43-限界
「この程度か」
『チッ……!』
2、3発。それだけのやり取りで、否応なく理解できる。
ディアブロ。コイツは、強い。全ての攻撃に対し、“待っていた”かのように防御を置いている。
飛び離れる俺を、追わずに構え直す巨体。一切攻勢を見せていないにも関わらず、この実力の開き……“1人でいい”との発言は、ブラフではなかったのだ。
「拍子抜けだな。警戒しすぎたか」
『……』
呼吸を深め、隙を探る。
フロアの奥、島善さんは銃を突きつけられ、怪我した足で無理やり歩かされているのが見える。おそらく、何かしらの研究成果を強奪されそうになっている……。
今しかない。アレが終われば、彼は殺されるだろう。
「よそ見をする余裕があるか」
『……お前を倒す作戦を立ててた所だ』
「ほう。楽しみだ」
低く笑うディアブロ。
その鼻面めがけ、すでにパンチを放っている。どろりと煮凝る時間の中で、当たったように思えたその一撃……
しかし、ディアブロの手が、下から掬い上げるように逸らした。重心が床から離れ、回転が始まる。
ドォン!! 雷鳴のような音をあげ、俺はいつの間にか床に背を打ちつけていた。
『ッハ……くっ!!』
「……」
転がって距離を取り、もう一度全身に喝を入れる。
ディアブロは表情ひとつ動かさない。追撃すら行わず、悠然と向き直ってくる。
考えろ。真正面からぶつかって勝てないなら、搦手を考えろ。闘志を燃やし、絶望を灰にする。
島善さんは無事。送った視線が、一瞬だけ合わさる。彼はこちらを見ると、微かに頷いた。
そうだ。彼も、俺を信じてくれている。必ずコイツを突破して、助け出せると。
「まだ、希望を持っているようだな」
『本気を出してないぜ、俺は』
「フフフ……面白い」
ディアブロの圧が、強まる。息すら詰まる、そのプレッシャー。
アーマーがビリビリと震えるような波に、それでも負けじと息を吸う。
集中。集中しろ……。テストの感覚を思い出せ。すべての他をシャットアウトし、ディアブロひとりに意識を集中させろ!
時間が、ゆっくりと流れ始める。フロアの奥で作業する島善さんの動きが、水中じみて遅れ、消える。
ディアブロひとりが、向かい合っている。その構えが、呼吸の中途で、変わりゆくのも見える。
過集中を、避けねば。この状態を維持して戦わなければ。
一歩、踏み込む。左脇めがけ、フックを放つ。
停止しかけた時間の中で、ディアブロの目が動いた。伸びゆく一撃が捕捉され、肘でガードされる。
まだだ。強く踏み込み、回し蹴り。肘のブロックに衝撃が重なり、微かにその腕が上がる。
空いた片腕が、伸びてきている。屈んで躱し、床を蹴ってアッパー。
防御した腕が、今度こそ跳ね上がる。
『隙ありッ!!』
「……」
空いた胴へ向け、全力全開の踏み込みと共に、正拳突き!
衝撃が爆発し、ガラスがガタガタと震える! ディアブロは……膝を上げ、この一撃をガードしていた。
煙が上がるプロテクター。その向こうで、悪魔の如き男は無表情。
「これが作戦か?」
『と見せかけてッ!!』
「!!」
その瞬間、片足立ちのディアブロはよろめいた。
足元の、床。先ほどから俺が執拗に踏み込み、蹴り、痛めつけ続けた甲斐があった!
やり取りに耐えられなかった床がひび割れ、一部が陥没したのだ!
ディアブロの身体バランスがほんの一瞬のみ崩れ、今度こそ胴が開く!
勝機!! 側腹部めがけ、空を裂く回し蹴り一閃!! 会心の手応えと共に、空気が爆発するような音が響き渡った!!
俺は油断した。
勝ちを確信して、急いで島善さんに視線をやった。
用済みとなった彼が、膝立ちにさせられ、後頭部で手を組んでいるのを見た。
充分、間に合う。蹴り脚を戻し、駆け出そうとした。
できなかった。脚が、掴まれていた。
ディアブロが、拳を引いている。
『!!!』
咄嗟のクロスガード。その上から、トラックの衝突じみた威力のパンチを食らう。
床から脚が離れる。一瞬のホワイトアウト。直後、壁に背を叩きつけられる。
『がっ……はっ……』
「……」
ただの、一撃。それだけで、四肢が震え、体が命令信号を拒否しだす。床に頭から沈み、動けない。
「……“イカロス”にも種類がある。ただひたすらに身体能力が伸びる者もあれば、フォールンに似た“異能”に目覚める者もいる」
ディアブロが、歩いてくる。微塵もダメージを感じさせない立ち振る舞いで。
確実に入ったはず。だというのに、こんなに……こんなに、実力が、開いているものなのかよ。
「俺は前者だ。だからこそ鍛え続けた。生き残るために。生きて強くなるために」
『……っ、……』
「先ほどの一撃は、それなりに効いている。落胆するな。……ただ、お前から学べることは、ここが限界だろうな」
憐れむようなディアブロの目が、見下ろしてくる。
まだ、やれる。やらなきゃ、島善さんが。俺が。立たなければ。
「おぉ、そっちも終わったかよ?」
「……終わりだ。“クズハ”はどこにいる?」
「さぁな。どこかでほっつき歩いてやがんだろ」
ディアブロとヴェニーノが話すのを傍目に、俺は島善さんに目をやる。
彼は頭の後ろで手を組んだまま、俺を見ていた。そして、震えながら、微笑む。
「……ごめんね。僕のせいで、こんな」
『しま……よし、さん……』
「能力、消してあげられなくてごめん。……でも、大丈夫さ。キミは、自分が思ってるより、ずっと強い子だ」
『……』
届かない手を伸ばし、彼に触れようとする。
研究者は、それでも、笑っていた。
「さよなら、クラップロイド」
銃弾が、血を散らした。
あっけなく心臓を撃ち抜かれ、島善さんは床に倒れ伏した。
硝煙をあげる拳銃を持ち上げ、ヴェニーノがほとんど面倒そうに言う。
「泣けるね。感動的だ。さて、用済みならソイツもさっさと片付けろよディアブロ」
「……分かっている」
会話が聞こえる。
ほとんど頭に入らない。
島善さんが死んだ。
殺された。
助けなきゃ、いけなかったのに。
殺された。コイツらに。
「……おい。なんだ、そいつは」
「これは……」
憎い。殺してやりたい。島善さんの仇。
関節から、炎が噴き出す。肘から。膝から。憎悪の活力が溢れる。
青い炎が、床を舐める。影がゆらめき、自分の形を知る。
ああ、俺は。
俺は、怪物だ。
“ス・ス・ス・ストライクダウン! スーペリアモード!”
殺してやる。
怒りのまま、俺はその弱さに身を任せた。




