93-健診
「堂本 貴さん、いらっしゃいますか?」
A-SADによる健康診断が、一通り終わった。
いまは旧校舎に集められ、他の人と同じ場所で結果の通知待ちだ。ごった返している。
篠原も隣にいたし、あとは白鳥を待つだけ……と思っていたら、係の人に呼ばれてしまった。
「……ちょい、行ってくる」
「き、き、気をつけて」
「ああ。お前も」
篠原と別れて、スタッフさんに会釈する。彼は事務的な笑顔を浮かべた。
「堂本 貴さんですか?」
「はい。何かありましたか?」
やはり、正体がバレたかな……。血液検査も、脳波測定とかもあったからな。篠原のハッキングも、危険だからやめさせたし。
処刑前の気持ちでいると、次の言葉が飛んできた。
「犬飼主任が、会いたいと。旧校舎の2-B教室で」
「犬飼さんが?」
「はい。なんでも、測定結果でお話したいことがあるということでした」
「……それは、ありがとうございます」
完全にバレてるよコレ。今からでも篠原にハッキングしてもらおうかな……。
イヤーな予感を覚えながら、それでもお礼を言う。彼は笑顔でお辞儀し、忙しそうに歩き去ってしまった。
遠い篠原を振り向き、ジェスチャーで旧校舎の2階を指す。彼女が肩をすくめるのを、俺も同じ気持ちで見ていた。
◆
「わざわざ足を運んでいただいて、申し訳ありません。堂本くん」
「いえ、とんでもないです。あの……何かありましたか?」
「……どうぞ、掛けてください」
旧校舎、2-B。埃臭いそこには、それなりの人数が詰めていた。
クラップロイドとして対面した、黒装備の人たちも数名見える。彼らはチラリと俺をみて、確かめるように銃を持ち直す。この前から胃が痛いこと続きだ……。
指されたソファに座ると、犬飼さんも向かいに座り込む。鈍色の陽光が、舞い上がる埃を映す。
「……このたびは、このような検査にお呼び立てしてしまったことをお詫びします」
「い……いえ。ち、治安のためっすから」
「分かっていただけて嬉しいです。……近頃は、増えていますからね。“怪物”が」
軽いトーンで話し出す犬飼さんは、微笑すら浮かべている。それが、逆に怖い。
なぜなら、この笑みは絶対に“前フリ”だからだ。俺の本能がそう言ってる。
彼の背後、2人の黒装備は微動だにしない。無感情に俺を見下ろして、黙っている。
「なにか飲みますか? コップがあるはずだ」
「いえ。喉、乾いてないんで。……その、俺、なんでここに呼ばれたんですか?」
「……」
俺の言葉を無視して、出されたコップにペットボトルの水を注ぐ犬飼さん。
2杯、注ぎ終えると、彼はチェスのコマのように、片方を俺の前へ進めてきた。
「……あなたの検査結果に目を通しました。どうだった、と思いますか?」
「ど、どうって……なんか、あったんすか?」
「何かあったと、思いますか?」
「……」
どう答えればいいのかわからない。というか、どう答えても詰みに感じてしまう……。
「……なかったら、呼ばれないんじゃ……?」
「……」
「……多分……?」
「……いいえ、堂本くん。喜んでください。あなたの測定結果は、すべて“正常な人間の範囲内”でした」
ホッとする。と同時に、軽く混乱してしまう。
正常な人間の範囲内? ありえない。篠原のハッキングもないのに。どういうことだ?
犬飼さんは、俺たちの間の机に書類を乗せる。どうやら俺の測定結果らしい。
「血圧、脳波、血液検査に光学スキャン。どれもパスしています。だから、旧校舎でお待ちいただいているのです」
「あー……待ってる場所で違うんすね」
「それでは、本題に入りましょう。どんな手を使ったのですか?」
静寂。
犬飼さんは表情ひとつ動かさない。メガネの奥で、微笑を湛えている。
聞き間違いかと思ったが、何度思い返しても言葉が変わらない。
「……どんな手を、って?」
「堂本くん。私はあなたを、“イカロス”であると確信しています。あるいは、“フォールン”かもしれませんが」
「いや、でも……測定結果が」
「そう。だから、聞いているのです。“どうやったのか”」
犬飼さんが、ソファに深く腰かける。その手のコップで、水が傾く。
彼は確信している。俺が、“怪物”であると。
「……どうやったって……もう一度受けたら納得してくれるんですか?」
「いいえ。貴方がここをパスした以上、私はもはやこの検査手段を信頼していない。貴方が口を割れば、それも覆るかもしれませんが」
「なんでです? 俺、そんなに……そこまで言われること、しました?」
「……」
犬飼さんは、すでに笑みを消していた。
メガネを押し上げ、俺と真っ向から見つめ合う。
「……あまり、公安を舐めない方がいい。堂本くん」
「……」
「私はね。貴方が“クラップロイド”ではないかと思っているんです」
また、静寂。
思考の空白を埋めるように、部屋の隅でメモを取るスタッフの物音が届く。
「……クラップロイドって、あの?」
「ええ。ナハシュ・シンジカートを潰し、紅龍堂と抗争状態にあるという彼です。……身に覚えはありませんか?」
「ま……まさか! あるわけないっすよ。俺……だって、測定結果だって、違うって……」
「……」
黒装備たちの冷たい視線に晒され、喋れば喋るほど力が失せてゆく。
犬飼さんはコップに口をつけ、机の上に置き直した。
「あなたの認否を、私はさほど重視していない。重要なのは、事実だ」
「いや、事実って。それなら、この結果が」
「今日、あなたの血液を採取する際に、火傷の痕が見えたそうです。他にも、着替えるタイミングで無数の打撲痕や裂傷……」
「……」
見てたのかよ……。人が着替えるところを! コイツら、人権も何もあったもんじゃない。
「……我々は手段を選ばない。これは忠告で、助言だ。堂本くん」
「……」
「もうすぐ“超人狩り”が始まります。具体的には、この健診が終わったタイミングで“特別措置法”が解禁される」
犬飼さんのまっすぐな視線が、ブレない。そのメガネの奥の、淀んだ瞳。
「抑止キャンペーンの名を借りた、強制収容です。今回の健診に、来なかった者がまず捕えられる。何名も、何十名も」
「強制収容……!?」
「次に、“公安が目をつけていたのに検査をパスした者”に、何度でも検査を受けさせるでしょう。一度でもスキップすれば、それも収容対象だ」
「そんな……あんまりじゃないっすか!!」
立ち上がる俺を、黒装備の2人が警戒する。そのこめかみを伝う汗。バケモノ扱いだ。
それでも、犬飼さんは揺らがない。
「次に、“覚醒兆候がある”とされた者が収容対象になる。実質、どんな人間でもね……その頃には、政府に恭順しない“人モドキ”は、ランク分けされて殲滅対象になっていることでしょう」
「……!!」
「だから、こうしてあなたを心配している。……今なら、私もあなたを助けてあげられます」
すべて言い切った犬飼さんは、その目で俺を見上げている。
納得、しているのか。こんなめちゃくちゃな制度に。
「アンタ……それでいいのかよ、犬飼さん。こんなの横暴だ! 完全に暴走してるよ!!」
「……常々、街のどこかに爆弾が隠されているような状態で……誰が安心して過ごせるというのですか? 小を犠牲に大を取る、それが我々の義務だ」
「違う!! アンタの正義だ、それは!!」
胸ぐらを掴んで、立ち上がらせる。黒部隊が銃を構えるのを、犬飼さんは手で制した。
「その先に何が待つか、想像したことがあるのかよ……! 誰もお互いを信じなくなって、みんながお互いに憎しみ合うことになる!!」
「結構! 本来、そうあるべきだ。“互いを信じる”? バカバカしい……人とライオンが同じ檻で過ごせるはずもない。そんな理想論を、恥ずかしげもなく語れるのはあなたの“若さ”でしかない」
その目。死んだ生物しかいない、凪の湖じみた目。
人を、信じることを諦めた目だ。それが余計に、火をつける。
「アンタの“諦め”が、そのデカい正義の根っこにあっていいのかよ!?」
「……。……それが“秩序”だ。諦めと排斥の果てに、人はようやく“ここで自分は生きられる”と信じられる」
カタカタと、風でガラスが震えていた。
俺たちは互いに睨み合い、寸前まで顔を近づけていた。炎玲。直政。シュルツ……いろんな顔が、犬飼さんに重なる。
「……秩序の一部となることです、堂本くん。私がやらずとも、私より“上”は、もう動いている。私もあなたも、所詮は“現場”の人間。コマを動かす人々に勝ち目などない」
「……」
数名の黒装備が、視線を下げる。その目にこめられた感情を、うかがうことはできない。
「正義をこころざすことを、否定はしません。実際に助けられた人間も居ることでしょう……ですが、あなたは未熟だ。……戦うことは、大人に任せるべきだ」
「……少なくとも、犬飼さん。俺は、自分の払う代償を、他人にツケようと思わないよ」
そっと、その襟首を離す。
犬飼さんは溜め息を吐き、乱れた服を直しだした。
「……その頑迷な態度。どこかの隊長を思い出しますよ……」
「……別に、鉄巻さんのマネしたわけじゃないし」
「良いでしょう。好きなだけ、余計な重荷を背負いなさい。いずれA-SADが、あなたの玄関を叩きに行くだけのこと」
「お茶は期待しないでくれよ」
「フン」
最後に襟首を正し、犬飼さんは気に入らなそうに鼻を鳴らす。
その時。校内で、爆発音が響いた。
「!!」
「これは」
「体育館!? ……どこから漏れた……総員、行くぞ!! 堂本くんはここで待機なさい!! いいですね!!」
モクモクと、離れた場所からあがる黒煙。それを見て、犬飼さんが号令をかける。
またたくまに黒部隊たちを引き連れ、A-SADとして彼は出発してしまった。
俺だって黙ってるわけにいかない。十分距離が空いたと判断してから、そっと空き教室を出る。
そこに、誰かが居た。
《私はね。貴方が“クラップロイド”ではないかと思っているんです》
「聞ーいちゃった、聞いちゃった。堂本の秘密、聞いちゃった」
ニヤケ面。着崩した制服。悪意の視線が、俺を見ている。
緋村 真一。録画を流すスマホ片手に、クラスメイトが立っていた。




