98-最悪の連鎖
『……炎玲……!』
その言葉に、反応するように。上空、鳥の変異体が、こちらを睨む。
とたん、脳内のパラサイトがアラームを発しはじめた。
(警告! 警告! フォールン反応アリ!!)
『……フォールン』
(ご主人様! あの少女が何を打ったかはわかりませんが、“キメラセラム”のような低純度のものではありません! 今や、彼女は完全に“フォールン”として覚醒しています! 回避を!!)
気付く! 真紅の鳥、その翼からいく筋も黄金の粉塵が流れてくる!
跳躍して躱すと、駐輪場が爆発して吹き飛んだ!
『なッ……』
(前です!!)
もう一筋! 空中で防御を固め、トラックにぶつかったような衝撃で弾かれる!
背中から、壁をつきやぶる! あまりの威力に咳き込んでいると、そこは職員室だ。
壁にかけられた部活の予定表や、校務分掌が、舞い落ちながらも燃えてゆく。天井が焼け、落下。
机に手をかけて立ち上がる。炎玲は羽ばたいているだけだ。それなのに、ここまでの破滅をばら撒いている……!
『頼むやめてくれ! 炎玲! こんなのお前じゃない!!』
「……オマエが、アタシの……何を知ってんだ!!」
その翼から、またも粉塵の筋! すさまじい速さで、俺を目掛ける!
「アタシは紅龍堂だ! これまでも、これからも!! そうだよ! もっと早くこうすれば良かったんだ!!」
『……!』
「すっごいシンプルじゃん! へへ。へ、あははは!! みんな敵で……みんな、嫌いだッ!!」
椅子の背をちぎり、向かってくる“粉塵”に投げる!
空中で爆発! それをかい潜って、真紅の鳥へと駆ける!!
“筋”がいくつも、雨のように降り注ぐ! それらを辛うじて回避すれば、弾ける石畳が頬を掠めた。
「来るなよッ! ウザいんだよ!!」
『炎玲! やめろ!! 関係ない人間まで巻き込むことになる!!』
「……! 今更ッ……いまさらだ!!」
跳躍! 爆風をうけ、俺は炎玲の高度まで到達!!
数十通りも、攻撃のパターンはあった。それでも、諦めたくない! 変異体の胸ぐらを掴み、必死にしがみつく!
『まだ戻れる! お前は炎玲だ! 俺たちの知ってる炎玲のままで……!』
「……造船所の地下で、何人も焼き殺したのに?」
『……え……』
鳥の変異体。その視線が、ヘルメット越しに覗き込んできていた。
炎玲の羽ばたきすら止まる中、俺たちは上空で立ちつくす。
少女は笑っていた。
「覚えてるよ。アレはアタシがやったことだもん」
『……ちがう。違う! セラムに興奮剤が混ざってたんだ。炎玲、あれはお前の責任じゃ……!』
「へへ。そうかも。……でも、意識はあったよ。最初から覚えてて、オマエらのそばにいたんだ。……ひどいよな。そんな資格ないよな」
『頼むから……! 俺はそんな……』
その時、パラサイトのアラーム。
背中に、いく筋も。黄金の粉塵が、到達していた。
普段なら気付けていたハズのそれらが、直撃する……!
「だから、これは罰だよ」
『イェン……!』
衝、撃。
暗転した視界が、戻ってくる。
燃える瓦礫の中、俺は横たわっていた。
半壊した体育館だ。瓦礫の下から、トクタイや、A-SADが起き上がりつつある。
グチュグチュと再生音を鳴らしながら、炎の海から立ち上がるのは変異体たち。
バチバチと帯電する瓦礫がうかび、押し退けられる。立ち上がったのは、ブリッツ。眼帯の男。直政も……。
熱で瓦礫を溶かし、這い出してくるのは“天”。俺たちを見て、狂った笑みだ。
まだ、戦わなければならないのか。炎玲が苦しんでいるのに、俺は……。
その時、空気の振動音。
炎玲と同じくらいの高度に、ヘリが現れた。
横腹に大きく“AWB”の文字。ドアが開かれ、カメラマンが身を乗り出す。
「こちらリポーターのトミフシです。現在、アワナミ高校の体育館上空からの映像をお届けしております……」
「トミフシさん、マジで死ぬっす! アレ、アレ! 鳥が飛んでますよ、デケェ!!」
「黙って撮ンなさい! どうせ死ぬ時ゃ道連れよ! ……ご覧になれますでしょうか、いくつかの影が体育館の瓦礫から立ち上がっております! また、先ほどから上空を飛ぶトリのようなものも……」
「メディアか。……映されては面倒至極。ブリッツ」
「もうやってる」
ヘリを見上げながら、眼帯の男が無感情に指令を下した。
頬の煤をぬぐう、色黒の少女の指先から青いスパーク。
カメラマンが担いでいた大型の機材が、おなじくスパークを発する!
「な……ぶ、ブラックアウトしてます! 音も死んでる……!」
「は!? ここ映さないでどうすんのよ! さっさと直しなさいっての!!」
「そ、それが……だ、だめだ、一回局に戻ってください! 降りて修理しないと」
「ご苦労。ハイエナどもが群がる前に撤退するぞ」
飛び去るヘリを見送り、眼帯の男が宣言。直政と、ブリッツと呼ばれた少女がそのそばに控える。
ゲート。あくまで、秘密組織として露出を避けるつもりなのか。
いや、それよりも。
『直政さん! 待ってくれ、炎玲が……』
「クラップロイド。貴様の危険度の評定は、このあとすぐになされる」
気まずそうに顔を背ける直政を、さえぎるように眼帯の男が前に出た。
その“圧”。特に、手に覗く“懐中時計”から感じる、異様なまでのプレッシャー……! 背中に、冷たい汗がつたう。
「ゲートは、敵を許さぬ。敵を助ける、蒙昧者もな」
『敵じゃない! アイツは……』
「行くぞ。構っている暇はない」
『直政さん!!』
背を向け、去ってゆくゲートたち。
そのうちのひとりに、必死になって声をかける。
直政は立ち止まる。そして肩越しに、悲しげな瞳を見せた。
それだけだ。彼はゆらめく空気のカーテンをまとうように、意識の穴へと潜ってゆく。
甘いピザを作るシュルツ。競うように、激辛ピザを食べる炎玲。やれやれと笑う直政。
記憶のピースが、砕けてゆく。膝をつきそうになって、我に返る。
まだだ。まだ、立って戦わなければ。俺は。
俺は、クラップロイドで。
俺は。
……俺は、なんで、戦うんだ。
「クラップロイド!」
《だ、だ、大丈夫!?》
その時、かたわらに存在を感じて顔を上げる。
心配そうな白鳥と、ドローン。どちらも煤まみれ、傷だらけなのに、心が折れた様子は全くない。
『……篠原、白鳥……』
「しっかりして! まだ何も終わってないわよ! 立って戦えるなら、戦ってひっくり返すの!!」
《あ、あれが炎玲……だよね? ぜ、ぜんぜん、見た目が違うけど》
『……ああ、そうだ……そうだ、アレが炎玲! 知らない薬品を摂取したみたいで、完全にフォールンになっちまってる』
そうだ。こいつらが居る限り、心では負けない。
視線を上げて、戦場を見渡す。
変異体たち。炎玲。A-SADに、トクタイ、そして……。
「……データ収集も十分。“意趣返し”も、果たせたな」
全身を白熱させる“天”が、A-SADを見て笑う。
特に、犬飼さんを。彼が眉根を寄せるのを、紅龍堂の幹部はあざわらった。
「一報還一報。“真壁警視監”に伝えてくれ……紅龍堂には、お見通しだとな」
「……どういう意味ですか」
「お前たちの寄りかかる“正義”の土台なぞ、クズ未満だという意味だ。炎玲! 退くぞ!!」
「逃がすなッ!! トクタイ、包囲陣形を取れッ!!」
力強い叫び。鉄巻さんだ。瓦礫を蹴り飛ばし、変異体をスタンバトンで殴り倒し、怒りのまま吠える。
その号令にしたがい、青い鎧の部隊員たちが“天”を取り囲む。
「未雨綢繆。備えは万全にしてあるとも」
それを見た“天”が、肩をすくめ、奇妙な形の銃を頭上へ向ける。
パン、と打ち出されたソレは、球体だ。直後、それは雨のように何かを降らせた。
注射針! とっさに飛び出し、鉄巻さんを押し倒す!
いくつか背中に軽い感触。庇いきれなかったトクタイたちが、自分の体から針を抜くのが見える。
「くっ、何する! 邪魔だクラップロイド!」
『これはキメラセラムなんすよ! 打たれたら、興奮剤でムリヤリ……?』
わめく鉄巻さん。注射針を拾い上げて説明しようとし、違和感をおぼえる。
刺されたトクタイたちの、変異が、はじまらない。彼らは皆、困惑したように手の中の針を見つめている。
「略勝一籌。“人に何かを信じさせる”というのは、簡単なことだ。クラップロイド……セラムのムダ撃ちはしない」
もう一丁、銃を取り出している“天”。
彼はすでに撃っていた。白鳥を。
彼女の腹部に、針が突き立っている。
「……そして、残念ながら。これは本命、アバターセラム」
白鳥が、仰向けに倒れた。
『白、』
「さくら!!!!」
絶叫。白鳥 正一郎のものだ。色を失い、駆け寄ろうとしている。
誰もが、目を奪われていた。トクタイも、A-SADも。“次の変化”までの、わずかな一瞬。
ザク、と足元が鳴った。
瓦礫に降りた、“霜”の音だった。
隣のドローンから、悲鳴のような声。
《く、クラップロイド! 温度急降下!!》
『白鳥さん!! ダメだ、危ない!!』
叫ぶ。飛び出して、庇う。
直後に、破片を吹き飛ばしながら、爆発。
炎をすべて打ち消しながら、その“凍波”が辺り一面を覆う。
「くっ……クラップロイド!? 邪魔だ、娘が!!」
『下がって! お願いだから下がってくれ! これ以上はもう、誰も……!』
氷が張り付くアーマー。正一郎さんが叫び、押しのけようとするのをとどめる。
その時、背後で気配。
『しらと……り……』
振り向いた先。氷の爆風を撒き散らしながら、起き上がる“それ”。
食いしばった歯が、牙に変わる。締めた拳が、爪で軋む。
白い毛並みに覆われた彼女は、それでも変異前の面影を感じさせる。
「……グ、ルォ……」
口から漏れるのは、苦悶の呻き。歪んだ表情は、いまにも衝動に染められそうだ。
白虎。尻尾を揺らしながら、よろめく足元で、いくつも氷の華が咲く。
「さくら! お父さんだ、わかるか!?」
「……!」
俺の背後、正一郎さんを見た彼女は、手を伸ばしかける。
だが、すぐにその手を地面についた。
四つん這い。獣の姿勢で、牙を剥き出す。
《く、クラップロイド! マズイ、完全に影響下! な、なんとかしないと、被害が出たら……!!》
『……白鳥……!』
篠原の分析で、重い拳を構える。
コイツに、人殺しをさせるわけには。
だが、仲間が。仲間ばかりが。
「……クラップロイド!」
『!』
その時、隣から声! 正一郎さんだ!
「かつてはキミを、この街から追い出そうとしたこともあった。だが、今は……娘を助けるために、力を貸してほしい」
『……勿論っす』
揺らぎかけた性根を、叩き直されるようなその言葉。
彼は覚悟を決めているようだった。上着を脱ぎ捨て、音が鳴るほどのグリップで狙いをつける。
「その後ならば、私をどうしてくれてもかまわん。だがもし娘が死ねば、キミを殺して私も死ぬ……いいな!」
『当然……!』
「行くぞ!」
『はい!』
白虎が吼え、飛びかかってくる!
白い影のような跳躍に、真っ向から迎え撃つ!
正一郎さんが同時に発砲し、最悪の戦いが始まった!!




