十四 五つの心
「理性心で本能心が統御できるならば、何も人生というものは苦労する必要はありゃしないんだよ」
中村天風
なにかを考えると、心が動くのを感じます。楽しかった記憶を思い出せば、その時の情景が浮かんでくるはずです。生物は進化するにつれて、その心の世界を広げてきました。その結果、人間の心の世界は宇宙のように果てしなく広がりました。これは、人間の想像力が無限であることを示しています。
人間は心の世界から、さまざまなものを生み出してきました。実用的なものだけでなく、芸術作品もそうです。人間の芸術作品には、人間をテーマにしたものが多くありますよね。それは、人間が自分の姿を表現しようとしたものです。同じように、宇宙も自らを表現するために、心を生み出したのかもしれません。生物の進化とともに心の世界は広がっていき、人類の誕生によって心は一つの完成を迎えたのかもしれません。
「分かる」という言葉の語源が「分ける」であることから、人間は物事を分けることで理解を深めてきました。大学でも、学科や学部が細かく分かれていますよね。人類は研究対象を細分化し、専門的に調べることで、科学を発展させてきたのです。
人類が物事を細分化して理解したように、心についても分けて考えてみましょう。心はその働きによって、物質心、植物心、本能心、理性心、霊性心の五つに分けることができます。その中で、物質心と植物心は意識の上に現れないため、その存在を直接感じることはありません。
物質心は生物だけでなく無生物にも備わっているものです。形あるものすべてが物質心を持っていることになります。無生物が心を持つと聞くと不思議に思うかもしれませんが、心とは「気の動き」を指すため、すべての物体が何らかの心を持っているのです。
物質心の役割は、物体の元となる気が分散しないようにすることです。気体は自由に広がる性質がありますが、それを一箇所にまとめているのが物質心です。太陽の重力が他の惑星を引き寄せ、太陽系を形成しているように、物質心が気をまとめることで、物体は形を保つことができるのです。
植物心はすべての生物が持っており、生物が生きていくために必要な基礎的な働きを担っています。人間の場合、酸素を血液で全身に運ぶことや食べ物を消化して排泄すること、恒常性を維持することなどが植物心の働きになります。
恒常性とは、体の内部の環境を一定に保とうとする仕組みのことです。例えば、寒い場所では体温を上げようとし、出血すれば血を止めようとします。
私たちが意識しなくても心臓が鼓動し、肺が呼吸を続けているのは、植物心が自律神経を働かせているからです。植物も植物心によって呼吸や光合成を行うことで生きています。
本能心や理性心は、その名の通り本能や理性を生みだします。どちらも意識にのぼるので、その存在を感じることができます。本能心はすべての動物が持ち、理性心は人類だけが持っています。
本能心は、動物が自然界で生き残るために生まれた心です。恐怖や不安、怒り、喜びといった感情や、食欲、性欲、睡眠欲といった欲求を生み出します。また、視覚や聴覚、痛覚などの感覚も本能心の働きによって生じます。
恐怖や不安を感じることで、動物は危険を避け、怒りによって外敵と戦うことができます。食欲があるから必要なエネルギーを摂取でき、性欲があるから子孫を残せるのです。これらはすべて、生きるためには欠かせないものです。
欲求が満たされると、動物は喜びを感じます。そして、その喜びを再び得たいという思いが、困難や障害に立ち向かう原動力になります。また、痛みを感じることで体の異常に気づき、危険を避けることができます。もし痛覚がなければ、体の異常に気づかず、命の危険に直面することになるでしょう。
本能心は生きるために不可欠ですが、人間は時にそれに振り回されてしまいます。本能心からは権力欲や金銭欲などの欲が生まれ、それが原因で争いが起こることがあります。それが原因で、戦争にまで発展することもあるのです。また、欲求をうまくコントロールできないと、アルコール中毒やギャンブル中毒、薬物中毒といった依存症に陥ることもあります。
本能心による感情は、自分と対象の一対一の関係から生まれます。
現代社会では、物理的に敵と戦う機会がほとんどなくなり、本能心はそれほど必要とはされなくなりました。感情のままに生きることは好ましくないとされ、感情を抑えて生きることが求められます。しかし、強い怒りや不安を抑え続ければ、精神が疲弊してしまいます。現代にうつ病や神経症が増えているのは、感情の抑制を強いられる社会に原因があるのかもしれません。
理性心は人類だけが持つもので、善悪や正誤を判断し、本能心を抑える働きをします。人が反省したり、良心の呵責に苦しんだりするのは、理性心があるからです。善悪の概念がなければ、人は自分の行動を振り返り、後悔することもありません。理性心があるからこそ、人は困難に耐え、苦しくても正しいと信じる道を進むことができます。本能心は困難を避けようとしますが、理性心がそれを抑えることで、人は困難に立ち向かうことができるのです。
理性心は、自分や対象を第三者の視点でとらえます。他者の行動も「自分にとってどうか」ではなく、「他者から見てどうか」という観点から判断します。
本能心と理性心はしばしば対立し、葛藤を生み出します。本能心は、自分の快・不快や損得に基づいて動きますが、理性心は社会的な視点を持ち、客観的に物事をとらえようとします。しかし、理性心の判断もその時代の価値観や環境に左右されるため、絶対的なものではありません。
心の中にある精神世界において、本能心は動物、理性心は人間にたとえられます。精神世界の状態はそのまま性格に反映されるため、攻撃的な人は、心の中に獰猛な肉食獣を飼っています。正義感の強い人は、心の中で人間が動物をうまく抑えているのです。
リスのような臆病な動物もいるため、引っ込み思案だからといって理性的であるとは限りません。
イライラしている人の精神世界では、心の中の肉食獣が暴れて回っていて、不安にとらわれている人は、心の中の草食動物が恐怖から逃げ回っているのです。
自律神経を整える植物を荒らさないよう、動物を上手に手懐けなければなりません。また、人間がくよくよと悩んでいるなら、たまには気分転換をさせましょう。
本能心は「体」に基づき、体を守るために働きます。一方、理性心は「心」に基づき、心が納得できるように善悪や正誤を判断し、本能心を抑えます。そして、霊性心は「霊魂」に基づき、全体の秩序や調和を保つように働きます。霊性心は個の視点を超え、全体が向上するように導くのです。
霊性心は、正誤を判断する理性すらも俯瞰し、その場の感情に左右されることなく、物事を広くとらえます。本能心は自分と対象という二次元的な視点から生まれ、理性心はそれを見つめる第三者の視点から生まれます。そして、霊性心は時の流れや個の立場に縛られない、広い視点から生まれます。
霊性心は、全体の調和を第一に考える、広い視点を持ちます。たとえるなら、子供たち全体の成長を見守り、園内全体を大切にする保育園の園長先生のような存在です。
おすすめ書籍
中村天風「心に成功の炎を」