97-家族の裏切り
『炎玲……! ああ良かった! どこ行ってたんだお前、みんなメチャクチャ心配して……』
やっと会えた炎玲に近寄ろうとして、気付く。
その小さなナイフが、こちらに向いている。気付けば、俺の足も止まっていた。
炎玲の表情が、動かない。何かがおかしい。
『……炎玲?』
「みんな心配してた? ホントか?」
『本当に決まってるだろ、白鳥だって篠原だって……みんな』
「いいよ、そんなウソ。だって、誰も探しには来なかっただろ?」
『……探しには行ったんだ。ただ、見つけられなかった』
言葉の温度が、ない。炎玲の口から出るそれらには、失望の冷たさすらない。
ヘルメットの内側で、こめかみを伝ういやな汗を感じていた。……何が、起きている?
俺の言葉を聞いて、炎玲は笑いの音を発した。
「はは、上手だよな。そう言っとけば、ごまかせるもんな……」
『お前に何があったか分からないけど、今は大変なタイミングなんだ。分からないか? みんな苦しんでる! 今、助けてやらないと……』
「分かってる。“人は、そこに居るだけで、信じられないほど価値がある”。だっけ?」
『……』
あきらかな、嘲笑の込められた言葉。
体育館の内側では、ひっきりなしの銃声と、変異体たちの呻き声が聞こえてくる。
その外で、俺は炎玲の目を見ていた。うつろな瞳を。
「……どうしたんだよ。行きたいなら、行けばいいだろ。みんな、クラップロイドを待ってるぞ」
『……何があったんだ?』
「アタシみたいなチビ、他の奴らみたいにぶっ飛ばしてさぁ。行けばいいじゃん……やれよ。やれって」
『何があったんだ』
冗談めかしているのに、炎玲の声は死んでいた。
俺は、同じ問いを繰り返すしかない。向けられたナイフの切先がブレないのに、この少女を押し退けることはできなかった。
「……へへ。やらないんだ。優しいな、やっぱり」
『なあ、炎玲……』
「アタシが、“適合体”だから?」
『……!!』
一瞬の笑みが、幽鬼のごとき無表情にとって変わる。
俺の揺らいだ重心を見抜いてしまったのだろう。炎玲は、無表情よりなお無惨な微笑みを浮かべた。
「アタシが、キメラセラムの適合体で、利用価値があったから。オマエはアタシを連れ帰ったんだ」
『炎玲、』
「触るなッ!!!」
伸ばした手が、ナイフで弾かれる。散る火花も、俺たちの間で消えた。
震える炎玲。息も荒く、片手のナイフで未熟なCQCの構えをとる。
「なにが“みんなの価値”だよ……なにが“信じてる”なんだよ!! よくもそんなコト、言えるな!! ヤンさんに、あんなことしといてッ!!」
『炎玲!! 話を聞いてくれ、俺は……』
「どうせ!! どうせっ……本心から、家族みたいだって思ってたのも!! あの時間がずっと続いてほしいって思ってたのもっ!! どうせ、アタシだけなんだろ!!」
『違う! 俺たちは家族だった!! 今だって!』
「なら!!!」
カチカチと歯を鳴らしながら、炎玲は両手でナイフを握る。
無様な構えだった。そして少女は、泣いていた。
ポタポタと落ちる涙に、俺は言葉が続かない。
そんな俺に、炎玲は泣きながら、すがるような視線を向けてくる。
「……なら……なんで、見ず知らずのアタシを助けてくれたんだよ……?」
『……』
「……価値がなくても、失敗しても、生きてていいから助けてくれたって……信じていいの……?」
(((この子に、紅龍堂のイレズミがなかったら。貴方は、ここに居ることを許してた?)))
血を吐くようなその問いに、俺は、答えられたはずだった。
山ほどある、正解に見える言葉を。ただ、口に出すだけで良かったハズなのに。
なのに、過去の残響が、口を塞いでしまっていて。
その一瞬。
その一瞬で、炎玲には十分すぎた。
「あは。はは。へへ。あーあ。あーあ!! やっぱりそうなんだ……そうだったんだあ!!」
『……頼む……炎玲。俺は……』
「もう!! もう嫌だッ! もう裏切られたくない!! もう期待したくない!! もう……!!」
泣き笑いの表情で、膝から崩れ落ちる炎玲。
丸くなるように抱え込んだ腕へ、注射器が突き立っていた。
それを見ても。俺は、動けずに。
「……もう……なにも信じたくないよ……!」
『……!!』
その言葉にも、俺は、なにひとつ言ってやることができなかった。
爆発が、起きた。
吹っ飛び、転がり、地面に手をつく。
未だ続く爆風から、庇いながらも顔を上げる。
半壊する体育館の上に、燃え盛る輪を背負った巨大な鳥が飛んでいた。




