名探偵ね。ほんと、すごいわあ」

「確かに、春咲さんの言う通りその肩書は伊達じゃないってことだな」

 春咲さんと倉戸が感嘆の声を漏らした。

「以上のことから、生徒会から虹崎先輩を救うために私たちがやるべきことは、虹崎先輩に彼の三森先輩への思いを気付かせることです」

「なるほど。そうすることで、早見さんが虹崎君に告白しても大丈夫なようにするわけだな」

 倉戸が納得したように頷いた。

「でもお、具体的にどうするのお?」

 春咲さんが首をかしげて好葉ちゃんを見つめた。

「それには、九澄先輩の協力が必要になります」

 そう前置きすると、好葉ちゃんはこれからの作戦について話し始めた。


 蹴散らせ三角関係

 放課後。クラスメイトが帰宅し静まり返った教室。俺と早見さんはもう日課となりつつある文化祭実行委員の仕事をしていた。

「それじゃあ、飾り付けの準備はみんなに手伝ってもらって、来週から徐々に進めていくってことで、いいよね?」

「ああ、それでいいと思う」

 文化祭まで後三週間。今日は文化祭を具体的にどう進めていくかを二人で話し合っていた。

「今日は大体このくらいでいいかな。商品用の古着をどうやって集めるかについては、明日のホームルームでみんなに相談しよう」

 早見さんはそう言って俺に微笑んだ。相変わらず俺の心臓はドクンドクンと早鐘を鳴らしている。

 窓の外を見るともうすっかりと日が沈んでおり、辺りは夕闇に包まれていた。気になって教卓の上に設置された時計に視線を移すと、時刻は午後六時を示していた。

 それにしても、早見さんとはかなり打ち解けてきたな。最初のころは、会話に困っていたのに、最近ではお互い緊張しながらも普通に話せるようになってきた。

 早見さんの方を見ると、頬を赤らめて何やらそわそわしていた。

 やはり、鶫みたいに何でも話せるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだ。それとも、相性の問題だろうか。

 早見さんの方を眺めながら、ふとぼんやりとそんなことを思っていると、彼女が意を決したように、俺の顔を真剣に見つめてきた。

「あ、あの、虹崎君。もうこんな時間だけど、これから少し時間ある?」

 早見さんの言葉に俺は一瞬たじろいでしまった。彼女の瞳に普段からは想像できないような気迫が込められていたからだ。

「ああ、別にいいぜ」

 俺はそう答えるのがやっとだった。俺の鼓動がいつにもまして強烈な音を上げ、今にもはち切れそうだったからだ。

 早見さんのあの真面目な表情といい、この誰もいない教室というシチュエーションといい、まさか、これって? おいおい、マジかよ!

「虹崎君、今日まで本当にありがとね。私みたいな内気な娘が、ここまで文化祭の計画を進めてこれたのは、虹崎君のおかげなの」

 いつもより高い声で、早見さんは顔中を真っ赤に染めて言った。

「いや、お礼を言うのはこっちの方だよ。俺の方こそ不真面目だから、早見さんがいなければこんなにうまく話しを進めれなかったよ」

 先走り過ぎないように、俺は冷静さを心掛けながら答えた。これで、俺の勘違いだったらいい笑いものだ。

「そんな、私なんて。虹崎君がいなかったら何もできなかった。あの時だって、そうだったし」

 早見さんはそう言うと、はにかむように微笑んだ。

「虹崎君は覚えてないかもしれないけど、私、虹崎君に助けてもらったの、今回が初めてじゃないんだよ」

「え?」

 俺は早見さんの言葉に首を傾げた。

 俺と早見さんが同じクラスになったのは二年になってからだし、話すようになったのは、つい最近のことだ。もちろん、小学校や中学校も別々だったはずだ。

「はぁ、やっぱり覚えてないか」

 早見さんはため息を吐くと、少し残念そうな顔をした。

「でもいいの。虹崎君にとっては当たり前のことでも、私にとっては特別なことだったから」

 そこまで言われると、なんだかすごく気になるな。

 俺は答えを求めるように、早見さんを見つめた。

「一昨年の全国中学校体育大会の地区予選。バスケの試合が虹崎君の学校で行われたの覚えてる?」

 言われてみると、確かにそうだった気がする。何せ二年前の話だ。もう、記憶も定かではないが。

「私の学校の運動部以外の生徒は、バスケの応援のために虹崎君の中学に駆り出されていたの。でも、私、虹崎君の中学校に行ったの初めてだったから、体育館の場所がわからなくて道に迷っちゃったんだ」

「ああ、あの時の!」

「うん、正解」

 やっと思い出した。確かに、俺は早見さんと中学時代会っている。

 中学校最後の大会、あの日俺は緊張で寝坊してしまい遅刻ギリギリで学校に駆け込んだ。俺は玄関で素早く靴を履きかえ、試合会場の体育館を目指して一直線に走った。すると、泣きそうな表情で校内をうろついている他校の女子を見つけた。

 そのまま通り過ぎることもできず話しかけてみると、どうやら体育館の場所がわからなかったらしい。俺のいた中学は、雹月学園ほど広大ではないものの、それなりに広く、建物は複雑な構造をしていた。

 校内に入らずに、校門から校庭を回って体育館に入るように案内の看板が設置されていたはずだが、どうやらこの娘はそれに気付かず校舎の中まで入ってきてしまったようだ。

 時間も差し迫っていたし、どうせ同じ場所に行くのだからと思い、俺は黙ってその娘の手を取ると、そのまま体育館まで走った。

 その娘も、何も言わず黙って体育館に着くまで俺の手を握っていたような気がする。

 それから先はうろ覚えだが、確かすごく感謝されたような気がする。

 そうか、あの時の女の娘が早見さんだったのか。

「私、あのとき友達とはぐれちゃって、すっごく不安だったの。だからかな。虹崎君のこと、とってもかっこよく見えた」

 早見さんは上目づかいでにこやかにほほ笑んだ。俺の顔は、沸騰したように熱くなった。

「それに、あの日、うちの中学に勝ったときの虹崎君、ほんとに、輝いて見えた。私、自分の中学より、虹崎君を無意識に応援しちゃってたから」

 駄目だ、何だか思考回路がショートしそうだ。もう、何も考えられなくなってきた。

「あの、虹崎君。私たち、今のままだと実行委員の仕事が終わればそれっきりになっちゃうけど。文化祭の後も、その、私が傍に居ちゃ、ダメかな?」

 もう間違いない。話の流れといい、俺は今生まれて初めて女子から告白されている。

 心臓の音もこんなにうるさく響いてくるし、おそらく俺も早見さんが好きなのだろう。それなら、これから俺がすることは一つしかない。

 俺も早見さんとずっと一緒にいたいと彼女に告げよう。そうすればきっと、この胸の苦しみからも解き放たれるはずだ。

 しかし、何故だろう。目の前の女性を前にして俺の心臓はこんなにも強く脈打っているというのに、頭の中には別な女性の顔が浮かんでくる。

 それに春咲さんが先程言っていたセリフが、今になって妙に頭から離れない。

 でも、何か言わないと。このままだと、本当に俺の心が壊れてしまいそうだ。

「早見さん、俺……」

 ガタッ! ドスン!

 早見さんに俺の思いを告げようとした瞬間、廊下で人が倒れたような音が響いた。

 一瞬の間をおいて、俺と早見さんはお互い我に返ったように見つめあった。それから、二人して頷くと、廊下まで急いだ。

「こんにちは~、アトリ君。あれ、もう、こんばんはかな~?」

「えっ、籠井先輩?」

 教室の扉を開けると、目の前には籠井先輩が立っていた。

「アトリ君に用があってちょっと寄ってみたんだけど、もしかして、お邪魔だった~?」

 籠井先輩は俺の後ろにいた早見さんの方へ視線を移すと、楽しそうに微笑んだ。


 生徒会役員籠井小鷺の事情

 フフフ、あのときの鶫の顔。今思い出してもおかしいわ。

「ウフ、ウフフフフフ、アハハハハハハ」

 思わず声を上げて笑ってしまった。

 花鶏君の教室からの帰り道、私は先程の鶫とのやり取りを思い返していた。


 早見さんに告白を煽った次の日、彼女は私の計画通り虹崎君と二人きりになり、告白の機会を狙っていた。

 私の目的は鶫に失恋を味あわせることだ。そのため、私は早見さんと花鶏君を付き合わせようと計画していた。

 そこで私は、どうせなら、早見さんと花鶏君が付き合う瞬間を、鶫に目撃させてやろうと考えた。

 早見さんにはだいたい何時頃に告白するかを予め決めてもらっていた。そうした方が覚悟を決めやすいと言うと、早見さんは文化祭実行委員の話し合いが一区切りしてからが良いと言ったので、二人で話し合って六時頃に決めた。

 頃合いを見計らって体育館へ赴き、私は練習中の鶫に声をかけた。

 花鶏君に折り入って相談があるので教室まで案内してほしいと頼むと、鶫は二つ返事で了承してくれた。

 これから傷つくとも知らないで。バカな女、と思った。

 花鶏君のクラスの前まで来ると、私は何か話し声が聞こえるから様子を窺いたいと言って、鶫を制止した。

「文化祭実行委員の仕事をしてると思うんで、何時くらいに終わるか聞いてきます」

 と鶫は言ったが、教室の外から聞こえてくる早見さんの必死な声に気が付き、ドアに手をかけるのを躊躇った。

 私は心の中で安堵した。あそこで開けられたら、せっかくの計画が水の泡だ。

 それから、私たちは教室から漏れてくる話声にしばらく耳を傾けた。花鶏君と早見さんのただならぬ雰囲気が、教室の外まで伝わってきた。

 気になって鶫の表情を確認すると、目を大きく見開き、息が詰まったように苦しそうに呼吸をしていた。そしてその顔は、全身の血の気が引いたように真っ青だった。

 そして、その瞬間がやって来た。

 早見さんの告白に、花鶏君が答えようとしたそのとき、鶫は全身の力が抜けたように地面に崩れ落ちたのだ。

「あれ、あたし、どうしたんだろう。何でこんなに、涙があふれてくるのかな」

 鶫の瞳からは、絶え間なく大粒の涙が溢れ出していた。

「すいません先輩、あたし、今日は帰ります」

 放心したように呟くと、鶫は全速力でその場を駆け出した。

 それからしばらくして、こちらに気付いた花鶏君たちが廊下に出てくるころには、鶫の姿は跡形もなく消え去っていた。

 どうやら、花鶏君は私の他に誰かいたことに足音で気付いていたようだったが、私には何も聞かなかった。

 少しの間、彼は鶫が立ち去った方を茫然と眺めていた。

私は花鶏君に気付かれないよう注意して、早見さんに穏やかに微笑みかけた。

 早見さんは全てを出し尽くしたような晴れやかな笑顔で私を見つめ返してくれた。

 もうこれで大丈夫。これで、花鶏君はあなたのものよ。

「ごめんね~。私、アトリ君にちょっと相談があったんだけど~、今日はお邪魔だったみたいだし、また次の機会にするね~」

 そう言って、私は花鶏君の教室を立ち去った。

 おかしくて、今にも大声を上げて笑い出したかった。しかし、花鶏君たちに聞こえてはいけないと思い、廊下を突き抜け階段を下りるまではずっと笑いを堪えた。


 恋花レポート

「以上、籠井先輩の記憶を踏まえて、私が把握しているのはこんなものね」

 昼休み、人気のない学園の裏庭で、私と春咲さん、それに冬桜さんの三人で、虹崎君の件についてお互いの情報をまとめていた。

「うん、まあまあ、予定通りね」

 春咲さんは腕組みをしながら満足そうに笑った。

「後は、ルート君たちがうまく動いてくれれば、今回の件はすべて解決ね」

「ちょっと、ルートに何かやらせる気?」

「空深君たちがこれから何かするの?」

 春咲さんの言葉に対し、私と冬桜さんが同時に聞き返した。

「もう、あんたたち、ほんとルート君のことになるとすぐに反応するのね」

 春咲さんは呆れたように肩をすくめた。

「当たり前でしょ。私はルートを生徒会から守るためにあなたに協力しているのよ、それなのに、あなたがルートを生徒会にけしかけるようなことするなんて、本末転倒じゃない!」

「ラブメちゃんのことだから、何か策があるんだろうけど、私もできれば空深君には危ない目にあってほしくないかな」

「まあまあ、二人ともそんなむきにならないのお。このあたしが、ルート君を危険にさらすなんてこと、するはずないじゃない」

 どうだか。あんたなら、十分やりそうじゃない。

「もう、そんな怖い顔しないのお」

 春咲さんはそう言って私に微笑むと、

「そんなに心配しなくて大丈夫よ。あたし、ていうより好葉ちゃんがルート君たちに頼んだのは、生徒会関係じゃなくて、虹崎君がらみについてだから」

「というと?」

 冬桜さんの問いかけに、春咲さんはニヤッと嫌な笑みを浮かべると、これからルートたちが何をするかについて話し出した。



 好葉ちゃんに頼まれ、僕と倉戸は昼休みに虹崎君の友人でバスケ部部長である九澄君の教室まで出向いていた。

「よお、連れてきたぜ」

 清々しい笑顔で僕たちに話しかけてきたのは、恋愛研究部最後の一人、高崎響矢だ。都合の良いことに、九澄君は響矢と同じクラスで、しかもかなり仲が良いらしい。

 響矢と九澄君が同じクラスなのは好葉ちゃんの調べで分かっていたので、昨日メールで響矢に連絡したのだが、まさかこんなにうまくいくとは思わなかった。

「へー、君たちが響矢と同じ恋愛研究部なんだ。うわさには聞いてるよ。何でも、相談を受けた生徒は、絶対に恋人ができるんだって?」

「いやー、それほどでもないんだがな。まあ、でも、それなりに高確率なことは保障するんで、九澄君も何かあったら気軽に相談してくれよ」

 九澄君に倉戸が応じた。

「ああ、是非そのときはよろしく頼むよ」

 九澄君はそう言って爽やかに微笑んだ。茶色に染まったサラサラの髪に、気の良さそうな甘い顔立ち。足が長く無駄のない体格。九澄爽はどこからどうみても完璧なイケメンだった。

「それで、今日は俺に何の用かな? やっぱり誰かの恋愛がらみ?」

「ああ、まあ、そういうことだな。折り入って、九澄君に相談したいことがあるんだ」

「恋愛研究部が俺に相談? 何だか面白そうだな。ここはなんだし、昼食がてら人気のない裏庭にでも行こうぜ」

 倉戸の頼みに九澄君は難なく了承してくれた。見かけどおり中々気の良さそうな男みたいだ。

 早速、僕たちは数ある中でも、あまり人が集まらない裏庭を目指した。雹月学園は広大な敷地面積を誇っており、生徒が過ごしやすいようにたくさんの集合スペースが設置されている。   

一方で、雹月学園は建物自体も巨大なため、あまり日が当たらない場所にも集合スペースが設置されている。そういう場所は昼食をとるのに適していないため、利用する学生が少なかった。その中でも、僕たちが今向かっているのは高等部の教室からかなり遠い場所にある、特に人気のないところだ。

「お、やっと着いたな。ここを曲がればすぐに、って、ええ?」

 曲がり角を曲がった瞬間、倉戸が驚いたように声を上げた。

「あれ、春咲さん? それに……」

 思わず愕然としてしまった。他の人が利用している可能性はある程度予想していたが、まさか彼女がいるとは思わなかった。

 僕の視線の先では、彼女も呆気にとられた顔でこちらを見つめている。

「え~、何でえ? どうして、ルート君たちがここにい?」

 春咲さんの声で、僕は我に返ったように、サッと彼女から視線をそらした。昔はあんなに仲が良かったのに、今では顔を見ると緊張するようになってしまった。

「いやー、昨日話した通りだよ。九澄君と話をするために、人気のないここを選んだんだけど、まさか春咲さんが先に使ってるとは思わなかったぜ」

「おお、すげーラッキー! まさか、こんな所で学年二大美女に会えるとは思わなかった」

 九澄君が春咲さんと冬桜さんを見て感嘆の声を漏らした。

「俺、九澄爽っていいます。何だか今日は恋愛研究部に呼ばれたみたいなんだけど、よろしく」

「あ、うん、こちらこそ」

 少し戸惑いながらも、春咲さんは九澄君に晴れやかな笑顔で応えた。


 何故、こんなことになったのだろう。緊張で頭がうまく働かない。左右からは何だか甘い香りが漂ってくる。

 僕は顔中を真っ赤にしたまま、売店で買った焼きそばパンを黙々と噛みしめていた。いつもだったら簡単に食べ終えてしまうのに、今は全く喉を通らない。

 僕以外の男子は、春咲さんが先程まで一人で座っていた、彼女が家から持ってきた大き目のシートの上に座っている。

僕もそちらに座りたかったのだが、そこへ適当に腰かけようとしたときに、

「ルート君はそっち」

 と春咲さんに無理やりベンチに座らされてしまったのだ。

「どうする? とりあえずう、自己紹介でもするう?」

 女子の中で一人だけ、男子に囲まれてシートに座っている春咲さんが、空気を見計らって話し出した。

「賛成」

 僕の右隣で、冬桜さんが掌を前にして軽く手をあげた。冬桜さんの左腕が僕の右腕をかすめた。柔らかい感触が僕の体に伝わってきた。

 心臓が爆発しそうなくらい脈打ってきたが、僕は必死に平然を装った。

「お、何だか合コンみたいで楽しそうだな」

「俺も、一人だけ部外者みたいなもんだし、ぜひお願いするよ」

 倉戸と九澄君が春咲さんの言葉に同意した。

「ルート君と高崎君も、それでいいよね?」

「え、あ、うん」

 僕は動揺しているのを悟られないよう、低い声を意識して答えた。

「ああ、俺もいいぜ」

 僕に続いて響矢も頷いた。

 一人だけまだ同意を示していないのが気になって、左隣を見ると、恋花ちゃんは顔を真っ赤にして俯いていた。

 やっぱり、彼女も僕とどう接して良いかわからず緊張しているようだ。

 思い返してみると、昨年同じクラスだったときもいつもこんな感じだった。

 偶に話しかけて来るときはあっても、一言二言しゃべると、すぐにどこかへ行ってしまった。考えてみると、彼女は僕と話すときいつも緊張していたのかもしれない。

 僕と恋花ちゃんは幼馴染だ。それこそ、家が近所でどこかへ出かけるときは常に一緒だった。しかし、成長するにつれて、女の子と二人で遊ぶことに抵抗を覚えるようになってきた。他の男子たちに、からかわれていたのも大きい。僕は小学校中学年位を境に、恋花ちゃんを避けるようになった。

 一方で、恋花ちゃんの方は、僕と離れたくないようだった。僕が男子と遊んでいても、こそこそ後をついてきていた。

 あるとき僕は決心し、恋花ちゃんを突き放した。もう、お前とは遊ばない、と。

 恋花ちゃんは、洪水のように涙をぽろぽろと流して、泣き叫んだ。

 それを見た僕は、幼心に物凄い罪悪感を覚えた。僕は、逃げるようにその場を走り去った。

 そして、その瞬間がやって来た。

 全速力で疾走している僕の目の前に、突如、交差点を曲がってきた大型トラックが現れたのだ。体が宙を舞い、僕は死を覚悟した。

 しかし、僕の体は傷一つつかなかった。僕の代わりに恋花ちゃんがトラックに跳ね飛ばされていた。

 そう、僕はすんでのところで、僕を追いかけてきた彼女に突き飛ばされたのだ。

 恋花ちゃんは身を挺して僕を救ってくれたのだ。

 最悪なことに、僕は今年になるまでそのことを忘れていた。事故によるトラウマで僕を助けてくれた女の子の記憶を失ってしまっていたのだ。

 だが、最近になって、偶然その時の夢を見たおかげで、ようやく恋花ちゃんのことを思い出すことができたのだ。

 それから僕は、恋花ちゃんに当時のことを話してお礼を言おうと思っているのだが、中々切っ掛けをつかめないでいる。

 当の恋花ちゃんも、僕のことをそれなりに意識しているようなので、お互い緊張してしまい中々思うように話ができないのだ。


 恋花レポート

「それじゃあ、恋花ちゃんから時計回りねえ」

 気が付くと、春咲さんが私に話しかけていた。しまった、ルートがすぐ横にいるせいで、緊張しすぎて気を失っていた。

 何やらみんなの注目を集めている気がする。ただでさえ、頭がパニック状態なのに、これ以上どうしろっていうのよ!

「どうしたのお? 自己紹介、恋花ちゃんからだよお」

 自己紹介? そう言えば確かそんな話をしていたような気がする。

 どうしよう。私、こういうの慣れてないのよね。自己紹介ってどんなこと言えばいいの?

 やっぱり、ただ名前を言うだけじゃだめなのよね。でも、気の利いた言葉なんて浮かんでこないし、下手なこと言ってルートに引かれちゃったりしたらどうしよう。

 ああ、気が動転しちゃって、何も思いつかないよ~!

「あの、春咲さん。良かったら、自己紹介、僕からでいいかな?」

「うん、別にいいよお。恋花ちゃんが一番端っこにいたから、ちょうどいいかなって思っただけだからあ。何だか恋花ちゃん、緊張しちゃってるみたいだしぃ、ルート君から始めてもらっても全然問題ないよお」

 え? ルート、もしかして私を庇ってくれたの? うそ! 

 動揺で血の気が引いていた体に、一気に体温が戻ってきた。それどころか、逆に熱くなりすぎて胸が苦しい。

 でも、何だかすごく幸せな気分。こんな気持ちになったのは何年振りだろう。男の子に守ってもらうなんて、小学校以来だわ。

 あの頃は、それこそ毎日のように、ルートが私を守ってくれていたんだっけ。

 しばし幸福な気持ちを噛みしめていると、ルートの自己紹介が始まった。

「それじゃあ、えーと、(そら)()朧優斗(るうと)です。恋愛研究部で部長をやっています。よろしくお願いします」

「ええ~、ルート君それだけ? 趣味とか特技とかぁ、それにぃ、好きな女の娘のタイプはあ?」

 予想通り、春咲さんはルートの真面目な紹介に、いちゃもんをつけた。

 合コンじゃないんだし、別に簡単な紹介でいいじゃない! 

 とは思いつつも、ルートの好みは、かなり気になるところなんだけど。

 私はそれとなく隣に座るルートの横顔を覗いた。

「えっ、そんなことまで言うの?」

 ルートはかなり動揺した顔で言った。

「私も、是非、聞いてみたいな」

 まあ、冬桜さんも気になるよね。

「おっ、この野郎、冬桜さんに興味をもたれるなんて、マジで羨ましい奴だぜ」

 倉戸君は苦笑いを浮かべながら羨ましそうな顔でルートを見つめた。

「えっ? もしかして、冬桜さんって空深君のこと好きなの? 一緒のベンチで隣り合って座ってるし、さっきから少し気になってたんだけど」

「ああ、えーと、趣味はボカロ曲を聴くことで、特技は第一声でボカロを聞き分けることができることです。好きなタイプは、女性ボカロキャラ全般です」

 ルートは九澄君の質問を覆い隠すように早口で言った。

「えっ、ボカロって、響矢が好きで曲作りしてる、あの?」

 幸いなことに、九澄君がルートのボーカロイド趣味に興味を持ったようだ。これで、冬桜さんの話はうまく流れそうだ。

 私は心の中でほっと一息ついた。このまま冬桜さんとルートの話になって、冬桜さんがルートに告白、なんてことにでもなったらどうしようと思った。

「あ、うん。あの独特な機械音声が何か気に入っちゃてさ」

「俺と空深が知り合う切っ掛けになったのが、そもそも、ボカロがらみだったからな」

「ちょうど僕がコンピューター室でボカロチェックしてたときに、たまたま響矢が通りかかって、それからボカロ話で盛り上がったんだよね」

「周りにボカロ知ってる奴がいなかったからな、あのときはかなり盛り上がったよな」

 ルートと高崎君にはそんな出会いがあったのか。あまり性格も似てないし、同じクラスになったこともないから、どうして知り合ったのかちょっと気になってたんだよね。

成程、ボカロ関係だったか。やっぱり私も、もっとボカロの勉強しなくっちゃ!

「あ~、二人だけで盛り上がって、ずる~い。あたしも混ぜてよお」

 春咲さんがルートと高崎君の会話に割って入った。

「ルート君がボカロ好きってのはもうわかってるからさあ。それよりもお、ボカロキャラでもし付き合えるとしたら、誰がいいか教えてよお」

「えっ?」

「ボカロって言っても、みんなタイプが違うじゃん。それこそお、ミクとルカとじゃ全然違うしい」

「あ、春咲さんって、もしかしてボカロ詳しかったりする?」

「う~ん。まあ、日本語版のキャラクターは一応全員把握しているくらいかな。海外のになると、ちょっと自信ないけどお」

 何、知ったかぶりしてんのよこの娘! 私と冬桜さんが、ルートと仲良くなろうとして勉強してるのを、黙って横から見てただけじゃない。

「それよりもお、ルート君の好きなタイプはあ?」

「えーと、僕はいろはが一番好きかな」

「なるほどお、ルート君はロリババア属性かあ。ゆすらちゃん、わかったあ?」

「うん。わかった。いろはちゃんかあ、ちょっと私と性格違うかもだけど、がんばる」

 もう! せっかく話題それてたのに、なんでまたその話を振るのよ!

 さては、この娘、私をからかって楽しんでるな。

 そう思って、春咲さんの方を睨むと、彼女は私にだけ分かるように、一瞬だけ底意地の悪い笑みを浮かべた。

 この女、いつか絶対仕返ししてやる!

「まあ、俺たちの部活は、いつもだいたいこんな感じかな。後、元気の良い後輩が一人いるくらいだ」

「ははははは、恋愛研究部、確かに楽しそうなところだな」

 春咲さんの隣で倉戸君が九澄君をもてなしていた。九澄君は空気を察したようで、冬桜さんとルートの関係について、聞き返すようなことはしなかった。

「それじゃあ、次、ゆすらちゃんの番」

 会話が一息ついたところで、春咲さんはルートの右隣にいる冬桜さんを指名した。

「えーと、冬桜ゆすらです。趣味はピアノとバイオリンです。特技って程ではないですけど、割と得意なのは華道です。この前家元の先生に才能あると褒められたので」

 ピアノにバイオリンに華道? 直接聞いたことはなかったけど、やっぱり冬桜さんってかなりのお嬢様だったのね。

 それにしても、何だか本当に合コンみたいになって来たわね。もちろん、一度も行ったことないけど。

「おいおい、すげーな! 俺、本当のお嬢様って初めて見たぜ」

 倉戸君が目を丸くして言った。高崎君と九澄君も声には出さないがかなり驚いた表情をしている。

まあ、そうなるわよね。

ルートはというと、あまり気にしてない様子だ。ふう、一安心。

冬桜さんに興味を示さないなんて。良かった。やっぱり、ルートは今のところ女子には全く興味ないみたいね。



うわー、冬桜さんってマジの大金持ちだったんだ。まあ、薄々そうだと思ってたけど。それにしても、周りの連中がみんな呆気にとられたような顔をしている。

学年トップクラスの美少女で、成績も抜群。温厚な性格で、その上大金持ち。まるで絵にかいたような完璧な女の娘だ。

春咲さんにもいえることだが、彼女たちのような完璧な存在に対して、僕はせめて自分だけは興味がない素振りを見せようと決めていた。

だって、僕みたいに興味ない素振りを見せる人がいないと、世の中不公平じゃないか。

僕は内心で冬桜さんのことが気になりつつも、必死にそれを表情に出さないよう努めた。

「ねえねえ、それでえ、ゆすらちゃんの好きなタイプの男性はあ?」

 春咲さんは冬桜さんではなく僕の方を見つめて言った。

「えっ? それは、その……」

 冬桜さんはそこで言い淀むと、何故か僕の方をチラッと窺い、

「えーと、あたしと一緒にいても、ずっと前だけ見てくれる人、かな」

 素早く目をそらしてしまったので表情はわからなかったが、冬桜さんの声はとても色っぽかった。

 僕は何食わぬ顔を装っていたが、冬桜さんのあまりの可愛さに、今にも魅入られてしまいそうな気分だった。が、全力で堪えた。

 他の男子たちを見てみると、予想通り三人とも言葉を失ったように冬桜さんに見とれていた。

 キーンコーンカーンコーン!

 昼休みの終わりを告げるチャイムが、学園中に響き渡った。

 危なかった。これ以上冬桜さんの近くにいたら、他の男子同様に僕も彼女に心を奪われてしまうところだった。

「え~、もう昼休み終わりなのお、せっかく盛り上がってきたとこなのにい」

 春咲さんが不満そうな声を上げた。

「それよりも、お前ら、爽に話があったんじゃなかったのか?」

 響矢が僕の方を見て尋ねた。

 しまった! すっかり忘れていた。

「いやー、恋愛研って結構面白そうなところだな」

 九澄君はそう言って笑顔で僕たちを見渡し、

「今日は楽しかったよ。俺で良ければ何でも協力するぜ」

「ほんとお。あたしたちも九澄君と仲良くなれて楽しかったよお」

 九澄君の言葉に対し春咲さんが笑顔で答えた。

 虹崎君の件についての相談はできなかったが、どうやら、この昼休みのやり取りで僕たちは九澄君の信用を得たようだ。

「俺も九澄君と知り合いになれてよかったぜ。これを機に今度かわいい娘、紹介してくれよ」

「はは、倉戸君なら俺が紹介しなくてもすぐ彼女の一人や二人作れそうだけど、もし何かいい話があったら伝えるよ」

「えっ、マジで? そのときは絶対頼むぜ!」

「あ、九澄君、倉戸君の話は適当に流しておいていいから」

「おいおい春咲さん、せっかくの九澄君のご厚意に対して失礼だろ」

「ははははは、やっぱり面白いなお前ら。さすが響矢が入った部活だ」

「良かったら九澄君もどう?」

「ははは、考えておくよ」

 倉戸と春咲さんは、もうすっかり九澄君と打ち解けたようだ。

「おい、急がないと、そろそろ午後の授業始まるぜ」

「あ、ほんとだ。とりあえず教室戻ろう」

 響矢の言葉に、冬桜さんが腕時計で時間を確認して答えた。

「それじゃあ、響矢。昨日電話で話したこと、九澄君に伝えてもらっていいかな?」

 教室へ戻る途中、僕は響矢に話しかけた。

「ああ、いいぜ。どうせなら、放課後、爽をつれて部室に顔出そうか?」

「九澄君が良ければ」

「俺が部室にお邪魔していいのか? 迷惑じゃなければ是非」

「それは全然大丈夫だけど、それよりも、部活はいいの?」

 疑問に思い九澄君に尋ねる。

「そんなに遅くならなければ。友達に少し遅れるってメールしておくよ」

「なんだか悪いね。なるべく早く済ませるようにするから」

「気にしなくていいって。それよりも、どんな恋愛話が聞けるか楽しみにしてるよ」

 こうして、いったん僕たちは各自教室へと戻った。


 恋花レポート

 放課後、図書委員の仕事をしている私のところに、春咲さんがやって来た。

時計の針は午後八時半を示しており、図書館を利用する生徒たちも、ちらちらと帰り始めていた。

「ここじゃなんだから、奥に来る?」

 私はカウンターの奥にある図書委員専用の休憩スペースを指差して言った。今日は私の当番なので、今ここにいる委員は私一人だった。

 まだ、数人、利用している学生が残っているが、この学園の図書館は機械で自動的に貸し出しできるので、私が一時的にいなくなっても指して問題はない。

 図書委員の主な仕事はマナー違反の学生を注意することだ。この時間まで図書館を利用している人は、ほぼ間違いなくまじめな生徒と考えていいだろう。そのため、いちいち私が見張っている必要はない。

「それじゃあ、遠慮なくお邪魔するわ」

 春咲さんは本当に遠慮なく、カウンターを横切りスタスタと入って行った。

 まあ、初めて利用するわけじゃないから何も言わないけど、もう少し慎みってものを覚えた方がいいんじゃないかしら、この娘。

「あ、ラブメちゃん、お疲れ」

 先に来ていた冬桜さんが春咲さんに声をかけた。

「おっ、ゆすら、もしかしてボカロのお勉強?」

「うん。この雑誌、恋花ちゃんが司書の先生に頼んで図書館で定期的に購入することになったんだって。すごいよね」

「あんたって、こういうところには無駄に行動力あるわよね」

 春咲さんが呆れた顔で私を見た。

 何よ、こういう専門雑誌って結構高いのよ。図書館で買ってもらったっていいじゃない。私には一刻も早くボカロを知り尽くさないといけない崇高な理由があるんだから。

 いずれは、機械をそろえて、自分で作曲した曲をこっそり動画共有サイトにアップしようと考えている。それから、人気のボカロPになって。そして、最終的にはルートにそれを打ち明けて、それから……。

 ウフフフフフフ!

「ちょっとお、何、変な顔で笑ってるのお! キモいんですけどお」

 しまった、つい妄想にふけってしまった。て、それより、何よこの娘! ちょっと言いすぎじゃない! おかげで少し傷ついちゃったじゃない。

「恋花ちゃんはボカロの作曲家を目指してるんだって。すごいよね」

「え、マジで? アハハハハ、ゆすらならともかく、あんた、何か楽器とかやってたっけ?」

「そ、それは、今から勉強しようかな、と」

「アハハハ、何それ? ボカロの調教以前の問題じゃない?」

「一応、ギターとベースとキーボードくらいなら、私がそれなりにできるから、今度私の家で一緒に練習することにしたんだよね」

「て、あんた、バイオリンとピアノだけじゃなかったの? マジで、ゆすらに頼んでボカロ曲作ってもらった方が早いんじゃない?」

 驚いた顔で冬桜さんを見た後、春咲さんは苦笑しながら私を見た。

「女王の件が解決するまでは、抜け駆けなしってことにしてるんだよね。だから、恋花ちゃんが作曲できるようになるまで、私も付き合おうかなって」

 冬桜さんがとても素敵な笑顔で微笑んだ。

 ああ、春咲さんと違って、この娘はほんとに良い娘だな。

「何それ! あたしだったら、絶対、表面上だけいい顔しておいて、隙を見つけて出し抜こうとするけどなあ。ゆすらって、ちょっといいやつ過ぎじゃない?」

「ううん。そんなことないよ。だって、現状では私の方が負けてるんだし、恋花ちゃんに本気を出されたら、私、困っちゃうもん」

「そう? あたしから見たら、どっちもどっちって感じだけどなあ」

「そんなことないよ。今日だって、空深君、私より恋花ちゃんのことずっと気にしてたし、それに……」

 冬桜さんはそう言うと、うっとりとした顔をして、

「空深君、私の話に全然興味なさそうな顔してたし」

 冬桜さんは、同性の私から見ても心を奪われそうなほど艶やかな表情で微笑んだ。

 冬桜さんは学園のアイドルだ。美人で大金持ちで、その上性格も良い。よって、男子に大人気だ。

 そんな冬桜さんが、何故、普通の人から見れば一般の男子生徒でしかないルートを好きなのか。それにはちゃんと理由がある。

 それは、ルートが冬桜さんを何とも思ってないからだ。

 冬桜さんは常に男性から好意を寄せられて生きてきた。恋人や奥さんがいる男性でも、冬桜さんの前では皆一様にデレデレしている。

 そんな人生を送ってきた冬桜さんに対して、唯一初めて素っ気ない素振りをしたのがルートなのだ。

 そして、冬桜さんはそんなルートを自分にとって特別な存在だと認識してしまったのだ。

 冬桜さんは、それを確かめるように、さりげなくルートに近づいたりしていたが、その度に無視されてきた。

 ルートが好きな私は、冷や冷やしながらその光景を陰から覗いていたのだが、見ていて少しかわいそうだった。

 一方、当の冬桜さんはルートに無視される度に、とても幸せそうな表情を浮かべるようになっていった。

 ルートのせいで、冬桜さんは自分の性癖に気付いてしまったのだ。

 冬桜さんなら、本来、それこそ誰とでも付き合えそうなのに、世の中わからないものである。

「ああ、あんたってそっち系だっけ? 金持ちって変わってる人が多いって言うけど、どうやらほんとみたいね」

 春咲さんは非常に残念そうな顔で冬桜さんを眺めた。それから、私の方を向き、

「まあ、ゆすらはあんなんだから置いとくとして、あんたはもう少し、頑張った方がいいんじゃない? ボカロの勉強もいいけど、それより先にまともにルート君と話しできるようになるのが先でしょ」

「うっ、それは……」

 続く言葉が出てこなかった。

「さっきだって、せっかくルート君と隣通しにしてあげたのに、一言も会話してないじゃない! おまけに、話振ってあげても、一人で黙っちゃって。あげくにルート君に助けられてるし」

 春咲さんは両手を腰に当て、じと目で私の目を見ると、

「そんなんじゃ、このまま何もできずに高校生活終わっちゃうわよ!」

 ううう、耳が痛い。

 確かに、このままだと、ボカロでオリジナル曲を作ったとしても、ルートに伝えられずに卒業してしまいそうだ。

 それどころか、ボカロ好きの女の娘がルートを好きになったりなんかしたら、それこそ目も当てられない。

「い~い、今度ルート君と会ったら、次こそはちゃんと会話するのよ」

 そんなにしつこくしなくても、言われなくてもわかってるわよ!

「うう、それよりも、例の件はどうなったの? 結局、九澄君には協力してもらえたの?」

 何とか話題をそらそうと考えていたところで、今日集まった本題についてすっかり忘れていたことに気付いた。

「ああ、そう言えば、まだ話してなかったっけ?」

 私が黙って頷くと、春咲さんはニヤリと口を釣り上げて微笑んだ。

「かなりうまくいったわよ。この分だと、明日あたり蹴りがつくんじゃない」

 そう言って、春咲さんは冬桜さんの方を向くと、

「ほら、ゆすら。今から説明始めるから、さっさと現実に戻ってきなさい」

 と言って、官能的な顔で妄想に浸っていた冬桜さんの意識を元に戻すと、先程見てきたことについて語り始めた。



 放課後、僕は春咲さんと倉戸共に、校舎裏の物陰に潜んでいた。もうすっかりと夜も更けこんでいたが、所々に設置してある外灯のおかげで、それなりに明るかった。

「ねぇ、まだ来ないのかなあ?」

 春咲さんが待ちくたびれたというような顔で言った。

「まあ、運動部だからな。それなりに遅くまで練習してるんじゃないか?」

「それにしても遅いよお。あたしたちぃ、もう一時間以上ここで待ってるんじゃない?」

「どれどれ、えーと、俺たちがここに来たのがだいたい六時半頃だったから、ちょうど三十分くらいかな」

 倉戸が携帯で時間を確認して答えた。

「え~、まだ、そんなもんなのお? あたしぃ、もう飽きてきちゃったあ。ねえ、ルート君。何か面白い話してよお」

 春咲さんは僕の方を向くと、上目づかいで微笑んだ。

「えっ? 急にそんなこと言われても」

「う~ん。じゃあさ、ゆすらちゃんのことどう思ってるか聞かせてよお。それか、恋花ちゃんでもいいよお」

 一瞬息が詰まった。それから、だんだんと心拍数が上がってきた。

「ねえねえ、ルート君はあの二人のことどう思ってるのお? 誰にも言わないからあ、こっそり教えてよお」

 春咲さんは言いながら、身を寄せるように僕の方へ体を近づけてきた。心地よい香りが僕の鼻腔を伝わってくる。

「そう聞かれても。そもそも、その二人も僕のこと何とも思ってないと思うよ」

 僕は振り払うように春咲さんから視線をそらして答えた。春咲さんの顔があまりにもかわい過ぎて、まともに直視できなかった。

 顔が熱くなってきた。呼吸も苦しい。

 もうこれが、春咲さんの質問のせいなのか、それとも、春咲さんに顔を近づけられているせいなのか分らなくなってきた。

 そもそも、こっそり教えてとかいうけど、すぐそこに倉戸もいるじゃないか。

 倉戸の方を見ると、僕を見て面白そうにニヤニヤ笑っていた。

「呆れたあ。ルート君って、ほんとに鈍感なのね。あ~あ、あの二人がかわいそお」

 春咲さんは頬を膨らませ、さらに一歩、僕の前に踏み込んできた。

 ちょっとお、近すぎです!

「そうだぜ、空深。桃色さんはともかく、冬桜さんはみんなの前でお前に告白みたいなことしたんだぜ。それなのに、お前ときたら」

 倉戸もやれやれと言った顔で僕を見ている。

 そうなのだ。倉戸の言うとおり、以前、僕は冬桜さんに公開アプローチを受けている。

 昨年。まだ、僕と冬桜さんが別々のクラスだったころの話だ。冬桜さんが生徒会役員になって間もないころ、我が校の方針で月に一度行われている募金活動という名のお金の徴収のため、彼女は僕のクラスにやって来た。

 例の、学校が主催する、生徒に高校のうちから実質的な経済活動をさせるというやつだ。

 普通なら、そのお金はクラス委員が集めて生徒会に渡すことになっている。ところが、冬桜さんはあろうことか、僕の側まで来ると直接募金を求めてきたのだ。

一瞬、クラスが静まり返ったのを今でも覚えている。

それから、色々あってそれなりに冬桜さんと話すようになったのだが、僕はいまだに、彼女を見ると、ついつい避けてしまっている。

「倉戸君の言う通りだよお! あたしも同じクラスだったから良く覚えてるよお。ゆすらちゃん、あんなに大胆なことしたのに、ルート君ったらいまだにそれに答えてないなんて、ゆすらちゃんがあまりにもかわいそうだよお!」

「ううっ、それは」

「まあ、そのことは、春咲さんの言うとおり、ちゃんと考えておいた方がいいかもな。それよりも、そろそろ来たみたいだぜ」

 もうこの場から逃げ出したい。そう思った矢先、都合よく九澄君たちがやって来てくれた。

「なんだあ。もう来ちゃったのか。つまんなあい」

 春咲さんは口をすぼめて残念そうな顔をした。何だか、さっきと逆のことを言ってる気がするんだけど。

「それじゃあ、見つからないように、もっと奥に隠れようぜ」

 倉戸の言葉に従い、僕たちは九澄君の方からは見えない位置に身をひそめた。


 ほどなくして、九澄君と虹崎君の会話が始まった。

「それで爽、こんなところまで連れてきて、用事って何なんだ?」

「ちょっとな、お前にどうしても言っておきたいことがあってな」

 訝しそうに尋ねる虹崎君に対し、九澄君は真剣な口調で答えた。

「改まってどうしたんだよ? こんな人気のない場所じゃないと言えない用なのか?」

「ああ、まあな」

 九澄君はそこで一呼吸置くと、

「今日、三森さん、元気なかったと思わないか?」

「そ、そうか? 俺は気付かなかったが」

 虹崎君は言葉とは裏腹に、少し声を震わせていた。

「昨日、籠井先輩とお前を探しに行ってから、何だか様子がおかしかったんだが」

「えっ? 籠井先輩と一緒に鶫もいたのか?」

 虹崎君は驚いたように声を荒げた。

「ああ、籠井先輩がお前に用があるから、三森さんにお前の教室まで案内してほしいと頼んでいたんだ。その様子だと、お前、三森さんとは会ってないのか?」

「ああ、俺が昨日会ったのは籠井先輩だけだ」

「そうか。それで、昨日いったい何があったんだ? 体育館に戻ってきたときの三森さんの顔、本人は無理して隠しているつもりみたいだったが、明らかに尋常じゃなかったぞ」

 虹崎君は、そこで言葉を詰まらせた。

「お前、最近文化祭実行委員の娘と仲が良いんだってな」

「そ、それが?」

「お前、その娘のこと好きなのか?」

「はっ? 何言ってるんだよ。今はその話は関係ないだろ?」

「そうか、お前がそう思ってるのなら、遠慮する必要はなかったな」

「お前、さっきから何が言いたいんだよ」

「俺は三森さんが好きだ。だから、これ以上お前のせいで彼女が苦しむ顔を見ていられない」

「えっ?」

「明日、部活が終わった後に、俺は三森さんに告白する」

 九澄君は力強くはっきりとした口調で言った。

「もし、三森さんに言っておきたいことがあるなら、それまでに済ませておいてくれ」

 九澄君は最後にそう言って、この場を立ち去って行った。

 それにしてもさすがだ。

 九澄君は期待以上にうまくやってくれた。これなら、バスケ部だけじゃなく、演劇部でもエースとしてやってけるんじゃないだろうか。

 思わずそう思うほど、九澄君の演技は素晴らしかった。

 気付かれないように様子を窺ってみると、虹崎君は茫然とその場に立ちすくんでいた。

「ちょっとかわいそうなことしたかな?」

 倉戸が罪悪感に駆られたように言った。

「しょうがないよお。虹崎君が今まで三森さんに対してはっきりしなかったのがいけないんだしい。それよりもぉ、これから虹崎君がちゃんと自分の本当の気持ちに気付いてくれるといいんだけどお」

「それは、大丈夫じゃないかな」

 僕は春咲さんにそう言うと虹崎君に視線を移し、

「だって、そうじゃなきゃ、あんなつらそうな顔しないよ」

「それもぉ、そうね」

「だな」

 僕の言葉に春咲さんと倉戸も納得したように頷いた。

「それじゃあ、そろそろ部室に戻らないと。九澄君が待ってると思うし」

 虹崎君に気付かれないように、僕たちは彼らが来た方角とは反対の道をたどって部室を目指したのだった。


「あんな感じでよかったのか?」

 部室に着くと、扉の前で待っていた九澄君が僕たちに声をかけてきた。

「うん。ばっちりだったよお」

 春咲さんが九澄君をねぎらうように微笑んだ。

「いやー、悪いな。汚れ仕事みたいなことさせちまって」

「気にしなくていいぜ。俺もあいつらの関係には、正直あきれていたからな」

 後頭部をかきながら申し訳なさそうにしている倉戸に対し、九澄君は爽やかな笑みで答えた。

「それよりも、お前らこそ良いのか? 虹崎が自分の気持ちに気付いたら、三森さんと付き合っちまうんじゃないのか?」

「それが何か問題あるのお?」

「三森さんがお前らに恋の相談すると思えないからな。誰か別な女子と虹崎をくっ付けたいんじゃないのか?」

 この男、なかなかできると思っていたが、そのことに気付いていたとは。

「まあ、俺は虹崎と三森さんがちゃんと向き合ってくれれば、それでいいんだけどな」

 九澄君はそう言って真剣な目で僕たちを見渡すと、

「もしかして、お前らの本当の目的って、生徒会との対立なんじゃないか? それだったら、お前らが頼まれてもいない三森さんの恋を後押ししている理由がつく」

 すごいな! これは想像以上だ。

 春咲さんも倉戸も何も言えずに押し黙ってしまった。

「俺の周りにも例の生徒会の募金に対して、ご執心している奴らが最近になってやたらと増えてきているからな。少し気になったから、身近な生徒会役員の籠井先輩を少し探ってみたんだ。それで見ちゃったんだよな。籠井先輩が虹崎のクラスの早見さんって娘とこそこそと会ってるとこ」

 成程。それで、僕たちの狙いに気付いたのか。それにしても、それだけの情報でここまで推理してしまうとは。演劇部とは言わず、是非、僕たちの部に入ってほしいものだ。

 倉戸と春咲さんが、僕に視線でどうするかを訪ねてきた。

 うーん。どうするべきか。九澄君なら問題ないとは思うが、何かの切っ掛けで、生徒会に僕たちの情報が漏れても困るし。なるべく外部の人間には知られたくないよな。

 でも、協力してもらった負い目もあるし、どうしようか。

「変なこと聞いちまって悪いな。言いづらい事だったら無理して答えなくてもいいぜ。今言った話も誰にもするつもりはないから安心してくれ」

 言葉に詰まっている僕たちを見て、どうやら九澄君はこちらの意図を察してくれたようだ。

「今日はマジで楽しかったよ。またなんかあったら言ってくれ。俺でよかったらいつでも手を貸すよ。それじゃあ、またな」

 九澄君は何事もなかったように爽やかな笑顔を浮かべると、軽く手を振って出口の方へと足を向けた。

「詳しくは言えないけど、たぶん生徒会は危険だと思う。だから、何かわかっても一人で立ち向かったりしない方がいいと思う」

「ああ、そのときは、響矢や君たちに相談するよ」

 僕の言葉に、九澄君は立ち止まって振り返り、真っ白な歯を見せて答えると、そのままこの場を立ち去って行った。

「あいつ、なかなかできる奴だったな」

 九澄君の後姿を見つめながら倉戸がポツリと呟いた。

「今度、正式にうちの部にスカウトしてみるう」

 春咲さんが感心したような表情で、僕の顔を覗いてきた。

「ああ、そうだね」

 僕は春咲さんにそう言って頷いてから、

「でも、九澄君は一つだけ勘違いしているよ。僕たちはまだ、木苺さんの恋の支援をあきらめていない」

「うん、そうだねえ」

 春咲さんはニッコリと微笑むと、僕の言葉に力強く頷いた。

「後は、好葉(このは)ちゃんがうまくやってくれるのを待つだけだな」

「だね」

 倉戸の言葉に僕は楽観的な口調で同意した。大丈夫。好葉ちゃんに任せておけば心配ない。彼女は自分のできることを最大限発揮してくれるはずだ。

 僕たちに残されているのは、黙って成り行きを見届けることだけだ。


 蹴散らせ三角関係

「こんなところで何してるんですか、先輩?」

 夜の暗闇に静まり返った校舎裏で一人茫然と佇んでいると、後ろから明るく元気のよい声が聞こえてきた。

 確認するまでもない。木苺苺ちゃんだ。

 俺は振り返る気になれず、そのまま黙っていた。すると、苺ちゃんがいきなり俺の真正面に潜り込んできた。

 慌てて俺が半歩後退さると、

「先輩、どうしたんですか? もう秋なんですから、こんな所にずっといると風邪ひいちゃいますよ」

 苺ちゃんは上目づかいでそう言うと元気良く微笑んだ。今の俺にはその笑顔がひどく眩しく見えた。

「先輩、今、すごく悩んでることありますよね。あたしで良ければ、相談に乗りますよ」

 苺ちゃんはいつも通り陽気な表情を浮かべているが、俺を見つめる瞳はいつにもなく真剣だった。

「ああ、ちょっとな、最近色々なことがあって、頭が追い付いていけてなかったんだ。でも、今、苺ちゃんの顔を見たらなんだか少し安心したよ。だから、もう大丈夫だ」

 俺はそう言って苺ちゃんに微笑み返した。

 本当は、誰かに何もかも打ち明けて悩みを聞いてもらいたい気分だった。けれど、すんでのところでそれを思いとどまった。こんな話、後輩の、それも女の娘に相談することじゃない。

「先輩、無理、しない方がいいと思いますよ」

 苺ちゃんは俺に向け儚げな顔をした。いつも快活な苺ちゃんからは想像できないような大人の女性の表情だった。思わず一瞬ドキッとしてしまったほどだ。

「あたし、先輩と九澄先輩が話してるとこ、たまたま聞いちゃったんですよ」

「えっ?」

「部活が終わった後、先輩が九澄先輩に呼ばれるのを見て、そのときの九澄先輩の真剣な表情が気になって、つい後を追っちゃったんです。すいません。悪いとは思ったんですけど、まさか九澄先輩があんな話するとは思ってなかったから」

 苺ちゃんは申し訳なさそうに頭を下げた。

「先輩、あたしが言うことじゃないと思いますが、一言言わせてください。九澄先輩が去った後、私が話しかけるまで先輩、ずっとその場に立ち尽くしてましたよね? それって、九澄先輩の言葉を先輩が真剣に受け止めたから、ですよね」

 それはそうだが、一体それがどうしたって言うんだ? 苺ちゃんは結局何を言いたいのだろうか。

「先輩は、そうやって、自分の気持ちにあえて気付かないふりしてるから。だから、こんな簡単な問題も解けなくて悩んじゃってるんですよ」

 感情的になっているのか、苺ちゃんの声がかすかに震えてきた。瞳からは今にも涙が零れそうになっている。

 この娘は何でここまで熱くなっているのだろう。それに、俺に解けない問題とは一体何なんだ?

「ここまで言っても気付かないんですか? 先輩は、あたしより年上ですけど、でもあたしの方が恋愛年齢は上みたいですね」

 苺ちゃんは目に涙を浮かべたまま、ふっと微笑むと、

「あたし、三森先輩と先輩が一緒にいると、すごく嫌な気持ちになります。先輩に会えない日は、とても悲しい気持ちになります」

 苺ちゃんの笑顔から透明なしずくが零れ落ちた。

「でも、先輩と一緒にいると、すっごく幸せな気分になれるんです!」

 苺ちゃんはついに堪えきれなくなったように、顔を腕で覆うと、俺に背中を向けた。

「これで、ニブチンの先輩も自分の気持ちに気付けましたよね?」

「ああ」

 俺は一言、そう答えた。

「あ~あ、あたしってバカなんだ。あのまま放っとけば、最大のライバルが減ってラッキーだったのになあ」

 涙を溢れだしたまま顔だけこちらを振り替えると、苺ちゃんははにかんで微笑んだ。

「これだから、恋って嫌ですよね。計算しても思ったようにいかないんですから。だって、自分の幸せよりも、好きな人の幸せの方を優先的に考えちゃうんですもん。」

 胸が苦しくなった。苺ちゃんの一言一言が鋭利な刃物のように俺を突き刺さしてくる。

「先輩。あたしのためにも、早くはっきりさせてくださいね。じゃないとあたし、耐え切れなくなって、先輩を襲っちゃうんだから!」

 苺ちゃんはそう言い残し全速力で校門の方へ走って行った。

「はははははははは」

 何だか笑いが込み上げてきた。さっきまであんなに悩んでいたのに、今ではとても清々しい気分だ。

 苺ちゃん、ありがとう。君のためにも、明日、この件に決着をつけるよ。

 俺は心に固くそう誓った。


 次の日の昼休み、俺は体育館へ爽を呼び出した。予想通り体育館には誰もいない。これなら、周りを気にせず爽と腹を割って話せそうだ。

「爽、今日はお前にどうしても話したいことがあってここに来てもらったんだ」

「ああ、言わなくてもわかってるよ。昨日の今日だもんな」

 爽はニヤッと笑って答えた。

「そうか、それなら話が早くて助かる」

「どうせなら、せっかくここにいることだし、ワンオンワンで決めるって言うのはどうだ。さすがに、普通にやったら分が悪いだろうから、ハンデとしてお前は俺から一本でも決めたら勝ちってことでいいぜ」

「ああ、それでいい」

 爽の上から目線の言葉に俺は何も感じなかった。むしろ都合がいいとさえ思った。これまで、幾度も勝負してきが俺は一度も爽にさしで勝ったことはなかった。お互いの実力差は十分すぎるほどわかっている。

 おそらく、爽が本気になったら、この条件ですら勝つ可能性はほとんどないだろう。

 でも、今日だけは絶対に負けられない理由がある。

 俺は睨みつけるように爽の目を見つめた。

「はは、良い目だ。お前のそんな真剣な顔、初めて見たぜ」

 爽も俺を真剣に見つめ返し、

「それじゃあ、時間ももったいないし、さっそくはじめようぜ。制限時間は昼休みのチャイムが鳴り終えるまで」

「ああ、それまでにお前から一本でもとればいいんだな」

「そういうことだ」

 爽は持っていたボールを俺の方へ投げた。

「お前からでいいぜ。このまま試合開始だ」

「じゃあ、遠慮なく行くぜ!」

 俺は気合を入れて、爽へ突っ込んで行った。

 それから数分後、俺は自分の情けなさを痛感していた。

 おかしいな。マンガとかだったら、ここでカッコよくゴールを決めるもんなんだけどな。

 だが、現実は甘くない。開始から間もなくして、俺は爽の華麗なドリブルに翻弄され、気力、体力ともに底を尽きかけていた。

 くそお! ここに来て、最近サボりがちだったのが仇になった。ただでさえ、ありえないほどの実力差があるのに、これじゃあどうしたって勝ち目がない。

「どうした? 昼休みはまだまだたっぷり時間が余ってるぜ! それとも、お前の本当の気持ちってのはこの程度で折れてしまうものなのか?」

「くそ!」

 何とか力を振り絞り、俺は爽へと向かって行った。が、怒りで技術が向上するわけもなく、簡単にカットされてしまった。

 けど、このままじゃ終われないんだよ!

 俺は渾身の力で、爽のボールを奪い行く。しかし、彼のフェイントを利用した目の前で分身するようなドリブルテクニックの前に、あっさりと抜かれてしまった。

 パスッ! 

「これで、二十点だ。どうだ、もう、やめるか?」

「まだまだ!」

 俺は気持ちを奮い立たせるように大声を上げた。どうせ俺には爽のような洗練されたテクニックはない。俺にできるのは、気合で突っ込んでいくことだけだ!

「せんぱ~い! そのまま押し切ってえ!」

 耳を劈くような叫び声が体育館に響き渡った。その一瞬、爽の意識が声のする方へそれた。

 チャンスはここしかない!

 俺は全意識をボールに乗せ、全速力で爽の脇をすり抜けた。

「先輩! いっけ~!」

 シュッ! ゴール下、俺は持っていたボールを全身全霊の力を込めて解き放った。

 ガタンッ! ガタガタガタ! ボールがゴールの上で激しく揺れる。一分一秒が非常に長く感じる。

 ボスンッ! ダムッダムッダムッ! ゴロゴロゴロゴロ!


「あはははははは! さすがだな虹崎! あそこで外すなんてな。ちゃんと部活出て無かったからだぜ」

 俺は人生最大の機会を逃してしまった。

「ははは」

 自嘲の笑みが零れる。

「先輩! すいません。あたしがうるさかったばっかりに、せっかくのシュートが」

 苺ちゃんが残念そうに俯いてしまった。

「むしろ、苺ちゃんのおかげで爽を抜けたようなもんだし。その後、シュートを外したのは俺の実力不足だよ」

 俺は苺ちゃんを慰めるように微笑んだ。

 そうだ。全部俺の責任だ。昨日苺ちゃんを泣かせてしまったのも。自分の本当の気持ちに気付けなかったのも。それに、あいつの気持ちに気付いてやれなかったのも。全て。

 だから、これは俺に対する当然の報いなのかもしれない。

「虹崎」

 茫然と佇む俺の肩に、爽が軽く手を乗せた。

「今日は、楽しかったぜ! さしで抜かれたのなんて何年振り以来だ。お前の気持ち、十分伝わったぜ!」

「爽」

「昼休みが終わるまで、まだ少し時間がある。今俺に見せた意気で、この件に決着つけてこい」

 爽は持ち前の爽やかな笑顔で言った。

「いいのか? お前はそれで」

「昨日ちゃんと言っただろ。俺が告白する前に、何か伝えておきたいことがあったら言っておけって」

「おまえ、最初から……」

 爽は俺の背中を勢い良く叩くと、

「俺はお前と違ってモテるんだ。女の一人や二人お前にくれてやるよ!」

「はっ! 最低のモテ野郎が!」

 ありがとう爽。やっぱりお前、俺が出会った中で最高にかっこいい男だぜ!

「先輩、ファイトです!」

 苺ちゃん。一緒にいても疲れないし。会話も合うし。君は最高の後輩だ。あいつに合わなければ、俺は間違いなく君に惚れていた。

 爽と苺ちゃんに軽く頭を下げ、満面の笑顔を浮かべると、俺はそのまま教室を目指し走った。

「君は、これで良かったの?」

「はい。先輩が幸せになってくれれば、それでいいんです」

 後ろから苺ちゃんの今にも泣きそうな声が聞こえたが、彼女のためにも俺は振り返らずに目的地を目指した。


「早見さん! 話があるんだ。ちょっと一緒に来てくれないか?」

 俺は教室へ着くと、一直線に早見さんの机に駆け寄った。

「虹崎君? どうしたの、そんなに慌てた顔して。私に何か用? 文化祭の話かな?」

「えーと、とりあえず、ここじゃなんだから場所を変えていいかな?」

「うん」

 早見さんは、穏やかな笑顔を浮かべ、黙って俺に着いてきてくれた。急な話だっていうのに、嫌な顔一つせずに。この娘は、本当に性格が良い娘だ。

「ここら辺でいいかな」

 人通りの少ない校舎裏に着くと、俺は真剣な表情で早見さんに声をかけた。

「それで、話って何かな」

 早見さんの優しそうな笑顔を見て、俺の心臓が軽快なリズムを打ち出した。やっぱりこの娘といると、心が安らぐ。

 まるで、幼い頃に母親に抱かれて眠っていたときのような心地よさを感じる。

 自分の押し込めていた思いが暴走してしまったとき、俺は早見さんのおかげで立ち直ることができた。

 あの時、早見さんが俺の気持ちを受け止めてくれなかったら、俺は自分を抑えられずにあいつを傷つけてしまったかもしれない。

「早見さん。今までありがとう。俺は君のおかげで色々と救われたよ」

「え? 急に、改まってどうしたの?」

「俺は早見さんにすげー感謝している。だから、早見さんにはちゃんと言っておきたいと思って」

 早見さんはそこまで聞くと、全てを理解したように大きく目を見開いた。そして、僕から顔をそらすように、地面に視線を移した。

「いままで、適当にしてしまってごめん。俺、早見さんのこと結構いいと思ってた。でも」

 俺はそこで息を大きく吸い込んでから、

「俺、鶫のことが好きなんだ! だから、早見さんの気持ちには答えられない」

 

 絶対にかなわない恋だとわかっていた。

 でも、もしかしたらという淡い気持ちもあった。

 現実は残酷だ。

例え人知を超える能力を得ても、恋の一つもかなえられないのだから。

こんなことなら、悲しみを制御する能力が使えるようになればよかったな。

私は自分の意思とは無関係に、とめどなくあふれる涙を両手で拭いながら、ふとそんなことを思った。


早見真鶸の気持ち

昼休みももう終わりに近づいたころ、虹崎君が突然私に声をかけてきた。最近は文化祭実行委員の関係で昼食を一緒にすることも多かったが、虹崎君が用事があると言ってすぐにどこかへ行ってしまったので、今日は仲の良い友人たちと食事をしていた。

私はすごく動揺してしまった。虹崎君がまるで私に告白でもするのかと思うほど、真剣な眼差しで迫って来たからだ。周りにいた友人たちがひやかしの言葉を口にした。私は緊張で顔中が熱くなるのを感じた。

一方、虹崎君は私の友人たちの好奇の目など全くお構いなしで、私を強引に教室の外へと連れ出した。

緊張と期待で、私の心臓は今にも爆発してしまいそうなほど激しい勢いで脈打っていた。

不安な気持ちが全くなかったわけではないが、このときはまだ淡い期待に心をときめかせていた。

教室を出る間際、三森さんの姿が目に映った。正面に座っている友人に、とても切なそうな苦笑を向けていた。少し罪悪感を覚えた。

虹崎君に連れられている間ずっと、私に告白を進めてくれた籠井先輩に何とお礼をしたらよいのか考えていた。

虹崎君が改まって私にお礼を言ったあたりで、何かおかしいことに気付いた。

もしかしたら、私はとんでもない勘違いをしているのかもしれない。虹崎君の心音は私と全く同じリズムで動いているはずなのに、その顔はとても穏やかだ。私がこんなにも緊張で、胸が苦しいというのに。

虹崎君の一言一言が、重くのしかかってくる。

虹崎君が私にはちゃんと伝えたいことがあると言った瞬間、背筋が凍るような感覚が私を襲った。そして、私は全てを理解した。

虹崎君は私に自分の気持ちを伝えると、勢いよく頭を下げた。

私はそんな虹崎君に、精一杯の笑顔を送った。

「正直に、言ってくれて、あり、がと、う」

 ちゃんと言葉にしたいのに、思うように呂律が回らない。目頭が熱いし、息が苦しい。

 ああ、これが、失恋ってやつなんだ。

 ちぇっ! 魔法なんか使っても、結局何も思い通りになんていかないじゃない!

「それじゃあ、早見さん。俺、まだ用時あるから」

「う、ん。私も、もうちょっと、したら、戻る、から」

 虹崎君が立ち去るのを待ち、私は人目も気にせず声を出して泣いた。

 泣いても、泣いても、涙が止まらない。

 頭が真っ白で、何が悲しいのかさえ分からないのに。

 とりあえず、先輩になんて言って謝ろうかな。

「この娘、本当にあいつのこと好きだったんだねえ」

「やっぱり、せめて、落ち着くまで待ってあげた方が」

「何言ってんのよお、そんなことしてたら、授業、遅れちゃうでしょお! あたし、学校では優等生なのよお」

「はいはい、わかりました」

 突然背後から声が聞こえてきた。このまま振り向くこともできず、声を押し殺して泣くのがやっとだった。

 間もなくして、私の背中に手のひらの感触が伝わってきた。反射的に体をこわばらせた。そこで、私の意識は途絶えた。


 蹴散らせ三角関係 

 携帯電話を取り出して時間を確認した。よしっ、まだ昼休みが終わるまで若干時間が残っている。

たった一言、自分の気持ちを伝えるだけだ。この勢いが、冷めないうちに決着をつける! 

俺は走っている足に力を込め、あらん限りの速さで教室を目指した。

教室に着いても、目的の人物はいなかった。時間が惜しくて、鶫の友人に彼女がどこへ行ったかを尋ねた。鶫の友達は目を丸くして俺を見つめると、ニヤッと口を釣り上げて笑った。そして、何も聞かずに鶫の居場所を教えてくれた。

俺は早速、鶫が向かったという屋上を目指した。どうやら鶫は、少し一人で風に当たりたくなったらしい。もしかしたら、最初に早見さんを呼び出したのが裏目に出てしまったのかもしれない。先程から走りっぱなしで体力も底を尽きかけていた。しかし、意外と全力で走っても、息切れすることはなかった。

それだけ鶫が心配だったのか。いや、違う。これが恋の力なんだ! 

柄にもなく、そんなセリフが頭を過った。

全速力で階段を駆け上がったおかげで、屋上にはすぐに到着した。

ドアの前で一度立ち止まると、俺は深呼吸を繰り返し、息を整えた。そして、決意を固めて屋上への扉を開いた。

そこで、昼休みの終わりを告げる鐘の音が響いた。

間もなくして、屋上には俺と鶫だけが残った。チャイムが鳴ったというのに、鶫は焦ることなく屋上のフェンスに手を当て遠くの景色を見つめていた。

「鶫」

 俺は一人黄昏る鶫の背中に声をかけた。

 声をかけられ、ようやく俺に気付いたらしく、鶫はゆっくりとこちらに振りかえった。

 先程まで泣いていたのか、鶫は虚ろな目に涙を浮かべていた。

 俺のせいだ。俺がはっきりしなかったせいで鶫を、自分の本当に愛する人をこんなにも傷つけてしまった。

「えっ?」

 鶫は俺の顔を見ると、はっとしたように右腕で涙をぬぐった。

「ちょっとお、何で? 何であんたがここにいるのよ?」

 驚いた表情で鶫は俺を見て叫んだ。 

「お前に、ちょっと話があって。お前の友達に聞いたら、ここだって教えてくれた」

 鶫の涙でぬれた瞳を俺は真剣な表情で見つめて言った。そして、意を決して鶫に告白しようとした瞬間、

「言わないで!」

 涙目で俺を睨むようにして、鶫は大声で怒鳴った。そして、精一杯の笑顔を浮かべると、

「言わなくても、もう、わかってるから」 

 声を漏らすようにそう言うと、鶫は悲しげに項垂れた。

 もしかして、先程俺が慌てて早見さんと教室を出て行ったのを見て、俺が早見さんと付き合うことにしたと、鶫は勘違いしているのかもしれない。

 だとしたら、

「鶫、俺の話を聞いてくれ」

「だから、聞かなくてもわかってるって。早見さんに、告白してきたんでしょ?」

 どうやら、嫌な予感が的中したようだ。

「あたしさあ、あんたたちって、結構お似合いだと思うよ」

 えっ?

「最初はさ、勉強ができる早見さんと、劣等生のあんたとじゃ全然釣り合わないって思ってた。けど、文化祭実行委員の仕事を通して、二人ともすごく仲良くなったじゃない? それ見ててさ、意外とこの二人って相性良いんじゃないって思ったよ。今だから言うけどさ、あたし、あんたたち見て結構嫉妬してたんだ」

 そこで、また、鶫は泣きそうな顔で無理やり笑顔を作った。そんな鶫の表情を和らげてあげたいのに、うまく言葉が出てこない。

「早見さんって、かわいいよね。痩せてるのに、あたしと違って胸も大きいし。それに、優等生だし、授業中よく先生に褒められてるし」

 何だろう、鶫の言葉を聞いているうちに、何故だか無性に胸騒ぎがしてきた。このまま鶫にしゃべらせちゃ駄目だ。

「あたしなんて、全然かなわないや」

 鶫はにっこり微笑むと、

「あたし、中学の時から、ずっとあんたが好きだった」

 鶫の言葉が止まらない。そして、俺にはどうすることもできない。

「でも、もうさ、大丈夫だから。もう、あたし、あんたたちの邪魔しに行ったりしないから。なるべく声もかけないようにも努力する。あたし、あんたたちのこと全力で応援するよ!」

 鶫はそう言って俺の方へ詰め寄ってくると、

「だからさ、あたしのためにもあんた、絶対早見さんのこと幸せにしなよ。約束だからね!」

 鶫は俺の背後に回り込み、大きな音を立てて俺の背中を叩くと、そのまま屋上の出口へと走って行った。

「それじゃあ、あたし、先に教室戻ってるから。一緒に戻ると早見さんに悪いから、あんたはゆっくり戻ってきなさい。どうせ、授業なんていつも聞いてないでしょ」

 屋上のドアノブに手を当てたところで、鶫は一瞬立ち止まると、俺の方には振り返らずにそのままそう言うと、

「後さ、これからあたし極力あんたに近づかないように頑張るけどさ、もし、何か話しかけるような機会があったら、そのときはまたさ、いつも通り接してよ。それくらい、いいでしょ」

 鶫は後ろ向きのまま、俺に軽く手を振ると、逃げるように階段を駆け下りていった。

 心にぽっかりと穴が開いたような虚しさが俺を襲った。鶫が爽のことを好きかもしれないと思ったときの焦燥感に少し似ているが、今回はその比じゃない。息が詰まるように苦しくて、まともに思考することもできない。

俺は心臓を握りつぶす勢いで自分の胸を掴むと、苦しみに耐えきれずに地面に崩れ落ちた。

結局、最後まで俺は鶫に何も言えなかった。

自業自得だ。鶫と一緒にいるのがあまりにも楽しくて、それが当たり前のものだと思っていた。そのせいで、俺はずっと、鶫の気持ちに、それに俺の本当の気持ちに気付けなかった。

そして、それを知ったときには、もう全てが遅かった。

ああ、このまま消えてしまえれば、どんなに楽だろう。そう思った瞬間、耳元に誰かの靴音が響いてきた。

「また、そんなところに座り込んじゃってぇ。風邪ひいちゃいますって、言ったじゃないですか」


 恋花レポート

 文化祭当日、私は午前中の店番にあたったため、早朝から登校していた。教室では、私より早く来ていた文化祭実行委員の虹崎君と早見さんが細かな準備をしていた。

「おはよう。遅れてごめんなさい。私は何をすればいいかしら?」

「あ、おはよう桃色さん。あ、桃色さんは別に遅れてないよ。私たち、実行委員だから早めに来てただけだから」

「文化祭実行委員も大変ね」

「そんなことないよお、虹崎君も手伝ってくれてるし。それより桃色さんこそ、図書委員会の仕事もあるのに、こんなに早く来てもらってごめんね」

「そんなに気にしなくていいわ。私もクラスメイトなんだし。それに、図書館主催のイベントは午後からだから」

 私はそう言って早見さんに微笑んだ。早見さんは少し申し訳なさそうな表情をした後、笑顔で一言、私にお礼を言った。

 私のクラスは古着専門のリサイクルショップに決まっていた。そのため、クラスのみんなはいらない服を持ってくるのには快く協力してくれていた。

 一方、当日の店番については、ほとんどの人が嫌そうな顔をした。

 私は、早見さんに対して若干の負い目がある。そのため、ホームルームで文化祭当日の店番の話が難航した際に、私は自ら立候補したのだ。

「あ、どうも、桃色さん」

「おはよう、虹崎君」

 隅っこの方で商品の細かいチェックをしていた虹崎君が挨拶してきたので、私も挨拶を返した。

「大体準備は終わったから、桃色さんは文化祭が始まる時間まで休んでていいよ」

 私にそう言うと、虹崎君は早見さんの方を向き、

「それじゃあ、早見さん。そろそろ、実行委員の集まりの方に行こうか」

「うん、そうだね。虹崎君、今日もよろしくね」

 早見さんは虹崎君に穏やかな笑顔を向けた。

「あ、ああ」

 虹崎君は一瞬戸惑ったような顔をしたが、すぐに何事もなかったように早見さんに微笑み返した。

 虹崎君と早見さんが私に軽く頭を下げ、この場から立ち去ろうとしたところで、勢いよく教室のドアが開かれた。

「おっはよ~う!」

 三森さんが満面の笑顔で教室に入ってきた。朝からこんなにハイテンションなんて、低血圧の私から見るとすごく羨ましい。

「あ、おはよう三森さん」

「おはよう」

「おお鶫、お前、朝っぱらから元気だな」

 早見さん、私、虹崎君の順で三森さんに挨拶を返した。

「あたし、元気だけが取り柄だからさ。失恋とかしてもすぐに立ち直れちゃうのが、私の唯一の自慢なんだよね」

 三森さんは楽しそうに笑いながら言った。冗談になってないと思った。虹崎君の方を見ると、バツが悪そうに苦笑いを浮かべていた。

 そんな虹崎君の気持ちを知ってか知らずか、三森さんは声を上げて豪快に笑っていた。

「あんたたち、これから実行委員の仕事でしょ? 後は私と桃色さんでやっておくから、ここは任せてもう行っていいよ」

「ああ、わかった。一通り仕事が終わったらすぐに戻って来るよ」

「それじゃあ、三森さん、桃色さん。後はよろしくお願いします」

「いいって。こっちは任せておいて大丈夫だから、あんたたちはそのまま楽しんできなさい」

 虹崎君たちを見送るように三森さんは手をひらひら振って言った。三森さんの言葉に対し虹崎君は少し困った顔をしていたが、早見さんは、

「それじゃあお言葉に甘えて、私も文化祭楽しんじゃおっかな」

 と、楽しそうに答えた。

 早見さんの笑顔に、一瞬、三森さんは少し頬を引き攣らせたが、一生懸命笑顔を崩さないようにしていた。

 虹崎君たちが教室を出て言った後、三森さんはしばらく茫然としていた。それから、大きくため息を吐くと、はっとしたように頭を横にぶるぶると振るって気持ちを切り替えていた。

「それじゃあ、あたしがお客の案内するから、桃色さんはレジの方、お願いね」

「わかったわ。今日はよろしく」

「うん。こちらこそ」

 三森さんは気持ちを入れ替えたらしく、私に元気のよい笑顔を見せてくれた。

 三森さんはアパレル関係のアルバイトをしていた経験があるらしい。そのため、私と違ってただの店番じゃなく、お客さんに服の良さを説明する係になっていた。他に、三森さんみたいな人がいないため、彼女はこの文化祭の期間中ずっと、教室で接客することになっている。

「今日、お客さんたくさん来るといいね」

「ええ、そうね」

 せっかく三森さんが話しかけてくれたのに、彼女とあまり話したことがないため私は緊張して思うような言葉を返せなかった。

 そんな私に対し、三森さんは全く気にしていないように、こちらを見て晴れやかな笑顔を浮かべると、

「桃色さんさ、前にあたしにさ、恋のアドバイスしてくれたよね?」

「えっ…………そうだったかしら?」

 しまった! すっかり忘れていたが、そんなこともあった。

「あたしさ、フラれちゃったんだ」

 ううう! 春咲さんのバカー! 全部あんたのせいよ! ああ、今すぐここからいなくなりたい。

「でもさ、あたし、桃色さんにすごく感謝してるんだ」

 三森さんはニッコリと微笑むと、

「ほんと、桃色さんの言うとおりだね。告白したおかげで、あたし、前に進むことができた。失恋はちょっと痛かったけど、でも、何だかモヤモヤした気分から解放されて、すっきりした気分になったんだ」

 三森さんはえへっと舌を出した。私は平然と微笑み返したが、すごい罪悪感で一杯だった。

 いっそのこと、三森さんに私の知っていることを全部話してしまいたい気分だ。でも、それはやめておこう。

 もう、この件は終わったのだ。

 春咲さんが、全てが終わった後言っていた。

 吊り橋効果よりも、真実の愛よりも、結局、恋はタイミングだと。

 あの後私は早見さんの記憶を一部消去した。魔法の存在に関する部分だ。その過程で虹崎君に対する早見さんの気持ちも消去した。だから、早見さんだけはこの件について何も覚えていない。

 でも、虹崎君と三森さんは全てを覚えている。私はあの後すぐに、二人の記憶も消してあげたいと春咲さんに迫った。しかし、春咲さんは別にいらないと言った。それどころか、冬桜さんまで、二人の記憶はそのままの方がいいと思うと言っていた。

 今になって考えると、確かにこれで良かったのかもしれない。

 三森さんの表情はとても儚げだが、それでも、こんなにも強く輝いているのだから。

 人は、こうやって大人になって行くのかもしれない。三森さんの顔を見つめていた私は、ふとそんなことを思った。


 古着店はすごく繁盛していた。うちのクラスがファッションにうるさい人が多くて、結構良い服が集まったおかげもあるが、それ以上に三森さんの接客がうまかったおかげだろう。

 三森さんは、お客さんの表情を窺って、その人に合わせた対応をしていた。じっくり見ている人は笑顔で静観し、どれにしようか悩んでいる人にはさり気なく話しかけるといった感じだ。さすが、専門の店でバイトしていただけのことはある。

 さらに、三森さんはとても友好的で会話もうまいため、来店したお客さんたちのほとんどが、商品を買って行ってくれた。

 そして、来店してくれたお客さんが他の人に広めてくれるため、私たちのクラスには、客足が後を絶たなかった。

 これもすべて三森さんのおかげである。

 十二時を回り、私の持ち時間が終わりに近づいたころ、春咲さんがやって来た。

「へ~、結構お客さん入ってるねえ」

 服を買いに来た人たちで賑わっている店内を見渡して、春咲さんは驚いた顔をした。

「まあ、ね。そっちはどう?」

「うん、こっちも順調だよお。一週間前から予約とってたんだけどぉ、すごい人数が集まっちゃって、捌くのが大変だったよお」

 春咲さんは無邪気そうな笑みで答えた。今は周りに大勢人がいるので、ぶりっ娘モードである。春先さんは部活で文化祭に参加しており、出し物は合コン喫茶らしい。恋愛研究部ということで、それにしたのだとか。虹崎君と初めて接触したときに、早見さんと三人で決めたアイディアだ。そのまま生徒会に出したら、難なく一発で通ったそうだ。

「それで、忙しいところ、わざわざ何しに来たの?」

「ひどぉい! あたしたち親友でしょお? 休憩貰ったからぁ、一緒に文化祭まわろうと思って誘いに来たのにい」

 春咲さんは悲しげな表情で口をすぼめた。

「あ、桃色さん、そろそろ交代の時間でしょ? 先に休んでていいよ」

 私たちの会話を聞いていた三森さんが気を使ってくれた。

「でも、悪いわ」

 ただでさえ、三森さんは接客で忙しいのに。これ以上負担はかけられない。

「よかったらあ、あたしも手伝おっかあ? もうすぐ交代の人が来てくれるんでしょお?」

「え、マジで? 春咲さんが手伝ってくれれば、売り上げがさらに上がりそう。もしよかったら、お願いするよ」

 春咲さんの提案に三森さんが大賛成した。

「アハハ、そんなあ。あたしなんかいても期待されるほど役に立たないよお」

 そんなこと思ってないくせに。

「またまたあ、謙遜しちゃってえ。あと三十分以内には次の人たちが来るから、それまでよろしくお願いするよ。桃色さんも、それでいいよね?」

「ええ、まあ」

 こうして、春咲さんは交代の人が来るまで手伝ってくれた。春咲さんのおかげで、男子の来客数が極端に増えたせいで、先程までよりさらに忙しくなったのは言うまでもないことだ。

 それから、やっとのことで店番が終わると、私は春咲さんに自販機のある休憩スペースまで連れてこられた。

「あ~あ、あんたのせいで余計な汗かいちゃったじゃない」

 春咲さんは不満そうな顔で周りの生徒に聞こえない声で呟いた。

「それだったら、別に、手伝ってくれなくてもよかったでしょ」

「あたしにも体裁ってものがあるのよ。あそこで、そのままあんたの持ち時間が終わるまで黙って見てたり、無理やり連れてったりしてみなさい。あたしの評価が下がっちゃうでしょお」

 いつも猫をかぶっている春咲さんだが、それなりの苦労はしているようだ。

「それで、用事っていうのは何なの?」

「ああ、それ。それは……」

 私の顔を覗き込むように見つめると、春咲さんはニヤッと愉快そうな笑みを浮かべた。

「ご褒美よ」

 そう言って、春咲さんは私の後方へ手を振った。気になって後ろを振り返った私は、そのまま目を丸くして固まってしまった。

「あ、春咲さん、急に呼び出して用事って?」

「ルート君も今休憩時間でしょ? 倉戸君と高崎君が二人とも今、合コン喫茶の進行役やってるから、ルート君暇してると思ってえ」 

「え、まあ、うん」

 ルートは春咲さんではなく、私の方を見て答えた。ルートも私に気付くと、そのまま目を見開いて固まってしまったのだ。

「フフフ、それじゃあ、あたし、ゆすらちゃんと約束してるからもう行くねえ。それじゃあ、二人とも文化祭楽しんでねえ」

 春咲さんはそう言うとすたすたと早足で去って行った。去り際に私の耳元で『後でゆすらと交代だから、出し抜かれないようにせいぜいがんばりなさい』とニヤニヤしながら囁いて行った。あの娘、完全に私と冬桜さんで楽しんでやがるな。でも、今回ばかりは癪だけど感謝するわ。ルートと一緒に文化祭を回れるなんて夢にも思わなかった。

 一つ言いたいのが、どうせなら、明日にしてくれれば良かったのに。後一時間くらいしたら図書館に行かないといけないじゃない。

「えっ、ちょっと、春咲さん?」

ルートが我に返ったときには、春咲さんの背中は遥か先まで遠のいていた。

「どうしよっか?」

 春咲さんの後姿が見えなくなってからしばらくして、ルートは私に苦笑しながら訪ねてきた。

「そうね。とりあえず、空いてるベンチにでも座って考えましょ」

 緊張を抑えつつ、私は近くにあった誰もいないベンチを指差して答えた。ちょっと笑顔が引き攣っていたかもしれないが、それは、まあ、しょうがないということで。

「ああ、じゃあ、何か飲みながら考えよっか。えーと……」

 そう言って、ルートは目線を上にして一瞬何やら考え込んだ後、

「桃色さん。何か飲む?」

 ああ、そっか。ルートは私を何て呼ぶか迷ったのね。どうしよう。私はなんて呼ぼうかしら。普通にルートでいいのかな? それとも、昔一緒に遊んでた頃みたいに、ルー君って呼んじゃおうかしら。

 いやいや、ないない。はあ、今はあの頃と違ってずいぶん疎遠になっちゃてるからな。まあ、ルートに合わせて、私も名字で呼ぶのがいいのかな。でも、幼馴染としては、何かそれは癪だしな。

「えーと、桃色さん?」

 気付くと、ルートが自販機の前で気まずそうな顔で私を見つめていた。

 しまったあ! 何か飲むか聞かれてたじゃないの! 何やってるのよ、私!

「あ、じゃあ、緑茶で」

「お茶ね。わかった。あ、このメーカーでいいの?」

「え、ええ、どれでもいいわ」

 ルートは自販機にお金を入れると、緑茶のボタンを押してから、レモン味の炭酸飲料水を購入した。

 ルートから、お茶のペットボトルを受け取ると、私たちは空いているベンチに腰かけた。

 私たちは、お互い会話の切っ掛けがつかめずに、黙々とジュースに口をつけた。私は何度か何かしゃべろうとルートを窺ったが、その度に目が合ってしまい恥ずかしくなって顔をそらしてしまった。そのせいで、ルートもバツが悪そうな顔をし、私に話しかけづらそうにしていた。 

ほんと、何やってるのよ、私!

 ああ、ただでさえあまり時間がないというのに、このままだと、どこにも回れないまま時間が過ぎてしまうかもしれない。

 それどころか、ルートが気まずくなってしまい、どこかに行ってしまったらどうしよう。

 そう思って、必死に頭を回転させていると、遠くから聞き覚えのある声が響いてきた。

「えーと、苺ちゃん。俺、そろそろ教室戻んないといけないんだけど」

「何言ってるんですか! あたし、好葉たちとの約束を蹴ってまで、ずっと先輩のこと待ってたんですよ。それに、早見先輩もゆっくりしてきていいって言ってたじゃないですかあ!」

「いや、でもなあ。俺、一応文化祭実行委員だしさ。それに、苺ちゃんとは明日、一緒に回ろうって約束だったじゃないか」

「先輩、全然わかってないですね! 女の娘はいつも好きな人と一緒にいたいものなんです。さっきまで、好葉とアイサと三人で色々見て回ってましたけど、その間ずっと、先輩のこと考えてたんですから」

「そんな、無茶苦茶な」

 声のする方を見ると、予想通り、虹崎君とその彼女だった。それにしても、付き合ったばかりとはいえ、見事なバカップルぶりだ。うらやましいことこの上ない。

 隣にいるルートの顔をチラッと覗くと、ルートも苦笑いを浮かべながら虹崎君たちの方を見つめていた。

「桃色さんに、恋研の部長? 二人って付き合ってたの?」

「あれ、空深先輩じゃないですか。もしかして、先輩たちもデートですか?」

 こちらに気付いた虹崎君とその彼女が、そろって声をかけてきた。虹崎君の言葉にかなり動揺し、私は耳元まで顔を熱くして俯いた。

 ルートはというと、真っ赤な顔で一瞬私の顔を窺ってから、

「いやいや、僕たちそういうのじゃないから。さっきまで春咲さんも一緒だったんだけど、今ちょっとどっか行ってるだけだから」

 と大きく両手を左右に振り、焦った声で否定した。

 もう、そんなにむきになって否定しなくてもいいじゃない!

「そうか、悪いな、ひやかすようなこと言って」

「いいよ、気にしなくて。それより二人とも幸せそうで何よりだよ」

「ああ、これも、お前たち恋研のおかげだよ。本当に感謝している」

 虹崎君はルートに深々と頭を下げた。

「あのとき、あたしが先輩のところに駆けつけることができたのは空深先輩のおかげなんですよ」

 虹崎君の彼女は彼の方を見て嬉しそうな笑みを浮かべて言った。

「あのとき苺ちゃんがいなかったら、こうやって立ち直ることができなかったかもしれない。本当にありがとう」

「気にしなくていいよ。僕たちは頼まれた依頼を全うしただけだから」

 そう言って、ルートは虹崎君たちを祝福するような笑みを浮かべた。虹崎君たちは私たちにもう一度、頭を軽く下げると、二人仲良く立ち去って行った。

「春咲さんに聞いたんだけど、恋愛研究部、また成果を上げたんだって?」

 私は全てを知っていたが、会話にちょうど良いと思い、ルートに尋ねた。

「ははは、まあ、ね。でも、大体が好葉ちゃんや春咲さんたちのおかげだけどね」

 ルートは恥ずかしそうな笑みを浮かべて答えた。

「でも、春咲さんの話だと、一番おいしいところはルー……空深君が決めたとか」

「はは、それもたまたまなんだけどね」

 ルートは自嘲気味に軽く笑うと、虹崎君とその彼女が付き合う切っ掛けとなったときのことについて、私に語り始めた。



 虹崎君が三森さんに告白しようとしたとき、僕は屋上のドアの陰からこっそり彼らを覗いていた。春咲さんから虹崎君が動いたという知らせを聞き、恋愛研究部部長として、事の成り行きを見守っていたのだ。おそらく春咲さんは、虹崎君と同じクラスの恋花ちゃんに聞いたのだろう。

 自分は用事があるので後は僕に任せると言って春咲さんはどこかへ行ってしまったため、僕は一人で虹崎君の後を追っていた。

 授業に遅れたことを、先生にどうやって説明しようか悩んでいるところで、事態は急変した。

 三森さんが、虹崎君にフラれたのだと勘違いして、自分から虹崎君を突き放してしまったのだ。

 一通り言いたいことを言い終えた三森さんは眼に涙を溢れさせて、僕のいる屋上の出入り口へ駆け寄ってきた。

 慌てて僕は階段を駆け下り、廊下の隅に身をひそめた。しばらくして、三森さんが嗚咽を漏らしながら、すごい勢いで階段を下って行った。

 見ていて、少々かわいそうに感じた。これが、恋の終わりというやつなのだろうか。

 虹崎君の様子を確かめに、僕は屋上へと戻った。ドアの隙間から彼の哀愁漂う後姿が見えた。ここからではわからないが、おそらくその表情は切なさに満ち溢れているだろう。

 お互い好きあっていたのに、些細なすれ違いの末に終わってしまった恋。彼は今どんな思いに浸っているのだろうか。

 きっと、何もできなかった自分を苛み、後悔していることだろう。

 自分が同じような立場になったとき、どうすれば救われるだろう。僕はふとそんなことを思った。

 そして、閃いた。こんなときこそ、自分を元気づけてくれる存在が必要なんじゃないのか。誰よりも自分を愛してくれて、ありのままの自分を受け止めてくれる人が。

 気が付くと、僕はある場所を目指して全速力で階段を駆け下りていた。授業中で廊下に人がいなかったため、目的の場所へはすぐにたどり着いた。

 僕は大きく深呼吸をして覚悟を固めると、目の前の教室のドアを開け放った。

 一瞬の沈黙。先生や生徒たちがこぞって僕の方を見ている。

「えっ、先輩? どうしたんですかいきなり」

 好葉ちゃんの声が、静寂を打ち破った。その途端、教室中が騒然とした。しかし、僕の目は脇目も振らず一方向だけを見つめていた。

 教室に入る前に座席を確認していた、金髪の女の娘。僕はその娘の前に立つと、彼女の目を真剣に見つめた。眼前の女子は何が起こったのかわからないというように目を白黒させている。

「木苺さん。虹崎君が大変なんだ。一緒に来てくれないかな?」

 虹崎君の名前を聞いた途端、彼女の目に光が灯った。そして、力強い眼差しで僕を見つめ返すと、黙って首を縦に振った。

「おい、ちょっと君たち、どこへ行くんだ!」

 我に返ったように、怒鳴り声を上げる教員を無視して、僕は木苺さんを引きつれて再度屋上を目指した。


 僕が屋上に戻ってきたときも、まだ同じ場所で虹崎君は両手を地面にあて項垂れていた。

 そんな虹崎君を見た木苺さんは、躊躇ことなく一直線に彼に駆け寄って行った。

「また、そんなところに座り込んじゃってぇ。風邪ひいちゃいますって、言ったじゃないですか」

 母親のような慈愛に満ちた声で、木苺さんは虹崎君に声をかけた。虹崎君は虚ろな眼差しで彼女の方を振り向いた。

「先輩、泣いてるんですか?」

 僕のいる場所からはよく見えないが、どうやら虹崎君は泣いていたようだ。まあ、それは当然か。

「苺ちゃん? どうして、ここに?」

 右手で涙をぬぐうように顔をこすりながら、虹崎君は木苺さんの方へ視線を向けた。

「フフフ、先輩の悲しみを女の勘で感知したんですよ」

 そう言って、木苺さんはとても穏やかな笑顔を浮かべた。虹崎君は眼をぱちぱちさせながら茫然と木苺さんを見つめ返した。

 そんな虹崎君を見て木苺さんはクスッと微笑むと、大きく膨らんだ彼女の胸に彼の顔を抱きよせた。

「先輩、かわいい!」

 木苺さんは目を細めて無邪気な声を上げると、虹崎君を抱える両腕にギュッと力を込めた。虹崎君は恥ずかしそうに、身悶えている。なんだか見ているこっちが恥ずかしくなった。この場に倉戸がいたら、羨ましいと言って喚いていただろう。

「苺ちゃん。ちょっと、何してんの!」

 虹崎君は無理やり木苺さんを引きはがすと、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして呼吸を整えた。そんな虹崎君の顔を、木苺さんは優しく包み込むような瞳で見つめると、

「良かった。先輩、少し元気になった」

「えっ?」

「悲しんだ顔してる先輩もかわいくて好きですけど、やっぱりあたしは先輩にはかっこよく笑っていてほしいです」

 木苺さんがはにかむように微笑むと、虹崎君は耳元まで顔を赤くして、彼女からサッと目をそらした。

「先輩。先輩に何があったか知らないけど、泣きたいときは泣いてもいいんですよ。あたしは先輩が好きです。先輩が悲しいときはいつだって傍にいますから。だから、今はあたしの胸で泣いていいんです」

 木苺さんは胸元を大きく開けるように手を広げると、今度はゆっくりと受け止めるように虹崎君を抱きしめた。

 虹崎君は今度は抵抗することなく、自分から吸い込まれるように木苺さんに身をゆだねた。

「先輩。一通り泣いたら、また、あたしにかっこいいとこ見せてください」

 木苺さんのその言葉をきっかけに、虹崎君は子供のように大声を上げて泣き出した。木苺さんは赤子を抱きしめる母親のように、彼が泣き止むまでずっと抱きしめていた。

「イチゴちゃん、うまくやったみたいですね」

 気が付くと僕の後ろで、好葉ちゃんが嬉しそうな笑顔を浮かべて立っていた。

「いきなり、先輩がイチゴちゃん連れてっちゃうから、びっくりしちゃったじゃないですか」

 セリフとは裏腹に、好葉ちゃんは僕の行動を褒めるような表情でこちらを見つめていた。

「先生、かんかんに怒ってましたよ」

 そう言えば、僕、授業中無理やり木苺さんを連れ出したんだっけ。

「先輩、そんな顔青くしなくても大丈夫ですよ」

 好葉ちゃんはニコッと明るく微笑むと、

「私も、一緒に怒られてあげますから」

 やっぱり怒られるのは決定だよね。

「そう言えば先輩。例の生徒会役員、籠井小鷺さんなんですけど。春咲先輩に籠井先輩の関与を示す写真を見せてもらった後、すぐに私の方で籠井先輩を調べようとしたんですが」

 好葉ちゃんはそこでいったん言葉を切ると、僕の表情を窺った。

「もしかして、また?」

「はい、大学病院の精神科に運ばれたそうです」

 僕は息をのんだ。やはりそうか。今まで僕たちは何度か生徒会とやりあってきたが、僕たちに敗れたと思われる生徒会役員は皆一様に放心状態となって病院に運ばれているのだ。

「もしかして、目的を果たせなかった役員は生徒会長に制裁を受けたりするのかな?」

 僕の言葉に、好葉ちゃんは顎に手をあて少し考えるような素振りをした後、

「その可能性は、否定できません。けど、早見先輩が虹崎先輩にフラれたのは、つい先程の話ですよね? でも、私が本格的に調査に入ろうとしたのは昨日のことです。そう考えると、生徒会の幹部たちに籠井先輩が制裁を受けた可能性は低いと思われます」

「そうなると、まさか、僕たちの他にも生徒会と対立している奴らがいるとか?」

「その可能性は十分高いと思います。生徒会がどうやって、対象の男子生徒を生気のない操り人形のようにしているかわかりませんが、症状が似ていることから、おそらくその人達は生徒会と同じような方法で、生徒会役員を病院送りにしている可能性がありますね」

 男子生徒を魂のない下僕にする生徒会と、その役員をうつ病に追い込む連中か。何とも滑稽な話だ。

「いずれにしても、このまま放っとくわけにはいかないよね。そんな奴らと生徒会がやりあっているとしたら、そのうち学園中の生徒が全員病院送りになっちゃうよ」

「さすが先輩。その通りですね。頼りにしてます」

 そう言って、好葉ちゃんは満面の笑みを浮かべた。

 まあ、僕はあまり役にたってない気がするけど。でも、まともな生徒の中で僕たちしかこの一連の事件を止められないのだとしたら、少し面倒だがこれからも全力で生徒会と戦っていくしかない。

 僕は好葉ちゃんに微笑み返すと、決意を新たに生徒会に立ち向かうことを決めたのだった。


「その後、好葉ちゃんの学担に呼び出されて、かなり絞られてさ。反省文まで書かされて、ほんと大変だったよ」

 文化祭一日目の正午、僕は春咲さんに呼び出されたのだが、何故か今、幼馴染の恋花ちゃんと二人っきりでジュースを飲んでいる。

「そうなんだ。ウフフ、それは大変だったのね」

 さっきまで、お互いぎこちない感じだったが、虹崎君たちの話が思いのほか恋花ちゃんの興味を引いてくれたため、今はそれなりに会話が弾んでいた。

「そういえば、恋花ちゃんは何で春咲さんと仲良くなったの? 一年のとき同じクラスだったときはあまり話してなかったよね?」

 一通り虹崎君の話が終わったので、僕は前から気になっていたことを恋花ちゃんに尋ねた。一方、恋花ちゃんは顔をリンゴのように真っ赤に染め、瞳を大きく見開き、驚いた表情で僕を見つめていた。

 あれ? 僕、何かおかしいこと、聞いたっけ?

「こい……か……ちゃん?」

 恋花ちゃんは真剣な表情で僕を見つめると、震えるような声で呟いた。

 しまった! つい、昔のくせで、ちゃん付けで呼んでしまった! それも下の名前で。

「ごめん、つい……」

「いいの! それで、いい」

 僕が恥ずかしそうに謝ると、恋花ちゃんは叫ぶように僕の言葉を肯定した。何だろう、顔が熱くなってきた。

「わ、私も、ルート君って、呼んでいい?」

 恋花ちゃんは心臓のあたりを両手で押さえながら、上目づかいで僕を見た。緊張で思うように口が動かず、僕は黙って首を縦に振って応えた。

 うわ、すっげーかわいいかも! どうしよう、ドキドキしすぎて頭が真っ白になってきた。視界から背景が消え去り、僕の目は恋花ちゃんだけを映す。恋花ちゃんも、一心不乱に僕を潤った瞳で見つめ返す。二人だけの時間が流れる。

「はいは~い、そこまでえ」

 急に耳元で声をかけられ、僕は我に返った。声のした方を見ると、春咲さんが僕たちを怪訝そうに見つめていた。

「ちょっと、何よ、いきなり!」

 恋花ちゃんは春咲さんを睨むと、怒鳴るように言った。

「ちょっとお、そんなこと言っていいのお? せっかく、そろそろ時間だって教えに来てあげたのにい」

 春咲さんの言葉を聞いて、恋花ちゃんは慌てて左手に付けている腕時計を確認した。

「うそ! もうこんな時間なの?」

「ほら、仕事をさぼるような娘は、男子にモテないぞお!」

「く~、まだ、どこにも回ってないのに~!」

 恋花ちゃんは、名残惜しそうな目で僕を見つめると、今にも泣きそうな表情で走り去って行った。

「で、ルート君。早速なんだけどさあ、好葉ちゃんが気付いたんだけどお、あたしたちの合コン喫茶に生徒会役員が絡んできてるみたいなんだよねえ」

「えっ? マジで?」

「うん」

 僕の問いに春咲さんはニッコリと答えた。

「それじゃあ、ルート君。また、新しい仕事よ!」

 僕の手を取ると、春咲さんは合コン喫茶の会場を目指して走り出した。

 本当に、僕たちには暇がないんだな。恋花ちゃんが名残惜しそうにしてたし、後で改めて誘おうと思ってたんだけどな。どうやらそんな暇はなさそうだ。

くそ、こうなったら、さっさと生徒会の陰謀を突き止めて、一日でも早く黒幕を警察に突き出してやる! 

春咲さんの手の温もりを感じながら、僕は固く心に誓ったのだった。

どうもありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ