斜陽の煩悩
放課後。
夕日の差し込む教室の中、二人の男女が静止していた。
男は上半身裸。女は下の下着をつけていなかった。いわゆるノーパンというやつだ。
彼らはお互いに離れていた。男は窓際に、女はまさに今教室に入ろうとしているところだった。だから厳密にはこの情景を教室の中と限定するのは正しくない。中とちょっと外、と表現すべきであろう。
……なんだ、これ。
私の頭の中にはいつか授業で聞いた羅生門の朗読の良い声が響いていた。その声が冷静すぎて私は余計に混乱する。
なぜあいつがこんな時間に教室で着替えているのだろう。
人はあまりにも想定外の事態に直面すると唖然とするという。私もその例に漏れなかった。ただ、スカートを手で押さえるという行動がオマケでついてきた。これは本能というやつだと思う。
本能といえば、今私はあいつの体を凝視してしまっている。これは本能なのだろうか。本能ということにしたい。じゃなければ不潔だと思われても文句は言えない。
まったく、いつの間にそんな逞しくなったんだ。私が最後に見たときはヒョロヒョロのもやしみたいな体だったのに。
彼の体は美しかった。例えるなら……美術室の彫刻? やだ、あれってちんちんまで彫ってあるのあるんだよね。
……違う、違う! 考えてない! 私は何も考えてない!
「なんだよ」
はっと彼の顔に視線をずらすと、気まずそうな顔でこっちを見ていた。顔が赤く見えるのは夕日のせいだろうか。
「なっ、あっ……」
金魚が飯を食う時のように口をぱくぱくさせる。まともな言葉が何も出てこなかった。
「どうしたんだよ」
そう言いながら彼は私の方に近づいてくる。上半身裸のまま。
歩いてくる。歩いてくる。美術室の彫刻が歩いてくる。ちんちんが歩いてくる。
「くっ、こっ、来ないで! こっちに来ないで!」
「なに? なんで?」
なおも歩み続ける彼。もうすぐそこに迫っている。
逃げてしまおうか。だがそれはあまりにも不自然だ。それに私は今ノーパン。走ったらとんでもないところを彼に見られてしまうかもしれない。
そんなふうに逡巡しているうちに彼は目の前まで来てしまった。
「どうかしたか?」
ぎゅっ、とスカートの裾を握る手に力を込める。
なぜだろう。とてつもなくふしだらな事をしているような気分。
上半身裸の好きな人を前に、ノーパン。どうしよう。私って性欲強いほうなのかな。これじゃ露出狂と大して変わらない。
「……トイレにでも行きたいのか?」
そんな私の異変を彼が察知して言葉にする。私は必死に首を横に振る。
と、突然彼は私の命綱とも言える右腕を握った。
「っヅァ!?」
象に踏まれたような声が出る。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。暑い。恥ずかしい。見られたらどうしよう。怖い。
うわ、腕すごくがっしりしてる。抱きしめられたら壊れてしまいそう。
なんだか頭がぼんやりしてきた。
「これ、どうした」
そう言って彼が示したのは、右腕のただれた火傷のような痕だった。
「それ、化学の実験のときのフッ化水素の痕」
「バカ、なんで気をつけないんだ。痕が残ったら大変だろ」
彼はそう言って私を抱きしめた。硬い胸板が私の乳房を押し広げる。
その感覚に、顔が熱を持ちすぎて破裂するんじゃないかと思った。
「俺と結婚するんだから」
「何、言って」
「好きだ。付き合ってくれ」
「うぁたすも……」
眩しい。それにうるさい。どこだ、ここは。
一瞬夢と現実の境目の区別がつかなくなるが、それは本当に一瞬のこと。
私は窓の手前で鳴くクソ鳥を頭上から叩き、上半身を起こした。
「夢かよ」
カサカサの唇からオジサンのような声が出る。咳払いをしたら少し喉が痛んだ。
私なんでノーパンだったんだろう。それにあいつ妙に優しくて性的だったし。
どんだけ欲求不満だ、私。
「夢かよ」
べたべたの口内で無様に声は反響した。




