36-ヒミツの集会
「ではまず、キミのパワーを試そう!」
そんな言葉と共に取り出されたのは、何の変哲もなさそうなロープだった。
それを差し出してくる島善さんは、なんだか妙に楽しげだ。完全に研究者の顔。
受け取ってしげしげと眺めてみても、やはり普通のロープ。これでどうパワーを試すんだ。
「これはね、コーポレーションの誇る最先端のレジスタンスバンドさ。ホラ、エクササイズでよく使うゴム紐みたいなやつ」
「あー……めちゃくちゃ硬いとかっすか?」
「ふふ。せっかくだから、お友達も試してみるかい? ほら、白鳥さんと篠原さんの分もあるよ」
2人もそれぞれ、配られたバンドを怪訝な表情で見ている。
やがて篠原が、ぐっと両側に広げようと力を込めた。……バンドは、1ミリも伸びない。
「むぐ……むぐぐ。硬い……」
「……」
顔を真っ赤にして力む篠原。
白鳥はと言うと、一通り試した後、なぜかムキになって脚と腕で全力の押し開きを行おうとしている。真顔なのが怖い。
俺もやってみよう。グッと力を込めると、バンドはグィーンと大口を開いた。デカい輪ゴムみたいな感触だ。
装着したアクチュエータが、赤く光ってビービー鳴り出す。それを見た島善さんが目を丸くした。
「これは……」
「どうすか?」
「握力は500……いや、550キロ以上かな? 脳波は、わずかに“イカロス”的特徴があるが、安定……瞑想でもしてるみたいだな。平常心ってところかい?」
「まあ、島善さんですし……え? 500キロ?」
「いいね。1番望ましい状態だよ」
カリカリとメモを取り出すイカロス研究員。ポータブルデスクが興奮で揺れている。
いやそれより、いま500キロって言わなかった?
「……なにかインチキしてない?」
「え? いや、ぜんぜん」
「……貸して。そのバンド」
「あ、はい」
なぜか不機嫌そうな白鳥にそう言われ、おとなしくバンドを交換する。
彼女は取り替えたソレとまた格闘し始めた。負けず嫌いなやつだな……。
「あぶっ」
そんなことを考えていると、バンドを鼻に直撃させた篠原がひっくり返った。いや、頑張りすぎだろ。
◆
「次はコレだ! 反射神経テスト!」
お次に島善さんが見せてきたのは、テニスボール大の球体だ。
なんだそりゃ、という感じの視線を送っていると、島善さんは得意げな顔になる。
「これは動体追跡センサー付きの自律跳弾ボールさ。完全に僕のオリジナル発明!」
「すみません、よく分かんないんすけど……」
「えっとね……ともかく投げてみようか」
そう言って島善さんが投げたそのボールは、ランダムに跳ねながら転がってゆく。
その挙動は、まるで爆竹でも仕込んだ缶みたいだ。不規則な跳ね返りと、ときおりの加速。
「これへの反応速度をセンサーで計算する。キャッチできる高さには跳ねるハズだから、やってみて」
「じゃあ……」
言われるがままに、転がるボールの前に立つ。
コロコロと回転するそれが、足元までくる。いつ跳ねるんだ……と思ってドキドキしていると、気付けば集中していた。
ボールの黄色。跳ねる前兆を探す。球体の縫い目が回り、わずかにいびつな重心が一周し、汚れたコンクリートの上をゆっくりと近づいてくるその存在……あ、来そうだな。
と思った時にはすでに、手のひらを下向けて差し出していた。遅れた跳弾をバシリと確保すれば、潮騒の音が蘇る。
「……0.09秒……未満。これは測れてないね。とてもイカロス的な挙動だ、堂本くん」
「そうなんですか?」
「彼らは物事の“起こり”を、脳内で超速処理できる。“予知”に近いし、僕らにはそう見える……でもそうじゃない。キミは見てから動いたんだろう?」
「……はい」
「やっぱりね……しかし困ったな。キミほどのスペックだと、正確な計測が……」
コツコツと机をペンで叩き始める島善さん。
しかし2秒で顔を上げた。
「うん。じゃ、ついでだ。反射と集中、どちらも計っちゃおう」
「え?」
「ちょーっと待っててね。こんなこともあろうかと……」
カバンをガサゴソと漁る彼は、大量のボールをそこら中にばら撒いた。
どれもこれも、不規則に跳ねあがる。揚げ物してる時の油みたいなカオスだ。
「その状態で、手の届く範囲のボールをとにかくキャッチしまくってほしい。そうだな、1分測るから」
「1分すね」
「あぎゃ」
また顔にボールをぶつける篠原を尻目に、俺は深呼吸する。
手の届く範囲に集中。それ以外を意識から消し去り、転がり回るボールの挙動を見つめる。
跳ねたひとつを、キャッチ。二つ目。三つ目。四つ目五つ目六つ目! そこで息を吐いた。
“遅い”。反応が、遅れている。感覚として、もっと集中すれば、もっと早く動くという直感がある。ポロポロと手の中のボールを落とし、動きを止める。
「どうした、堂本くん」
「すみません。……ちょっと計り直してください」
「うん? わかった、構わないけど……」
低く構えて、呼吸を溜める。
集中しなければ。心の奥深く、鎮まる記憶を呼び出そうとする。
(((クラリス・コーポレーションは人類の未来をつくります。あらゆる進化を手助けし、より良い明日を選びます。それが——)))
(((……失敗作……)))
(((やはり、融合などムチャです……)))
(((仕方があるまい。“これ”も破棄しておきたまえ)))
闇の中で呼ばわる声。憐れむような視線が、歩き去る白衣の男から送られる。
ざわりと、怖気に髪が逆立つ。失敗作。破棄される存在。
これは、パラサイトの記憶なのか。溢れる既視感が、臓腑の捩れるような畏怖をもたらす。
それも一瞬だった。その感情の波は去り、暖かな記憶が暗いものを覆う。
(((だから、失敗からこそ価値を見出すんだ。何千何万の失敗は、僕の勇気の源さ)))
島善さんの言葉。そうだ、恐れる必要はない。
失敗の価値なんて、1人が決めるものじゃないんだから。
目を開く。浮遊するボールが空中で止まり、舞う埃すら凍りつくよう。
テーブルの向こうからこちらを見る島善さん、顔面に球を喰らってひっくり返りそうな篠原、真剣な目でこちらを見つめる白鳥。
すべてが、一瞬だけ、静止していた。思考が走り出した瞬間、凍結した時間が溶け始める!
パ、パ、パパパン!! マシンガンのような勢いのボールを、すべて受け止める! キャッチする暇もなく、遡る雨のようなソレを次々にはたき落とす!
(Foo! 気持ちいい! 音ゲーの最高難易度がカメの散歩に思えてきますよ!)
「……まだやれる」
(そうでしょうとも!)
意味のないやりとり。それゆえに本気だった。
まだやれる。まだまだギアを上げることができる。両手の範囲を逸脱し、もっと広く。脳の枷を解き放ち、もっと速く。
もっと。もっと、もっと。
その時、すさまじい警報音のようなものが響いた。音の出所を見れば、島善さんが計器を見て口を開けている。
彼は立ち上がり、慌てたように両手を振った。
「1分! 1分だ、堂本くん!」
「!」
止まる。ボールが不服そうに跳ねる。
短い1分だった。どうでしたかと尋ねようとして、強烈な頭痛に襲われる。
「っつ……」
「あぁ! やっぱり無茶をしたな……」
「ど、堂本!!」
「堂本くん!?」
チカチカと白む視界に、思わず頭を抑えてよろめく。
すぐに肩を抱えられた。島善さんだ。すぐそばには、蒼白な顔の白鳥に、ぶるぶる震えている篠原が見える。
「大丈夫っす、ただの頭痛なんで……」
「こういう時の“頭痛”は、結構重大な結果だったりするんだよ。ホラ、鼻血を拭いて」
島善さんにハンカチを渡され、ようやく自分の鼻からツツと赤黒い血が漏れていることに気付く。
軽く拭いても、なかなか止まる気配はない。……なるほど、これは無茶をしたらしい。
「島善さん、これは」
「僕の不備だ。……いや、実験内容が短慮だったな。堂本くんの身体的負担を考えれば、30秒にすべきだった……」
「ど、堂本……これ何本に見える?」
「3本。平気だから、心配しすぎるなって」
血のまとわりつく舌を動かして、なんとか笑顔を作る。
篠原はまだ不安そうだ。白鳥に至ってはもはや色を失い、キッと島善さんを睨みつけている。
「こんな実験、もう終わりです。データのために彼を痛めつけないで」
「……ごめんよ。研究者として、どうにかキミの秘密を解き明かしてみたかったんだが……」
「秘密を解明しても、彼が死んだら意味ないでしょう!」
「やめろって白鳥! ……俺から頼んだことだ。自分のことを知りたかったんだよ」
それがここまで難しいとは予測できなかったが。
ようやく頭痛が去り、立ち上がる。鼻血も少しずつおさまってきて、すでに乾き始めていた。
「おそらくは脳に血流が集中して、一種のオーバーヒート状態になったんだろう。今日はもうここまでにしようか」
「当然です! これ以上なんて、私が見てる前でさせないわ」
「いや俺なら平気ですけど」
「平気なわけないでしょう!!」
般若のような形相の白鳥に怒鳴られ、言葉に詰まる。なんでコイツの方がブチギレてるんだ……。
篠原も、こういうコミュニケーションは苦手な筈なのに、おずおずと歩み出てきた。
「あ、焦らなくても……また、やればいいし。きょ、今日は、やめよ」
「……わかったよ」
「……」
あまりに心配性すぎるんじゃないかとも思えるが、篠原の大きな瞳が不安に揺れているのを見ると、ゴネるのも申し訳なくなってきた。
白鳥も、それでようやく勢いをおさめた。腕組みをして、大きく息を吐く。
「……ごめんなさい。怒鳴ってしまって」
「いや、俺は別に……」
「いいや、悪いのは僕だ。キミが怒鳴るのも当然だな……できて当然のリスク管理を、専門家ができてなかったんだ。会社なら責任問題になる。だから、ごめんなさい!」
バッと頭を下げられる。
俺は別に怒ってないし、特に責任問題にしようとも思っていない。でも、たぶん、この場を収めるために必要なことなのだろう。
「やめてください、島善さん。俺も、一気に色々やろうとしすぎました」
「……それを監督するのが僕の役目だったよ」
「この通りピンピンしてますし……ホラ、失敗からこそ価値を見出すって話でしょ」
血の味がする失敗だ。次こそはうまい落とし所を探って、過集中を避けなければ。
島善さんは顔を上げ苦笑すると、ボールを拾ってカバンに放った。
「これは一本取られちゃったな。……どうだろう、お昼も近いし休憩がてらレストランでも。分析結果についても、簡易的に伝えておきたいしね」
「レストランすか?」
「もちろん奢りだ。賠償責任というやつさ……白鳥さんと篠原さんも一緒にどうかな?」
おどけた様子の島善さん。
白鳥は複雑そうな表情だ。まだ若干怒りが残っているのだろうが、それでも頷いた。
篠原は一も二もなく首を縦に振っている。金持ちのくせに現金だな……。
「レストラン……ひ、久々。何ヶ月も、外で食べてない……」
「……なんだかハードルが一気に上がっちゃったな。一介の研究者の行きつけなんだから、期待しすぎないでね」
「ひひ……た、楽しみ」
「すみません、払えるなら払いますから」
「いや、奢り……奢れると思うんだけどなぁ。コーポレーションの給料はすぐ飛んでいくからね……」
研究器具を片した俺たちは、昼前の日差しが漏れ注ぐ廃倉庫から歩み出た。