77-危うい同盟
「……そんでー、保護したホームレスの供述がコレ」
ハンドルを握るスキンヘッドの警官が、つまらなそうに紙束を差し出す。
それを受け取る助手席の女警官……鉄巻は、ペラペラとひとしきりめくって肩を落とした。
「“紅龍堂”……“キメラセラム”。またコレか」
「まーたコレだ。今回は規模感が違ったからよ、ちょい期待してたぜ」
「読んだか、鬼原。“クラップロイド”に助けられたとさ。相変わらず、得にもならんことに首を突っ込む」
「へっ、まあアイツが元気そうなのは収穫だわな」
鬼原と呼ばれた男は、思わずといったふうにコワモテを緩ませる。
ヒカリバシ。造船所へと急行するパトカーの中で、2人は今回の事件のあらましを把握しようとしていた。
ボンネットに書かれた“特殊事件対策室”の文字が、夜光を映してきらめく。
「“消失事件”の被害者が、戻ってきたのか。あの事件はどこの担当だ?」
「まだ“地域課”止まりだろお? 多分コレで、“組対”まで一足飛びだぜ」
「……どうだかな。市民も上層部のバカも、“クラップロイド”と“ホームレス失踪”の文字くらいしか読めん連中が多い。今回の件で、またアイツが追われるかもしれん」
「ンなことあるかァ? 白鳥だって暴走したばっかなのによ」
鬼原の怪訝な言葉に、肯定も反論もしない鉄巻。ただ紙束を睨み、シートに体を沈めてゆく。
「……“地下から脱出”、地下だと? どこの地下だ?」
「知らね。アレだ! 市長肝入りの地下鉄工事が、利権狙いで先走ってたとか?」
「バカな。造船所に地下などあるか! これを書いたやつはラリってたのか?」
「ま、それも今回の調査でハッキリ……あーあ、俺ら遅刻だぜ」
停車したパトカーから降りた2人は、造船所がすでに囲まれているのを見た。
真っ黒なバンが数台。フィールドジャケットを着用した捜査官が数名。
だれひとり、所属を示すものを身につけていない。それが逆に、彼らの組織を物語っていた。
「アイツらか」
「アイツらだな」
「書類を取らずに来たんだぞ、我々は。どうやったら追い抜かされる?」
「そりゃ、公安だぜ」
うんざりしたようなやり取り。鉄巻は溜め息を吐き、歩き出した。
「……犬飼。早い到着だな」
「鉄巻隊長。ここになにか御用ですか」
彼女が歩みより、話しかけるのは、ヒョロリとした痩躯の男性だ。
犬飼と呼ばれた彼は、チラリと振り向く。そして目線を造船所へ戻した。
「“A-SAD”は仕事熱心だな。まさか先を越されるとは思ってなかった」
「残念ですが、トクタイの出る幕はありませんよ。我々が隅々まで調査を行っている最中ですので」
「あぁ……見れば分かる」
造船所の灯りの中で、エサに群がる黒アリのように、A-SADの捜査官たちが行き来している。飛び交うドローンや、金属探知機のようなハイテク装備。
たしかに、出る幕はない。それでも鉄巻はガシガシ頭を掻き、動かない。
「何か判明したか。特に、“地下”の部分は」
「“真壁警視監”は、あなた方に情報を漏らすなと。……残念ながら、A-SADはトクタイと共同する気はありません」
「指を咥えて見ていろと?」
「組織の方針です」
メガネを押し上げ、何の感情も読み取れない声色の犬飼が言い放つ。
鉄巻は肩をすくめた。ある程度予想していたらしく、その表情に怒りは少ない。
「それじゃ、次の現場からは早い者勝ちか」
「……すでに書面で通知されている通り、“キメラセラム”の捜査はA-SADの受け持ち。余計な行動は慎んでください」
「残念。書類に縛られないのがトクタイの強みだ」
「……」
そこで初めて、犬飼がチラリと鉄巻を見た。悪童のようなニヤケ面を浮かべる彼女を。
「……A-SADは捜査の邪魔とみなしたものを、無条件に攻撃できる権利を付与されています」
「それは、怖いな」
「心配しているのですよ、鉄巻隊長。私とて一時でも、トクタイに居た身です……“クラップロイド”と同じく」
「ご心配傷みいるよ。ま、ここは“トクタイの新人”に譲ってやる」
バシン、と強めに肩を叩いて、鉄巻は去ってゆく。
不快げに眉根を寄せた犬飼は、鼻から息を抜き、口を開いた。
「“地下”はありましたよ。ご参考までに」
「……」
意外そうに目を見開き、振り向く鉄巻。絶対に振り向かないという、強い意志を感じる背中の犬飼。
「……それはもしかして、私たちに何か調査して欲しいのか?」
「A-SADも、万能ではない。……それだけです」
「組織の方針はどうしたんだ?」
「個人の方針です」
互いの意図をはかるような沈黙が、つづく。
だが、それ以上の会話は起きなかった。やがて鉄巻は去って行き、犬飼も造船所を睨む仕事に戻ったからだ。
しずかに、捜査が進んでゆく。
◆
「砂糖をたのむ」
「あ、あぁ。これ……」
「感謝する。シロップはあるか」
「ああ、ホラ……あの、それペパロニピザだけど」
ドバドバ砂糖をかけ、シロップで蜜漬けになった切れ端を口に運ぶシュルツ。
「なあ……もっと辛いのないの?」
「えーとコレ、タバスコ……」
「足りないよ! もっと!」
「分かったよ! ほら、七味! 腹痛くなってもしらねーぞ……」
山のような唐辛子粉を積み、タバスコでヒタヒタの切れ端に大口開けてかぶりつく少女。
笑みがヒクヒク直政。さっきから目を閉じてる白鳥。顔色の悪い篠原。
とんでもない爆弾2名は、とんでもない偏食家2名でもあった。
「食わんのか。空腹だろう」
「もったいねー! アタシが代わりに食うよ!」
もしかしてそういう作戦だったりします?
「あのな、目の前でそんなもん見せられたら、食うものも食えないって」
「そんなもん? どういう意味だ」
「その……調味料とピザのどっちが本命か分かんないやつだよ」
「これは“味付け”と呼ぶ」
味殺しだろ! いい加減にしろ!
呪わしいものを見る目つきの篠原が、チラリとシュルツのピザを見て、さらに真っ白な顔色で視線を戻す。
何を勘違いしたのか、シュルツはそっとひときれ差し出した。
「ほしいのか」
「い、い、いや、そ、そんなにかなぁ……」
「遠慮するな。食う兵士は強い」
「そ、そう……ふひ……お゛ぅ゛ぇ……」
「なあ! オマエも食ってみろって!スッゲー美味しいよ! なあなあ!」
なぜか少女に懐かれ、ぐいぐいと激辛ピッツァを押し付けられている白鳥。
さっきから目をつむって彫像のように動かない。コイツ、これで乗り切ろうとしてやがる……。
「むー……なあ、オマエは? 食べるよな?」
「いや俺ぜんぜん腹減ってなくて」
「なんでだよ。ありえないぞ」
なぜかシュンとしはじめる少女。なんだコイツ……ちなみにありえないのはお前の味覚だぞ……。
「……一口だけ」
「! やっぱり食べるんじゃん! へへ、炎玲様にまかせとけ〜」
嬉しそうにドバドバとタバスコを振り始める少女。すでに炎玲様にまかせた後悔が強い。
差し出されたそれを、目の前に持ち上げるだけで涙が出そうなほど刺激的。食生活がさぁ……。
「……シュルツさん、悪いんだけどアンタのも一口ほしいなって」
「ほう。とうとう理解し合える点ができたか」
満足そうなところゴメンけど、普通に味を相殺しようとしてるだけ。
タバスコとシロップでベッタベタなそれらを、息を止めて口に放り込む。そして噛まずに飲み込み、体が拒否反応を起こす前に笑顔を作った。
「すげー゛お゛い゛じ゛ッ……グボ」
「フ」
「だろ!?」
若干まにあわず汚いモーグリみたいになってしまったが、2人は誤魔化せたらしい。うちに来て初めての笑顔を見せている。
恐怖の対象を見る目でこちらを見てくる白鳥。なんか羨望の眼差しを送ってくる篠原。同情的な顔つきで、そっと水を差し出してくる直政。
水をがぶ飲みして、ようやく俺は話せるまでに回復した。
「げほっ、あ゛ー……う、美味かったな。えーと、そろそろ話に移っていいか」
「……良かろう」
「うん、分かった」
命乞いじみた訴えを聞き、2人も食べる手を止めた。あきらかに、食事前より話ができそうな感じだ。篠原、お前は天才だよ。
それに、時間をおいて俺も整理できた。
「まず、お互い目的を言おう。俺はキメラセラムを止めたい。できれば、セラム使用者も生かしたまま」
「……“ゲート”の目的はひとつ。すべての“フォールン”を抹殺し、“神”との接触を未然に防ぐことだ。無論、キメラセラムによるフォールン予備軍もな」
「アタシは……紅龍堂を守りたい。紅龍堂のみんなを」
かたくなな顔のシュルツ。思い詰めたようにうつむく少女。
成程、一見して矛盾した目標だ。俺たちは三者とも、ぶつかり合うほかないように見える。
「で、でも待ってよ。アタシたち、別に“燎神”……ええと、カミサマを使って悪いことがしたいんじゃないぞ」
「なに?」
「怒ってるんだ、カミサマ。だから、生贄が必要で……」
「生贄が必要で、なぜキメラセラムを使う話になる」
納得いかない様子のシュルツが、机の上からシロップを掴んで直飲みしはじめる。それやめてね。
少女……炎玲は少しためらっていたが、やがて叱られているときのような態度で話しだした。
「……あ、アタシが……お怒りを鎮める生贄に、ならないといけなかった、けど。……才能がなくて、なれないって言われて……」
「……」
「……だ、だから、殺処分もかねた、実験だったって。紅龍堂の、人類のためになるから、これで死ぬのは英雄的だ、って……」
ばきりと、手の中で音が鳴った。
気付けば俺は、掴んでいたコップを握り割っている。いやに赤い流血を見て、ひるむ炎玲。
シュルツが渡してくるハンカチを、俺は震える手で受け取る。ダメだ、深呼吸しないと怒りで声が出せない。
ダメな俺の代わりに、シュルツが聞いてくれた。
「……“才能ある生贄”を見つければ、“燎神”の怒りはおさまると?」
「ま、前はそうだった、らしい。……わかんない。生まれる前のことだもん……」
「なぜお前が、一度は選ばれた」
「血だよ。先代も生贄で、その先代も生贄だったんだ。だから、次は私の番だったのに……へへ、セラムでもまたダメだった。ダメダメだな」
笑う炎玲は、辛そうだった。生贄に選ばれたからではなく、生贄として不適だったことが。
その事実が、また俺の頭に血流を集める。紅龍堂……!
そのとき、優しく肩に触れてくる手があった。
「やるべきことは決まったわね。誰であれ、紅龍堂に“キメラセラム”使用をそそのかした人間を見つける」
「……白鳥」
「だってあまりにも破滅的だわ。運のいい人間以外は使い物にならなくなるような薬物、誰が使って欲しいと思うの? “ゲート”だって、来るのが分かっていたでしょうに……誰かが、紅龍堂とゲートを潰し合わせようとしてる。あわよくば、クラップロイドも」
白鳥は、その視線をシュルツと直政に向ける。プロ相手にも全く怯んでいない、覚悟の瞳だ。
しばらく腕を組んでいたシュルツも、頷いた。
「……その仮説にしたがうなら、紅龍堂を潰しても他の組織が出てくるだけだ。良いだろう」
「も、もちろん吾輩も協力は惜しまんぞ! もしや“ゲート”に返り咲きのチャンスすらあるかもしらん」
慌てて追従するように、何度も首肯する直政。鼻を鳴らすシュルツ。
ポカンとしていた炎玲が、首をかしげる。
「えっ……ど、どういうこと?」
「つまり、紅龍堂を守りたいならあなたの協力も必要ってこと」
「ほ、紅龍堂が危ないってこと? なんで……?」
「それは、分からない。狙われた理由が何なのか、それとも理由なんてないのか……」
「“ナハシュ・シンジカート”」
声を上げたのは、篠原だった。
彼女は苦々しい顔つきで、手元のラップトップをいじっている。
「く、クラップロイドが止めたナハシュの武器供給は、“本国”の紅龍堂に渡るはずだった。それが阻止されて、ほかの組織より出遅れた……」
「詳しいな、篠原」
「じ、事件のあと、ちょっと追ってた。……い、要らない情報かと思ってたけど……たぶん、その出遅れに、つけこまれてる」
あの時はよかれと思ってナハシュを止めたけど、なんだか余計なことをした気分だ。
ガックリきていると、ポンと俺の肩を叩いて、白鳥が前に出た。
「世に悪の絶えたためしなし、ね」
「慰めてくれてどうもありがとう……」
「では、いいわね。“ゲート代表”のシュルツさんに、“紅龍堂代表”の炎玲。そして、“クラップロイド”」
俺たちの視線が、交錯する。
シュルツ。
炎玲。
探るような、疑うような、それでも決意の入り混じる視線。
「良かろう。共にセラムを止める」
「アタシ達で、紅龍堂を守る!」
「アワナミは戦場にさせない」
それぞれの目標を述べ、俺たちはコツンと拳をぶつける。
奇妙な同盟が、はじまろうとしていた。
「ぶつける勢い強くない?」
「も、文句あんのかよ! なんだオマエ!」
「鍛えが足りん」
……限りなく不安な同盟が。




