天国から地獄
「おおーい!あそこにわっかい女がいるよォ!」
おばさんの叫び声を聞いて全員がこっちを向いたのを確認した瞬間、私は猛ダッシュで元来た道を突っ走った。
意外なことに私は足が速かった。
ぴょんぴょんと飛ぶように体は弾むし、景色がすごいスピードで後ろに流れていく。
まるで陸上選手の様だ。あれ、私こんなに足早かったんだと、自分でも驚いた。
気分はウサイン・ボルト。軽く流しても2m以上差がついちゃうから後ろを振り向いて2位を確認しちゃうあれ。
それで、私もこんなに足が速かったら、筋肉が腐ってるようなゾンビなんてもうぶっちぎってるでしょと余裕なスマイルとともに振り返った。
そしたら私以上のスピードで骸骨たちがカシャカシャ音を立てて走ってきてた。その距離約25m。学校のプールの長さぐらい。
「うっそぉぉぉおかしいでしょおおお!」
と叫んだが、よく考えれば、当然だった。だってあいつら骨しかないんだもん。余分な肉もないのにどうやってか動いてるし槍とか持ってるし、人間と同じような盾も持ってる。そのため人間と同じ力があると仮定したら、肉や脂肪がない分走ったら早いはずなのは自明だった。
慌てて私はどこか逃げれる場所がないかとあたりを見渡し、池の東の住宅街の路地に飛び込む。何か隠れるところでもないかと探すが何もない。しかたなしに二軒通り過ぎたところのT字路の突き当たりの家の前に大きな木があったのでその後ろにするっと隠れる。十秒ほどたつとカシャカシャと骸骨たちがやってくる音が聞こえた。
骸骨たちはさっきまですぐ前にいた私がT字のどちらに行ったのか迷ってすぐそこで止まってるようだった。私と骸骨たちとの距離は2mもなかった。ただ大人二人が手を繋いだぐらいの太さの木が間にあるだけだった。こんな隠れ方じゃすぐにばれる。こんなところに隠れるなんて自分馬鹿!本当にバカ!私本当にパーの子!と『このバカこのバカ』と頭をポカポカやってたら骸骨は木の裏を見ようともせずに二手に分かれてそれぞれ走っていった。
…骸骨がアホで助かった。よく考えれば肉がないということは脳みそがないという事。獲物が隠れるとは思う事さえできないんだな。やれやれ。やっぱ脳無しの低能に私が捕まるわけないもん。と半ば笑っていると今度はべちゃべちゃと音を立ててゾンビたちの群れがやってくるのが見えた。
どうせゾンビたちも骸骨と同じで私が木の後ろに隠れているなんて思いもしないだろう。道を進むの確認したらこいつらが来た道を逆に進んで人がいる西の市場の方に逃げよう。と木の陰からこそっと覗いているとゾンビは各家の玄関を器用に開けて塀の裏をのぞいたり、真っ暗な家のドアが開いてないかガチャガチャノブを回したりしていた。
「…うっそ…おかしいでしょ…」
なんで役割分担してんの?ゾンビなら脳みそ腐っててよ。まあ肉がなくても骨だけで槍が持てたりするのはいいよ。そういう呪いとか魔法とか見えない糸で骨がつながってる設定で。でも脳みそ腐っててなんで自立的に頭が回るのよ。人間のメリットないじゃない。ズルい。絶対にズルい。卑怯すぎる。絶対にあの勢いで木の裏見るじゃん。
あっちばっかり、ズルいズルいと思っていると、涙で視界が滲んできた。うっと泣き出しそうになるが、口を押えて懸命に堪える。泣いて何かが変わるとしても、悪い方にしか変わらないからだ。
そのままゾンビたちは2分ほどかけて並ぶ二軒の住宅を確認し終わり、T字路にやってきた。8匹いる彼らは正面の木を見つけるとべたべたと粘着質な足音を立ててまっすぐこちらに向かってくる。私の心臓は割れんばかりに音がしていて、その音がゾンビたちに聞こえるかもと思い、なんとか止まってと願うけれども、心臓はドックンドックンドックンドックンと鼓動を止めるどころか、余計激しくなる。
言う事を聞かない体に『やめてよやめてよ。』と願ってたら、涙がぽろっと零れ落ちて、木にしがみつく私の体の横を通り過ぎ、地面にぴちゃと音を立てて落ちた。
その音が聞こえたらしかった。
ゾンビたちはわちゃわちゃと走り寄り、木の裏を覗き込んだ。
でも、そこに私が居ないことを知ると、三匹は北の道に、もう三匹は南に進み、後の二匹が正面の家を調べ始めた。
私は地面から5mほどの上の幹にコアラみたいに掴まりながら、それを見てた。
運がよかった。私がしがみついている木はでこぼこした節がちょうどいいところにあって、木登りなんかやった記憶のない私でも足をかけたりして上ることが出来た。もちろん今は昼だから上を見られたら見つかっちゃうけど、周囲の住宅が平屋建てで目線が軒下より上に行かないから、見つかりにくくなってた。
正面の家を調べてたゾンビたちはその家が塀も柵もなくドアだけしか調べるところがない家だったから、すぐに調べ終わったようで一匹はすぐに北に向かって歩いて行った。もう一匹も南に向かおうと歩き出したけど、数歩歩いたところで急に止まって、あたりを伺いだした。
なんで、止まったの?私は息も止めてそのゾンビを食い入るように見る。何かの音が聞こえたのか、何か見えたのか。なんで止まったのか私にはわからなかった。ゾンビは消防士が火事の時にかぶるような頭巾型の兜とレザーアーマーを着ていて、腰に長くもなく短くもない剣を持っていた。その剣がおなかに突き刺さることを想像して、私は思わず怖くて目をつぶった。
しばらく目を閉じてゾンビが居なくなるのを待っていたが、ゾンビは何か感じ取っているのか、一向にこの場から立ち去らなかった。風はなく、遠くのゾンビたちの私を探す掛け声に混じり、ゾンビがはあはあと息をする音が混じる。時折すーっすーっと鼻を鳴らす音が混じり、ゾンビも息をするんだと場違いなことを思った。
おっかなびっくりで目を開けると、ゾンビが木から1mぐらいの場所まで近づいてきていた。
なんで、近づいてるの?理由もわからず、私は泣き出しそうな唇をかんだ。かんで痛みを感じたとき、自分のおなかが同じように痛みを訴えていることを思い出した。ゾンビは私の5m下でスンスンと鼻を鳴らしていた。風はなく、冬の寒さの中で私は汗をかいてはいなかった。
ただ、血の匂いを
嗅ぎつけられてた。




