第6章 つかしんへようこそ〜③〜
週に三度は訪れるショッピングモールから帰宅した私は、夕飯の準備をする前に、iPadを起動する。
ブラウザの検索画面で、「つかしんの歴史」とワードを打ち込むと、ウィキペディアをはじめ、すぐに参考になりそうなサイトがいくつか見つかった。
まずは、基本的な情報をおさえるために、おなじみのウィキペディアの記述を参照する。
◆ ◆ ◆
グンゼタウンセンター つかしんは、日本の兵庫県尼崎市塚口本町にあるショッピングセンター。
一般には「つかしん」と呼ばれており、この名はかつての正式名称である。開業前の計画名「塚口新町開発発展都市」の略称でもある。
(中略)
1985年にセゾングループの創業者・堤清二が提唱した街づくりの理念を体現した都市郊外型施設「つかしん」として、同グループに属していた西武百貨店(以下「西武」)を核店舗に据え、繊維製品メーカー・グンゼの塚口工場跡地にオープンした。名称はコピーライターの糸井重里により命名された。西武は2004年をもって撤退し、以降はグンゼが設立した子会社により運営されている。
(中略)
オープン当初は西武のつかしん(塚新)店を核店舗に、地元や阪神間の小売店によるショッピングモール・レストラン街・映画館「シネマつかしん」などで構成される複合商業施設であった。また、敷地内の北東部(現在、平和堂などが入居するひがしまち北館が建つ場所)には西武グループのプリンスホテルを建設する構想もあり、建設場所を示す看板が設置されていた(西武の撤退まで設置)。
(中略)
2002年9月、西武は売場面積を従来の3割に縮小し、現在のひがしまち南館のビルにテナントの1店舗として出店する形態に変更。これに合わせて、コープこうべ、ダイソー、ユニクロ、ミドリ電化などが新たに出店し、ビル部分は「リボン館」の名称で郊外型のショッピングセンターとして再出発した。しかし、同年10月10日に当時の当店を上回る営業総面積のダイヤモンドシティ・テラス(現在のイオンモール伊丹、当店の最寄駅であるJR猪名寺駅の北隣にあるJR伊丹駅と歩道橋で直結)がオープンしたこともあり売上は上向かず、西武つかしん店の年商は最盛期の280億円(1990年度)から32億円(2003年度)にまで落ち込んだ。なお、最盛期の1990年も含め一度も黒字にはならなかった。
(ウィキペディア グンゼタウンセンターつかしんの項目より引用)
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ここまでが、つかしん開業当時から、売上が下がっていく過程の内容だ。
この商業施設が、西武グループによって設立され、映画館などが併設されていたことは、フードコートの二人組のおじさん(とあえて呼ばせてもらう)の方が言っていた通りだった。
さらに個人的な見解を述べれば、関西では、つかしんをはじめ西武百貨店のほとんどの店舗が撤退してしまったため、私にとってなじみのあるブランドという訳ではないので、特に思い入れ深いということも無いんだけど――――――。
ここまでの記述を見ると、こんな状況から、良くいまの状態にまで復活できたな……と思う。
そこで、幼い頃からの記憶を掘り起こすと、いまや、自分や娘にとってのお気に入りとなっているこのモールも、私がいまの娘と同じ年頃だった当時は、
「つかしんって、なんだか活気が無いな……」
と感じていたことを思い出した。
停止してしまった斜行エレベーター。
後続の店舗が入らなくなった空きテナント。
古びてしまったように感じられるあちこちの内装。
そんな部分から感じ取っていた子供ながらの直感はどうやら間違っていなかったようで、ウィキペディアに記載されているように、2003年に開業したダイヤモンド・シティテラス(現在のイオンモール伊丹)や、ウィキの記事には記載されていないけど、2008年開業の西宮ガーデンズは、つかしんの運営に大きな影響を与えたようだ。
私が体験することのなかったバブル景気直前に、単なる商業施設ではない文化の拠点として、ドイツのアウグスブルグ街並みを模した街づくりをコンセプトに建設されたショッピングモールは、ここで、大きな転機を迎えることになる―――。
そして、ここまでの内容を頭の中で整理しているだけで、この調査作業がどんどん楽しくなってきたことに私は気付いた。
高校卒業後に進学した神戸にある大学では、商学部の経営学部で学んでいたんだけど、その学生時代の講義の課題レポートやゼミの共同研究での調査過程を思い出したからだ。
結局、結婚を機に就職したアパレル関係の会社を退職してしまったので、大学で学んだことを自分のキャリアに活かしきれているとは言えないけど……学生時代の私を刺激した知的好奇心のようなものが、自分の中にムクムクと湧いてくるように感じられた。
続きが気になるマンガや連続ドラマを一気に見ると決めたときのように、一度、区切りの良いところでストップして、先にやるべきこと(主に家事)を片付けてしまおうと考えた私は、毎日の夕方のルーティーンである洗濯物の取り込み、お風呂掃除、さらに、夕飯の調理をいつも以上に素早く終えると、調べ物を継続する準備に取り掛かる。
娘の真美の習い事のない日の定刻である午後6時過ぎに夕飯を食べ終えた私は、旦那が仕事から帰ってくるまでの間、タブレットで調査の継続を始めた。




