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41-崩壊の前兆

「……」


 ふと、鉄巻は手をとめた。

 特殊事件対策室、トレーニングルーム。休憩中に見たラップトップが、妙な反応を示していた。


 ナハシュが引き起こす一連の事件が始まった時、彼女は抜け目なく、本社ビルのセキュリティシステムに“バックドア”を仕込んだのだ。


(((あぁ、警察のシステム指導ですか……いりませんよ、うちには)))


(クソ企業)


 想起されるコーポレーション役員の顔に内心で中指を立てながら、その反応を辿る。

 “バックドア”と言っても、大したものではない。セキュリティが正常に稼働する限り、pingが途切れない程度の監視。


 初心者丸出しのお粗末さゆえ、ハナから期待してなどいなかったが……そのスクリプトの応答ログが、奇妙な動きを見せていた。


【正常な応答】

【正常な応答】

【応答なし】

【正常な応答】


 この一瞬の、空白時間はなんだ?


 コーポレーション側のシステムリブートか? ならば、なぜ一瞬だけ? 変遷のタイムスタンプは、本当に、瞬きするような一瞬だ。


 ここからでは詳細な現状を把握できない。だが……何か、嫌な予感が背筋を走る。

 まるで、誰かが“侵入の痕跡すら消した”かのような。


 立ち上がり、タンクトップから上着を羽織る鉄巻。そこに、声がかかった。


「おや? どうされたのです、鉄巻“隊長”」

「……犬飼」


 眼鏡を押し上げ、冷たい目で睨む男がそこに立っていた。

 鉄巻は一瞥し、相手にすることもなく立ち去ろうとする。しかし、彼は進路上に立ち塞がった。


「困りますね、いかに隊長といえど勤務時間中の勝手は。抜け出すおつもりですか? できの悪い学生でもあるまいに、これ以上心証を悪化させて何とするのです」

「邪魔だ。どけ」

「もしや、出動ですか? さきの事件であれほどの、ゴホン……“戦果”を挙げておいて、殊勝なことだ」

「……出るとしても、私1人だ」


 鉄巻の拳が固く鳴る。周囲、隊員達がしずかに目を逸らす。


 犬飼 衛。公安から派遣された内部調査員。“トクタイの次期リーダー”。

 降格の決まった鉄巻に代わり、組織の“浄化”を開始した男だ。以前からチームにいた“親鉄巻派”と呼ぶべき隊員は、皆、停職させられていた。


 かねてよりトクタイを敵視していた“白鳥 正一郎”の差し金である。

 警視長のお墨付きで、犬飼は改革の辣腕を振るっていた。


「1人? 事件が起きれば、共有。それが基本の“キ”でしょう」

「事件とも呼べん兆候だ。確認に行く」

「白鳥警視長の方針は“警察組織としての透明性”を重視するもの。あなたのような……失礼。スタンドプレーは、いたずらに秩序を乱します」


 鉄巻の目が細まり、足が肩幅に広がる。部屋の奥で、隊員の誰かが息を呑む音が響く。


 一触即発。隊員達の中には、犬飼の背後に立ち、鉄巻を睨む者すらある。

 だが、彼女は拳の代わりに皮肉を飛ばした。


「よく回る口だな。その調子で、次期リーダーとしての信頼を勝ち取れ。……あぁ、新隊員はお前のイエスマンばかりだから、心配無用か」


 バイクのキーを取り、肩をぶつけて歩き去って行く鉄巻。

 その背に、犬飼の声が突き刺さった。


「ご遺族ばかり増やすその腕前は、発揮なさらぬように!」


 バタァン! ドアが叩きつけられるように閉まった。

 風を受けた“トクタイ心得”の額縁が、むなしく揺れていた。




「こんな残業は久しぶりだな……」


 コンソールにタイピングしながら、島善はひとり、そう呟く。


 コーポレーション、本社ビル。定時もとっくに過ぎ、内部に残っている人間は殆どいないような夜。

 彼は孤独に、作業を進めていた。


「えーと……最新パッチを当てて、と。フム、まだ動くな……」


 コマンドに応じて、スチーム音が響く。

 動いているのは、人が1人、すっぽりと入れるような大きさのカプセル状設備だ。


 “ネオ・プロメテウス”。イカロス、フォールン、両者の能力を抑制、あるいは解放させられる装置。

 自分の発明品を動作確認しつつ、島善は額の汗を拭う。


「……一通りは確認できた。さて、あとは堂本くんを……」


 その時、コンコン、と研究室のドアがノックされた。

 ジャストタイミング。島善はニッコリと笑い、歓迎のためにコーヒーを沸かすスイッチを入れる。


「ちょっと待ってくれ! すぐ行く!」


 砂糖を机の上に置き、散らばる書類を片付ける。

 そして、ドアを開く。



 血と硝煙の匂いが、流れ込んだ。




 そこに立っていたのは、浅黒い肌の、人懐っこい笑みを浮かべる青年だった。

 握られた銃。翼持つ蛇のイレズミ。獲物を値踏みするような、その視線。


「よお、ドクター島善。誰かを待ってたかな?」

「……キミは」

「ヴェニーノ。ヴェニーノ・フエゴ……“ナハシュ・シンジカート”の方が、通りはいいかい?」


 自己紹介を終えたヴェニーノが、研究室を覗き込んで口笛を吹く。


「なんだよ。キレイにしてあるじゃねえか。これじゃ、宝探しもそう手間取らねえな」

「宝探し……?」


 その背後に、さらに数名の人影。島善はようやく現状を理解し、乾いた喉を鳴らす。


「何をしに来たんだ。残念だが、僕は何かに協力するつもりはない」

「邪険にするなよ。宝の山を前に、争うのもみっともねえ」


 銃をもてあそびながら、ヴェニーノはニヤリと笑う。


「遊びに来ただけさ。みんなでな」


 拳銃が、火を噴いた。




《ようこそ、島善博士。時間外労働手当がつきます》


 昼間に島善さんにもらった研究員証をスキャナにかざし、俺はコーポレーション本社ビルに入っていた。


 あれから色々考えたが、まだ結論は出ていなかった。パワーを消すのか。受け入れ、進むのか。

 消せば、二度と友達を守れないかもしれない。受け入れれば、また後ろ暗い喜びで人を怯えさせるだろう。


 クラップロイド。俺は、どう向き合えばいいのか、分からない。


 だから、島善さんと顔を合わせて話せば、まだ少しは納得できる結果が出せるかと思っていたのだ。



 その時、上階から乾いた破裂音が聞こえてきた。


「!!」


 強烈なデジャヴ。どろりと湧き出す、冷たい直感。


 何度か聞いたその音を、聞き間違えるはずもない。

 銃声だ。


「——変身」


《ス・ス・ス・スーツアップ! スタンダード!!》


 考える猶予もなく、俺はまた銀色のアーマーを纏った。


 上階。島善さんが居るのも、上だ。


 違ってくれと祈りながら、胸中を満たす予感が心臓を捉える。

 急がなければ。全速力で駆け出す俺は、全身を冷やす汗を感じていた。


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