62-第1章エピローグ:変わってしまったもの
「……」
“アワナミ市におけるナハシュ・シンジカートの行動記録”。
彼が読んでいたファイルには、そう書かれていた。その分厚いファイルが、閉じられる。
眼帯で覆われた片目。不機嫌そうな目元が、更に細まる。
「……“門”がいっとき、完全に開きかけた。私が能力を集中させて閉じたが……何か申し開きはあるか」
「お……お許しを、副長。吾輩は、吾輩は本気で止めようとしていたのだ!」
「“やろうとした”という言葉ならば、誰でも言える。結果を出せぬなら貴様はセクター長失格。アワナミからは消えてもらう」
「だ、だが、シンジカートの倉庫だって襲った! 奴らの動きだって掴んでた! あと一歩だったのだ! もう一度チャンスを、」
パチン。必死の言い訳の声が、指のスナップで止められる。
眼帯男は椅子に座ったまま、その冷たい凝視を緩めない。
「“あと一歩”。グズの好む言葉だ。言い訳を考える前に一歩を踏み込めぬ者の、な」
「……ッ」
「失せろ。二度も失敗した貴様に、最早セクターのポストはない。どこへなりと消えて、つまらぬ一生を送れ」
「この……」
一瞬、膨れ上がる殺気。
だが、眼帯の男が少し首を傾げると、その雰囲気はすぐに霧散した。
耳鳴りが満たす静寂。恐怖に震える呼吸が、小さく空間を揺らす。
やがて歯軋りの音が響き、足音が去ってゆく。眼帯の男はすでに、椅子に背を預け、懐中時計を眺めていた。
「……お疲れ様でした、副長」
「疲れてなどおらぬ。……だが、不可解に思うことはある」
「何でしょうか」
“彼”の隣に、音もなく立っていた女性。メガネを押し上げ、バインダーから顔を上げる。
眼帯の男はしばらく無言。そして、懐中時計を閉じた。
「ヴェニーノ・フエゴは“祝福”を受け、タンカーを破壊するほど暴れたとある」
「確認済みです。現地のテレビ局にも映像が流れていました」
「ならば何故、アワナミは壊滅していない? この“近さ”での祝福など、人の身に神性をもたらすに十分すぎる……だが、この程度で済んでいる。なぜだ?」
「“クラップロイド”です」
彼女の発した言葉に、眼帯男は眉根を寄せた。
「それは?」
「シンジカートの事件に、少し前から関与が確認されている存在です。それがヴェニーノを止め、そして“代償”から彼を救ったと」
「……救った?」
「そう記録されています」
肩をすくめる女性が、スクリーンへリモコンを向ける。
すると、タンカーの上、大蛇に立ち向かう銀の怪物が映った。血まみれで、見苦しく、あがきつづける様が。
眼帯男は険しい顔だ。映像を見上げ、じっと考え込んでいる。
「……調査させろ。フォールン、イカロス、過去の“儀式”への関与も徹底的にな」
「分かりました。リーダーに報告は?」
「あの方は忙しい。すべての報告は、私で止めろ」
「分かりました。そのように手配します」
お辞儀し、歩き去ってゆく女性。
眼帯の男は、懐中時計をもてあそびながら映像を見つめている。その口が、小さくつぶやく。
「……クラップロイド……」
その眼前で、懐中時計の動きに合わせるように、ひとりでにファイルが捲れ始める……。
◆
「でぃ、“ディアブロ”が来たぞ!」
「半端者の傭兵がッ、何の用……ぐぎゃっ」
ゴギリ。首をおかしな方向に折り曲げられ、力無く倒れる体。
それを踏み越え、巨躯が歩む。数名の部下を連れ、廃アパートの奥へと。
「クリア」
「ボス、シンジカートの他幹部は見当たりません。恐らくは今日の“襲撃”を察知して……」
「構わん。このまま進む。殺しすぎるなよ」
「「「はい、ボス」」」
抵抗するシンジカート構成員のみを殺害しつつ、彼らは進んでゆく。
そして、とうとう廃アパートの奥、巨大な洞窟じみた空間へと到達した。水が天井から滴るそこには、数多くの構成員と、木箱に隠された物資。
緊張が走る表情で、彼らは互いに視線を交わす。突然の乱入者に対して、アクションを選べないのだ。
“ディアブロ”。ヴェニーノに雇われた味方のはず。アワナミで何があったのか、末端は知らされていない。
そんな彼らに構わず、ディアブロは悠然と歩いてゆく。洞窟の最も奥にある、翼持つ蛇の彫刻へと。
そこで振り向き、洞窟全体の構成員を見渡す。ディアブロの周囲を守るように、彼の部下が銃を構えた。
「……ヴェニーノは失敗した。お前達の中に、知っていた者は?」
「「「……」」」
ろうと響く声。誰も返事ができない。
構成員たちは忙しく視線を交わし、事態を把握しようとしている。
「居なかったようだな。では、クズハ、サンシューター、俺が、最後にはやつを見限ったという話は?」
「……なんだと?」
「テメェら、傭兵のくせしてヴェニーノ様を見捨てたのか! 恥を知れ!!」
「ノコノコ出てきやがって、ぶっ殺すぞ!!」
火中で弾ける木のごとくに、彼らが吠え叫び始める。
中には銃を構えようとする者もいる。先んじて射撃しようとする部下を抑え、ディアブロはニヤリと笑った。
「……では、貴様らは見捨てられたということは?」
「……は?」
「何言ってやがる! ふざけんな!」
「クソ傭兵! くたばりやがれ!!」
すでに怒り心頭の構成員が、射撃! ディアブロの胸部に当たった弾丸は、潰れて落ちた。
「な……」
「“知らなかった”、ようだな」
彫刻の隣から降り、射撃した構成員に近づくディアブロ。
フルオート射撃が、繰り返しマズルフラッシュを焚く。その銃口を掴み、敢えて自分に向けさせたまま、ディアブロは憐れむような目で構成員を見た。
かち、かちかち。弾切れの音。上がる硝煙。ディアブロは手を離す。
「……ここを守っていた幹部は、今日に限ってここから離れていた。なぜかわかるか」
「……そ……それは……」
「俺たちが来ることを知っていたからだ。シンジカートを乗っ取りに来る、とな」
「……」
静かな声色にも関わらず、もはや誰も口を挟めなかった。
ディアブロの眼差しは、憐れむものから、炎じみた怒りを孕むそれへと変化している。
「貴様らはそれで良いのか? ここで俺たちに殺される使い走りのままで良いのか?」
「だ……だけど、従わないと……“クァーラ様”が」
「幹部連中は体よく信仰を使っていたようだな。だが見ろ、“クァーラ様”とやらに頼っていたヴェニーノ達はどうなった?」
「……」
互いに顔を見合わせる構成員達。彼らの中に、疑念が生まれ始めている。
ディアブロは畳み掛ける。声を張り上げる!
「所詮、“神”などというものは恐るるに足りん! 良いか。俺が見せてやる。手本をな!!」
有翼の蛇の彫刻へ歩み寄ると、ディアブロは拳を叩き込む!
粉砕されたそれは、木片を辺りに散らした。息を呑む構成員たちに、ディアブロは振り返る!
「なぜ“クァーラ”は顕現し、俺に罰を与えない? 答えは一つ。シンジカートの幹部どもは、クァーラという嘘をつかって貴様らを使いたかったのだ」
「……!!」
「神? クァーラ様? 信仰!? 笑わせる。恐れと贄ばかり求める神が、貴様らに何をもたらした!」
「……そうだ」
「世界を支配するのは“力”!! 天上に居座るとされるような、存在すら曖昧な“神様”とやらではない!!」
「……そうだ……! その通りだ!!」
気付けば叫ぶ構成員もいる。
その熱を感じながら、ディアブロは己の足元にあった彫刻の破片を踏み潰した!
「シンジカートは、俺たちのものとなる! 引っ込んで震えている、腰抜けの幹部どもにこの組織を任せておけるものか!!」
「そうだ!!」
「殺せ!! 奴らを殺せッ!!」
「準備をしろ!! ナハシュ・シンジカートを、乗っ取る準備を!! ……今日からこのディアブロが、クァーラに代わって! 貴様らのボスだ!!」
熱狂。洞窟を震わす、ディアブロへの忠誠の叫び。
ナハシュ・シンジカートが、一週間足らずで新体制に変わる、その始まりの出来事であった。
◆
「……成程。これが、“プロトタイプ”か」
「はい。間違いありません。この出力と、銀色の見た目……貴方様にそっくりです」
「確かに、私によく似ている。……そうか。私以外にも、“融合”の成功例は居たのだな」
「いかがいたしましょう? すでにスパイは1人、向かわせてありますが」
「……構わない。“ジャガー部隊”の時と同じように、定期的に性能テストを仕掛けるのみにしろ。それよりも、“ネオ・プロメテウス”は回収できたのか?」
「は。沈没したタンカーから、コア部分の引き上げに成功しております」
「……島善博士は使える男だったが、勝手が多かった。遺産には役立ってもらうこととしよう」
「御心のままに」
「……ふふ。クラップロイド……か」
ここまでお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
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