33-うごめく蛇影
「“裂け目”が、生じただと?」
暗い室内。上空から映される“アーク・プラザ”の映像が、それを見る人物の顔を照らし出す。
眼帯で覆われた片目が、不機嫌に細まっていた。
「ええ。幸い完全な召喚には至っていませんでしたが、確実に“クァーラ”への接触の儀式が行われた痕跡があります」
「ナハシュ・シンジカート……厄介なことをしてくれたな」
“彼”の隣に立つ女性が、手元のバインダーをめくりながらメガネを押し上げた。
「いかがいたしますか」
「セクターの責任者に通達しろ。『もし次があれば、容赦しない』とな」
女性は深く頭を下げ、すでに歩き去り始めている。
その後ろ姿を尻目に、“彼”はディスプレイに視線を戻す。
アーク・プラザの周囲にまとわりつく、羽虫のようなマスコミ達。彼らがもう少し早ければ、情報処理の手間が増えるところだった。
「“門”は閉ざさねばならない。……世界を正常に保つためにもな」
◆
アーク・プラザ、駐車場。簡易の治療テントや、聴取用の幕がそこら中に張られていた。
そんな中で、詰めかけた報道陣の間にジリジリするような時間が流れてゆく。誰もが頻繁に時計を確認し、スマホでリアルタイムに本社とやり取りしていた。
爆発、銃撃、そして“裂け目”。これだけのことが起きながら、人質側から大した情報は出てこない。異常事態と言えた。
「人質の方ですか! 少し良いですか、お話を伺いたいのですが……」
「話す? わらわに話すようなことなど何もない。そこをのけ」
古風な話し方の女性が、恐ろしいほどの美貌で取材陣を睨みつける。空間が縮こまるような、独特の圧。
とたんに何人かは骨抜きになり、へなへなと道を譲った。空いた道を、彼女は優雅に堂々と歩き去ってゆく。
「ちょっと! しっかりしてよ!」
「すみませんトミフシさん……でもあんな美人映したら、あんたが霞んじゃいますよ」
「はぁ!? ったく、次やったら上に言うからね!」
トミフシと呼ばれた女性リポーターは、ぷりぷりしながら次に出てきた四人組に向かった。
子供連れの、高校生3人組。彼らの前に立つ時には、すでにトミフシはプロの顔だった。
「こんにちは! AWBのトミフシと申します。今回の事件について、少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
「パリキュアがねー、たすけてくれたの! ね?」
「ミカ、やめなさい。……すみませんが、思い出すとショックを受けるかもしれませんし……」
「そこをなんとか」
ポニーテールの少女が立ち去るのを、トミフシがすがるように止めようとする。
そこへ、残り2人が立ち塞がった。
「疲れてるんで。また今度ってことで」
「そ、そうそう。子供に、酷……」
「……わかりました」
2人分の鋭い眼光を受け、トミフシは萎縮したように引いてしまう。
その背がカメラマンにどつかれた。
「トミフシさん、ああいう時にガッといかないと! 相手は子供っすよ!」
「うっさいわね! さっき1番に道譲ってたヤツに言われたくないわよ!」
「アレはしゃーないっしょトミフシさん……あ、スタジオから連絡。あと30秒で現地映像ださないと」
「くそっ、覚えてなさいよ……!」
コンパクトミラーで化粧ノリを確認し、トミフシはマイクを握ってプロの顔を作る。
カメラに向き直ったその時、ちょうど中継がつながった。
「こちらはアーク・プラザ前の取材班ですが、未だに動きはありません。時刻は午後5時を回り、事件発生から実に……あっ!」
そこへ、光。ヘッドライトだ。
フードエリアの通路から、装甲車がゆっくりと顔を出した。フロントパネルに刻まれた“特殊事件対策室”。
それはしんどそうにガッタンと段差を降り、アスファルトと火花を散らしてゴトゴト走り出す。
だが、それを見逃すマスコミではない。彼らは一斉に、装甲車の走路上に群がった。
ガラスを透過し、凄まじい量のフラッシュ。面倒そうに目を細めるベリショの女警官に、助手席ではサングラスのミイラ男が笑っている。
その窓が、ドンドンとノックされ続ける。格好の取材チャンスなのだ。
「すみません! 一言いただけませんか!」
「トクタイですよね! 犠牲者数は!?」
「今回の爆破は“ナハシュ・シンジカート”による事件と見てよろしいのでしょうか!!」
「どけ! 邪魔だ!」
包帯まみれの女警官が身を乗り出し、叫ぶ。
そこにマイクが集中し、またも質問の標的となる。
「不可解な“裂け目”については!?」
「あなた方が“レオ・オルネラス”を拘束しているという話は本当ですか!? トクタイはいつから射殺から逮捕への方針転換を!?」
「一般市民の安全は本当に確保されていると言えますか!?」
「やかましい! 公妨で撃ち殺すぞ!」
叫び合いに、激しいフラッシュ。まさに混沌。
そんな中で、トミフシはようやく車に近づくことができた。必死にマイクを伸ばし、大声で尋ねる。
「人質の皆さんが見たという“銀の怪物”は脅威なのですか!? それとも、市民の味方ですか!?」
「……」
一瞬の沈黙。女警官の目がトミフシを見る。
“銀の怪物”。犯罪者を殴っていたという情報もあるし、トクタイに攻撃されていたという情報もある。あまりにも曖昧な存在。
これを明らかにしなければ、ここに来て粘った意味などない。
「……“クラップロイド”は下らんガキだ。全く、何度も足を引っ張ってくれる……さあ退けッ!!」
女警官は吐き捨てるように言うと、とうとうスマートガンを取り出した。
報道陣が悲鳴をあげるその足元めがけ、容赦もブラフもなく乱射。メチャクチャだ。
そうして空いた道路を、装甲車がガタガタと走り去ってゆく。
トミフシは呆然としていたが、やがて思い出したようにカメラに向き直る! 情報が入ったのだ!
「み、皆さん。“銀の怪物”はすでに“クラップロイド”というコードネームまで付けられているようです! 人質事件から引き続き、“シンジカート”とも無関係とは思えません。果たしてどの程度、市民にとっての脅威となりうるのか? 警察の公式な見解が待たれます!」
◆
「だっはっはっは! 撃つかね、フツー」
「普通は車の前に立ち塞がらん! 腐れメディアめ」
ごっとんごっとんと走る装甲車の中で、女警官……鉄巻がイライラと唸る。事件後で疲労もあらわ、怒りもひとしおだ。
その隣、ミイラ男のごとき風体で笑っているのは鬼原。さしもの彼も若干引いている。
「だいたいなんだ! 射殺でも逮捕でも、お前らに関わることか!!」
「いやそりゃ、関わるんじゃねえかな……」
「要らんことばかりつつき回る!」
アクセルを踏み込むも、ボロボロの車はあまりスピードが出せていない。
その後部座席から、ノック音がした。
「鉄巻隊長。先ほどの射撃音は……」
「気にするな! 小蝿を追っ払っただけだ」
「「「了解」」」
どこか緊張した声に、鉄巻は適当な返事を投げる。
装甲車後部の隊員たちが、緊張するのも無理はない。
彼らは今、厳重に拘束した“レオ・オルネラス”を護送していた。隊員たちに囲まれるようにして、グルグル巻きの鳥の怪物が横たわっている。
捕まえてからこちら、一切の抵抗も見せていない。テクノロジーエリアでの大暴れを見た後では、不気味すぎる変化。
その瞳は、どこか別の場所を見ているかのように、焦点が合っていない。
「護送なんて初めてだ……」
「普段は死体を放置で終わりだもんな」
「これって合ってるんですか? 手錠の上から拘束具まで付けてますけど」
「分からねえ。そもそも人間じゃねえヤツを逮捕って……俺、これが初逮捕だぜ?」
ボソボソと話す隊員たちも、その異様さに息を潜めている。
ヘルメットの下を伝う汗はそのままに、スマートガンのトリガーに指をかけていた。
ふと、レオの目の焦点が合った。そして、近くの虚空を、震える瞳で見つめだす。
「あぁ……クァーラ様、お許しを」
「黙れ! 発言を許可していないぞ!」
声がした途端、隊員たちが一斉に銃口を向ける。
過剰な火力を準備しながら、しかし隊員たちも恐れていた。何が始まったのだ?
まるでそれらが目に入らないかのように、レオはその嘴を震わせる。虚空の一点を、見つめたまま。
「どうか、どうかお許しください……“フォールン”の卑しきこの身を哀れんでください……」
「黙れ! 次はない!」
「どうした」
「鉄巻隊長! レオの様子がおかしいです!」
「なんだと!? クソ、今行く」
装甲車が止まり、慌ただしくドアが開閉する音が響く。
トクタイ隊員たちは、狭い空間の中でシールドも構えられず、ただ次に起こる“何か”を畏怖するしかない。気の弱い隊員が数歩後ろによろめく。
やがてレオは大きく嘴を開き、絶叫を始めた。
「あぁ……が、あああぁぉぉぁぁぁ!!」
「よ、容態が急変! 隊長!」
怪物の目から、血の涙がどろりと垂れる。
拘束の中で動こうとして、メキメキと全身の骨が軋んでいる。その顔は人間のものではないが、地獄の苦しみを味わっていることが一目瞭然だ。
車両後部のドアが開く。切迫した表情の鉄巻が中を覗き、叫んだ。
「総員、外に出ろ! 応急処置を試みる、何かあればまとめて撃て!」
「「「りょ、了解!」」」
覚悟の決まりすぎた命令に、一瞬顔を見合わせる隊員たち。しかし直後に従った。
夕暮れる道路の上で、装甲車から解放された青鎧たちが整列する。
鉄巻は拘束具の上から触診しようとする。その間にも、レオは脳髄を引っ掻くような不快な絶叫を響かせていた。
「ご……が……あぐがぁぁ!!」
「何が起きてる」
外傷によるものではない。ではドラッグか。それとも。
不吉な“裂け目”のフラッシュバックが、彼女の脳裏をよぎる。ズルリと這い出す爪に、忍び笑う悪意の声……。
(((クァーラ様。この命を捧げます)))
あの、契約じみた言葉。それを振り払うように、鉄巻は力強く拘束具を外す。
そして、驚愕した。
「……なんだ、これは」
絶叫し、のたうち回るレオの肉体。それが、見るまに萎んでゆく。
浮かんでいた血管が消え、筋肉が小さくなり、皺が刻まれる。全盛期から、一気に死ぬ寸前の老人じみた身体に変化している。
「おい、レオ! どうなっている!」
「ああ……ヴェニーノ……」
4割も少なくなってしまったような体で、レオは開いたドアから夕暮れを見た。
その白濁した瞳に、夕陽が映り込む。そして、動かなくなった。
「……おい。おい!?」
脈をとる鉄巻が、叫ぶ。
心臓が、止まっている。呼吸も。
すなわち、生命活動が。
「救急隊に連絡しろ!」
「了解!」
「AEDはない……いや、スタンバトンを使うぞ! まだチャージがある者は寄越せ!」
「はい!」
必死に指揮しながら、鉄巻の脳裏には予感があった。
無駄であろう、という予感が。
レオは血液を目から滴らせ、身じろぎひとつない。萎えきったその肉体は、まるで枯れ木のように生命の痕跡さえ感じられない。
「……クソがッ!!」
吐き捨てながら、救命措置に取りかかる鉄巻。隊員死亡、十数名。クラップロイドから託された最後の手がかりさえ、こうして潰えようとしている。
認めるわけにはいかなかった。絶対に、認めるわけには。
その全てを、真っ赤に沈む太陽が、ドロドロとした光で見つめていた。
◆
「レオが敗北した」
血のように赤い光がさしこむ倉庫。
その中で、影がいくつか動いた。
「……奴は“魔術”を持っていたはずだが」
「そうだ。雑兵じゃねえ……やった奴もな」
最も巨大な影が、腕組みをした姿勢で言葉を発する。
赤い光が、顔を映す。油断のない瞳に、筋骨隆々の首元。傭兵部隊の長、ディアブロ。
彼はなおも不可解そうに問うた。
「サンシューター。貴様もついていながら、何があった?」
「……不覚としか言えんなぁ。おそらくは、お前も対峙した“銀の怪物”だ」
「何? 奴が、また現れたのか」
大きなスナイパーライフルに寄りかかった男が、苦々しげに頷く。その目元は奇妙なフィルターで覆われ、視界が保護されていた。
「見ろ。この目も奴にやられてな……」
「……」
「まあ、しょうがねえ。賭けの負けは、引きずらずに切り替えねえとな」
「切り替える?」
軽薄な声に、ディアブロの目がギラリと光る。空気が一段と冷え込み、言葉の棘が鋭さを増す。
「ヴェニーノ、言ったはずだ。派手にやり過ぎるな、と。小さな綻びが、大きな破局を呼び込む……今回のようにな」
「まあまあ、そうカッカしなさんな。ちょうど先方から連絡も来たんだ、次でオールインと行こうじゃねえの」
部屋の奥の影が、肩をすくめる。ヴェニーノと呼ばれたソイツは立ち上がり、倉庫の窓から見える景色に視線をやった。
オレンジ色の天をつく、槍のようなビル。クラリス・コーポレーション、本社だ。
「……もう一度、あそこを襲う。また邪魔してくるなら、クズハも含めた総出でその銀の野郎を潰す……それなら文句はねえだろう?」
「やれやれ! 休む暇もない……次もキツイ仕事になりそうだな。クズハ嬢ものべつまくなしだ」
「……」
ディアブロはむっつりと黙り込んでいた。
だが、ややあって、背を向け、歩き出す。
「……“銀の怪物”の力量を見誤るな。俺たちは傭兵だが、貴様の巻き添えはごめん被る」
言い捨てられたセリフに、ヴェニーノは肩をすくめただけだった。
倉庫から歩み出るディアブロは、険しい表情を一時消す。
そして、指の隅々まで滾る感情を握りしめた。
「……その価値が如何程のものか。見せてもらうぞ、怪物……」
潮騒の音が、遠ざかる足音をやがて呑んだ。