私はあの瞳と共にある 4
『クーリー、休んで構わんぞ。急ぎ過ぎて倒れても困る』
私がそういうと、額に刻み込まれた皺を緩めて、年老いた技師が手を止める。
『そうだが、まあそうだな』
クーリーは不服そうであったが、文句を言う前にモニターの数値を調整するのをやめ、電源を切って部屋から出て行く。
『他人を気遣うとは変わったのお前』
出る時に一言だけ呟いていった。
『言われてやめるお前もじゃろうが』
廊下の暗闇に消えていく汚れた作業着の背中にそう返す。
休むだけの余裕はあった。
なぜか女からの催促は最近とうとなくなっていた。
統治に集中しているのだろうか、と研究室の器具の電源が落ちている事を確認しつつ、私は無駄な思考をし始めた。
変わったのは、いつからだろうか。
こちらに来てからか。
追われ、逃げることが増えてからか。
自身の頭脳を使った研究が目覚ましい結果を出せなくなった頃からか。
人に使われるようになってからか。
体を壊してからか。
あの子とあってからか
七十も半ばを過ぎ、気も弱ったか。
そう新しく作った小さなヘッドバンドを手に取り、思考にふけっていた時だった。
『ついに見つけたぞ。』
久しぶりにその声を聞いた。
『逃げれると思うな。出口や寝室にも仲間を潜ませている』
部屋の隅、器具と拘束椅子の間の影に小さな黒い生き物がいつの間にか隠れていた。
暗闇に二つの小さな目がきらりと浮かんでいた。
『お前か、ようここに入れたな。』
軽い驚きと共に、手に持ったヘッドバンドを緩慢な動作で台の上に戻しながら、私はふうと疲れて息を吐きだしつつそう言った。
『俺たちも驚きだ。ここに来るまで妨害も罠も機械兵器も改造生物もなく、それどころか入口の警備さえ俺たちの侵入を止めようとしなかった。』
『そういえば、警備にお前たちの事を教えるのを忘れていたわ』
そういうと、黒は訝し気に首を傾けた。冗談を言ったと思ったらしい。私のふてぶてしいであろう態度に警戒する黒に思わず、苦笑して本当の事だと伝える。
『今度は何を企んでいるのかは俺にはわからん。しかし、もうこれで終わりだ。猫の目博士』
そう言いながら黒は器具の影から進み出た。
―――――――
おじいちゃん。反乱したいぬやとりたちは何とかつぶしてきたぞ。
まあ。つよかったからな。俺もあとすこしでおわりだろう。
マリーヌのかたきを討ちたかったが、それはおじいちゃんに任せよう。
ひとは数が多いから、おじいちゃんが勝てるといいが。
ああ。
くろやしろは何も知らない。ほかのやつもひとに何も憎しみを抱いていない。
くろやしろもあいつらみたいに歯向かうかもな。知恵がついた分だけ。
もし歯向かったらいぬたちみたいにつぶして構わない。
なんなら、おれがしんだあと、せんのうした方がいいかもしれない。
マリーヌのココロを機械にうつしたみたいに
おれの脳をしらべれば、おれのココロが取れる。
おれの子だから、ココロをうつしやすいだろう。
だから、少しでもおれの影響を受けておじいちゃんのいう事を聞くように
死ぬまでいっぱいいっぱいひとを憎んでおれは死のう。
だけど、おじいちゃんやマリーヌの事をおれは好きだから
ひょっとしたら、憎むのにしっぱいするかもしれない
そうなったら、すまないな。
―――――――――
「嬢ちゃんは安定したぞ」
私たちが部屋に入ると、クーリーが女児の頬を撫でながらそう言った。
「時間をかけてこっちへの負担を減らす方法でいいんだな。」
「それでいい」
「麻酔は使えんぞ」
「かまわんよ」
「ふん。途中でおっ死ぬなよ」
クーリーが黙ると、研究員の一人が代替機の運行が順調であることを報告してくる。
「しかし悔しいですね。これがもう少し早く出来てれば」
「人生はそういう事ばかりだ」
「ええ。」
「ではこいつは約束通り、上に引き渡してくれ」
「はい。」
代替機を持った研究員が部屋を出て行く。
「さて、と」
私は入口に並んで座る二匹の方に振り返った。
「本当に嘘はついていないんだろうな?」
白は疑い深げにそう聞いた。
「嘘はついておらん」
「貴様が人の為に動くなど信じられたものではない」
黒が憎しみの混じった目で睨みつける。
「たとえ、マリーヌがお前の言った事を保証したとしても」
銀色の首輪を撫でながら白がそう付け足す。
「もし、術中、あの子のココロが変わり始めたら、まずおれがお前を殺す。あの子の方はシロが見てる。たとえ、あの見た目であっても、少しでも変わり始めたら俺たちはすぐに仕留める」
「さんざんやられて、対策は出来てる。ココロの入れ替えは、全部透けて見える。隠してももう俺たちには通用しない。」
「それで問題はない」
私は居並ぶ二匹の瞳に入れ混じる憎しみと優しさに懐かしい気分を覚える。
クーリーが禿げあがった頭をガリガリと掻きつつ、私を椅子に固定する。
電極がついたヘッドバンドが女児と私に着けられる。ひんやりとした感触が少しだけ寂しく感じる。
二匹が女児と私の傍に建ち、それぞれが警戒の体勢を取る。
「後の事は、この子が目を覚ましたら聞くと言い。」
私の言葉を聞いて、クーリーが電源のスイッチを入れる。
並ぶ機械が充電を始める。残り十数秒か。
「そして、出来るなら、明日から君たちも私に縛られる事なく生きてくれ」
私がそう言ったとき、かすかにシロの首輪から孫娘の泣き声が聞こえた気がした。