マギーは一人で考える5
家を出た後の話。
古い友人の子供が冒険者になることになったが、
一人で行かせるには心配だからおまえも修行もかねてついていきなさい。
ふさぎこみ、『家からでなくなった』私を母づてに呼びつけると、応接間に客人と座っていた父が紹介もそこそこに私にそう命じた。
あの日以来、すっかり変わってしまった私は人形のように『わかりました。』といい、改めて父の対面に座る少年を見る。きれいなブロンドと涼しげな顔に最初に目がいった。次いで粗末な服と傍らにある不釣り合いなサイズの全身鎧。それに手ごろな槍。すべて使い込まれていて、『修行をしました』と主張するかのようだった。
ではお前の旅路の用意をしてくるので、しばらく二人でいなさい。
最近は自分で服を着替えることもしなくなっていた私に旅の支度を任せるのは不安だったのだろう。
父は母を連れて私の部屋に去っていく。
体よく追い出したいのかな。そんなことを思い、目の前にいる少年の相手もせず、ただ座っていた。
彼は、ホストであるはずの私が無礼なふるまいをしているのに、涼やかな笑顔で待っていた。
家を出てしばらく二人で馬車に揺られてる間も、彼は黙って私が話し出すのを待っていた。
二人で宿をとるとき、ぼんやりと『抱かれるのかな?』と少し怖くなった。
父は古い友人の子供といったけれども、食事の仕方やドアの開け閉めからそれなりの家の子に思えて、父は不要な娘を恩のある家に差し出したのかと思ったからだ。
でも、彼は特に私に話をさせようともせず、かといって剣呑な空気も出さずにゆっくりと寝る支度をしていた。
ふと、自分が旅支度のままだったことに気が付き、初めて恥ずかしくなって慌てて眠る格好に着替えた。
父が用意した寝巻は白いレース付きのお嬢様が着るような寝巻で、旅の宿で着るようなものじゃなくて。薄汚れた部屋にいると、まるで絵本で見る、魔女に家を追い出されたお姫様の話の挿絵みたいで。
そんな私の様子が面白かったのか、彼は『ふふっ』と笑った。
それが馬鹿にするような笑い方じゃなくて。うまく説明できないけれども。
なぜかすごく優しく感じて。
そのせいで、今までの私の振る舞いが恥ずかしくなった。
「…お休みなさい」
何か月ぶりかに、私は自分から声を出した。
「マギーさ、いっつも自分が何とかしようとするじゃん。もっと俺を頼ってほしいっていうか」
明らかに田舎から一旗あげようと出てきました、というような少年が頭の後ろで手を組みながら不平を述べてくる。
「あなたに頼ったら、たちまち野宿をすることになるわ。」
自分でもびっくりするぐらいに冷静な声がリーダーの暴走を食い止める。
「ソルド君には他のことでずいぶん助けられているよ。」
少しだけ私の昔を知っている彼がやんわりと間に割って入る。
「危ない仕事をすればそれだけ治療費もかかりますぅ。とにかくお金お金。」
ふわっとした子供みたいな雰囲気の少女が何が論点なのかを整理する。
「やっぱタンバ狩れるスキルは欲しいよな」
「タンバ狩れればお金になりますぅ」
「お金を借りるという手もあるよ。僕の鎧を質にいれるとか。それでスキルと武器を買ってみるのは?」
家計簿をつける私の横で、3人がこれからどうしていくかを話し合っている。
3人とも、それぞれ出身地では私の町よりもずいぶん以前からスキル屋があったみたいで、物心ついたころからスキルに慣れていて、どういうスキルがあれば何が倒せるのか、どういうスキルをどうやって使うのか。
そういうことを常識のように知っている。
昨今の冒険者ならそうすると決まっている、お約束で効率的な方法を知っている。
知らない私は、一人だけ会話に混じれずに、ただ家計簿をつけている。
家を出て、新しい家にきても、私はその家の外でみんなが出てきてくれるのを待っている。
「それでは、まずソルド君の剣を優先して、次にケミーの治癒魔法。それから僕の水中適正スキル。それでいいかい?」
「うーん、わりぃなあ。俺が一番最初で。」
「頑張って貯めようねぇ」
「でもマギーの魔法があってよかったよ。森に出るような魔物なら何が出ても対処できる。森の中の仕事が出来れば報酬も高いからね」
いいながら少し、ブロンドの髪が少しだけ、気にするかのようにこちらを見る。
「そうね。まあ私のスキルならこの辺の魔物は何でも狩れるわ」
家計簿をつけながら自慢げに答える。
分からないなら、冷静で寡黙なできる魔法使いを演じていれば、こんな私でも客人として招いてくれる。
答えてもブロンドの髪は盛り上がる二人とは違う向きをまだ見てる。
気が付かないふりで家計簿の、今日の残金の締めを行う。最初の剣を買えるのは半年後だろうか。
私の袖の中には
目標よりはるかに価値の高い金貨がまだ10枚もあるのに。
また家に入れなくなるのが怖くて、スキルでなくお金でもなく、わたし、が居てよかったと思われてるのかが怖くて。
自分の事しか、考えられないから、手を差し伸べられても、踏み出せない。
―――――――
もう終わった女だと思って油断していた。
あれほど叩きのめされて、プライドごと折られて立ってくる事はないと思ってた。
どこにそんな力が残っていたのか。
急所をけられ、へたりこんだ俺に体ごと突っ込んでくる。
力を入れることが出来ない俺は勢いに流されるように倒れ、女の細腕が先ほどのお返しとばかりに次々と振り下ろされてくる。
顔、頭、首、狙いもなく振り下ろされるそれが鼻にあたり、女と同じように出血する。
なんでこの女は、こんなに俺に立ち向かってくるんだ。
もう一度叩きのめそうと、力の入らない下半身はそのままに、腕の力だけで馬乗りになっていた女を押しのける。よろついたが女は膝のばねだけで立ったまま倒れず、今度はそのままに踏みつけてくる。
右耳をかすめるように足が振り下ろされ、耳の付け根から鋭い痛みが走る。
延ばされた足をつかみ、引き倒す間に、生暖かい液体の感触が首を伝っていく。
千切れたのか?そんなことを思っている間にもう片方の女の足が俺の顎を蹴り上げる。
女の足を離し、体をつかむが馬乗りにもなれずに互いに横向きで足と腕で殴り合う。
ここまでくると、男女の区別もない泥仕合だった。
互いにもう立つことはできず、床に転がったまま打撃を放つしかなく、そんな力のこもらない殴り合いでは一撃で相手を沈めることはできない。
俺の足は急所をけられていまだ委縮しており動かそうとしても、痙攣して筋がうまく動かない。
自然と床に接してない片腕だけで女を殴る。対して女は両足と腕を必死に振るってくる。
なんで、こんな小学生の喧嘩みたいな無様な事を、この俺がしてるんだ。
しかもこんな小柄な女と。
得るものがない、が圧倒的に有利な戦いだから二度と戦おうと思わなくなるほどに女をいたぶって、反抗する気も自信もへし折って、恐怖で言いなりにできる、新しい愛人にでもしようと。
出来るはずだったのに。なぜだ。欲をかいたからか?
負傷なんてここしばらくなかったのに、
女相手に血だらけの、泥仕合なんて、格好悪いことになっている。
情けないことに歯を食いしばり、わざと女のパンチを受ける。
同時に腕をつかみ、その細い腕を握力でひねり上げると、ばきりと骨が折れる音がした。
――――――
わたしの話。
その日は森のアントン退治と製材所の整備のクエストの帰りだったと思う。町に入る手前の橋の下で冴えないおじさんと赤毛のまだ幼い娘がボロの上着にアントンの血を擦り付けていた。
おっさん何してるの?
好奇心の塊の上に、人懐っこいソルドがそう聞くと、おじさんは上着でタンバを釣ろうとしてると答えた。
馬鹿じゃないの?
ボロの上着でタンバを釣ろうとするなんて。
最低でも水中呼吸や水魔法のスキルがタンバを倒すのに必須な事ぐらい私でさえ知っている。
話しているとスキルどころか、ギルドの依頼システムもよく分かっていないようだった。私以下の存在に必要以上にお節介になり、細かく教えていると、女の子は私たちを無視して再びアントンの血を上着に塗り続け始めた。
無意味なことを一生懸命するその姿がすごく嫌で、
スキルが無いからと言われたのが私みたいに思えて
お嬢ちゃんもやめた方がいいわよ
と話を切り上げて、その場を去った。
橋の袂に戻り河原を見下ろすと、おじさんと娘が途方にくれたように立ち尽くしてて、心が酷くかき乱され、二人になぜかやり場のない怒りを覚えた。
その日、久しぶりに父と修練をしてる夢を見て夜中に目を覚ました。寝付けずにケミーを起こさないように荷物を手に外に出る。宿の裏の広場につくと荷物から久しぶりに修練杖 を出して魔法を使おうとしたけれど、灯火のスキル程度の炎さえ杖からは出なかった。
やっぱりか。と唇をかみながら何度試しても、変わらなかった。
お嬢ちゃんもやめた方がいいわよ
昼間の銀髪のあの嫌な女が私にもそう言っていた。
自分で言ったことなのに、目の端に涙が滲んだ。
なんて言えばよかったんだろう。
修練杖を馬鹿みたいに何度も振りながら考える。
がんばれば、出来るわよとか。
あなたならできるから。とか
そんなことで出来るなら、お父さんは私に『スキルを買ってくるといい』なんて。
私はなんて言ってほしかったの?
あきらめちゃダメなんて、頑張れば出来るなんて。
どんなに無駄に思えることでも、やり遂げたら変われるって。
なんて言ってあげたらよかったのか、考えながら修練杖を振り続ける。
時折、思い出したかのように杖の先が少しだけ光る。
そのまま私は考えながら杖を振り続けたけど、朝まで答えは出なかった。
頑張って、何かが変わるなんて都合のいいこともなかった。
――――――
きまりだ。もうこれで終わりだ。
ほっと、した。いままで、どんな喧嘩相手でも骨を折れば、勢いを削がれて引き下がった。
ましてや女だ、と、勝ち誇って顔を見た。
それが何なのよ!
鼻血まみれで叫ぶ口に白い歯が並んでいるのが見えた。まるで銃撃を受けた銀色のたてがみをもつ白狼が血を吐きながら歯をむき出しに向かってきてるかのようだった。
女は折れた腕を無視して、そのまま腕をつかむ俺の指に噛みついた。
思わず悲鳴を上げた。小指と薬指に食らいつかれ、そのまま牙が突き刺さっていく。
やめろと叫びながら女の顔に拳を叩きこむ。血ではない固形の何かがびちゃりと散らばっても、女は目をつむって決して放そうとしない。
このまま女の顔を殴れば殺してしまいかねず、女の口を開けようと口の中に指を突っ込み、こじ開けようとするが、失敗し、勢い余って滑った指が頬を裂いてしまう。裂けた口から指に女の歯が食い込んでいるのが見えた時、俺は指を噛切られる恐怖のあまりに手に噛みついた女を引きはがそうと、思わず灼熱掌を使ってしまった。
ぶすぶすと水分が蒸発する音と生肉が焼ける匂いがしたが、なにが彼女をそうさせるのか、女は目をつむったまま俺の手に噛みつき続けていた。
見ていた大男がもうよせ勝負はついたと自分の火傷の危険も顧みず、無理やりに両手で女の口を引きはがすまで、女は俺の手に噛みつき続けていた。
手から外された女の姿を見て、俺は小学校の掃除の時に遊んで大きな花瓶を倒して割ってしまった時のような、世界が一瞬でひっくり返ったようなとてつもない罪悪感を感じた。