猫の目博士とケーキと紅茶
「ねえ博士ぇ、愛されてる?」
「いきなり何を言い出すのです?さっきから気持ち悪いのです。」
診療室に入って以来、いや入る前からずっと幸せ・ニヤニヤ笑いが止まらない私が博士に問いかけると、博士はリングをいじる手を止めずに、心底気持ち悪そうに返事をした。
「いや、人に愛されるって重要な事じゃん」
私は作業台に向かって真剣になっている博士がこっちを向こうともしないので、ちょっとすみませんねとばかりに患者用の丸椅子を引きずり、無理やり博士の隣に座る。
「私さ。ここ三日。初めて人に愛されてて、人生の見方が変わったっていうか。この発見を誰かと共有したいっていうか。そういう話なんだけど。」
体を寄せて、リングをいじっている手元を見つつ、話しかける。博士はリングの外装を外して、ほんの1ミリに満たない棒のようなものが20個ぐらい並んでいるところを、宝石職人が使うようなループと針のような工具を使い、何やらいじくっていた。
「あーと、つまり最近お姉ちゃんに新しい彼氏ができたって話です?」
博士は答えながらも器用にその並ぶ棒を上側に倒したり、逆に下に倒したりしながら聞き返してきた。
「惜しい。彼氏じゃなくて、その人は結婚してるんだけど、私の事が好き、みたいで。」
人に話したいのに、照れくさくて好き、の所でつっかえる。
「ここ三日、一緒に寝て…るの。」
博士はそれを聞き、一瞬手が止まったが、再び工具を動かして作業を再開する。
そして少し気分を害したようなため息をついた。
「奥さんがいる人との生殖行為はお勧めできかねるのです。子供が出来ないように行為は控えるのですよ。」
明らかに言葉にとげがあり、ちょっと壁を作られたような言い方だった。
「いや、子供出来ないから。たぶん。」
「おじいちゃんの息子さんもそんなこと言ってたのに、子供作ってましたよ。」
で、その時出来たのが博士?と思ったが、突っ込まずにおく。
「いや、たぶんじゃなくて絶対できないし。…おそらく。」
「避妊具を使っても、妊娠する可能性は0でないのですよ。」
「いや、使わないけど、妊娠はしないの。なんでかっていうと、その人は結婚しているけど、いるのは奥さんじゃなくて、旦那さんで…」
私がそういった瞬間、『ぺきっ』と博士がいじくっていたリングから変な音がした。何か部品が破損したらしい。博士はうっと呻いて作業台の引き出しを開け、接着剤を取って割れた部品をくっつけ始めた。悪いことしたなと思い、黙ってみていると、器用に工具を使い、1㎜に満たない部品は元通りになる。そのまま外装を元に戻し、リングを私にはめると、ポチポチ押して、デバイスの切り替えの説明をしてくれた。
「使い方は以上なのです。切り替えても映像や通信が消えるだけで、スキル効果自体が消えたわけではないので、今までと同じく、対象の人が止まらないようにちゃんと持ったままでいるのですよ。」
「うん、ありがとね。博士。ごめんね。作業の邪魔して。」
帰る前に、と持ってきていたお礼の品を差し出すと博士は袋の中身を確認し、目を輝かせた。『ちょっと待つのです。』と言うなり、びっこを引きつつゆっくり診療室の裏に歩いていき、ポットをもって再びゆっくりとやってくる。心配そうに博士を見つめる白と黒の猫を伴っており、一匹ずつ器用にティーカップをもって二足歩行でついてきていた。
「前にケーキなんて食べたのは、はるか昔な気がするのです。」
ティーポットから紅茶を注ぎ、はいとばかりに私に差し出してくる。
礼を言って受け取ると、今度は大きいとは言えないケーキを器用に半分にしてそれをソーサーにのせて渡してきた。
目を輝かせるぐらいに好きなのに、人に分け与えるってすごいな。私だったら、一人で食べちゃう。そんな博士に世間的に公にするには憚られるような話を自慢しようとした自分が恥ずかしくなった。浮ついた気持から冷静になってみると、人によっては虫みたいに扱われてもおかしくない。、博士に嫌われたかなと、すこし不安になる。
ちらと顔色を窺うと博士は両横に猫を従えてケーキをひと掬い口に運ぶと満足そうに紅茶に口をつけ、話し始めた。
「それで、相手に旦那さんがいるという事は、つまりお姉ちゃんはヘテロセクシャルな関係でなく、ホモセクシャル的な関係を結んでしまったというのですね。」
あ、そこを聞くんだ。と思った。
不倫を嫌悪されてるかと思ったが、博士的にはまだセーフだったみたい。
「いや、ホモじゃなくて、レ・・・ズなんだけど。」
恥ずかしくて下を向いて頭をカリカリ掻きながら、言い訳するように続ける。
「優しくて、大人だし。私が困っているときに助けてくれるし。ほら、このケーキだって。その人が作ってくれて。」
私は必死に博士に説明する。だから、あの人は悪くなくて、私が苦しんでるのもわかってたし、最初に会ったときも、とあらましを話しているうちにいつの間にか好きな人の話が、罪人の弁護みたいになってて、悲しくなる。
「つまりまとめると、リングで卑猥な映像がずっと見えてて、発情してしまったお姉ちゃんの性処理を手伝ってくれた。という事なのですね。」
「うん…そういわれると、そうなんだけど。そういわれると、その言い方に愛がないっていうか…一言で済まされすぎっていうか…もっと愛的なものが間にあるっていうか。」
「そうですか。では例えばなんですが、お姉ちゃんではなく私が同じように苦しんでいたらその人は私にも同じようにするのですか?どう思うのです?」
「・・・博士にもする、と思う。優しいし。」
「それについて、お姉ちゃんはどう思うのです?」
「・・・・・」
「どう感じるかでいいのです。」
「・・・手を抜いてほしい。適当に終わらせてほしい」
恥ずかしさに真っ赤になりながら、下を向いてそう答えると、白猫がひょいと膝の上に乗って顔のにおいを嗅いでくる。思わず、笑って抱き上げ、下に下ろす。
「つまり、お姉ちゃんは自分の方を大切にしてほしいと思っているのです。お姉ちゃんは『私の事が好き』と言ったけど、実際はお姉ちゃんがその人の事が好きで、愛されるのを待っている形なのです。」
「うん。同じじゃない?」
「大幅に違ってくるのです。その人にとってはただ苦しんでいるお姉ちゃんを助けたかっただけかもしれないのです。」
「うん。」
「だから、もともとの原因がこのリングのせいなら、原因が取り除かれた今こそ、一度距離を取って見つめ直すべきと思うのです。」
「そっか、そうだよね。ちょっと距離をとって、冷静になった方がいいよね。」
私が単に勝手に意識してしまってるだけかもしれない。
そういわれると、悲しいけれど、元に戻るだけだし。
「どちらにせよ。また遊びに来てほしいのです。」
猫の目博士は、黒猫にティーカップを渡すと、ポットを手に持って立ち上がる。
「うん。また何かもって遊びに来るね。」
私は掛けていたコートを手に取り、外に出る。
冬は一番寒い時期を越えて、だんだんと寒さが和らいできていた。
吐く息が白くならない事も珍しくない。
窓ガラス越しに外を駆けていくオルミアを見ながら博士はカルテに向かう。
「女性を好きになるのですか。しかし遺伝子は完全に女なのです。」
検査名目で取ったサンプルは量は少ないが男女の区別だけなら十分だった。
新たな情報を書き込んでいると
「博士、コートに刺繍はやっぱりあったぞ。」と白猫が口をはさむ。
「やっぱり。偶然にしては、出来すぎなのです。」
猫の目博士はそうつぶやくと、カルテを閉じ、午後の診療に備えて休憩に入るのだった。
―――――――
博士にはああいったんだけど。私は家に帰るのが待ち遠しくてしょうがなかった。
「ただいまっ。サカキさんいる?」
私は家に戻ると入り口で衣類を包装していたコウサに声をかけた。リングの調整中は首から下が止まっちゃうから寝ていてと伝えていたのだが、そういえば終わったって伝えるのを忘れていた。まあ後の四人も今頃勝手に動いてるだろうと放置を決定。興味もないし。どうせ今頃の時刻は、例の若旦那が恋仲の女中と昼のご休憩タイムなので通信を有効化したらいきなり見せつけられるに決まっている。
「上で検品作業中です。」
コウサは何か諦めたかのようにそう話す。今は何を考えているかは流れてこないけど、もう性的な目で私を見ていないのは分かっている。
「ありがとっ。」
かっこいいし、そのうちいい彼女出来るよっと心の中でエールを送りつつ、スキップを踏むような調子で階段を上っていく。
博士にはああ言ったんだけど。一緒にいて楽しい人と距離をいきなり取れと言われても、難しい。
コートを脱ぐのももどかしく、私は扉を開ける。
「サカキさんったっだいまー!」
私は部屋に入るやコートを投げ捨てて、部屋の中央で衣類をより分けていた女性の隣に座り込む。
今日は商品に匂いがつかないようにいつもの藤の花の香水の匂いがしなくて逆に新鮮味がある。
「あら、思ったより早う帰ったな。依頼品の中からあんたの服をちょろまかそう思うてたんやけど、間に合わへんかったな」
まじめな顔で不正を口に出す姿がまた素敵に思える。
「私、サカキさんが選んでくれたものなら何でもいいなー。」
サカキさんに寄り添いながらそう言うと、嬉しそうに『そうやな。でもいいの見つからへんしな。下着だけで歩いてもらおうかな』と冗談めかす。
私はわかったと、その場でいそいそと服を脱ぎ始める。
「あんた、なんでほんまに脱ぐん。オルミアちゃんはほんまアホな子やな。」
サカキさんは笑って手近な服を掴んで投げつけてくる。
博士にはああ言ったんだけど、やっぱり直接目の前に来ると言い出せない。
こうしてみると、たぶん、そういう関係じゃなくても、仲良くできるとは思う。
そもそも、好かれてるって思ったこと自体がおこがましい。
だって、客観的にみても私の魅力39で平均以下だし。
そもそも好かれるような事をしてないし。
だから、今は言えないけど今夜、サカキさんが来たらそこで断ろうって思う。
それに、リングを直した事を知ってるから、今夜は来ないかもしれない。
そうなら、今ここで変な空気にならずに済むし。
仕事をしているサカキさんの横顔を見ながら、私は自分に言い聞かせるようにそう決めた。
その日、私はサカキさんの横で服の検品と包装を手伝った。
やがて夕になると、外に台車を引いた男の人が来てて、ユージやコウサが荷物を積み込んで一緒に北に向かったのを私は2階の窓から見ていた。
それからみんなでご飯を食べて、私は部屋に戻った。
もう、私を悩ます原因は無くなってたけど、心はなぜかいつもよりドキドキして全然眠くならない。
ぴしりと家鳴りする音にも耳をそばだてていちいち反応してしまう。
いつもよりも少し遅く感じる。やっぱり来ないのかな。
私から言い出さなくていいと安心する一方、やっぱり自分に魅力がないのかな。と落ち込んでくる。
悶々としていたら、のどが渇いてきた。起き上がって食堂に歩いていく。
モトマノさんの家は水道がないので、廊下から差し込む薄明かりを頼りに日常魔法が使えない私用に置いてある瓶の水を汲んでのどを潤す。
うん。やっぱり博士が言う通り、私が一方的に勘違いしてただけみたい。
さみしく感じながらも、部屋に戻る階段を上がる。
部屋に入ると、ベッドにサカキさんが座っていた。
「急に飲みたくなって果実茶を作ったから、オルミアちゃんにもあげようと思ってな」
『砂糖入りで甘すぎるかな。』と手渡されたそれは熱すぎず程よくあったかくて、それなりに手間暇をかけて作ったのがわかる。私が食堂にいた時間を考えても、今作ったわけじゃないのは明らかだった。
あったかくて甘いお茶は柑橘類の香りと風味が足されてて、張り詰めてた気分がふっと和らいでいく。
ベッドに並んで何も言わずに飲んで、結局言い出せずに、飲み終わる。
「ほんなら、オルミアちゃんも体きついだろうし。そろそろおしゃべりしよか。」
飲み終わったカップをサイドテーブルに戻して、サカキさんが横になる。
ほら、おいで。とベッドから両手を伸ばされて、私の決心はお茶に溶かされた砂糖のように消えていった。