38-白鳥 さくらという女
「すぐ席に座れたな。今日はラッキーだったね」
アワナミ市、“リトルチャイナ”にて。
俺たちはとある中華料理店の一室に通されていた。
木製の円卓が中央に陣取り、調味料のシミがテーブルクロスを所々色付けしている。天井からぶら下がる扇風機に、壁掛けのカラオケ機械……庶民的だ。
「個室なんて、豪華ですね」
「そうだろう? ……ごめん、僕も個室は初めてなんだ。いつも1人でカウンターに座ってたから……」
「はは。俺、こんなレストラン初めてっす」
白鳥がかなり気を遣った感想を述べるのを、島善さんが苦笑して受け止める。
一方俺は感動していた。外食なんて、普段は節約のためにほぼありえない選択肢だ。
「……個室って豪華なんだ……」
ボソリと呟く篠原。コイツ……たまに金持ちの片鱗を覗かせて来るんだよな。
店員さんにお冷を並べてもらい、俺たちはようやく一息ついた。
「……さて! まずは、結果の共有からいこう。キミの身体的特徴について、判明したことはかなり多いよ」
「お願いします」
本題だ。自然と背筋が伸びて、島善さんに向き直る。
研究者は紙束を取り出し、パラパラと捲り始めた。
「まずね、キミの運動能力。これは非常にイカロス的だ……現時点の結果だけでも、一般的ではないと断言できるね! 握力が500キロ以上あるなんて、手のひらだけでワニの口を開かせられるレベルだもの」
「……ワニ、ある。食べたい」
メニュー表を見る篠原が、呑気にそんなことを言う。
かくいう俺も微妙に実感が湧かない。それって、どれくらい危ないんだ……。
「“以上”、ですか。曖昧ですね」
「そこは容赦してほしいところだね。今回の実験はあくまで、“イカロスかそうでないか”の把握に重点を置いたモノだ。詳しく測りたいなら、もっと専門の設備が必要になる」
白鳥の言葉を、島善さんは首肯。なんだかこの2人、俺より俺の体に危機感を持って向き合ってくれているような気もする……。
「……神経の反射速度も、限界以上。ただね、ここで妙な結果が出てる」
「“妙”……すか」
「うん。なんと言えばいいのか」
イカロス研究者である島善さんは、困ったように紙束を見つめている。まるで初見の病状を診る医者のようだ。
一気に不安になってきた。さっきまであんなにスラスラと出ていた説明が、止まっているじゃないか。
「……あの、なんかヤバいんすかね」
「いや! いやいや、ヤバいなんて事はないよ? ただ、見たこともない……いや、見たことないはウソだな」
「要領を得ないです、島善さん。堂本くんが不安になります」
白鳥のツッコミで、島善さんはようやく紙束から顔を上げ、俺を見た。
「……堂本くん。“銀の怪物”に変身できる、と言っていたね」
「はぁ……できますけど」
「く、クラップロイド……ヒーローネーム」
「クラップ(ゴミ屑)? なるほど、もうそんな名前まで付けてあるんだな……なんでクラップ? いや、いいんだけども」
なぜか誇らしげな篠原。わりと恥ずかしいからあんまり広めないでほしい。
島善さんは咳払いし、続ける。
「ハッキリ言おう。その、“姿を変える”という特性は非常に、“フォールン”的だ」
「……フォールン、って言ったら」
「地球上に存在する、人間以外の知的生命体……世間ではあまり知られてないけど、コーポレーションで一分野とされている研究対象だね」
「堂本くんが、フォールンだと言うことですか?」
全く動じていない白鳥。ズバズバ聞くなコイツ、俺は自分がエイリアンかもしれなくて戦々恐々なんだが。
その質問に、しかし島善さんは渋顔だ。
「いいや……堂本くん、キミが鼻血を出すほど集中した時の脳波は、実に奇妙だった。まるで“イカロス”と“フォールン”の特徴が交互に現れたみたいな……」
「……??」
「……それで、その特徴がすぐに“消えた”。普通の、落ち着いた人間の脳波に戻ったんだよ」
「「「……どういうこと(ですか)?」」」
異口同音。全員の疑問を一身に受けながら、島善さんは肩をすくめる。
「全く分からない。もしかしたら、思春期の“イカロス”にはこういう特徴があるのかもしれない……なにせ、これまでの研究の絶対数が少ないからね」
「じゃあ、結局あんまり分からなかったってことっすか……」
「そこでだ、堂本くん。ひとつ提案がある」
バサリと紙束を置くと、彼は指を組んで机に肘を置いた。
「コーポレーションには、僕の発明品がある。その名も“ネオ・プロメテウス”……特定の遺伝子を発現させたり、抑制することも可能な設備だ」
「……それをどうするんです?」
「いいかい、少し説明する。さっきも経験した通り、イカロスの能力には“リスク”が伴うんだ。1分も脳を酷使すれば、鼻血が出てしまうくらいにはね」
白鳥が頷いている。たしかに、さっきのテストで過負荷をかけてしまったことは記憶に新しい。
「今回は鼻血で済んだ。でもイカロスの能力というのは、エスカレートすればするほどに危険な代償を伴う……それこそ、命で代償を支払ったケースも無いわけじゃない」
「そんな……ど、堂本が死んじゃうの……」
蒼白な顔になっているのは篠原である。いや、俺は別にこの能力を行使する予定はないんだけど……。
「だからね。イカロスかフォールンかは分からないが、キミの体を早めに“慣れ”させて、不安定な成長期を抜けさせようっていうのが僕の案さ」
「不安定なんすか?」
「能力が目覚めたばかりなら、おそらく体がバランスを理解できてないだけだからね。暴走や負担を抑えられる、いい案だと思っているが……どうかな」
それは人外として生きていく場合の選択肢だ。俺としては正直、こんな身に余る力なんて返却しておきたいところである。
「あの、パワーを全部消滅させるって可能すかね?」
「……消滅?」
「こんな力、正直欲しくもないっつーか……なんか、ムダにやれる事多いと、やらなかった時の後悔もムダに増えそうですし」
「消滅か! なんだ、意外だね。普通の人はこういう、“スーパーパワー”というのに憧れると思っていたんだが」
島善さんは笑っているが、俺は本気だった。
だってこの力を使った時、ロクな目に遭ってない。人の代わりに前に出て、人の代わりに弾受けする。
なまじ良心があるだけに、やらなかったら自分が辛い。それなら、こんな中途半端な力なんて無かったものにしておきたい。
そうすれば、目の前の銃撃も、“仕方がない”でやり過ごせるし。
「……堂本くんは、それで平気なの?」
「平気って?」
「…………いえ、ごめんなさい。なんでもないわ」
歯切れも悪く白鳥が尋ねてくる。聞き返せば、彼女は視線を下向けてテーブルに目をやった。
篠原は不安そうだ。キョロキョロと、俺と、島善さんの顔を見比べている。
「ど、堂本……やめる、のか」
「そりゃ、やめたいよ。前だってトクタイに追い回されて、訳の分からない怪物と戦って、オマケに自衛隊の話だって出てるんだ。クラップロイドって! 俺はなんでもできる超人じゃないんだから」
クラップ(ゴミ屑)なんて、自嘲の極み。この名前から意図が伝わってないのが意外すぎる。
ゴミ箱から飛び出した失敗作。片しておかないと、大ヒンシュクだ。
「堂本くん。キミは、自分のことをどう評価してるんだい?」
「え? ……どういう意味っすか?」
「キミは、パワーさえ失えば、自分が色んなものに目を瞑って生きていけると思っているのかい?」
「……そりゃ、そうじゃないんですか?」
何か忘れているような気もする。だが、戦いの苦痛にまみれた記憶が、それを塗りつぶす。
打撃、電撃、銃撃、爆破、斬撃……“人より強い”なんて、何の意味もない。
むしろ、苦痛の撒き餌じゃないか。
島善さんは肩をすくめて、力なく笑った。
「……分かった。なら、そのように手配しよう! キミの能力を全て消す。ネオ・プロメテウスは優秀だからね」
「すみません、お世話になります」
「いいのさ。ただ、設備を私的利用してるのが人に見つかると厄介だからね……今日の夜中だ。コーポレーション本社ビルで会おう。これ、予備の研究員証ね」
ストラップを手渡され、俺は頷く。ようやくこの厄ネタともオサラバ! アーマーを見るたびに嫌な記憶が蘇るからな。
やけに静かなパラサイトも、きっと空気を読んでるんだろう。コイツもいつか摘出しないとな。
(ご主人様。何名か、向かってきます)
「え?」
そのとき、突然パラサイトが語りかけてきた。何の話だ、と固まる暇もなく、異変。
にわかに個室の外が騒がしくなったのだ。
(((ちょっと困るヨ、お客さん入ってるカラ)))
(((あ? チャンコロのクセに一丁前に指図か?)))
(((困るヨ、お客さんに迷惑ヨ)))
(((うっせぇな。俺らに目ェ付けられたくなかったら、黙って退いてろ!)))
ドン、と壁に何か叩きつけられる音。
そして、個室のドアが開いた。気だるげな笑い声とタバコの匂いが、なだれこんでくる。
「み〜〜っけ。白鳥ちゃん」
ハイエナのような笑みを浮かべて入室してきたのは、凝視もはばかられるチンピラ達だった。
白鳥の眉間が、音の鳴りそうなほどにシワを刻んだ。