一 前書き
人間は何のために生きているのでしょうか?地球環境を破壊し、争いを繰り返す人類は悪い存在なのでしょうか?こうした問いに対して、あなたは自分なりの答えを持っていますか?
文明が発達したことで、私たち便利で快適な生活を送れるようになりました。食事に困ることはほとんどなくなり、映画やスポーツなど多くの娯楽があふれています。しかしそれにも関わらず、ストレスや生きづらさを抱え、うつ病や神経症などに苦しむ人が増えています。これは、人類が物質的な面ばかりを重視し、精神的な面を軽視した結果ではないでしょうか。昔は物質的に貧しかった分、精神面が重視され、現代よりも人の心が丈夫だったのかもしれません。
明治から昭和の時代にかけての日本には、今では想像もつかないようはスケールの大きな人物が多く存在していました。たとえば、東洋思想や哲学を現代に応用することを説き、日本の戦後復興期において精神的指導者として重要な役割を果たした安岡正篤。独自の思想体系「天風哲学」を築き上げ、積極的な思考を通じて自己実現を目指す実践的な方法論を説いた中村天風。また、その中村天風の師であり、欧米列強のアジア植民地化を防ぐために活動した頭山満。私はこのような偉人たちの思想に触れることで多くのことを学び、冒頭のような問いにも、自分なりの答えを持つことができました。
目的もなく漠然と生きていると、人は怠け、無為に人生を過ごすようになります。孔子は、「吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲するところに従い矩を超えず」と語りました。
孔子は、十五歳で世のために役立とうと学問を始め、三十歳で自分なりの考え方を確立し、四十歳で迷うことがなくなったといいます。若い頃は理想と現実のギャップに苦しみますが、四十歳前後で、人はありのままの自分を受け入れられるようになります。すると、自分の考えと世の中が一致して、迷うことが減るのです。
孔子は五十歳で自分に与えられた使命や役割を理解し、六十歳になると周囲の意見をすべて受け入れられるようになりました。そして、七十歳になると思うままに生きても、道理から外れることがなくなりました。
孔子ほどの偉大な人物であっても、この境地に至るまでには長い時間が必要でした。人間性を磨くことが、いかに難しいかがわかります。また、人間は自分自身のためだけでなく、世のために役立とうと考えなければ、真に成長することはできません。自分勝手に生きて物質的な財産を得たとしても、心は満たされることも成長することもないのです。
現代の学校教育では、社会に出てお金を稼ぐための知識やスキルは学ぶことができても、人間性を育むための本質的な学びは得ることはできません。
本書は、中村天風と安岡正篤の教えを中心に話を進めていきます。二人の教えの核となる部分を、理解しやすい形でまとめるよう心がけました。古い書物は言葉遣いや内容が難しく、読みにくいことが多いので、本書がそのような本との架け橋になれればと思っています。また、二人の教えだけに留まらず、私自身の解釈を加え、発展させています。本書が二人の教えを繋げる役割を果たせたらと願っています。
中村天風や安岡正篤の書籍に親しんでいる読者は、年齢層が高い印象があります。しかし、これからの時代を担う若い世代にこそ、彼らの思想に触れてほしいと思うので、特に若い世代に読みやすい内容となるように心がけました。
中村天風や安岡正篤の書物には、誰もが学ぶべき多くの教えが記されていますが、「自己啓発」や「宗教」といったカテゴリーに分類されるため、敬遠されがちな一面があるように思います。しかし、かつての日本人は、キリスト教徒が聖書を読んで信仰を深めるように、儒教の経典である「論語」を日常的に読み、自らの精神を養っていました。今こそ、私たちは失われつつある日本の精神を取り戻し、それを未来へ繋げていくべきではないでしょうか。本書がその一助となることを心より願っています。