第9話:不当契約にご注意を(後編)
希望を追って夜の街を走ったけど、結局見つけられなかった。
肩で息をしながら、石畳の上で立ち止まる。
「……はぁ、どんだけ逃げ足速いんだよ、あいつ」
希望め、明日が決戦だってのに、振り回してくれるぜ。
大き息を吐いてから力なく顔を上げると、その先に人影があった。
街灯に照らされた、赤い制服の裾。
夜気に揺れる特徴的な銀青のツインテール
――鈴音だった。
「……鈴音?」
思わず名前が漏れた。
鈴音は石段に腰かけて空を見上げていたが、俺に気づいて顔を向ける。
「……あれ、ゆーゆー?」
驚いたような声。
でもすぐに、視線を逸らして――小さく、呟いた。
「どうしたの? こんな時間に。はやく寝ないと、明日全力出せないよ? それとももう諦めちゃったの?」
言いながら、指先で裾の糸くずをいじって、すぐ離す。強気の形だけ守っている。
その声音は、いつもの強気でも茶化しでもなかった。
迷いと、不安が混じっていた。
あの鈴音が、俺に確かめている。
胸の奥がざわつく。
だから俺は、ためらわずに答えた。
「諦めてねぇなんかいないよ。明日が本番だ」
一瞬、鈴音の肩がふっと揺れた。
そして小さな吐息とともに、かすかに笑う。
「……ふふっ。よかった」
その笑みは、勝ち気なものじゃなく、安心を滲ませた柔らかな笑顔だった。
「ゆーゆーが……逃げないでいてくれるなら、それでいいや」
「……なんだよ、それ」
「だって。もし“もうやめる”なんて言われたら……ボク、すごく困るもん」
俺は言葉を失った。
鈴音が、そんな弱音みたいなことを言うなんて。
「……困るってのは、どういう意味だよ」
問いかけると、鈴音は視線を逸らしたまま、ぽつりと続けた。
「……勝手に強がって、勝手にひとりで走ってきたけどさ。ゆーゆーが挑んでくれるって思ったら……なんか、ちょっと安心するんだよ」
頬が赤い。
夜の冷たさのせいじゃないのは、俺にも分かった。
「……でもゆーゆーがやる気をなくしたら、また一人で待たないといけなくなるから……」
――天才で、負けず嫌いで、誰にも背中を預けなかった鈴音が。
今、ほんの少しだけ、俺に寄りかかろうとしている。
胸の奥が熱くなる。
気づけば、自然に言葉が出ていた。
「俺は……勝つよ」
「……え?」
「勝てるかどうかじゃない。勝つんだ。本気で挑まなきゃ意味がないし、勝たなきゃ――お前はまたひとりに戻っちまう」
鈴音の目が揺れる。
そして――ふっと笑った。
「……ほんと、ゆーゆーってバカだよね」
「悪かったな」
「でも――そんなバカ、嫌いじゃないかな」
そう言って立ち上がり、俺のすぐ横を通り過ぎる。
すれ違いざまに、袖がかすかに触れた。
布越しに、手首の骨の細さと、脈の温かさが一瞬だけ移る。
「……じゃ、また明日。期待してるから」
背を向けながら、ひらひらと手を振る。
その歩調は軽やかで――けれど、どこか名残惜しそうに見えた。
残された俺は、胸の奥の熱を抑えられずに拳を握る。
明日。絶対に勝つ。
そのために、ここまで努力して来たんだ。
あれから3日しか立っていない。
都合よく力の差が埋まっていることなんてないだろう。
それでも。
夜空の月が、まるで笑っているみたいに俺を照らしていた。
雲の薄膜に縁どられた満月が、定規のように丸い。今夜の世界は、揺れていない。
観測ログ:#001-A-07
記録主体:Nyarl_A-001
対象:人間個体/人間個体
イベント識別:王家系統・儀式型従属契約(形式:第6群 忠誠転写)
記録時刻:対抗戦前夜20時14分(座標ログ#A7-CX)
契約ログ:完了
媒介物:雷切(名付け済)
供物:名・意志・剣
契約者:希望(王族)/悠真(無自覚)
補助演算:
当初は形式上の遊戯と認識されていたが、両者の“無意識の覚悟”により契約が変質。
双方向の存在証明型の誓約として再定義されたことを確認。
影響:
この契約により、対象は“固定点”を獲得。
識閾接続による同期演算時の自我消失リスク、12.54%に低下。
……なるほど。
形式でも、覚悟が重なれば“真”になる。
だからこの契約は、あなたの生き方に対する――ひとつの答えです。
さあ、ここから何を見せてくれるんですかね




