第2章 新人お笑い尼崎大賞への道〜⑨〜
ネタを終えて、舞台袖に戻ると、額にたっぷりと汗をかいていることに気づいた。
マラソンのネタで、市民ランナー役を演じたからということもあるだろうが、わずか5分ほどの出演だったにもかかわらず、吹き出す汗はぬぐってもぬぐっても止まることはない。
「おつかれ、汗びっしょりやな。それだけ、良くがんばったってことや」
舞台から降りたオッサンは、ニカッと笑いながら、そう言ってポンッと軽く背中を叩いてきた。
「ありがとう、こういう舞台に立ったのは初めてだったけど、緊張する間もなく、終わっちゃったよ……ボクたちのネタは、ちゃんとウケてたかな?」
ネタを演じるのに必死で、客席の反応を見ながら進行を行う余裕なんて少しもなかった。
「心配せんでも、星野選手のツッコミは、十分に笑いを取ってたで」
苦笑しながら答える相方の言葉に、「良かった……」と、心の底からホッとする。
5分間の……いや、本選会の出場が決まったてからの、ひと月以上の間、ずっと、緊張しっぱなしだったボクは、解放感から、脚にチカラが入らなくなっていた。
ガクガクとぎこちなく歩くボクの姿を見て、オッサンは少し驚いたようにたずねてきた。
「おいおい、ちょっと舞台で走り込んだだけで、痙攣か? 王子くん、ネタじゃなくて、ホンマに運動不足なんちゃうか?」
「いや、そうじゃなくて、ステージから降りて、気が抜けたからかも……」
ぎこちない笑顔で、そう答えると、「そうか…まあ、初舞台やし、しゃあないわな」と、また苦笑いをしてから、
「ほら、肩貸したるわ」
と言って、身体を預けるやすい体勢を取るようにして、ボクに寄り添ってくれた。
「ゴメン……今回は何から何まで、オッサンに世話になりっ放しだったね」
申し訳なさを感じながら、そう言うと、オッサンはフッと笑みをもらしてつぶやく。
「なに言うてんねん……半ば強引に誘ったのに、最後まで付き合ってくれたんや。こっちの方こそナンボ感謝してもし足りへんくらいや」
「いや、舞台に立ってネタを演じる楽しみを知ることが出来たから……ボクも、オッサンに感謝してる」
笑顔で返答すると、相方は珍しく神妙な顔つきになったあと、少し嬉しそうに、
「そうか、それなら良かったわ」
と言って微笑んだ。
「こんな楽しいことをオッサンは、何度も経験してたんだね?」
「あぁ、客席の反応を楽しめたら、舞台に立つのはもっと面白くなるで」
「そうなんだ……ところで、オッサンは、なんでお笑い芸人を目指そうと思ったの?」
「それは――――――まあ、長くなるから、また今度、話したるわ。それより、いまは結果を楽しみに待つことにしようや」
「あっ、たしかに、そうだね」
オッサンの言葉に笑顔で応じ、ボクらは出演者の待合室に戻る。
最後の出演者のネタは、ボクたちが待合室に戻って来ると、すぐに終了してしまった。
すべてのネタ見せが終了すると、審査員3名による討議時間に入る。
結果発表までは、休憩時間も含めて1時間もあるらしい。
ダブルジェネレーションの直後の出番だった、ラックノットと、最後の演者となったキテイの位置のネタは十分に見ることが出来なかったので、自分たちを含めて他の出演者のネタの出来と比較することは叶わないのだが……。
自分たちの出番が終わったことで、緊張から解放されたボクは、急に審査結果が気になり始めた。
待合室には、他の出演者たちもいることから、オッサンに小声でたずねる。
「ねぇ、オッサンの見立てで、ダブルジェネレーションは、どこまで行けると思う?」
「さぁ、どうやろうな? それより、結果発表までは、まだ時間があるし、良かったら王子くんのご家族にあいさつさせてくれへんか?」
今回の新人お笑い尼崎大賞では、審査員が選定する大賞・優秀賞・奨励賞の他に、観客賞という観客が選ぶ部門賞が設定されている。その投票が済んだあとは客席の人たちと接触することも可能なようなので、メッセージアプリで母親と連絡を取り、客席のある2階のロビーに戻って家族と合流することにした。
父や母、姉と対面したオッサンは、いつものぶっきらぼうな雰囲気から一変して、愛想よく丁寧な口調でボクの家族に接する。
「信之くんには、僕の勝手な申し出に付き合ってもらって申し訳ありませんでした」
「いえいえ! 初めて舞台で見せてもらいましたけど、面白かったですよ」
「えぇ、この子にも良い経験になったと思います」
和やかな雰囲気で語らい合うオッサンと両親の横で、姉はボクの脇腹を肘でつつきながら、
「ノブ、アンタが舞台であんなに弾けるとは思ってなかったよ。予選の時の動画よりも面白くなってたじゃん」
と素人目線の講評を伝えてきた。
「ん……感想どうも。ネタをやってるときは、客席を見る余裕は無かったけど、姉ちゃんたちに観に来てもらえてよかったよ。ありがとな」
ボクが、そう返答すると、
「どういたしまして。結果発表、楽しみにしてるよ。受賞できると良いね」
と言って、姉はニコリと笑った。審査結果の発表では、ふたたび出演者全員がステージに揃うことになるので、オッサンと家族の対面が終わったら、ボクたちは待合室に戻ることにする。
家族との別れ際、ロビーから客席をうかがうと、自分たちの出番の前にモニターで確認した石嶺和子が座っていた座席は空席になっていた。




