86-現われる影
破片と共に落下しながら、俺のヘルメット内では強烈なアラームが鳴り響いていた。
“顕現中……”
“Great Old One”
強調表示される、“白い炎の塊”。よく見れば、人を模したような形。
着地。瓦礫が派手な音を上げ、土埃を巻き起こす。
それでも、誰も動けなかった。炎玲は浅い息を必死に繰り返しているし、白炎は首をかしげるようにして俺たちを見ている。
(迂闊に動かないでください。“彼”は、あなたを見ています)
『……』
パラサイトの警告。言われなくたって、指一本すら気軽に動かせそうもない。
白炎。メラメラと燃え上がりながら、奇妙に静かなままだ。誰も動かない……。
「……燎神様」
炎玲の、声。か細い、弱々しい、すがるような声色。
それで、視線が逸れた。白炎が一歩、散歩でもするように踏み込んでくる!
咄嗟に炎玲を庇い、下がる。どういう状況だコレは。燎神はすでに顕現しているのか?
(いいえ。ですが、術者を倒さなければ顕現します)
『……』
(今はまだ、“カケラ”が顔を出した程度。早急な“鎮火”を)
『……しょうがねえ』
床を蹴る! 白炎の頭上を、飛び越……
いや。越えられていない。
数メートルの跳躍に、“カケラ”はキッチリと付き従ってきていた。同じ跳躍角度、同じ速度で……!
『!!』
「……」
表情などない炎の塊から、かすかな笑みの気配。
その指が、触れてくる。アーマーを抜け、肉体へ。
《ス・ス・ス・ストライクダウン! スーペリアモード!!》
考える猶予などなかった。条件反射のように、アーマーが動く。
肘、膝から溢れる青い炎が、ジェット噴射のように空中で動く機会を与える。
回し蹴り一閃!! 白炎の胴を、抜けた!
手応えなし。空を切ったような感触。
触れていた指は、抜けている。炎から、わずかに不機嫌な雰囲気。
着地! バクバクと高鳴る心臓を、誤魔化すように構える!!
白炎も、着地してなお、俺を見つめている。息苦しいほどの圧が、途切れない……!
「“燎神様”。じきに、生贄は生まれます。この“キメラセラム”が鍵となり、必ずや」
フードの禿頭女が、うやうやしく傅く。そして、注射器を掲げた。
“燎神”と呼ばれたソレは、首を傾げてその注射器を取り上げる。たちまち燃え盛り、跡形も残らない。
影龍は、その炎を恐れるように、額を床につけた。
「どうかお怒りをお鎮めください。今、紅龍堂は危機に瀕しております。そこなる不届きものたちの妨害で、生贄の調達すらままならないのです」
「……」
「あなた様を満足させてみせます。ゆえにいま一時だけでも……」
燎神はしばらく影龍を見下ろしていた。
だが、少しして、俺に視線を戻す。
その肘、膝から、赤い炎が噴き出す! そして、拳を構える……!! かなり既視感のある構えだ。というか、
『俺の真似かよ! カミサマのクセにちっせえことすんなよな……!』
「……」
楽しげに燃え盛る白炎。直後、飛び込んでくる!!
空中回し蹴り! 先ほどの俺と寸分違わぬ挙動で、頭を狙ってくる!!
ガード! 手応え、なし! 炎がすり抜けるのだ。それでも燎神は床を蹴り、技を続ける!!
この演舞に、付き合うほかない。神が喜んでいるうちは、俺に注意を惹きつけられているということ!
『クソ、俺マジで何してんだよ……!』
(ラブラブですねえ! この方、ご主人様のこと大好きみたいですよ!)
「……」
同時跳躍! 同時攻撃! 同時回避! 青い炎と赤い炎が、絡み合って空中に消えゆく!!
白炎、加速! ついていくためのブーストが、激しくなる!!
『炎玲ッ! 白鳥たちを! 今のうちに!』
「で……でもクラップロイド! 燎神様相手に……」
『そうだよ長くもたねえよ! 頼むからさっさとッ……』
叫びながら、顎を掠める蹴りを回避。
白炎は加速度的に、そのスピードを上げている。関節スラスターの使い方が、俺より何倍も上手い……!! 早晩、この均衡は崩れ去る!!
この必死さが伝わってくれたのか、炎玲もまた動き出した! すり鉢状空間の底から、上へと!
振り向き蹴り! 白炎の一撃と、ぶつかり合う軌道!!
手応えはまるでない。
だが、その時、電撃的に閃いた。“まるで相殺したかのように”、足を引いて構え直す。
それだけで、“燎神”は全身の炎を弾けるように燃え上がらせた。はしゃぐ子供のような動きで、また拳を上げる。
つまり、“ごっこ遊び”がしたいのだ。この神様は。
『あーアンタってほんとわかりやすいね……!』
「……!!」
白炎と俺が、同時に床を蹴る! 肉薄!!
◆
背後で壮絶なやり取りの音を聞きながら、炎玲はまず、シュルツを助けに走った。
全身に巻き付いたワイヤーの“スキマ”から、ドクドクと血が溢れている。戦線離脱しても、今後復帰は叶わないほどの重傷だ。
「だ、大丈夫なのかよ、甘党のおっさん!」
「大した負傷ではない……それよりも、俺以外を。部隊が持ちこたえられるギリギリだ」
「おっさんもそうだろ!? く、は、運ぶよ……」
「……」
肩を貸した炎玲が、ズシャ、ズシャと、重そうに運びだす。
シュルツは軽く吐血し、歯を食いしばった。
「これは……罠だった。俺たちを……いや、俺を誘き出そうとしていた。ブザマだな」
「も、もう喋るなよ! 死んじゃうよ、オッサン!」
「選んだ道だ……後悔はない」
「すぐ手当てするから! 待って……」
服を裂き、簡易の包帯としてシュルツの肉体に巻きつける炎玲。
顔をしかめながら、それでもシュルツはされるがまま。必死な少女の、その頭を無言で見下ろす。
「!!」
直後、その頭を掴み、ムリやり伏せさせるシュルツ。
下がった頭のすぐ上を、短刀が飛んでゆく。影龍のものだ。
「チッ……」
「な、なに!?」
「敵だ。やれるか」
「わ、わかんないよ」
振り向くシュルツと炎玲の前に、影龍が立っている。
彼女はフードを被り直すと、今度は青龍刀を2本。それぞれの袖から覗かせた。
「……よくよく手品の得意な女だ」
「ど、どうしよう……」
「……俺が打倒する。いいか炎玲」
なんとか形を保つ肉体を、強いてひとり立つシュルツ。
ワイヤーを外して構えれば、全身から血が抜けてゆく。
「む、ムリだよ! オッサン、戦えないって!」
「そうか。無理か」
「当たり前だよ! そんな傷で、り、“燎神様”だっているんだ! 逃げようよ……」
「俺とお前が、助け合うことも。きっと最初は無理だと思われていた」
シュルツは遠くを見る。演舞のごとく立ち回るクラップロイドを。
彼は笑った。そして炎玲を半分だけ振り向き、その不器用な笑顔を見せた。
「行け。無理ほど、やる価値がある」
「……! そんなの……」
「まだ、俺は死なん。お前に砂糖まみれのピザの味を教えられていない」
その全身から、闘気が立ち昇る。
軍人の言葉を受け、炎玲はそれでもしばらく迷っていた。
「……わかったよ。死なないでよ、オッサン!」
「当然だ」
だが、やがて背を向け、白鳥の加勢へ向かう!
「まさか死に体ひとつで、私を止められるつもりではないだろう?」
「そのつもりだが」
「……」
やれやれと首を振る影龍。その青龍刀を、構える。
シュルツはワイヤーをピンと張り、その怒りのまま構え……!
「……シュルツ隊長、もうやめてください……もう、俺たちを殺さないで……!」
その目を見開き、固まった。
彼の目の前の暗殺者の輪郭が溶け、シュルツと同じ軍服を着た男性に変化したからだ。
◆
『クッソ!!』
被弾、3度目! 防御しながら吹き飛ぶ“フリ”をし、なんとか受け身をとる。
白炎はすでに、白鳥レベルの空手の型まで使うようになってしまった。
俺が絶好調で、何の心配もなく、最大の集中を維持しているときのような動きが続く。“遊び”を通して、俺の記憶を読み取っているかのようだ。
そして。
「……」
『!!』
ふ、と目の前に詰めてくる“燎神”。そのスラスターの炎が、後に残って消える。
まるで瞬間移動。コイツ、俺の知らない俺の技術まで使い始めてしまった。
今のはおそらく、スラスターの瞬間噴射。そして次は、断続噴射による重ね打ちだ!!
『あーもう凄いっすね、さすが神様! 師匠になってくれねーかな……!?』
固めた防御に、ふと感じる“質量”の感触。……炎に? 冷たい汗が、一筋垂れる。
最初は、羽が一枚かすめたような、微細な感覚。
次に赤子がモノを確かめるような。
次に、子供が叩いてくるような。
次に、青年が殴ってくるような……
『クソッ!!!』
勝負を焦り、次の一撃をいなす。反撃を、炎の真芯へ突き込む!!
手応えが、返った。返ってきてしまった。金属を殴るような硬質な音。炎が千切れ飛び、“銀の胴”があらわになる。
そのとき俺は、失敗を予感した。
ああ付き合うんじゃなかった、神様の遊びなんて。こんなの理由があってやってたに決まってる。
“信じすぎた”。“存在があると、信じすぎた”。“自分を超えられて、素直に尊敬すらしてしまった”。
“信仰”に、変わっていた、のか。
「……」
『だあぁっ!!』
焦る攻撃が、ガードする腕に命中。炎が消え、鉤爪のような指があらわに。
大腿部に命中。炎が消え、甲殻類じみてトゲトゲしい脚部があらわに。
顔を狙う。違ってくれと祈りながら放たれた突きは、掴まれた。
ゆっくりと、白炎が、自身の指で炎を剥ぐ。そこに現れたのは、バイザーから青白い光を漏らすヘルメット。
もう、祈りようもない。
俺の前に現れたのは、俺だった。
『……強い俺みたいって思ってたらコレ!? 注文してないっての!!』
「……」
“強い俺”は拳を持ち上げる。無言だ。
カッコよさもあっちが上。いっそ入れ替わってもらおうかと思いながら、俺も構えた!!




