4-見学会へ向けて
「クッソがッ!!」
イラつきながら蹴ったゴミ箱が、派手な音を立てて倒れた。
ぶちまけられた中身が、裏路地にむなしく広がってゆく。
今日は何もかもうまくいかなかった。堂本も鬼城もさくらも、全員がこれでもかと逆らってきやがった。
特に堂本! アイツはやり返してくる根性もねえクセに、あの目は完全に俺のことを見下してやがる! 俺は鮫島 ハヤト様だぞ!? あんなクソみてえな弱男とは比べ物にならねえ、道を歩けば全員が脇に退く“主役”なんだ!
鬼城も鬼城だ! 空気の読めねえバカ女、人が親切に行動を合わせてやってりゃ図に乗りやがって! 所詮は俺の「アクセサリー」の分際で! 俺の本命だとでも勘違いしてやがんのか!?
苛立ちが膨れ上がり、壁をしゃにむに殴りつける。
「がああっ、くそっくそっ!! 遅えっ!」
「どうしたのですか」
「!!」
そこに、影。長身痩躯に、白い肌。外人だ。
黒皮の手袋に、ステッキを握って立っている。やつは倒れたゴミ箱と俺を見て、薄く笑んだ。
「なるほど。客は貴方ですか」
「は……? 客? 俺はただ……」
「おや? 人違いではないと思いますよ。『鮫島 ハヤト』くんでしょう?」
「なんで俺の名前っ……」
「貴方の先輩たちから聞きましたよ。色々とね」
汗がたらりとこめかみを伝う。クソ、あのバカOBども! 余計なことしかしやがらねえ!
「客、だと? 前のやつはどうしたんだよ」
やつは答えない。小馬鹿にしたような薄ら笑いのまま、コートの胸ポケットから小瓶を取り出した。
そこには、真っ白な粉が揺れている。つまり、コイツは。
「そ、それ! くれよ、なあ!」
「ふふ、初めから素直に言えば良いものを。さあ、こちらへ渡すものがあるでしょう」
「くそ、受け取れよ!!」
万札を叩きつけ、ひったくるように小瓶を奪う。震える手でこぼしながら、胸一杯に“ソレ”を吸い込み……。
途端に視界が極彩色につつまれた。甘い恍惚と、四肢に満ちるシビれるほどの快感。
気持ち良すぎる。まるで脳みそが別次元に飛ばされたみたいだ。
「あー、あー……あーっ」
「どうです? これまでのとは、“モノ”が違うでしょう」
「……あひ……」
最高だ。今ならなんでもできる。明らかに、思考の余裕がさっきまでとは段違いだ。
白鳥 さくら……アイツもこれを味わえば、1発で俺のモンだ。ああだが、アイツはずっと堂本を気に掛けてるからな……。
わずかな冷気が、脳に滑り込んだようだった。そうだ、堂本。邪魔なクソ男。殺してやりてえくらい憎い、ゴミ。
なんとかさくらの目の前で、アイツに恥をかかせてやりてえ。救う価値もねえクズだと思わせてえ……!
「……ふむ……憎いですか。その少年が」
「へ、へ……口に出てたかよ。クソ、憎いぜ……ぶち殺してやりてえ……」
「素晴らしい。クァーラ様はお喜びになる。あなたは正に、神の意思を映す鏡だ」
なにを訳の分からねえことを言ってやがるんだ、コイツは。ああでも、どうでもいいか。
今はもっと、この気持ちのいい感覚に浸っていてえ……快楽物質で脳を洗ってるみてえだ……。
「消せますよ、仇敵を」
「は?」
そこに、声。俺は思わず外人を見た。
ステッキをいじりながら、そいつは特に大ごとでも無さそうな態度。日常会話でもしている風だ。
「我々が殺して差し上げます。聞けば、貴方達は『コーポレーション』への見学会があるそうではないですか」
「……そう、だ」
「なら、助け合いといきましょう。……なに。難しいことは、ありません」
目の前で、その悪魔は笑顔のように表情を歪めた。
俺は、何を提案された? うまく回らない頭が、ようやく稼働を始めようとする。
だが、首を捉える鉤爪が思考を阻害する。……ちがう。この外人の指だ。ギチリと音を立てて、肩を掴んでくる。
「良い欲望ではありませんか……白鳥 さくら。彼女も手籠にしてしまいましょう。その少年さえ消せば、貴方こそが『主役』だ」
「……俺が……? 堂本さえ、消せば……?」
「すべては、貴方の『ちょっとした』協力次第……さあ、どうしますか?」
無理だと、思いかけた。だが、脳の奥から何かが叫んだ。『俺は主役』『そいつは、脇役』……そうだ。なら、殺してもいいか。
頷いた俺を見て、そいつはまた笑った。目が、大きく開いたまま。
◆
「は?」
有志が参加する、企業見学会。
当然俺は不参加で終わらせようとしていた。インターン資格とか興味ないし、企業からの進学支援も受ける気がなかったからだ。
だから俺は提出しなかったのだが……。
“白鳥 さくら
鮫島 ハヤト
……
……
……
堂本 貴”
ある。1番下に名前がある。しかもよりによって、『クラリス・コーポレーション』の枠。
毎年いろんな発明を発表してる超大企業。凡才なんて行っても意味ナシ。だってエリートにしか金も資格も出さないもん。
しかもココはアワナミ市だから、行くのは本社ビル。街の中心にある、天をつくようなビルに企業見学に行くのだ。
いや大間違いすぎだろ。俺なんか行っても時間をドブに捨てるようなものだぞ。
「先生、すみません、これ」
「おお、やる気出したんだなぁ堂本。コーポレーション狙いはキツいだろうがな、頑張れ」
「いや間違いっすよ。出してないっすもん俺」
「はあ? 今更そんなこと……もう先方にも話は届けてるんだ」
クソ中年親父! いいから電話して止めろってんだよ! 一日中ムダになるんだぞ!
「それにな、白鳥に関しては向こうから声をかけてくれてるんだ。お前、それなのに向こうの顔に泥は塗れんだろうがよ」
「……」
し、白鳥……まあスーパーエリートだから分かるけど、そうだったのか。
いや怒られたくねえ〜……『私のキャリアに傷をつけた』とかになったら、今までの比じゃないくらいブチギレそうだもんアイツ……。
「えーっと……ほら、提出してあるじゃないか。ボケたのか?」
「え、ちょっと見せてください」
プリントを受け取り、目を通す。……たしかに、ある。『堂本 貴』、『クラリス・コーポレーション希望』……。
なんだこの字、モンタージュみたいな……まるで、人の筆跡をなぞったみたいな文字。誰が書いた?
「……まあともかく、そういうわけだ。覚えがなくても、モノがある。行ってこいや」
「……」
なんだかよく分からないが、俺は逃げられないらしい。
思いっきりため息を吐いて、肩を落とした。
その後に篠原に連絡して、めちゃくちゃ拗ねられた。
◆
「堂本くん?」
私はその名簿を見て、思わず眉をひそめた。
コーポレーションの企業見学会。将来のためにも絶対に失敗できないそのイベントに、彼の名前が載っていたのだ。
「どうした、さくら」
「あ……えっと、ごめんなさい。なんでもないです」
「なんでもないのーっ!」
「こら、ミカ。ご飯を運んでる時は静かにしないとでしょ」
妹を軽くたしなめ、それでも名簿が気になって覗いてしまう。間違いない。彼の名前だ。
コーポレーションなんて、興味がないと思っていた。時間のムダと、切り捨てるタイプだとばかり。
「ふふ、お姉ちゃんは気になる男の子でもいるのかな?」
「やめてよ母さん、そんなのじゃないから」
「むふふ、おませさんですねーおねーちゃんは」
「……ミカにだけは言われたくないけど」
母と妹がニヤニヤしているのを見て、思わず肩をすくめる。ミカなんて、どこでそんな言葉を覚えてきたのか。まだ幼稚園児なのに、妹ながら恐ろしい。
からかわれるのも嫌なので、無理やり名簿から目を離した。考えても仕方ないこともある。
「さ、みんな座って。いただきます」
「「「いただきます」」」
お父さんの声で、みんなが一斉に夕飯を食べ始める。今日は珍しく、家族みんなが揃った夕食だ。
いつもはお父さんが忙しい。警察として、事件の対応に追われていることが多いからだ。帰ってくるのは夜中なんてことも珍しくない。
「さくら、学校はどうだ?」
「いつも通りです。もう少ししたらコーポレーションの見学会があって、そこに呼ばれてます」
「コーポレーション? 本社ビルか。すごいじゃないか」
褒められて、少しだけ頬が熱くなる。お父さんは嬉しそうにしていたが、やがて少しだけ声の調子を落とした。
「結果がどうなるか分からないけど、父さんはこれから帰りが遅くなりそうだ……だから、報告を聞くのも遅れるかもな」
「え? また何か事件ですか?」
「ん……いや、まあ、似た感じだな」
珍しく歯切れが悪い。もっと尋ねようとした時、テレビから音声が流れてきた。
『——また、市警はこの件を南米の麻薬カルテルによるものと断定。調査チームを立ち上げ、対応に乗り出すとのことで……』
「……だいたい、あそこのテレビが言った通りだな」
味噌汁のおわんを傾けながら、お父さんが苦々しくつぶやく。
麻薬カルテル。聞いたこともなかったけど、そんなものがこの街に?
不安そうなお母さんが、テレビの音量を上げてゆく。そして、隣の父を見た。
「危なくないの?」
「大丈夫だよ母さん。こっちは事務仕事で、前に出るのは『トクタイ』とか突入部隊とか……まあ、そんなものさ」
「……」
「ゴホン。まあともかく、さくらも気をつけなさい。不安なら知り合いの警官を、登下校のルートに……」
「もう、あなた? さくらだってその辺りは弁えてるわ」
「はい、わかってます」
そう返事をしながらも、私は胸の奥にへばりついた不安感を拭えないでいた。
テレビではとっくに話題が切り替わり、天気予報のコーナーが始まっていた。