天国から地獄 2
なんでゾンビが近寄ってきているか気づいたとき、私はどうしたらいいか全くわからなかった。
血の匂いでひきつけられてるから、血を止めるなんてできてたら、そもそも外に出てない。
止めれないものが、どうしようもなく私を追い詰めていた。
ゾンビは明らかにこの木の周辺で匂いがしていることに気づいたらしく、木の周辺を回り始めていた。私にできることと言ったら、上に上るか下に降りるかぐらいだ。でもさっきと違ってゾンビのこんな近くで上に登れば枝が揺れる音に気づき、ゾンビも上を見るだろう。では下に降りればと考えれば、下に降りた時の音で気づかれ、走ったとしても周囲の骸骨に居場所を知らされて、あのスピードで追いつかれてしまうだろう。
どうしたら、なんてもう考えるだけ無駄だった。私は捕まったらどうなるんだろう。男の子みたいにペット扱いになるのはマシで、いきなり首を切られてゾンビの餌になっちゃうんだろうか。もう捕まるものと思い込んで、そんな捕まった後の事をずっと考えていた。
やだ。やだやだ。怖くて、下のゾンビがうろうろ木の周りを動き回る姿が時計の針が回るみたいに見えてきて、それが私のカウントダウンに思えてくる。誰か通りがかってくれないかと思っても、都合よくゾンビを倒してくれる人が出る訳なんてないし、もうすべて投げ出して、ここから飛び降りて死んじゃおうかという考えが浮かんでくる。
ん。
とその時、私の右手がかかっている木の節の部分が腐食して五センチぐらいの塊で取れそうなことに気づいた。右手の手首に下着とロリエの袋がぶら下がっていて、それが揺れて音を立てないように気を付けなければいけないけれども、上手くとって、塀がある家に投げ込めばそっちに向かうかもしれない。
さっき塀がある家はゾンビが調べてたから行かないかもしれないけど、何もやらずに諦めるより、百倍マシだ。そう考え私は手首を木に押し付けて体を固定すると、指だけを器用に動かし、腐食した木の塊を取ろうと試みる。
指を動かすとパラパラと落ちる木くずが、ゾンビの周囲に落ち小さな音を立てる、明らかにゾンビが足元を見て不思議そうにしているがまだ上に気づいていない。お願い。気づかないでと思いつつ、それなりの塊を手に収めることが出来た。小さな成功にほっと一瞬気が緩む。すぐに思い直し、落とさないようにきちんとブロックを握りこむ。
これが成功するかもわからないが、それを投げるために幹を締める両足に力を込め、ゾンビが木をはさんで反対側に回った時、私は木のブロックを投げようと右手を木から放した。
ぽさっ
ワンテンポ遅れて、地面から音がした。
・・・なに、今の音?
目線を下にやる。
それは下着とロリエの袋だった。
手首を木に押し付けて指を動かしてたから、手首に通していたひもがほどけていた。
『なんでそうなるのよぉおおおおおおお』と声にならない叫び声をあげても時間は戻らない。もとはと言えば、後で開けやすいようにちょうちょ結びにしていたせいだった。
ゾンビはもうすでに音に気づき、木の向こう側から顔を出して袋を見ていた。
やばい、中身を見れば、女の持ち物だってすぐにわかる。わかればどこから出てきたんだと、すぐ上を向くに決まってる!
なんでなの?なんでこんなことになるの!?
武器もなく、ただ右手に腐った木の塊を持ちながらどうしようって考えたけど、もうどうしようもなかった。
ただ、私は頑張って、
あきらめず何とかしようとしたのに、
それで状況が悪化するなんてと思うとまたつつっと涙が頬を伝った。
でも泣く事は歯を食いしばって耐えた。
私は腐った木の塊を振りかぶりつつ、ゾンビが袋に近づくのを黙ってみているしかなかった。
私の心臓がドクドクと鼓動を激しくする中、ゾンビはゆっくりといきなり出現した袋に近づき袋を開けて中を覗き込んだ。そのまま上を向いたら、その瞬間に右手の木を投げつけて目つぶしをし、飛び降りて逃げるしかないと覚悟を決めていたが、ゾンビは中のものを凝視したまま動こうとしない。
どうした?
と訝しんでいると、ゾンビは袋から顔を上げ、左右をきょろきょろと見渡し、そっと袋を後ろ手にもつとその場をはなれて、元来た道を引き返し始めた。
「…あ?なんで?何してんのアイツ?」
予想外の事態にあっけにとられたが、このまま木の上にいるのが限界になってきたので、このすきに音を立てないようにゆっくりと降りていく。
そっと木の陰から見ると、路地の入口で袋を後ろ手に持って池の周囲に誰もいないかキョロキョロ確認しているゾンビの姿が確認できた。
「あいつ、ひょっとして…女の下着を自分の部屋に持って帰る気かよ」
俺はなぜかピンと来てそうつぶやいた。うしろめたいように後ろ手に持つ袋。誰にも見られないように周囲を伺う動き。そして、俺を追っている最中というのに、自分の家に戻ろうとする行動。すべてが俺の推測が正しいことを示していた。
すげーな。ゾンビ性欲あるのかよ。子供作れるのか?というか射精できんのか?いろいろな疑問が浮かぶとともに、さっきまで怖かったゾンビが急に中学生のクソガキ並みに思えてくる。というか、あいつ俺の下着でオナる気かよ。
そう考えた瞬間、俺は先ほどのサカキさんの一言を思い出した。
『下着もない女の子から金取ったら怒られるわ』
そう言って渡してくれたあの下着は、サカキさんが可哀想な女の子の事を思って親切に選んでくれたものだ。
ゾンビがオナるためにあるものじゃない。
下着もない女の子から奪っていいものじゃない。
そう思うと、あのクソガキゾンビの事が許せなくなり、俺はつかつかとゾンビに向かって歩いて行った。
――――――――
履いているのがスニーカーだからクソガキは俺がすぐ後ろに来ても気づかずに、まだ路地から飛び出すタイミングを探ってきょろきょろとあたりを伺っていた。
その姿があまりにも小心者過ぎて怒りを通り越して俺は冷笑を浮かべていた。
「おい、お前」
声をかけると面白いぐらいにびくっと震えた。しかし、振り向く瞬間に膝の裏に膝カックンをかます。
ゾンビはうぁあと情けない声を上げてその場に崩れ落ちた。
「私の下着、盗もうとしたろ」
俺はそう言いつつ膝立ちになったクソガキゾンビの前に出ると立ち上がれないように肩に足をかけた。
ゾンビはいきなりの事に目を白黒させていた。何も言えず、目の焦点はあっていない。
追っていたはずの俺が目の前にいるというのに、口をぽかんと開けて思考停止している。
うん。わかるよ。その気持ち。
たぶん今のこいつの心境は親のパソコンでエロ動画見てるところを姉に踏み込まれた中学生みたいなもんだろうし。
そのすきに返せよとばかりに右手に握りしめていた下着の袋を奪い取る。中を開けると、ミントグリーンの下着に汚れたゾンビの手の跡がバッチリくっきりついていた。
「うーわ。むっちゃ証拠残ってるじゃん。べっとべと。私の下着、べっとべと。」
畳みかけるように『下着泥棒の手あかがべっとべと』としつこくしつこく責めてやる。
クソガキゾンビは『ふぁあわぁ』とよくわからない返事を返してきた。
「なに?何言ってるの?もっかい言うてみ?」
下着泥棒のくせに何か言う事があるのかと聞いてみる。
「み、みふふぇふぁー」
どうやら見つけたーと叫びたいようだが、下着を盗もうとしてるところを現行犯逮捕されたショックで言葉にならないようだ。声もか細くて力がない。
「あーいいのかなー。他のゾンさん呼んじゃって。」
「ふふぇ?」
「ばれちゃうねー」
「ふぁあ?」
「みんなが頑張って女を探している間に、ボクだけ仕事さぼって女の下着を盗んでこっそり家に持ち帰ろうとしてたって」
「はあああ」
「ばれちゃうねー。いやー私捕まったら、喋らされちゃうな―」
そう言っていると、池の北側から骸骨とゾンビのペアがこちらにやってくるのが見えた。
「あ、やばい私、捕まりそ――」
言い切る前にクソガキゾンビは俺の手をつかむと目の前の家の玄関を開け、塀の向こうに俺を隠すと慌てて元の位置に戻り、『お疲れ様です。こちらには来てません!』と尋ねもされないのに答えていた。
「はい、よくできました。」
俺は塀越しに骸骨たちが向こうに行くのを確認するとクソガキにそう声をかけた。恐怖ばかりで縛ると恐怖から逃げるために捨て身になる可能性がある。うまくやった時は褒めてやらないと、弱みも弱みになってくれないのだ。
「で、これからどうしたらいいと思う」
「お、お姉さんを逃がします」
「うん、それでその方法は?」
「えっと、ここから東の方でお姉さんを見つけたって叫びます」
「なるほど」
「たぶん、みんな集まるので、そのすきに逃げてください」
「わかった。」
明らかにクソガキがその場で考えたような作戦だが悪くない。
そもそも私がほかに頼れるような作戦もないのだ。
そう思いながらゾンビを見ると、私の機嫌を伺うかのようにおどおどしていて
ちょっとかわいそうに思うとともに、
意外と自分は意地悪なことに関しては頭が働くなと変な自信がついたのだった。
⇒To Be Continued…