66-幕間:とあるバーにて
「いらっしゃいませ。空いているお席へどうぞ」
「いらっしゃいませ」
薄暗い店内に、ドアを開けて人が入ってくる。
華金の夜だというのに、このバーはパラパラと人が来る程度だった。
バー“コガネ”。俺のバイト先で、1番楽な場所。
静かに立って、グラスを拭いて。たまに無口な店長から、酒を注ぐ時の作法を教えてもらう。それだけ。
ただそれだけのことでも、バイト代は割が良かった。最初は他と比べても低かったのに、店長からの提案で昇給を繰り返され、今じゃ手放したくないバイトのひとつ。
……たぶん、親ナシの境遇を伝えてから、ちょっと憐んでるかもだ。
「こちらのジントニックをお願いします」
「承りました。おい」
「は、はい。やります」
まあ、たまに無茶ブリもされる。ジントニックって、まだ作ったこともないんすけど。
とりあえずグラス……これだっけ……。あとアイス、ジンのボトルはこれ……。
トニックは多分これで、ていうかスプーンない。スプーン探さないと。
「おっ、お待たせいたしました」
そんなこんなで、バタバタしながらグラスを置く。
注文したご婦人はニッコリ。だが店長は仏頂面で、指を3本立ててくる。
アレは店長語で“30点”の意味だ。うるせーやい。練習させてから言えよな。
また、カランカランと音。薄暗い店内に、お客さんだ。数名、あまりガラの良くなさそうな人たちである。
「いらっしゃいませ。空いているお席へどうぞ」
「いらっしゃいませ」
彼らは俺たちを見もせず、店の奥の机に進んで行った。
なんか嫌だな……と思っていると、店長が直々に注文を取りに行ってくれている。こういうところは頼りになるからな……。
と、また入店のベル。そちらに顔を向けると、シンプルなライダースジャケットを纏った女性だ。大学生くらいだろうか。
ブーツで床を踏み、一直線に歩いてくる。
「いらっしゃいませ、空いているお席へどうぞ……」
「お邪魔しまーす」
お客さんにしては珍しい返事と共に、彼女は手近なカウンター席に座った。
妙な存在感だ。ソワソワしていると、彼女はニッコリと笑顔を向けてきた。
「こんばんは。オススメはある?」
「えーと、オススメっす……ですか。カシスオレンジとか?」
「……なるほど。それがキミのオススメなんだ……作ってもらえる?」
「はぁ」
また俺が作るんかい。いやまあ、店長はまだ店の奥で注文取ってるからな……。
とりあえず、ほっそいグラスを出してと。カラカラと氷を入れ、カシスリキュールのボトルを傾ける。氷を伝って進む液体が、底に溜まりゆく。
そしてオレンジジュースを注ぐ。うちのは甘くて、飲みやすい。最後にスライスしたオレンジを添えて、なんとか形になった。
「どうぞ。カシスオレンジです」
「お見事。ここで働いて長いのかな」
「まあ……そこそこっす……じゃない、です」
「ふふ。そう硬くならなくていいのに」
彼女は涼やかな音を立てて氷を混ぜ、一口それを飲む。
なーんかやりにくい。この人が笑ってても、なぜか薄目の中からこちらを見据えているような気がする。
色素の薄い、灰色の髪。灰色の目。白い肌の色。どれもが、生命の温かみからかけ離れているような印象だ。
「熱い視線だね」
「あ、すみません……」
「いいよ。私もキミに興味があるから」
「ははは……」
なんなのこの人……この人にこそ、店の奥に行ってもらいたかったよ。カウンターだと顔を突き合わせっぱなし。
灰色の目を開け、彼女はすこし体を持ち上げた。
「……その傷、バーの喧嘩に巻き込まれたのかな?」
「傷? 傷、あー……傷」
どの傷だよ、と思っていると、首元を指されていた。
そこには確かに、少し前のゴジュウモン事件で負ったアザがある。
急いで襟を引っ張り上げ、曖昧に笑った。
「いや、色々あって。階段から落ちたり」
「そう。階段から」
「そうそう、階段から……」
吐き慣れている嘘も、この灰色の目に見られると尻すぼみだ。
なんだってバーのバイトの怪我なんて気にするんだよ……普通スルーだろ。なんなの。
「興味が湧いちゃったな。ねえ店長、この子と少し話しててもいい?」
「え、店長?」
後ろを見ると、仏頂面の店長が立っていた。た、助かった! この変人の相手もしてくださいよ!
そんな意を込めた目線を送るも、店長はむっつりと黙り込んでいる。そして、頷いた。
「かまいません」
「え、いやでも、注文とか……ツマミとか作らないと俺」
「少しは対人技能を鍛えろ」
小声で弱点を指摘され、俺はそれ以上の言葉を封じられてしまう。どうやら面倒な客を嫌がっていたのがバレていたようだ……。
フンと鼻を鳴らし、酒の準備に入る店長。捨てられた犬のような気持ちでそれを見ていたが、やがて諦め、灰色お姉さんに向き直る。
「傷付くな。そう嫌がらないでほしいんだけど」
「いやまあ……スミマセン。顔に出やすくて」
「あは。正直者だ」
「はは、は……」
ねえもうやだ! 会話続かない! てか続けたくない!
店長は無言だが、楽しんでいるのが気配で伝わってくる。やつめ……。
「私はミコト。キミはなんて名前なの?」
「堂本です……」
「ドーモト。下の名前は?」
ねえもうやだぁ!!! デスノートに名前書かれるじゃんこれ!!
「貴です……」
「タカか。タカ……ふふ。タカと呼んでもいいかな?」
「お好きなように」
何が楽しいのか、口の中で転がすようにタカ、タカと繰り返すミコトさん。早退しようかな。
「タカはどうしてここに?」
「……バイトしないと、カツカツなんですよ。企業からの奨学金なんてもらえるほど優秀でもないですし」
「じゃあ高校生くらいか」
順調に個人情報抜かれてない? 嫌なんだけど。
「なら、知ってるよね。クラリス・コーポレーションで学生の人質事件があったことも」
「……あー、ありましたね。ナハシュ・シンジカートがやってたんですっけ」
「そうそう。やっぱり、噂話で色々聞いた?」
「どれも眉唾ですけどね」
一瞬の緊張を乗り越え、なんとか普通の会話を継続する。
ヒヤヒヤする流れだ。クラップロイドとしてあの場にいたことなんて、絶対にバレてはいけない。
「面白いよね。シンジカート、アレだけ勢いが良かったのに……止められちゃったって」
「はは。何があるかわかんないすね……」
「“クラップロイド”。銀色の怪物だってさ。止めたの」
「そ……っすか。変な名前だ……」
沈黙。薄い灰色の目が、見透かすように覗き込む。
世間話。これは世間話。ぜったいそう。だから裏返るな、俺の声。
「ま↑ー、全然……ゴホン、その、クラップなんとかも。俺に言わせれば、怪しいっすけど」
「なんで?」
「顔出さずに活動してるのが、もう、卑怯臭いですよ」
「……へえ。そう思う?」
意味深に笑うミコトさん。俺が首を傾げると、彼女は少し声を落とした。
「……クラップロイドはね。もう、あらかたの分析が済んでるらしいんだ」
「……分析が?」
「いくらアーマー越しって言っても、体格や言葉使い、出現パターンの割り出しもやり易かったみたいだからね」
「……」
「だいたい……このくらいの背丈で。年頃も、高校生くらいで……」
手を挙げ、俺の頭くらいの高さを示す。そして薄く目を開き、笑う。
「……それで、変な人の話も真面目に聞いちゃうお人よし」
「……」
「なんて、冗談だよ。からかっただけだから、そんな怖い顔しないで」
「……ですよね」
「ああ、空になっちゃった。やっぱり甘いだけなのは苦手だったな」
カラカラと氷を揺らし、グラスを持ち上げるミコトさん。
彼女は髪を払うと、メニュー表を持ち上げた。
「ネグローニ、ストレートでお願い」
「……はい」
バイトってこんな色々考えないといけないんだっけ……ウンザリしつつ、新たなグラスを取り出す。
その時、出入り口でベルが鳴った。
「いらっしゃいませ、空いているお席にどうぞ」
定型文を口に登らせながらそちらを見ると、くたびれた中年男性が入店してきていた。
どこか見覚えのあるような顔だ。生真面目そうな印象の、硬い顔である。
彼は少し迷って、カウンターに座った。そして、俺を見て眉根を寄せる。
「……キミ、若いな。高校生か?」
「あ、はい。そうっすけど……」
「学生証は?」
「え? いや、ありますけど。えーと、コレ」
尻ポケットの財布から取り出したソレを、彼はしかめっ面で受け取って見つめる。
そして脱力した。
「……すまない、アワナミ高校か。バイトは許可されているな」
「ええ、そうです」
「娘も通っている。生徒会長をやっていてな」
白鳥のお父さんじゃねーか!!!
「あ、ああ。白鳥さんですよね。彼女の話題で持ちきりですよ、高校も」
「ははは。自慢の娘だが、反抗期でな……情けないことだが……いや、このラフロイグを貰おう。ハーフロックで」
「ラフロイグ、ハーフロックですね」
なんで……なんで今日に限ってこうなる! 白鳥のお父さんって、自衛隊まで出してクラップロイド(俺)を追ってた人じゃん!
ミコトさんは絶対余計なこと言うオーラがぷんぷんしてるし! 怖いよこの空間! 帰りたいよ!
更に、ベル音。神様仏様お助けくださいと祈りながらそちらを見れば、病的に細身の男性が立っていた。
それを見た白鳥のお父さんは、目を丸くしている。
「犬飼……」
「おや、白鳥さん。あなたも酒など嗜むのですね」
「……飲まないと、やってられない事が多いのでな。特に署内では」
「同情はしますよ。それなりに」
犬飼と呼ばれたその男は、躊躇なくカウンターに座ってくる。いやコイツも警察かい……。
メガネを押し上げ、彼はチラとメニューを見る。そして俺を見た。
「ブラックルシアン。ロックでお願いします」
「は……はい、ブラックルシアンのロックですね」
気付けば結構、注文が滞っている。店長……今こそ助けてくださいよ!
振り向いても、店長は他の客の対応中だった。いや、バイトに投げすぎだろ!
グラスを取り出し、ボトルの群れを相手に忙しく立ち回る。
すると、またも来客ベル。嫌な予感をうすうす覚えながらそちらを見れば、見覚えのある顔が立っていた。
「邪魔するぞ。今日は浴びるくらい……」
「ッスゥーーー……」
特殊事件対策室の隊長、鉄巻さんだ。
彼女は一瞬、出入り口で立ち止まった。俺の顔と、白鳥さん、そして犬飼さんを見た。
彼らの視線が、バッチリと合う。火花が幻視できるほどの凝視は、すぐに消えた。
代わりに、なぜか挑戦的な態度で、鉄巻さんはどっかりとカウンターに座ってきた。
「ふう。今日もキツイ訓練が終わったと思えば、まさかここからが本番か」
「……店の外から汗臭いと思えば、これはこれは鉄巻隊長」
「鉄巻か。……フン」
仲良くしてよ……。ただでさえ胃が痛いんだよ……?
「お前、何してる? バイトか?」
「はい、バイトです……」
「お知り合いですか? 彼の苦労が偲ばれますね」
「鉄巻と知り合いだと? どこで知り合ったんだ」
軽い調子で声をかけてくる鉄巻さん。この人、酔ったら俺の正体を普通にバラしてきそうで嫌なんだよな……。
案の定、犬飼さんと白鳥さんが食いついてくる。このポジション、どの犯罪者よりきついだろ。
「どこでもクソも……あー、ガソリンスタンドでもバイトしてるだろ。なあ?」
「そ、そうですね、はい。ガソリンスタンドで」
「……そうか。最近、神経質になっていてな……すまない、堂本くん」
「いえ、とんでもないです」
鉄巻さんの嘘に合わせると、白鳥さんはシナシナと小さくなった。なんだか哀れである。
間違っても、クラップロイドとしてトクタイと共闘してたことなんてバレてはいけないのである。
「たーかっ。私にも構ってよ」
「も、申し訳ありません。こちら、ネグローニのストレートです」
なんか駄々をこねはじめた面倒女性にも対応しないといけない。
目の前にグラスを置くと、ミコトさんはニッコリ笑った。
「じゃあ、続き。クラップロイドのこと、もっと話そう?」
「「「クラップロイド?」」」
もうやめてください……。