79-家族として
「お母さん、」
「あなたに、聞いた?」
何か喋ろうとした白鳥が、しおりさんの一撃で口を閉ざす。直政も、シュルツも、発声の権利すらない。
この場の主導権は、俺たちから消え失せた。もはやここは、俺の家ではない。
法廷だ。
「……堂本くん。貴方には感謝してる。娘は貴方の話をする時、すごく嬉しそうだし、楽しそう。篠原さんを助けてくれたのも、娘の心の重荷をひとつ消してくれたようなもの」
「……よく調べてあるんすね」
「大事な娘のことを、大事にしない親はいないのよ」
微笑みが、うすくなる。羽織ったカーディガンが、ふわりと浮く。
子供2人を抱いたまま、その姿はまるで神話の女神だ。……母親の強さだ。
なんで、俺はコレに立ち向かわなきゃならんのだ……!
「……俺は」
「あなたは?」
「俺は、あなたの娘さんを、危険なことに巻き込んでいます」
「違う!!」
「静かに」
正直に話そうとすると、白鳥が憤慨したように叫ぶ。
だがそれも、しおりさんが指一本を立てて黙らせた。その瞳が、俺から逸れない。今でも検事として通用しそうな目だ。
「……それで? 言い訳は?」
「言い訳?」
「ふふ。どんな犯罪者でも、弁護士を立てる権利はあるものよ。貴方の場合、自己弁護になるかしら?」
「……聞いてくれるんすか?」
「どうかな。聞き苦しかったら、娘を連れて帰っちゃおうかしら」
唇を、舌でなめて湿らせる。
ここからが正念場だ、俺は。
「……確かに、俺は白鳥を危険に巻き込んでる。でも、一度だって強制したことはありません」
「……」
「俺たちは……その。いつも、偶然同じ動きをしてるだけっていうか。腹が立つことを、共有して……だから、なんとかしないと、ってなってるだけで」
「つまり?」
「つまり、その。俺たち、一緒のところから出発しなくても、たぶん現場で会うっつーか……」
ほらね、みたいな顔の白鳥。しおりさんの笑顔は、いつのまにか消えていた。
代わりに、真剣そのものの眼差しを送ってくる。もはや、“試し”の段階は過ぎたのだ。
「……たしかに、そうね。貴方とさくらは、すごく似てる。似てて……危うい」
「危うい?」
「あなたたちは、自分の正義感がもたらす影に気付いていないわ。自分たちの道が伸びる先を、考えていない」
「同感だ」
なぜか援護射撃をはじめるシュルツ。うるさいよ甘味料積載野郎。
「たとえば。いま、さくらは“ファンクラブ”があるわよね? すごく嬉しいことだと思うわ。この子の正義感が、皆に認められてるんだもの」
「……まあ」
「でも、それは“偶像”を信じてるってことなの。“誤解”を積み重ねてる、とも言えるわ。そして、イチバン怖いのは、信頼を裏切られた時の人々」
しおりさんの言葉には、含蓄があった。まだ年若い俺たちでは決して得ることのできない、時間の重みだ。
「正義という光に目を焼かれたら、人は簡単にものが見えなくなる。貴方は、どうしてこの子を家に上げたの?」
「それは……」
「この子に、紅龍堂のイレズミがなかったら。貴方は、ここに居ることを許してた?」
考えてもいなかったその言葉に、俺は真正面から顔面をブン殴られたような気持ちになる。
スヤスヤと眠る炎玲の横顔。それを見て、口をひらけない。
「……俺は」
俺は。
そうだ俺は利用しようとした。
紅龍堂の、情報源。キメラセラム実験の、生き残り。
連れて帰れば、“有益”だから。
なんで、俺はこんな事実を忘れられていた。こんな、善意なんてカケラもない事実を。
……“紅龍堂”と、俺。なにが、違うんだ?
「……堂本くん。私も、長く犯罪者と接してきたから分かるの。彼らと戦う時、どうしても似てきてしまうのよ」
「……」
「特に、強い正義を掲げた時ほどそう。怒りに燃えて、“皆のためだから”“社会のためだから”……“人類のためだから”。ウンザリして、私は逃げちゃったけど」
肩をすくめるしおりさん。白鳥も、俺も、何も言い返せない。
「貴方たちの怒りを、否定はしない。でも、怒りに正当性を見出すのはやめなさい。誰かに求められるヒーローであろうとするのも、ね」
「……すみません」
「責めてないのよ。ただ……貴方、すっごく慣れてないみたいだから。おせっかいしちゃった」
寝息を立てる、炎玲とみかんちゃん。2人を静かに降ろして、しおりさんは姿勢を直す。
すでに、検事としての冷たい雰囲気は霧散していた。1人の母親の、柔らかな笑顔だ。
「ごめんなさいね、意地悪して。さくらがすごく気に入ってるみたいだから、つい私も本気になっちゃった」
「いえ。助かります」
「ふふ。及第点」
そのまま、彼女は俺をギュッと抱きしめてくる。ボソボソと、耳打ちが耳朶をかすめる。
「……できれば、この紅龍堂の子も。助けてあげてね」
「……」
「すごく、良い子なのが分かったから。みかんも気に入ったみたいだし」
「……勿論です」
「よろしい。さくらが惚れ込むわけね」
額をコツンとくっつけて、ニカッと笑うしおりさん。これが数秒前には人の胃を焼いてた女性の顔かよ……この世の不思議だ。
「それじゃ、“パパさん”? 勝手なことを色々、失礼しました」
「あ……ああ、とんでもない。貴にも良い教育になったでしょうから。吾輩もしっかりしなければ!」
「ふふ。“おじさん”も、また会うことがあれば」
「……」
水を向けられた直政は、あたふたと立ち上がる。シュルツは腕組みしたまま、むっつりと会釈するだけだ。
最後に、しおりさんは白鳥を見る。まだしょげて見える、年相応の少女を。
「……さ。お母さんはもう帰るけど、忘れ物はない?」
「……はい」
「ん。それじゃ、“頑張りなさい”。うちの敷居は、志半ばで跨げるほど低くないわよ?」
「分かってます。大丈夫」
「愛してるわ」
「私も」
音が鳴るほど抱きしめて、離す。しおりさんが白鳥を見る目は、この世のどんな宝石を見つけた時より慈しみに満ちている。
「リュックの横にティッシュが入ってるから。お化粧落としも忘れないでね」
「分かってます。もう、いちいち言わなくて良いから」
「それと、貴女がイチバン好きなクマさんのパジャマは」
バタァン!!!!! 大砲のような勢いで玄関が閉められ、それ以上の情報漏洩が止められる。
フゥーーーーーーー、と長い長い吐息。ゆっくりと、白鳥が振り向いた。
「……アレがお母さん」
「まあ……納得」
肩を落とす白鳥。その表情には、少しの安堵。そして、固い唇には悔しさが見える。
俺も脱力する。直政も汗を拭いながら椅子に伸び、シュルツは腕組みを解いた。
「ま、まったく。強さで言えば、“ゲート”もかくやだ」
「……どれも正論だった」
「シュルツのお墨付きと来たか! 吾輩も息が詰まった」
「優しい女だ、アレは」
グミを口に放り込むシュルツ。直政は苦笑している。
そろりそろりと、2階から足音が降りてきた。篠原だ。鳴りをひそめたハリケーンの様子をさぐるように、彼女はリビングをのぞく。
「……ど、どうだった?」
「完敗」
「ほふひゅ……こ、怖……さすが伝説の鬼検事……」
「白鳥の血を感じたよ、俺は」
どっと疲労を感じながら、リビングで寝こける子供2人をみつめる。
炎玲も、みかんちゃんも。どちらも、子供なのは変わらないのに。
……いや、それは俺たちもか。
「まだまだガキだな、俺たち」
「わっはっは! 何を今更、吾輩の半分も生きてなかろう」
「フン。幼さを理由に、ゲートの手加減を期待するなよ」
呵々大笑する直政。シュルツも、思わずといった風に鼻で笑っている。
でも、俺たちにしてみれば、これは青天の霹靂だったんだ。“お前たちは未熟だ”なんて、はじめて面と向かって言われた。
分かりきっていたことのはずなのに、新鮮だった。
「……風呂入って、寝るか。誰が一番風呂いくよ?」
「そうね。やっぱり、小さい子供から?」
「む、吾輩もそろそろ風呂に入りたくてな……」
「げ、ゲームで決めよう。テレビゲーム……」
「軍では階級順に……」
◆
「……」
「ど、どした」
篠原と、炎玲。一緒にお風呂に入るという時になって、服に手をかけたまま炎玲が固まっていた。
篠原が声をかければ、少女はハッと顔を上げる。
「ご、ごめん。その……あんまり、綺麗じゃなくて。体……」
「だ、だいじょぶ。なら……えっと、バスタオル巻いて、入ろ。も、持ってきたし」
篠原はそう言い、タオルを置くと、ひと足先に風呂場へと向かう。
少しして、タオルを体に巻きつけ、それでも遠慮がちな炎玲が入ってきた。
タオルで隠れた部位より上、肩と鎖骨……火傷の痕のようなものがのぞいている。
篠原は敢えて、見えないフリをした。
「どうすればいいの? フロ」
「こ、こっち。座ったら、洗う」
「分かった」
「も、もしかして、入ったことないの?」
「……あるけど……他のやつとまとめて、ホースで水をかけてもらってたから。こんな形のは、初めて見た」
篠原は少しだけ、眉根を寄せる。だがすぐに微笑みで表情を隠した。
「な、なら、今日はあったかい風呂……初体験、だな」
「……うん」
「へへ。疲れ、なくなるよ」
スポンジを泡立てる篠原に、炎玲は若干緊張した面持ちだ。
その体を洗おうとしたタイミングで、ガララと戸が開いた。
「わー! みんなでお風呂!」
「コラ! 走っちゃダメでしょう!」
目を丸くする2人の前で、パタパタと駆け回るのは幼い女の子だ。
白鳥 みかん。姉のさくらが、洗面所で声を上げる。
「いぇんおねーちゃんといっしょにはいるー!」
「え、えぇ? 風呂なのに、楽しそうだな……」
「ナコおねーちゃん! 一緒にあわあわしよ!」
「オゥフ……て、天使が来た……かわいすぎる……」
動揺しっぱなしの炎玲。とびはねるみかんちゃん。
篠原はなぜか感動して目がしらを抑えている。
「ねーねー、いぇんおねーちゃんみたいにしたい! 私もタオル巻きたい!」
「分かったから、もう。……ごめんなさい、騒がしくて」
「い、いいけど……これが普通なの?」
「……普通ではない、かもしれないわね」
苦笑する白鳥。炎玲はもはや、戦々恐々といった表情だ。
その白鳥が、みかんちゃんを捕まえ、風呂椅子に座らせて体を洗い始めた時点で、炎玲も何かに気付いた。
「ま、待てよ! 人に体を洗われるのって、すっごいガキ扱いされてるんじゃないか?」
「そ、そんなことない。由緒正しい作法……子供への」
「やめろよ! 頭くらい洗えるから!」
「あ、暴れたらダメ! し、シャンプー、染みるから!」
「きゃー! アワアワ!!」
3人が好きに暴れ回り、結局泡だらけになる浴室。
息も絶え絶えになり、ようやく動きも鈍ってきた頃、ふと彼女たちは動きを止めた。
浴室の中央で、腕組みをした白鳥が、氷原さえ幻視できるキリングオーラを放っていたからだ。
ニッコリと笑ったまま、彼女は一言ずつ発する。
「……人の、家の、お風呂なのよ? 静かに、入りましょうね?」
「「「はい」」」
◆
「あったかい、んだ……」
「で、でしょ。お風呂、ちゃんとぬくもれる……」
「もうでたいよ〜」
「ダメ。ちゃんと100数えなさい」
「で、出たら、アイスある」
「アイス!?」
「あるのっ!?」
「だ、だから、ちゃんと100数えよ……」
「「わかった!!」」
「……小さい子が2人いるみたいね……」
◆
「……エース」
「うそ! 絶対嘘だね!」
「かかったな、バカめ。エースだ」
「今のは吾輩でも分かったぞ、貴」
「嘘だろ!? また俺の負け!?」
「貴様のカードゲームの弱さにはほとほと呆れ果てるな」
「クソ……あ、待て。傍受インカムが反応してる」
《……“キメラセラム”の押収数はゼロ。犬飼特務に報告せよ。各証拠に対処したのち、現場から撤収する》
《“キメラセラム”の気配を少しでも感じたら、すぐに鉄巻隊長に報告を上げるんだ! A-SAD共に先を越されるな! トクタイの底力を見せろ!》
「……どこの調査も芳しくない、かぁ」
「吾輩たちの交差は、まるで奇跡だな。よくこんなオモチャで傍受できたものだ」
「ちゃちな見た目の割には、よく出来ている」
「うちのエンジニアが飛び抜けて優秀なんだよ……これ、キングね」
「「嘘だ」」
「なんで分かんの??」
◆
「……あら」
「お」
「ど、堂本も。のぼせた?」
「俺も風に当たりたかったんだよ。カードゲームじゃボコられてるし、俺の家なのに俺がイチバン弱いよ」
「ふふ。……今日は、その。うちの母が、ごめんなさい」
「……いつかは、言われたことだ。むしろありがたかったよ」
「し、しおりママ、なんて言ってた?」
「のぼせるな、ってよ」
「お、オフ……予言者……」
「……」
「……」
「……」
「……炎玲、どうだ?」
「すごく、困ってる。なんで自分がお風呂に入れてもらえるのか、なんで自分が布団で眠れるのか、分からないって……」
「……」
「……」
「……はー。俺……」
「……」
「……俺、自分はもっと良いやつだと思ってたよ。困ってる人には、無条件に手を差し伸べてよ。不正には心から怒ることができて……問題を解決できるまで、誰かと一緒に戦ってやれるヤツだと思ってた。そうじゃなきゃ、いけないと思ってた」
「お、おお……かなりジーザス……」
「……」
「……でも、たぶん、そうじゃなかったんだなぁ。俺って」
「……かもしれないわね」
「ひ、ひひ。完璧じゃないなら、戦っちゃダメ?」
「……へへ」
「ふふ」
「わ、私なんて、自分への理想ないし……み、皆さん、大変ですな〜」
「ったく、気楽なもんだよ。こっちは当分、夢に見そうだ……ところで、白鳥」
「? なにかしら」
「そのクマさんパジャマ、似合っゴハッ……」
◆
「……さくらは、どうだった?」
「もう、あなた? さっきからそればっかり。さくらは自分が何をしているか、よく分かってます」
「ひ、人の家に外泊というのは初めてじゃないか! やはり私も行ったほうが良かったんじゃないか……いや、今からでも」
「あ・な・た? 娘たちが居なくなって寂しいのは分かりますけど、ソワソワしないでください」
「……まだ子供だ! まだ高校生なんだ、さくらは……」
「ふふ。自分が高校生の頃、思い出せます? ……私は、すっごく思い出しちゃった」
「……キミに似たよ、さくらは。私が高校生だった頃より、ずっとしっかりしている。だから心配なんだが……」
「…………色々経験して、傷付くことも飲み込んで、そうやって大人になったわ……」
「……」
「割り切るって、嫌なことだって。久しぶりに、思っちゃった」
「……キミは変わっていない。傷付くことを飲み込んで、大人になってもなお、人を愛せる強い女性さ。だから、さくらも強く育った」
「もう。夫婦なのに、口説いてます?」
「高校生気分が抜けないんだ。キミを前にすると、特に」
「……ねえ。良いかしら」
「なんだい?」
「あの子たちのこと、助けてあげたいの。“キメラセラム”について、調べられないかしら」
「……復職するつもりか?」
「あなたとのコンビ、久しぶりね。ワクワクしちゃう」
「やれやれ。キミも良い加減、若いままだな……」




