85-狂気、顕現
ヘルマン・シュルツ。ドイツ人。
特殊作戦コマンド部隊“KSK”、元所属。
作戦中、“事故”で部隊を全滅させる。その後、自主退職。除籍。
そこからの足取りはようとして知れない。……と、されていた。
いつからか、裏社会でまことしやかに囁かれるようになった噂がある。
“門”を掲げる集団が、手勢を集めている。軍人も、子供も、分け隔てなく。
超常的な力を持つ“人間”を、利用している。
“門”を閉ざすために。
人の世を、人の世のままに保つために。
たとえ、どんな手段を使っても。
「……!」
ムカデ変異体のアゴを掴み、シュルツは一瞬だけ顔をしかめる。
直後に、背後からトカゲ変異体。口から放射されたガスが、着火され、火炎放射のように背を焼く。
シュルツは怯まなかった。不穏な“タメ”を作る甲虫変異体へ、ムカデを投げ飛ばす!!
背後のトカゲ変異体は、横からのキックで吹き飛ぶ! 白鳥だ!!
「炎。熱。“振動”ではどうにもならない」
「……よく調べたな。褒めてやる、紅龍堂」
上半身、燃える軍服を脱ぎ捨て、シュルツは無感情に影龍を見る。
変異体たちも、起き上がる。一度の攻撃では沈まない……!
「調べたのは、我々ではない。尤も、貴様らは知ることもないが」
「……すべて吐いてもらう」
ブ ブブ ブブブブ……。
その腕が、垂らされた鋼鉄ワイヤーが、不吉な振動音をはらむ。天井から埃が落下し、床で小石が小刻みに跳ねる……!
そこへ、強烈な白光が照射! 咄嗟に片腕をあげたシュルツの、その半身が焼けてゆく!
「ぐぅ……!?」
その出元をたどれば……そこには、羽を広げたカマキリ変異体の姿がある!
半透明な羽で屈折した光が、強力な束となり、レーザーのようにシュルツへと注がれているのだ!
耐えるシュルツ! その肩を蹴り、白鳥が跳んだ!!
とっさに上を向こうとしたカマキリ変異体に、強烈無比な飛び込み突き!! レーザー消失!!
解放されたシュルツ! すかさずワイヤーを打ち振り、甲虫を狙う!
だが、ムチのようにしなった一撃は、甲虫のガード表面で“爆発”し、弾かれた。
「……」
シュルツの目が細まる。甲虫変異体の、体の表面……なにか、液体が分泌されている。おそらくは“還元剤”と“酸化剤”。
“爆発反応装甲”。真っ向からの接触は好ましくない。
そして……。
シュルツは振り向きざまに、ナイフを防ぐ! そこには、いつの間にか影龍が立っていた。
「お前はここで片付ける。ゲート所属、ヘルマン・シュルツ」
「……」
軍人はおのれの脇腹を見る。防いだナイフは陽動。二の太刀が突き立っている……。
それでも、彼は動揺を見せない。影龍を蹴って突き放し、ナイフを引き抜いてワイヤーにくくりつける。
あふれでる血を見ようともせず、彼はそれをグルグルと振り回しはじめた。
遠心力を強めながら、シュルツは思考する。まず片付けるべきなのは、カマキリだ。火力は他と比べ物にならない。
次にトカゲ。次に甲虫。最後にムカデ。戦場で優先順位をつけられない者には、死が待つ。
ブ ン 。 放ったワイヤーが、ナイフを繋いだまま弧を描く。
未だ白鳥と戦うカマキリ変異体へ、その切先が向かい……割って入った甲虫が、爆発で弾く!
「……」
特段、シュルツが悔しがることもない。忙しいからだ。
彼は跳ね返るワイヤーを利用し、背中から迫る影龍をけん制。もう一方のワイヤーの端で、トカゲを狙う。
飛び退いて躱す、その変異体の胸から刃が生えた。
直政だ。スカーフから覗く目元をしかめ、血濡れのナイフを引き抜く。
一体は片付いた。シュルツは目を走らせる。甲虫、未だカマキリを守る構え。影龍は隙を窺っている。ムカデは?
ムカデが、見えない。気づいた瞬間、シュルツの足元の床が割れ、巨大な影が彼の肉体を巻き取りながら現れた。
ムカデ変異体! とぐろを巻くようにシュルツの全身を締め上げ、そのアゴを見せる!!
「派手な力を見せれば、人は必ず注意を惹かれる。お前も人の子だ、シュルツ」
「シュルツ!!」
影龍の冷たい声。直政の叫び。それらを耳に入れながら、軍人はうつむいて動かない。
駆け寄ろうとした直政の前に、甲虫変異体が立ちはだかる! 振り下ろされた拳が、床で爆発!!
「ぐ……必ず行く! 待っていろ!」
「お仲間の、あの慌てよう。では、我々の分析もあながち間違っていなかったな……お前。“何かと密着しているときに、能力を使えない”だろう?」
こつ、こつ。歩み寄る影龍の、その袖からナイフが伸びる。
シュルツは答えない。うつむいたまま。
「超振動しながら何かに触れるのは、超振動する何かに触れること。接触面積が大きすぎれば、お前の肉体は耐えられない。違うか?」
「……お喋りだな」
ブ ブブ ブ。
影龍が立ち止まる。振動音が、止まっていない。
ブシ。ブシュ。グシュ。シュルツの全身から、肉が潰れるような、不快な音が響く。スプリンクラーじみて、血の赤が噴き出す。
ムカデ変異体が苦悶の声を上げた。その体の節々から、同じく血が漏れはじめている……!
1秒後、シュルツが大きく両腕を広げた! ムカデの肉体が弾け飛び、その拘束が解放される……!
「……狂人め」
肉片が散る中、苦々しく吐き捨てる影龍。
シュルツは全身にワイヤーを巻き付ける。今にもグズグズと崩れそうな、あやうい形の筋肉を、締め上げて人の形に保つ。
「……それで。まだ策はあるか」
明日の天気でも聞くような声色。血の赤が顔を染める以外、彼には何の動揺もない。
一瞬だけ押し黙った影龍は、すぐに転身し、空間の中央へと駆けてゆく。
追おうとしたシュルツは、残るダメージに膝をついた。いかに怪物的に振る舞っていても、人間のくびきから逃れられるわけではない……。
その間にも、影龍は準備を進めてゆく。ムカデ変異体の肉片。トカゲ変異体の死体。引きずって、すり鉢の底へ。
「“燎神様”。紅龍堂の繁栄をさまたげる敵が現れましてございます。いにしえの契約より定められし務めを、今こそ」
「チッ」
肉体が崩れるのも構わず、シュルツがワイヤーを使おうとする。掴む指が崩壊し、落ちてゆく。
彼が手間どるその間にも、“儀式”が進む。
死体が、発火した。体内からの炎に、飲まれるように。
それでいて、煙は一切ない。ただ眩しいほどの炎が、投光器よりも明るく地下を照らす。
「“燎神様”。そのお怒り、必ずや鎮めてご覧に入れましょう。そのために、どうか御力を……」
白鳥はカマキリ変異体との戦いで動けない。直政も同様だ。“意識の穴”に潜ろうとしているが、うまくいっていない。
止められない。シュルツの脳裏に、諦めがよぎる。
「“燎神様”」
両手を掲げる影龍。
地下空間中央、何もない場所から、放射状に突風が吹き抜けた。影龍のフードが外れ、禿頭の女暗殺者があらわになる。
灯っていなかったロウソクが、この風に触れて一斉に火を孕んだ。
変異体たちも、白鳥も、直政も。空気の変容に気づき、止まる。
すり鉢状空間の、底。その真ん中。
そこに、白い炎が生まれた。
影龍の目の前で、それはすぐさま育ってゆく。赤子。子供。青年。大人ほどの大きさへ。
四肢。頭。人間の形をした真っ白な炎が、そこには立っていた。
“彼”は、自分の手を、足を、そして周囲をゆっくりと見渡す。目の前の暗殺者を見る。
「……“燎神様”、」
影龍が何か言おうとした。その頬に、“神”の手が、触れようとする。
次の瞬間、地下空間の“天井”が、破砕された。
「!!」
「……」
その場の全員が、見上げる。炎人間ですら。
《ス・ス・ス・スーツアップ! スタンダード!!》
破片と共に降ってくるのは……銀色の怪物。そして、ナイフを握る少女だった。




