第7話:天羽鈴音とぼっち仲間(前編)
渚の特訓を受けて、四日目。
連日、正気の欠片も感じられないオカルト理論の詰め込みと、みそぎちゃんによる『調律』の
おかげで、俺は急速に論理魔法への理解を深めていた。
その感覚を忘れたくなくて、渚が帰った後も、訓練場の片隅で俺は一人、詠唱の練習を続けていた。
「展開式、属性接続、強制収束――くそ、またズレた」
魔力が上滑りして、収束の一歩手前で霧散する。
夕方、渚との訓練で、それまでとは違う何かを感じた。
それを再現したいんだけど、どうしても何かが噛み合わない。
「もう一度だ」
再び構えを取ったそのとき――
「あれー? 桐原非才くんじゃん。居残り練習までしてるの?」
背後から、かわいらしい声からは想像もつかないような、強烈に刺さる言葉が飛んできた。
「……は? 鈴音?」
振り返ると、制服姿の天羽鈴音がいた。
制服の上にカーディガン、小脇に小さな紙袋を抱えている。
「お前、“非才非才”言うなよ。
仮にそう思ってたとしても、もう少しオブラートに包んでだな――」
「オブラートって何?」
オブラートも知らないなんて……。
これだから科学の立ち遅れた異世界は……。
でも言われてみれば、オブラートって実際なんなんだ?
「よっと」
鈴音は近くのベンチに腰掛けると、がさがさと紙袋から何かを取り出した。
あれは――
「何それ、たい焼き?」
「へえ、知ってるんだね」
「俺の世界にも同じものがあったからな」
「ふ~ん」
鈴音は相槌を打つと、たい焼きをかじり始める。
俺がその姿を眺めていると、鈴音は食べるのをやめて、手をひらひらと振った。
「あっ、お構いなくー。続けて続けて」
「すっげぇやりづらいんだけど……」
「授業中に比べたら観客少ないんだから、よっぽどマシでしょ」
そういう問題じゃないんだけどなぁ。
まあいいや。この様子だとすぐには帰りそうにないし。
鈴音がたい焼きを食べる姿を見て、急激に空腹を覚えた俺は、気にせず詠唱訓練を再開した。
もう少しだけやったら帰ろう。
だが、三回ほどトライしたものの一度も上手くいかない。
九語での詠唱。――この世界の小学校の卒業時の目標だ。
「はぁー、じれったいなあ」
鈴音は大きなため息をつくと、紙袋を持ったまま立ち上がった。
「構文定義が甘いんだよ。君は演算力が低いんだから、そこを手抜いたらいつまでたってもできないよ」
鈴音は俺の隣まで来ると、論理魔法の構文について解説を始めた。
「――って感じ。わかった? じゃあ今ボクが教えたことを意識して、もう一度詠唱してみて」
鈴音の言葉に従い、俺はひとつひとつ丁寧に詠唱を構築した。
「空間認識、目標確認、位置収束、電位展開、電荷調整、導線確認、熱量蓄積、出力安定、雷撃起動――微雷閃」
ぴりっ。
今、確かに電気の火花が散った。
「できた!――あっ!」
前、鈴音の目の前で十語詠唱に成功して喜んだら、あんな感じになったのに……また喜んでしまった。
恐る恐る鈴音の顔を見ると、柔らかい微笑みを浮かべていた。
どこか嬉しそうに見えるのは、俺の気のせいだろうか。
「よくできましたー」
鈴音はパチパチと拍手をすると、紙袋からたい焼きをひとつ取り出した。
「はい、これ。頑張った子へのご褒美」
「いや……、そんなの別にいいよ」
「遠慮しなくていいから。お腹、空いてるでしょ?」
「……まあ」
正直、めっちゃ腹減ってるし、すごく食べたい。
ただそれを鈴音に知られるのが、なんとなく釈なだけで。
「でしょ? はい、じゃあ、あーん?」
「は?」
「はい、ご褒美のあーん」
「いやいやいや、まて、それは……」
「こんなサービス滅多にしないんだから。格好つけてチャンスを逃したらもったいないぞ」
「ううう……」
くそ、こんなのサタンの誘惑じゃないか。
のってはダメだ。だけど――
俺が論理魔法で演算を回す時以上に、脳をフル回転させていると――
「はい、時間切れー」
そう言って、鈴音は手に持っていたたい焼きを自分でかじった。
助かった……。
誘惑に勝ったぞ!
「……ねえ、なんでそんなに頑張るの?」
「えっ?」
「ボクがこないだキミに言ったこと、間違ってると思ってないよ。今でも」
鈴音はいつになく真剣な表情だった。
だから俺も素直に答える。
「……そうかもな」
学校に通いだして一週間。
渚やニャルの話から、俺に理解できたことがひとつある。
論理魔法を使うには、高度な演算処理能力が必要なこと。
それは、俺の世界の言葉で例えると、IQに相当するものであること、だ。
この世界の人は総じてIQが高く、対する俺は――元の世界基準で言って、おそらくまあ人並みである。
「でも、だからって諦める理由にはならないよ」
ニャルは、元の世界に戻るためには論理魔法を理解する必要があると言っていた。
そして希望は、「論理魔法はこの世界の社会基盤である」と俺に語った。
「他に道はない。俺はやるしかないんだ」
つまり、元の世界に戻るにせよ、このままこの世界で生きるにせよ――
論理魔法と向き合うことは避けて通れない。
今、俺の生活は希望たちの好意で保証されている。
それは、いつまで?
仮に一生助けてもらえるとして、だからって――ずっとそのままでいいのか?
「ボクのパシりになって、きちんと働くなら、ごはんの用意くらいはしてあげるよ。それでも?」
鈴音は俺の内心を察したのか、そんなことを言った。
「それでも、だ。結果的に負けたら、それはもう仕方ないでも戦う前から諦めるなんて、まっぴらだね!」
「そっかあ。君はボクの想像より、数段頭が悪かったんだね」
悪態をつく鈴音の声に、いつものような人をからかう響きはなかった。
「いいか、鈴音。俺は必ずお前に勝って『申し訳ございませんでした、ご主人様』って言わせてやる! 覚悟しとけよ!」
俺の宣言に、鈴音は満面の笑みを浮かべた。
「そう。無理だと思うけど、せいぜい頑張ってね。えーと、桐原……さんま君?」
「悠真だよ!」
こいつめっ!
マジで名前覚えてなかったのかよ!
「そっか、悠真ね。覚えた」
鈴音はうんうんと頷くと、
「それじゃあね、ゆーゆー」
そのまま、鈴音は自分の食べ差しのたい焼きをひとつ俺に押しつけると、軽く手を振りながら立ち去っていった。
「ゆーゆーって……」
夜の訓練場に静けさが戻る。
手元には、鈴音に押しつけられた、ほんのりぬるい――食べ差しのたい焼き。
「冷めてんじゃん」
意外だった。
冷めたたい焼きなんて、捨てるタイプだと思ってたのに。
残さず食べるんだな。
――しかし、どうしよう、このたい焼き。あいつの食べ差しだぞ。
……。
まあでも、捨てるのはもったいないし?
あいつが渡したんだから、食べても許されるよね?
よし、論理が整った!
俺は、たい焼きをひと口かじった。
「甘いな、これ」
俺はたい焼きを食べ終えると、借家への帰路についた。




