78-てごわい親
「お前ら、親に連絡したのかよ。泊まるって」
布団も敷いた段階で、俺はすっかり忘れていた確認をおこなう。
篠原は頷いたが、白鳥はさぁっと顔色を変えた。
「……まずいわ」
「おい、勘弁してくれよ。お前の親父さんに締め上げられる……」
「最近は……そうでもないけど。むしろ、お父さんよりお母さんの方が……その、電話してくる」
スマホを片手に、廊下の奥へと向かってゆく白鳥。
入れ替わりでやってきた直政が、ポリポリと頬をかく。
「なんだ? 問題か?」
「いや、親に連絡とかしないとって……直政さんはいいんすか?」
「あー、吾輩は家庭に居場所がないからな」
「……」
やめろよ……。
それを聞きつけ、リビングの向こうから炎玲も顔を出した。
「オッサンも? アタシもそう」
「なんだ、アンタもか。紅龍堂じゃ衣食住はどうなっとったんだ?」
「なんか、普段は空き家にモグってて。月一くらいで、子供にいっぺんにご飯を配る? タイミングがあってさ。その配給のオバチャンがいい人なんだ! アタシ達みたいなのにも、ご飯を残してくれたり!」
「おお、人の世の営みの美しさ」
いや美しくねえよ。配給のオバチャン以外ゲボみたいな環境だろ。
篠原と目を合わせると、彼女も困惑している様子だった。
「え、えっと……寝床、とかは?」
「ねどこ? ……新聞紙とか、ダンボールとか。もっと“でき”のいい子供なら、毛布とか、孤児院の部屋までもらえるヤツもいたんだ!」
「ホームレスじゃねーか!」
「ホームレス!? 違うよ! アイツらは“こころざし”のないクズだけど、アタシ達は紅龍堂のために役立とうと頑張ってるんだから!」
直政は半分感心したような顔だ。篠原は目に見えて血の気が引いたし、たぶん俺もそうだろうけど。
そこへ、更にシュルツがのしのし歩いてきた。
「おい。テレビにドイツ語字幕はないのか」
「あるよ、あるけど。何」
「お前のことをやっている」
「は?」
リビング角のそれを見れば、確かにクラップロイドが映っている。“消失事件、終息。数名の死者とクラップロイドの関連”……。
あまりに見出しがクソではないか?
「……“こころざし”って、たぶんあってもこうだぞ」
「うわぁ! なあ、ホントにあんなことやってたのか? クラップロイドが造船所をねぐらにホームレスを殺したって」
「自信無くなってきた」
明らかに面白がっている炎玲に、俺は返す体力もない。
直政とシュルツのおっさん2人は、椅子に座って興味深げ。番組の行方を追っている。
「なぜ事実とは違うことを報道する?」
「その方が盛り上がるからじゃないか。あーあー、吾輩の話は出なくて良かった」
「下らんな。これは憶測を広めているだけだ」
「それがたまらんのじゃないか! 人とはそういうものさ……」
《……こちらはAWB 社会部のトミフシ記者です。同氏は一度クラップロイドと接触し、そのインタビューも残っています。トミフシさん、この件については……》
《私見を述べるなら、ありえません。クラップロイドが人殺しなんてできるわけがないです。あんなガk……子供に》
《ですがねぇ、こうして数々の証拠や、見たって人まで》
《何を言わせたいんですか? あなた方の結論に合わせろって言うなら……》
「コイツは根性がある」
楽しげなシュルツ。ほんと打ち解けたねアンタ。
そこへ、あまり顔色の良くない白鳥が戻ってきた。
「おかえり」
「お、おかえり……どうだった?」
「……よくないニュースと、本当によくないニュースがあるわ」
「何だよ」
篠原と共に迎えると、かなり深刻な口調で白鳥が切り出した。
つられて俺も不安になる。直政も、シュルツも、炎玲も、視線が集まる。
「よくないニュースは……その。泊まるって伝えたら、みかんも来たがって」
「あぁ……あー……」
「強く拒絶するのもヘンだから、断りきれなくて。その……ごめんなさい」
「み、みかんちゃん……可愛い。受け入れるべき」
嬉しそうな篠原。対して、まだ言いにくそうにしている白鳥。いつも即決果断なコイツのこんな様子を見ると、胸の内でいやな予感が湧いてくる。
「……それで? 本当によくないニュースは?」
「……」
「だ、大丈夫?」
「な、なんだよ! どうしたんだ?」
尋ねると、口をつぐむ白鳥。心配する篠原に、怖がる炎玲。
シュルツや直政も、背筋を正しているのが見える。なにか起きようとしているのだ。
やがて白鳥は、意を決したように顔を上げた。
「……荷物を、届けるついでに、ね」
「はぁ」
「お母さんが、堂本くんに会いたいって」
「……はぁ?」
なんですかそれは?
◆
「とりあえず隠せ隠せ隠せ! 火傷のあと隠せお前!」
「や、やってるから急かさないで! もう、こんなのって予定にないわよ……!」
「ねえよ! いつも予定外ばっかだ!」
コンシーラーやら長袖やらで、白鳥の怪我を隠してゆく。
その傷痕! 真っ赤な皮膚や、青いアザ……もっと酷くなかったか?
「……治るの早くないか?」
「いいから! 堂本くんも傷隠し!」
「わ、分かってるって!」
慌てていると、外で車の停まる音。もう来たのだ!!
「やべえ! 出るぞ白鳥」
「まっ……い、行くから!」
ガチャリと、玄関を開く! そこには……。
「わーい! お泊まりだー!」
停車したレクサスから、パタパタ駆けるみかんちゃんが飛び出す。そして俺の足にタックルしてきた。
嬉しそうなキラキラ顔である。何度もジャンプして、全身で喜んでいる。
「おにーちゃんの家はじめて! よろしくどうぞ!」
「こっ、こちらこそよろしくどうぞ……先入ってていいよ、風呂も沸いてるし」
「おじゃましまーす!」
「み、ミカ? あんまり騒がないようにね」
注意する白鳥に、あまり力が感じられない。緊張してるのが一目でわかるほどだ。
そして、運転席のドアが開く。そこから現れたのは……。
「こんばんは〜! あなたが堂本くん?」
「こんばんは。お世話になってます……」
フワフワした感じの、ワンピースとカーディガンを着た女性だった。
白鳥より少し背が低い。だがその差が、逆に似ている印象を強める。顔なんて、少し柔らかくしたらそのままだ。
「お母さん、ごめんなさい。連絡が遅くなって」
「いいのよ。信じられないかもしれないけど、お父さんなんて“外泊できるくらい仲がいい友達がいて良かった”って」
「お父さんが?」
「ふふ。それがオトコノコだってことは秘密にしておいたけどね」
イタズラっぽく笑って、唇の前に指を立てる白鳥母。
どんな爆弾が送り込まれてくるかと思えば、なんてことはない。感じのいい人じゃないか。
にしたって、勘違いは解かなきゃいけないけど。
「白鳥とは別にそんな……」
「まあ! 隠さないでいいのよ? さくらったらね、ウチにいる時はいつも貴方とクラップロイドの話ばっかりで……」
「お母さん!!!!! これで荷物は全部かしら!!!!!」
「もう、まだよ。お母さんも手伝うから、運んじゃいなさい」
ビリビリ肌が震えるくらいの声で、白鳥が遮った。いやマズイマズイ、家の中に入れるわけには。
「や、やー運ぶっすよ。俺、ぜんぜん重いの平気なんで」
「ダメよ、娘を泊めてもらうっていうのにこれ以上お世話になったら。ホラ、さくら? 堂本くんに見られたら恥ずかしいもの、ちゃんと運びなさ」
「もう!!!! いいから!!!!」
母の背を押す白鳥の顔は、もう真っ赤っかだ。耳の端まで、リンゴみたいな色になっている。
いやほんとやめてくれろ。超特急で言い訳を考えながら、俺もそれについていく。
ガチャリと玄関を開ければ、すでに他人1号がいた。
炎玲だ。みかんちゃんにじゃれつかれて、身動きが取れなくなっている。
「お、おい! なんなんだよ、この子供……」
「いぇんおねーちゃん遊ぼー! 鬼ごっこしよ!」
「しないよ! アタシ、そんなガキじゃないもん!」
「あらあら! この可愛い子は誰かしら」
2人を見つけた白鳥母は、嬉しそうに抱き上げる。ギョッとしてもがく炎玲に、キャッキャとはしゃぐみかんちゃん。
「なにすんだ! はーなーせー!」
「あー、えー、あー……」
「何の騒ぎだ」
「おい、出るなと言われて……あぁ……」
ぬっと顔を出すシュルツ、抑えようとしていたらしい直政。
いま、俺の玄関にあらゆる他人が揃った。
「この方たちは?」
「……し……親戚です。この子は姪で、あのオッサンがおじさん……」
「軍服を着てらっしゃるの? まあ、ひどい火傷だわ」
「ああいうコスプレ趣味なんですよ。だよねおじさん?」
(お前わかってるだろうな)と圧をこめて視線を送れば、シュルツはしっかりと頷いた。良かった柔軟なやつで。
「ヘルマン・シュルツ。どう呼んでもらってもかまわん」
「へる……?」
クソ、お前に柔軟性を期待したのが馬鹿だった。どう聞いても日本人じゃない。
「は! はは、コイツは来日したばかりでして! 妹の、夫というやつです。吾輩はとり……堂本 直政、貴の……えー、父親ですな! どうぞこちらへ」
「お父様なのね! おヒゲが似合ってるわ」
「わはは、よく言われます」
直政、アンタだけが頼りだ。内心で親指を立て、小さく頷きあう。
白鳥母は、炎玲とみかんちゃんを抱っこしたまま、パワフルにリビングへと移動した。
「綺麗にしてあるわね。感心しちゃうわ」
「やることがないと、どうしても掃除ばっかで……」
「ゴホン、貴! ご婦人にお飲み物をお出ししろ」
「お構いなく! 本当に荷物を運びこむだけだもの」
吾輩オヤジの言葉を、首を振って否定する白鳥母。その腕の中で、すでにみかんちゃんがウトウトしはじめている。なんと炎玲も。
「ん? これ……?」
「あーこれ、コレねー怪我で」
ふと、机の上に置きっぱなしの抗生物質に目をつける白鳥ママ。電光石火でそれをゴミ箱にシュートすると、彼女は心配そうな顔になった。
「怪我? どうしたの?」
「は……歯を抜いて」
「お、親知らずをですな。つい先日のことですので、モゴモゴ喋ってるのもそのせいです」
「そうなのかしら。ピザを食べても平気?」
ゴミ箱のデリバリー容器を見て、小首を傾げられてしまう。マズイマズイ。
「大好物なんすよ、ピザ! もう痛みも忘れて……へへ……はい」
「み、見てて吾輩も心配になりましたが、食わせんのも残酷ですからな!」
「そうなの。面白い子なのね、堂本くん」
「いやぁよく言われます……」
変なやつって。
「お母さん、もういいでしょ。荷物はありがとう。でも、人の家よ……」
「人の家じゃないわ。少なくとも、娘の身を預けられるかどうかの見極めよ」
「……」
「どうして堂本くんが、私に本当のことを言えないのか。貴女は知ってて遠ざけようとしてる?」
空気が、凍った。
白鳥の声が、喉に詰まるのが見える。俺も、直政も、あのシュルツでさえ。わずかに、怯みが生まれる。
白鳥ママは、スヤスヤと眠る炎玲の髪をかき上げる。
その首筋にある、紅龍のイレズミがあらわになった。
「“紅龍堂”。裁判で何人も刑務所送りにしたから、よく覚えてるわ」
笑顔が、崩れない。白鳥の母親の表情が。
その目が、薄く開く。俺を見る。
「……それで。説明できるかしら、堂本くん」
白鳥 しおり。元・剛腕検事の眼光だった。




