94-集まり始める存在
「ない! 証拠なんてなーい!」
「雪ちゃん? もう少し頑張って」
アワナミ市警、資料室にて。
本の津波に飲まれるような形で、トクタイ隊長の鉄巻が悲鳴をあげる。
それを見た白鳥 しおりが、苦笑まじりにエールを送る。彼女もまた、何十冊目かの資料を平積みしたところだ。
「嫌だ! 20冊目だ! 20冊目なんですよ、これは」
「よぉ鉄巻、見てみろよ。10年前のよぉ、この放火魔の事件! 懐かしくねえか?」
「ああ……結局ホシは上がらず! バカでかい虫メガネが火元だと私が言ったら、査定がCになった」
鬼原が持ってきた記録を、鼻で笑う鉄巻。
いま、彼女たちは過去の事件や出来事を追っていた。
「ある程度は“統制監察室”の権限で好きにできるが……資料は大事に扱うように!」
白鳥 正一郎が叱咤すると、本の海の中から中指が立つ。
それを傍目に、しおりはぺらりと資料をめくる。今日の日付の、自治体の委託契約書が落ちた。
「あら……そっか。健診、今日だったわね」
「あーあの、クソッタレのA-SAD偽善バカ独裁者どもの健康診断ですか」
「雪ちゃん? 言いすぎよ」
「はん! 本当のことですよ。今日が終われば、“特別措置法”が発効だ。我々だっていつか引っ張られますよ!!」
鉄巻の剣幕に、しおりもそれ以上なにか言おうとするのを諦める。
……そして、一瞬、手を止めた。
「……この“蓮華福祉財団”って?」
「ああ、そこは今回の健診に協力してくれているNPOさ。だから実質、クラリス・A-SAD・蓮華財団の三体制でやってるんだ」
「……」
決裁文書を読みながら、しおりは紙をめくる手が止まらない。正一郎も、空気の異変に気付いた。
「……この予算執行記録。ずいぶん大きな額を動かすのね」
「なに? せいぜいボランティアに報いる程度の額だったと記憶しているが」
「ボランティア? まさか。ただの福祉財団に、五千万を送ってるのよ?」
「……バカな。“統監”として、判まで捺したんだぞ」
そう言いながら、正一郎もその決裁文書を読み上げ始める。
そして、すぐに顔をしかめた。
「……違う。私が見たのは、犬飼特務の名義のものだ……これは、真壁警視監?」
「……支出理由が黒塗り。これが許されるの? それにこの“武装Ω”って……」
「あーあー、天下の公安“A-SAD”は神様仏様より偉うござんすってか……なあ、トクタイにも五千万くれないか掛け合ってみるか」
「そりゃ、ムリだろ。弾代でぜーんぶパーだ」
顔を見合わせる夫婦。鉄巻が適当を言えば、鬼原がヒラヒラと手を振る。
「蓮華財団については?」
「知らないんですか、しおりさん。“奇跡の聖女・蓮美 カレン”! 孤児から財団の代表まで登り詰めた孤高の天才……」
「ドラマ見たかよ、カレンの。俺ぁ、親に捨てられて返り咲きを誓うシーンで泣いちまったよ……」
「で、財団の代表になってからはもう破竹の勢い! リトルチャイナを本拠に、今じゃクラリス・コーポレーションと比肩するほどの財力で……」
「……リトルチャイナ」
さぁっと、しおりの顔色が変わる。
紅龍堂。A-SAD。蓮華財団。
カレン。真壁。
そして、今日の健康診断。明日からの“超人狩り”……!
「……車を出して、雪ちゃん。トクタイとして緊急出動よ」
「え? あ……り、了解! おい鬼原、全員に召集かけろ!!」
「お、おお! 勿論!」
「あなたも、来て欲しい」
「行くさ。ただし、キミは留守番」
「もう!」
車のキーを取り出して、正一郎もすでに本気の顔つきだ。
どたどたと出ていくトクタイ2人組。それを追いながら、しおりは唇を噛んでいた。
◆
「……ずいぶん待たされるわね……」
体育館に通され、すでに数十分が経過。白鳥は、何度目かの時計確認を行う。
だだっ広い空間に、数人いるだけだ。皆、それぞれのやり方で暇を潰そうとしている。
ときおり、スタッフの誰かが覗きに来るだけ。何の動きもない時間を、無為に過ごしている。
「白鳥さん。知ってる顔がいないから、不安になっていたよ」
「御影先輩」
そこに、声がかかる。白鳥の近くに歩み寄ってきたのは、優しげな顔の女子高生だ。
弓道部 部長、御影 楓である。ハスキーボイスで、冗談めかして笑っていた。
「キミがいるなら、少しは安心できるよ。ねえ、我々は何故ここに集められているんだい?」
「それが、私もあまり……私の仮説通りなら、絶対ここにいるって人が居ないんです」
白鳥は辺りを見回し、堂本を探す。……だが、体育館内にはいない。
御影は髪を払うと、おどけてみせた。
「そうか……あの白鳥さんにも分からないことがあるとはね」
「やめてください。御影先輩、私がそういう持ち上げられ方が嫌いだって知っているでしょう?」
「はは、ごめんごめん」
冗談めかして笑う御影に、ツンツンと言い返す白鳥。
少しして、笑いを引っ込めた彼女が首筋に手を当てる。
「……何か、ね。さっきから、嫌な予感と言えば良いのかな」
「……」
「最近、こういう“カン”みたいなのが良く働くんだ。決まってクビが、ゾワゾワしはじめる……白鳥さんにも覚えがないかい?」
「……正直、空気がピリついてる感じがします」
2人して、体育館の中を見渡す。なにか異変があるわけでもないのに、その不吉な感覚は拭えていない。
他の人たちも、落ち着きがない。スマホをしまっては取り出したり、頻繁に窓の外を確認したり。
「これは仮説なんだけど」
「なんですか?」
「ここに集められてる人たちって、もしかして……少し特殊だったりするのかな」
「……」
御影はひとりひとりを観察している。
たしかに体育館内にいる人々は、妙に体格が良かったり、その立ち振る舞いに隙のない者が多い。
白鳥はその最たるもの。御影も、それに及ばないまでも、形式ばった武の修練の成果を感じさせる。
身体だけではない。精神、あるいは脳の使い方の鍛錬が成っている。
「……もしかしたら、そうかも」
「やっぱりそっか。……何をされるんだろうね、我々は」
「不安ですか?」
「はは。なんたって、ゾワゾワがおさまらなくて」
空元気のような笑顔を見せる御影。
その時。がらりと、体育館の両開きドアが乱暴に開かれた。
そして、首がへし折られたスタッフの数名が投げ込まれてくる。上がる悲鳴に、御影と白鳥の眉根が寄った。
「琳琅満目! ここが今日の狩場か」
入ってきた男を見て、白鳥が目を見開く。
彫刻のように、鍛え上げられた肉体。紅色のロングコートが半ばだけ覆う上半身は、複雑な模様のタトゥーを晒す。
李 凌天。紅龍堂!!
「まずい……」
「知り合いかい?」
「最悪な部類の。みなさん、逃げて!」
叫ぶ白鳥が、即座に前に出る。空手を構えて、“天”の前へ!
パニックに陥りかける人々を背に、御影も彼女に並び立つ!
「御影先輩も、逃げてください」
「可愛い後輩を置いて? ありえないかな」
「以公滅私! 悲しいかな、遊んでやりたいが……仕事で来てる。陽動だよ、俺は」
つまらなそうに肩をすくめる“天”。
直後、御影が首を抑えて目を見開いた!
「……まずっ! 伏せて!!」
その瞬間、体育館の2階バルコニーから、隠れていた紅龍堂構成員が一斉に立ち上がる!
彼らは特殊な形の銃を向け、射撃し始めた!!
反応しきれない白鳥を押し倒す御影! その首筋に、“ソレ”が命中する!
小さな、注射針だ。通り雨のような、2階からの射撃はすぐに終わる。
「御影先輩!」
「ど、どうってことない……ぐ……!?」
「それは“キメラセラム”だ。経過を観察していろと言われてな……“イカロス”と“フォールン”を混ぜたらどうなるか、と。言っておくが、俺は興味ない」
至極面倒そうな凌天。あくびを噛み殺して、体育館内の地獄を見つめている。
針の雨を受けた人々が、変異しつつあった。爪が伸び、骨格が歪み、血管が全身に浮かび上がる。
「あ゛……がああああ゛あ゛あ゛!?」
パン!! 風船の割れるような音。
白鳥が目をやれば、体育館の奥に頭を失った死体が生まれていた。噴水のような血が辺り一面に散り、よろよろと数歩で倒れる。
「……え?」
「大吃一驚……そうなるのか。やはり安易に点心を混ぜてはいかんな。“アバターセラム”の使用前で助かったよ」
パン、バツン。ビシャ! 何人も、内圧に耐えかねるように、体の一部が弾けてゆく。
耐えきった少ない人数は、とうとう本格的に変貌を遂げる。火を呼吸するヤモリ、蟻、魚……!
「ぐ……はなれて……!」
「御影先輩……!」
御影も例外ではない。体育館の床についた指がかぎ爪となり、木材を抉る。
その瞳が、猛禽類のものに変わる。金色に輝き、理性の光がつぶされゆく。
灰色の羽毛が、制服を押し上げる。突き破って生える尾羽が、大きく広がった。
フクロウだ。人型のフクロウが、しばらく頭を抱え、膝をついていた。
やがて彼女は顔を上げる。その瞳が、白鳥を見た。
反射的に空手を構える白鳥。立ち上がる変異体たち。笑う“天”……。
その時、体育館の天井が爆発した。
「!!」
「なに」
見上げる“天”は、己の眼前に迫る“キック”を見つけた。
青白いスパークにまみれる一撃。それを、上へ弾く!!
弾き返された“ソレ”は、宙を駆け上り、電撃の跡を残してバルコニーに着地した。
浅黒い肌の下に、走る配線模様。睨む目の端から、バチリと火花が散る。
少女だ。ジャラジャラと身につけたパンクなアクセサリーの中に、“門”を模ったものがある……ゲート!
「チッ。このブリッツ様の1発目ェ、弾きやがったぞ」
「ナメてかかるからだ」
コツ、コツ。足音を立て、さらに体育館へ入場する者がいる。
彼はもがき苦しんでいた“変異しかけ”の人間を、虫でも潰すように踏み殺す。そして、“天”を見た。
「……紅龍堂。その顔、報告にあったのを忘れておらぬ」
「ゲートか。次々に戦力を投入するのは、あまり上策とは言えないんじゃないか?」
「安心するがいい。私は“ゲート”、“副長”だ」
彼の片目は、眼帯で覆われていた。パタと懐中時計を閉じ、真っ向から睨みつける。
「シュルツの件では世話になった。礼がまだだった、と思ってな」
「は! は! は! ……出乎意料。俗な理由で動くのだなァ、ゲートは」
「なんでも神聖視するのは、カルトの悪癖だ」
ジャララ。懐中時計の、鎖が伸びる。
“天”は一気に、全身を赤熱させた。近くのパイプ椅子が、ぐんにゃりと歪んでいく。異能、フルパワー……何かの危険を感じ取ったのだ。
それを見ながら、白鳥は混乱していた。
ゲート……“シュルツ”が殺害されてから、誰かが後継するまでが早すぎる。たった1日で、事態を把握して、次なる事件に間に合う……?
その時、“副長”を狙っていた魚の変異体の喉から、血液がひとりでに噴き出した。もがいて倒れるその首に、さらに一撃。
「!!」
白鳥が注意を向ければ、透明な空気のカーテンをめくるように、“その存在”が可視となる。
くたびれたような服装。無精髭に、手に持った血まみれのナイフ。
鳥居 直政。彼はナイフを拭い、チラと白鳥を見る。
「……直政、さん」
「……お嬢さん。案外、はやい再会だったな」
「これは、どういうことなの?」
「……」
肩をすくめる中年男。やがて、彼は参ったように笑みを浮かべた。
「……やはり吾輩、芯からゲートなのだ。犯罪者と分かり合おうなど、甘すぎた」
「……」
「シュルツも、あの甘さのせいで死んだ。間に合ううちに、止めればよかった。……だが、アンタらはまだ助けられるからな」
「どういう意味なの、それは!」
「ゲートに返り咲いたんだ。吾輩は」
全身から電撃を放ち始める少女。
周囲の瓦礫が浮かび上がる眼帯の男。
スカーフを結び、覆面にする直政。
「もう迷わん。紅龍堂は、皆殺しだ」
“天”が高らかに笑う。次の瞬間、戦場が動き出した!!




