第4章 サイキック少年団〜①〜
かつて、キングオブドライバーというコンビ名で漫才師として活動していた佐藤義徳が、その職業を本格的に意識し始めたのは、知り合って数カ月の大学生、星野信之に語ったとおり、小学校高学年の頃だ。
その日、西宮スタジアムで、小学校に入学する前からのファンだった阪急ブレーブスの最後の試合を見届けた彼は、自宅に戻ったあと、深夜になってもなかなか寝付けず、寂しさを紛らわせるため、自室に置いていたラジオを聞いていた。
すると、深夜1時半を過ぎたころ、イギー・ポップの『リアル・ワイルド・チャイルド』に合わせて、とある番組の放送が始まった。楽曲のイントロが終了し、Aメロに入るところで、番組名が告げられる。
『誠のサイキック青年団』
松竹芸能のお笑い芸人・北野誠、作家の竹内義和、番組ディレクターの板井昭浩の三人がパーソナリティとして出演するその番組は、ラジオ放送としても異例の20年に渡り放送を続けた伝説のラジオ番組だ。
当時、生放送で放送されていた番組は、プロ野球のパシフィック・リーグのペナントレースが盛り上がった直後の時期ということもあり、出演者が近鉄バファローズと西武ライオンズの優勝争いについて、語り合っていた。
さらに、彼が、この番組を聞き始めた頃は、超有名芸能事務所を怒らせたため、放送開始半年にして番組存亡の危機になっていた時期でもあった。ただ、その原因が、自身の番組の前の時間帯である午前1時〜1時30分の時間帯に放送していた当時人気絶頂だった男性アイドルグループの人気をあてこみ、彼らのスキャンダルに関する投稿ハガキを集中的に取り上げたり、話題にして語り合ったりしたことであったため、同情する余地は無かったのかも知れない。
ただ、2020年代に入って、英国のBBCが取り上げたことで、ようやく日本国内でも明るみになった男性アイドル事務所の性加害の問題を(週刊文春よりも、はるかに早い時期に)取り上げていたことは、一定の評価を与えるべきかも……という考え方もある。いや、単純にそれだけ特異な存在であったと言うべきか。
通称『サイキッカー』と呼ばれた番組のリスナーは、番組主催のトークイベントに参加した観客から、このように分析されている。以下は、番組が始まって一年が経過した頃に寄せられた投稿の内容だ。
誠:みなさん、こんばんは。私も行ってきました。4月26日のイベント。そこで、気がついたのは、『サイキック』のリスナーには、二つの派閥があるということです。
竹内:はいはい。
誠:ひとつは、北野誠のファン。誠オタクです。これは、他のタレントさんのファンとあまり変わりません。
竹内:ほうほう。
誠:もうひとつは、『サイキック』の番組についているサイキック・オタクです。
竹内:ほうほうほうほう。
誠:サイキックが、日曜土曜の帯番組のように感じる。正規の放送を録音して毎日聞いているため、「吉本ばななの話は来週します」という一言のために慌てて、『キッチン』や『TSUGUMI』を読んだ。「ドラマの『スワンの涙』を見ている」など番組で話題になってること、これから話題になることについても自分も知っていなければ気が済まず、そのためオン・エアー以外に予習復讐が必要な人です。
竹内:あ〜、なるほどね〜(笑)
誠:『スワンの涙』は30分番組なので、それほど時間は取りませんが村上龍さんや村上春樹さんの比較、消費税やリクルート問題などについては、知識を得るのに、かなり時間を取ったことでしょう。この時間を取るという面では、誠さんたちが気づいていないだけで、先週の放送で語っていた深夜番組にイラストを送る人の情念と似てると思います。
竹内:そうか〜(笑)
誠:今回のイベントでは、私の右斜め前に座った男性から、「『サイキック』宛てに手紙をもらってもらえないでしょうか?」と言われました。
竹内:なんでなんで?
誠:というのも、その男性は女性と二人で来ていて、どうもその女性は「サイキッカー」ではないらしいのです。
竹内:うん、普通の人やね
誠:普通の人? 普通の人って(笑)
竹内:普通の人というか……(笑)まあ、番組を聞いてない一般の人やねぇ(苦笑)。
誠:ちょっと待って! この番組のリスナーは、アブノーマルなんか? その代表であるオレらはなんなんや(笑)? とりあえず女性は、『サイキック』を聞いていないようです。イベントで、とつぜん、あの「おしめをして悶絶する男」のビデオを見せられて、別れ話に発展しなかったか、とても気になります。
このように、番組やリスナーが集う公開イベントで取り上げるネタの特異性もさることながら、佐藤少年が引き込まれたのは、三人のパーソナリティの絶妙なトークだった。北野誠が芸人らしい切り口で政治や芸能ネタを斬れば、作家の竹内義和は、自身の妄想力と独特すぎる推論(番組内では決め打ちと呼ばれた)であらゆる物事をジャッジする。そして、本来は二人を制止するはずのディレクター板井は、さらにトークを焚き付ける……。
そんな三人の掛け合いを聞いている間に、当時、小学5年生だった佐藤は、
(自分も大人になったら、こんな仕事をしてみたい……)
と、周囲の大人が聞けば、全力で止めるであろう将来像を描き始めていた。
多くの企業の複雑な思惑が重なった、あまりにシビアな大人の事情のために、彼が愛してやまなかった阪急ブレーブスという球団が無くなってしまうという理不尽さや不条理さによる佐藤少年の空虚な想いは、この番組の自由奔放な内容が埋めてくれたと言っても過言ではない(かも知れない)。
こうして、少年時代の佐藤は、徐々にプロ野球の観戦や応援に興味を失っていく一方で、週に一度のラジオ放送を楽しみにするようになっていた。
ただ、当然、自分たちの番組を「毒電波」「有害放送」と名付けてるラジオ番組聞いている小学生や中学生など、佐藤少年の周りには居なかった。
彼が、この番組の面白さを同級生と共有できるようになるのは、高校に入学し、後に相方となる少年と出会ってからのことになる。




