74-加熱されゆく戦場
極度にスローな時間の中で、俺は即座に動いた。
“門の男”。コイツは、危険だ。自由にさせてはならない。踏み込み、パンチを叩き込む。
直撃! 烈風があたりを駆け抜け、手応えがアーマーを軋ませる!
それだけ。微動だにしない男は、軍服にめり込んだ拳をチラ見すると、身も凍る視線で俺を睨む。
「……“クラップロイド”。“ナハシュ・シンジカート”を止めた怪物。素性不明……第一級警戒対象」
『……一回お茶にしません?』
「敵意を確認。被験体同様、処分する」
手のひらで押すように、反撃! 最低限の動きなのに、俺の足は床を離れた。
壁に叩きつけられ、咳き込む。こんこんと湧き出していた脳内麻薬が途絶え、ガタガタな肉体が感覚を取り戻す……。
「大丈夫か、クラップロイド!」
『な……直政さん、アイツ強え……!』
「だろうよ。奴は“ヘルマン・シュルツ”。能力は“超震動”」
肩を貸してくれる直政が、妙にスラスラと相手を説明しはじめる。その目は遠い。
それに気付き、“門の男”……シュルツは、視線をこちらに向けた。
「“追放された男”が、ここで何をしている」
「……“グリムリーパー”を送り込むとは、“ゲート”もずいぶん本腰を入れているな」
「“ゲート”は、常に本気だ。半端者は引っ込んで……」
シュルツの背後から、“天”が躍りかかった。灼熱の一撃を、ワイヤーで防御。絡め取って、投げ飛ばす。
ふわりと着地した天は、大きく口を開けて笑った。
「寂しいじゃないか。俺も一枚噛ませてもらおう」
「……“紅龍堂”」
「会えて光栄だ。俺は架空の伝説とばかり思っていたぞ、“ゲート”」
「即刻、キメラセラムの使用を中止せよ。被験体の抹殺に手を貸せば、お前達の“処理”は見送る」
「暴殄天物。できない相談だ」
「……奴は常に特殊な振動で全身を覆っている。打撃は通らん!」
野郎2人のラブラブな会話を真正面に、直政が耳打ちしてくる。
なるほど、パンチ無効化はそれか。……いや、押し込めなかったのは素で力負けしてない?
『……対抗策は?』
「なに? 対抗?」
『“元ゲート”なんでしょ!? 聞き逃してないっすよ! 同僚の攻略法は知ってるんじゃないんすか!?』
「あるにはある。いくつかな……だが最も効果的なものは、すなわち」
神妙な顔の直政が、うなずく。
「三十六計、逃げるに如かず」
『……それ最高』
「うむ。では行こう!」
『よっしゃ!!』
速攻で行動開始! 部屋の奥、セラム変異体と戦う白鳥を目指す!
次の瞬間、首にワイヤーが巻き付いてきた。引き倒され、壁にぶつけられる。
リードが伸びる先には、険しい顔のシュルツがいた。
「逃がさん。クラップロイド……お前は最重要警戒対象だ!」
『お、俺を巻き込まず、2人で乳繰り合っててくれよ……邪魔しないって、げほっ!』
「クラップロイド!?」
『直政さんは白鳥を! すぐに俺も、おおおぉ!?』
ルアーのごとくに引き上げられ、“天”とシュルツのそばに転がる。
喘ぎながら見上げれば、2人の怪物が見えた。一方は笑顔。一方は真顔だ。
「高朋满座。早いお帰りだなクラップロイド」
「2人まとめて処分する」
『会って5分だけどテメェら大ッッ嫌いだバーカ!!』
もう一度、あの感覚を。“ゾーン”を!
深呼吸し、集中を深めながら、俺は立ち上がった!!
◆
「クラップロイドは!?」
並んできた直政に、必死の形相で白鳥が叫ぶ。自分もまた追い詰められながら、心配の滲む声色だ。
荒い息で、スカーフを外す直政。その懐からナイフが取り出される。
「やつは時間稼ぎだ! その間に、なんとか変異体を片付けて、ここから脱出する手立てを見つけなければ……」
「ま、待ってくれ! コイツら仲間なんだ! 友達なんだよぉぉ! こ、殺さねえでやってくれよぉ!」
庇われていたホームレスのひとりが、直政にすがりつく。
炎の塊じみた変異体たちは、どう見ても正気ではない。跳ねて、壁を蹴り、直政と白鳥を狙っている。
それでも、彼らは嘆願しているのだ。
「ええい、甘いことを! こんな局面、“ゲート”でなくとも殺して乗り切ろうとする! アンタらを助けようとしてるだけ有情だ……」
「分かりました。1人も死なせません」
「吾輩の話聞いてた!?」
「聞いていたわ。それでも“やるだけをやる”。覚悟があるから首を突っ込んだのよ」
火傷の見える手で、髪を後ろに束ねる白鳥。ここに至って、その瞳には絶望の色がない。
そのカリスマ。くたびれた中年はぐっと言葉を飲み、ナイフをしまって落ちていたスタンガンを拾った。
「……いい考えとは思えんがな!」
「勿論。愚かに生きないと」
「そも、退路だ! わかるか? 地上行きエレベーターはひとつ。この人数を抱えて、あの怪物共の脇を通り抜けられん。コイツらを生かせば、荷物も増える!」
飛びかかってきた変異体を躱し、その背に電撃を浴びせる直政。
ボヤキを聞き、ドローン篠原がスピーカーから声を発する。
《た、たぶん、脱出路はひとつじゃない》
「なに? なぜそう言える?」
《も、もう1人、フードの男がいたの、覚えてる? す、すごい怒ってた……》
「……居たな。忘れていた」
(((“天”! 不手際だぞ! こんなことが同盟の場で……)))
“天”ばかりが目立つ中、その後ろに影の如くひかえていた男。
やつは怒鳴り散らし、不満を漏らしながら……どこへ行った?
《あの時、クラップロイドが部屋の出入り口にいた。だからそこへは向かえなかった。……部屋の奥に行って、消えた》
「……消えた」
《き、消えたってことは、たぶん、脱出路がある! だから、状況は思ってるより、わ、悪くないのかも……》
「……」
直政は一瞬、言葉に詰まる。希望を探すのが、あまりにも上手い連中だ。
褒める代わりに、ニヒルな笑みを浮かべた。
「……ま、机上の空論という言葉もある。実際、吾輩にかかっているか」
「私達に、よ。まだ予断を許さないわ」
「押し通るか」
「動けば追ってくる。カエルそのままよ」
「よし」
並び立つ2人。背にはホームレスたち。目の前には、燃え盛る変異体の群れ。
息を吸い、2人は同時に飛び出した!!
◆
“ゾーン”を取り戻そうとした瞬間。
襲ってきたのは、強烈な代償だった。
頭蓋にアイスピックを突き込まれたような、強烈な頭痛。なにかがブツリと鳴る音。鼻の奥から、口の中まで、鉄臭い味が広がる。
怯んだ瞬間、シュルツと天の打撃を見舞われる。白む視界が戻れば、俺は壁にめり込んでいた。
(あーあーもう脳がボロボロ……あんまり多用しないほうがいいですね、アレ)
『げほっ、そ、そんなに……』
(なんなら敵の攻撃よりダメージ酷いですよ)
『戦いの才能ねえな俺……』
あってほしくもないけど。目からも溢れる血液を、まばたきで必死に散らす。
(まあ、力押しはオススメできないってことで!)
『……もしかして励ましてくれてる?』
(私はいつでも弱者の味方! つまり……?)
『嫌な味方だよ、クソ』
ヘルメットの頬をはつって、気合を入れ直す。新たな力に寄りかかりすぎた代償は、甘んじて受け入れる!!
一歩、踏み出す! まだ戦っていた2人が、意外そうにこちらを見た。
「百折不挠! まだやるのか!」
「……取ったと思ったが」
『はぁーっクソ! お前らが半端に強いせいで苦しみが長引いてる最中だよ!!』
「「良いだろう」」
おっさん共のユニゾン。直後に、2人が一斉に向かってくる。
同時攻撃! 確かに俺を先に潰すのは合理的だ! だって組織に属してない不確定要素は俺だけだもんね!
必死に逃げ、避け、躱す。
拳。ワイヤー。ナイフ。蹴り。
大した連携ではない。そもそも連中は敵同士だし、なにより俺相手に大した連携も必要ないからだ。
油断だ。明らかな油断。もちろん付け入る隙はある。いつだってある!!
『ここ!!』
振るわれたワイヤーを、ギリギリで見切って“いなす”。軌道を変えたそれは、“天”を巻き込んだ。
「なに、」
『そんでこう!!』
「!!」
シュルツが気付く! ワイヤーを手放す! しかし、遅い!!
ワイヤーを掴み、俺は跳躍! 巻き込んだ“天”ごと、その軍服めがけて叩き込む!
むろん打撃が狙いではない。“天”を受け止めたシュルツが、動こうとする……そこへ、“天”越しに蹴り!!
密着するオッサン2人を、ワイヤーで縛り上げる!! 肉が焼け、服の繊維が焼けるニオイが満ちた!!
「ぐ……」
「另眼相看……! クラップロイド、貴様……!!」
『へっ、お似合い!』
こちらを睨む“天”。熱で苦しむシュルツ!
思った通りだ! シュルツは直接的な攻撃には滅法強いが、熱や炎はその限りではない!! 願わくばこのままローストターキーみたいになってほしいが、時間稼ぎにしかならないだろう。
(戦いの才能がない? まあ、見方によりますかね)
『いいから行くぞ、白鳥の……え?』
ふと、視界の異変に気付く。
金色の、粉塵のような物が舞っているのだ。
それは空気中で輝き、キラキラと風の流れを見せる。
白鳥たちはまだ戦っている。変異体を突破しようと苦戦しているようだ。この粉は、そこからではない。
(これは……鳥類の、粉末油脂です)
『粉末油脂……?』
オーバーヒート気味な脳に、一筋、冷気が差し込む。嫌な予感だ。
部屋の奥。ひときわ金の輝きが濃い空間。
そこに、居た。
拘束台の上に、1人の少女。腕を赤い羽が覆い、顔も半ば羽毛に飲まれている。
その全身から、黄金の鱗粉じみたものが宙に飛散。どんどん濃度を上げてゆく……。
(ご主人様! 伏せてッ!!)
『!!』
出入り口の鉄扉を引っぺがし、俺は駆けた。戦う白鳥たちへと!!
彼女達も異変に気付き、こちらを見た! ドローン、白鳥、直政たち!
直後、少女は苦しみ喘ぐように天井を見上げる。
一瞬、音が消えた。黄金の粉塵が、着火され、爆発を起こす直前のことだった。
少女の体から、炎が溢れた。
意識を取り戻した俺は、鉄扉を構えたまま、炎の海の中に立っていた。
庇いきれなかった変異体が、炭化してボロボロ崩れてゆく。取り落とした鉄扉の表面は、溶けゆく。
膨らんでいた筋肉が、音が聞こえるほどの勢いで萎んだ。
《ス・ス・ス・スリムダウン。スタンダード》
全身から力が抜ける。膝をつきそうになり、持ちなおす。
振り向けば、白鳥たちは無事だった。膝をついた生徒会長と、目が合う。
「ど……堂本くん、あなた……今の」
『キメラセラムだ、多分』
「……ああ。というか、確実にな。見ろ」
直政が、頭を抑えて立ち上がる。
彼が指さす先には、部屋の上方で羽ばたく真っ赤な鳥がいた。
闇を切り裂く眼光。非常灯より不吉な深紅を身にまとい、大人ほどの大きさのそれが俺たちを睥睨する。
キメラセラム。だが、威力が桁違いだ。
「……欢欣鼓舞。キメラセラム、鳥類型は悪くない……持ち帰って報告できるな」
振り向けば、全身が赤熱する“天”が立っている。鋼鉄ワイヤーの溶け残りをはらい、俺を見た。
「クラップロイド。残念ながら、俺は組織人だ。持ち帰るべき情報はかなり多い」
『腐れ外道……アレを放って逃げるってか』
「クク。我ながら良い作戦だ……また会おう。お前は楽しい男だ」
『……』
“天”は背を向け、駆けてゆく。俺に止める力も暇もない……!
床で気絶して伸びている“シュルツ”も見える。火傷が重篤だ。半分は俺の責任だし、放っておくわけにはいかない。
俺はヤツを背に担ぎ、鋼鉄ワイヤーで固定すると、苦しげに羽ばたく赤い鳥を見上げた。
『……普段なら焼き鳥は大好物』
「奇遇だな、吾輩もだ」
「ムダ口はやめて。正念場よ」
《き、気をつけて! あの変異体の表面温度がドンドン上がってる!》
直政、白鳥、ドローン、俺。
すべてを睨みつけながら、赤い鳥が泣き叫ぶように吼える!! そして、動き出した!!




