6-見学会開始(2)
階段を上がった途端、フロアの雰囲気が一気に物々しくなった。
盾や防弾チョッキ、銃が飾られているのだ。新品に見えるものも、傷だらけのものもある。
「こちらは警察の装備の歴史です。我が社の製品が多く使われており、現在使われなくなった装備をこうして展示しています」
壁には年表が見えるようになっており、年が進むごとに装備の小型化に成功しているようだ。
目覚ましいのは、銃。非致死性の銃を生み出すに至るその過程は、美しさすらある。
……まあ、1年ごとに更新してるのは、バケモノじみた執念を感じるけど。
「……この製品、ARヘルメットですよね。THzシステムの論文は読みましたけど、まだ掴めなくて……」
「もちろん説明させていただきます! テラヘルツイメージングシステム、通称THzシステムは、非金属を透過し、金属で跳ね返る波を利用してリアルタイムに——」
白鳥はガイドのお姉さん相手に難しい質問をしている。なんだかんだ、楽しげだ。
はーよかった、なんて思っていると背中がぶっ叩かれた。
声も出せずに振り向くと、鮫島が警棒を握ってニヤニヤしていた。
「……なにするんだ」
「すげえ〜。やっぱこれ、不審者に効果あんだな。コーポレーションの歴史って伊達じゃねえ、わッ」
どむ、と今度は鳩尾に突き入れられる。じゃれてきているのではなく、アザになるようなフルパワーだ。
思わずよろめきかけ、踏みとどまる。幸いまだ、ガイドさんにはバレていない。
だが、ここにいるクラスメイトたちにはバレ始めている。チラチラと、不安げにこちらを見ている者が多いのだ。
挑発はまずい。いつもならば、ここで憎まれ口の一つでも叩いていただろうが……白鳥の未来がかかっているのだ。
アイツの将来は、俺のちんけなプライドなんかより何十倍も価値がある。こんな俺を、何度も助けようとするくらいには優しいやつだし。
黙って口を引き結び、まっすぐに鮫島を見る。邪魔はさせない。俺を使って騒ぎを起こしたいのなら、残念ながらアテが外れたな。
「……」
「チ、つまんねえゴミ。いい音で鳴きゃ、ストレス解消にも良かったのによ」
ぽい、と展示スペースに警棒を放る鮫島。やつはガッと肩を組んでくると、低く囁いてきた。
「てめぇ、いい加減にしろよ。さくらに気に入られて、図に乗ってるみてえだけどよ……アイツは俺の女だから」
「……」
惨めったらしい言葉だ。録音して聞き直せば二度と言わないだろうに。
しかし、鮫島は何かしらの確信があるらしい。まるで決まったことを伝えるような、断定的な口調は止まらない。
「俺とお前じゃ、格がちげえんだよ。今日、それを嫌ってほど思い知らせてやる。アイツの前で、な」
「……!」
パ、と鮫島が離れる。やつは薄ら笑いのまま、俺を見て言った。
「身の程知らずが。今日までのこと、泣いて詫びさせてやっからな……!」
何を言っているのかは、全く伝わってこない。
だが、分かった。コイツはおそらく、俺が集団について行く限り、さっきみたいな絡み方をずっと繰り返すつもりだ。
「……そうかよ」
それだけ言うのが、やっとだった。俺はもう、心底から疲れがきていた。
なんで書いた覚えもない企業見学会に連れて来られて、人一倍気を遣って、酷い目に遭わなきゃいけないんだ。
ちょっとだけ、歩みを遅らせてついて行こう。お姉さんの説明は聞こえなくなるし、態度は悪いと言われてしまうだろう。
それでも、今みたいなシーンを企業の人に見つかるよりマシだ。学校の品位が疑われるようなことになれば、俺たちだけの問題でなくなる。
それに比べれば、俺1人の評判なんて。
少し遅れがちになり始めた俺に、振り向く生徒も数名いた。だが、声はかけてこなかった。
やがて、集団の輪から完全に外れた。
遠い説明の声。たくさんの背中。皆からはひとつ遅れの展示品を、それでも少しずつ噛み砕いて理解する。
事前の勉強の甲斐もあって、見たことのある製品ばかりだ。理解もそれなりに進みが早い。
『宇宙開発の可能性』『アフリカの隕石回収に関して』『火星の生命体』……
……
…………
違う。
その時、なにかが電撃的に脳裏に閃いた。
違う。俺はこんなものを、事前に勉強していない。
壁にかかった記録写真。壁を背に並んだ人々の写真。研究者たちの笑顔。かすかな違和感が、脳の底でチリチリしている。
『地球外生命体探求録』未知のシンボルが散りばめられた表紙。
『“フォールン” その構造』異様に首の長い人骨の図解。
『人と彼らの違い』並べられたヒトと“なにか” の写真。
『彼らと我々を繋ぐ鍵』シリンジに入った緑色の液体。
既視感。不快なほどの。
「すみません、この研究……」
顔を上げると、そこにはすでに集団はいなかった。
はぐれた! 次のフロアに行ってしまったのだろうか?
すぐに追いかけようとして、立ち止まる。コーナー名『進化』……それが、奥に見えたからだ。
(クラリス・コーポレーションは人類の未来をつくります。あらゆる進化を手助けし、より良い明日を選びます。それが――)
繰り返す夢の残響。ズレてゆく思考の歯車が、俺から体の主導権を奪う。
一歩、踏み込む。歓迎じみて、足がカーペットにうずもれる。
心臓が、早鐘のようだった。強くなる違和感が、今にも形となって現れそうで。その違和感に、心構えすらできていないのに。
それでも俺は、好奇心に負けた。
『ごほん、あー、映っているかな?』
突如、備え付けてあったテレビがついた。近くで銃声でも鳴ったような心地で、俺は反射的にそちらを見る。
センサー感知したようだ。テレビの下には、様々な写真や、雑誌、論文が散らばっている。『イカロスについて』『超人、その秘密』『脳波とパフォーマンスの関係』……胡散臭いのに、目が離せない。
『こんにちは。君がここに来たということは……あ、前置きはいい? ……カットも僕がやるの!? よ、予算ないなぁ……』
テレビの中で苦笑する研究者は、まだ若い。二十代半ばくらいだろうか。癖毛ばかりの頭をかき、苦笑いしている。
『あらためまして、僕は島善 三郎。ここの研究者だ。普段は“イカロス”の研究をしてる……って言っても、そのイカロスが分かんないか』
あまりの段取りの悪さに、それまでの違和感も忘れて息が漏れる。なんか力抜けるな、この人見てると……。
『あー……えっとね、イカロスっていうのは、要するに“人間の限界を超えた”人のことだよ。簡単に言えば、筋肉とか、反射神経とか、そういう身体能力が異常に高まってる……感じ?』
何でアンタが自信ないんだよ。企業の研究第一人者じゃないんか。
『あーっとね。それだけじゃなくて。ほら、よく人って脳を限界まで使ってないって言うでしょ? イカロスはその壁を超えた人なんだ』
そう言いながら、頭を指さす。どこか得意げで、少年みたいな笑顔だ。
『例えば、普通なら反射するのに0.2秒かかるものが、イカロスだとほぼ瞬間的に反応できたりする。これ、つまりね。一般人にとっては、“見る前に動く” って感じ』
たとえ話が唐突すぎるが、イメージは伝わる。つまり一般人とイカロスじゃ、天と地ほど差が出るわけだ。
島善研究員は、手元にあった雑誌をパラパラめくる。表紙には「イカロス・アスリート」と銘打たれた見出しが踊っている。
『ほら、この選手とかそう。短距離走でぶっちぎりの世界記録を出した人。だけどね、これ、問題も多くて……』
そこまで語ったところで、島善さんは一瞬黙り込む。目が泳ぎ、何かを躊躇っているようだ。
『……あー、なんか……夢を壊しちゃうかもしれないけど、イカロスって、無理に能力を使いすぎると、身体が耐えきれなくなっちゃったりするんだよね。うーん、ほら、スポーツカーを全力で走らせたら壊れるみたいな』
なるほど、肉体の器の問題か。
……何で俺、こんな眉唾な話を全力で聞いてるんだ。
『だからね。超人は、そうあるだけでリスクがつきまとう。だから僕は、』
「僕は、彼らのリスクを少しでも減らしてあげたいと思ってるんだよね」
がちゃり。テレビを消した手があった。
そこに立っていたのは、テレビの中と寸分違わぬ姿の……。
「こんにちは。島善 三郎でーす」
「あっっ……」
ひらひらと手を振る、ニコニコの島善研究員が立っていた。
やっっっべ。




