29-立ち塞がる者たち
空気が震えたのを感じ、白鳥は顔を上げた。
その胸騒ぎに、治療を手伝っていた手が止まる。テクノロジーエリアへ繋がる通路が、闇に満ちていた。
「……篠原さん、今の」
《……》
「……篠原さん?」
《ご、ごめん! い、今ちょっと……今……》
案内機ドローンから聞こえる声は、切羽詰まったものだ。
白鳥は首の後ろが冷え込むような感覚に陥る。まさか、堂本くんに何か……。
「篠原さん、何かあったのね?」
《ど、どうしよう。きゅ、急に映像が……カメラ映像がおかしくなって、なんにもできなくて……なんにもないところで、爆発が……》
「……何もないところで?」
さっぱり要領を得ない篠原に、白鳥の眉が吊り上がる。
だが、続く言葉で、彼女の頭は真っ白になった。
《どうしよう、ど、堂本が……爆発に巻き込まれて……!》
「……!」
白鳥は反射的に立ち上がった。そして、自身も蒼白になりながら、浮遊するドローンを抱える。
「私も行く。テクノロジーエリアに」
《え、エェ!? い、行ってどうするの!?》
「何が起きてるか確認する」
確認して、なにができるのか。冷静な自分がそう囁くのを感じながら、それでも白鳥は瓦礫の上を駆け出した。
“何もないところで爆発”。自分の身だって危ないかもしれない。
それでも、指を咥えて見ているだけなんてできなかった。自分を何度も救ってくれた恩人が死にそうなのに、立ち止まることなどできない!
周囲の人間達が驚くのを尻目に、テクノロジーエリアへ続く通路へと!
◆
その爆風を一身に受ける瞬間、堂本 貴は大ダメージを予感していた。
これまで、どんなダメージも……サンシューターの超巨大ライフルですら、うまく受け流してアーマーに被害を散らしていた。
だが、いま。ゆっくりと広がる爆風は、きっとアーマーを越えてくる。それが直感的に分かった。
死ぬかもしれない。だが後悔はなかった。やるだけやって、届かなかった。ただ、それだけ。
篠原が進級できるといいな。そんな場違いな思考と同時に、衝撃が彼を襲った。凹むヘルメット、激烈な振動。
そして、視界がブラックアウトした。
◆
「げほっ、ゴホッ……これは」
鉄巻は、爆風で巻き上がった砂埃に目を細めていた。
レオの作り出した巨大な空気の渦に、クラップロイドが突撃したまでは見えていた。だが、そこから目も眩む威力の爆発が起き……。
「……なんだと」
ゆっくりと晴れる塵煙。そこに現れたのは、半径数メートルもあるクレーターだ。
つまり、今の爆発の威力はそれほどだったということ! アレを至近で食らったクラップロイドはどうなっている!?
「おい! どこだ、返事をしろ! クラップロイド! どこに……」
必死に探し、そして発見する。うつ伏せで倒れる、銀色の怪物を。
鉄巻は駆け寄り、抱き起こす。グッタリと抜けた力が、彼女に嫌な感覚を与えた。
「おい、冗談はやめろ! 起きろ! ……おい!」
『……』
何度声をかけても、応答はない。そのヘルメットに見えるヒビ割れと、凹み。
死んだのか、気絶しただけなのか。脈拍はどこで取る? 呼吸は?
その時、クラップロイドの全身が白く光り、弾け飛んだ。
空中で散り散りになる銀の粒子。アーマーの中から現れたのは、目を閉じ、頭から血を流す少年の姿だ。
年端もいかぬその正体に、息を呑みそうになる。コイツが、トクタイを相手に。シンジカートを相手に。怯まず、戦い抜いていたというのか。
……こんな子供に、銃を向けていたのか。
それでも、鉄巻は動揺をこらえた。
脈拍をとり、呼吸を確認。どちらも継続されている。だが頭部の怪我はどの程度なのか分からない。下手に運べば、死を招く。
「隊長! ご無事ですか!」
「鉄巻隊長!」
「全員集まれ! ここだ!」
煙の向こうから、次々にトクタイ達が集まってくる。鉄巻は咄嗟にヘルメットを外し、少年の頭へと逆向きに被せた。顔が覆われ、その正体が隠される。
「鉄巻! おう、今の爆発はヤバかった……ソイツは?」
「クラップロイドだ。頭部を負傷、気絶している」
「……成程」
駆けてきた鬼原も、一目見てだいたいの事情を把握したらしい。軽く頷いて、すぐに笑った。
「あーあー、この体格はガキだな。明日から“ガキにしてやられた特殊事件対策室”に名前を変えねえと」
「笑い事ではありませんよ、副隊長! く、クラップロイドがガキって!」
「隊長、本当なのですか?」
「俺たち、子供に銃を!?」
「落ち着け。これはここだけの秘密にしろ」
鉄巻の言葉に、その場の全員が静まり返って目を合わせる。そして、頷いた。
一度とはいえ共同戦線を築き、自分たちを庇って大ダメージを負った少年。彼に追い打ちをかけようという者は、トクタイにはいなかった。
そこに、足音。全員が銃口を向ける先には、ドローンを抱えて走ってくる少女の姿があった。
それを見た鉄巻が、隊に銃を下ろさせる。知った顔だ。
「民間人がこんなところに来るんじゃない! 白鳥のお嬢さんだとしても、邪魔だ!」
「堂本くん……! ここで何が起こったんですか!?」
「ああクソ、来るなって言ってるだろ……なら道具はあるか? 治療が終わったら説教だ」
どう声をかけても止まらないのを悟り、鉄巻は諦めたように肩をすくめる。
白鳥は他のものが目に入っていないような必死さで、倒れた堂本に駆け寄った。膝を擦りむきながら屈みこみ、抱き寄せる。
「堂本くん……!」
「……聞いてないことにしろよ」
鉄巻がジロリと睨めば、隊員たちは冷や汗と共にコクコク頷く。
そんなことにも構えず、震える手でヘルメットをズラして治療を始める白鳥。その脇で、ドローンが光を照射してスキャニングしている。
《……の、脳震盪……だと思う。姿勢を安定させて、患部を……冷やさないと》
「わかっ……わかってる。大丈夫……」
《おち、おち、落ち着いて……堂本はやわじゃない……まず血を拭いて、次にガーゼで、次に冷却剤と包帯……》
そうだ。堂本は、篠原は、やわではない。勝手に怖がる手を抑え、白鳥は深呼吸を繰り返す。
布を取り出し血を拭う。それだけのことで、手が止まりそうになる。まるで……まるで、死体を清めているようで。
彼は生きてる。それを何度も心の中で繰り返し、ようやく白鳥は次の動作に移る。
トクタイたちも、黙って見ている。その目つきは、なにか神聖な儀式を見つめるかのように、厳かなものだ。
その時。一陣の冷風が、彼らの間を突き抜けた。
「ハハハハハ……泣かせるではありませんか。下等な猿共が、一丁前に絆ごっことは」
晴れゆく土煙の中から、“ソレ”が現れる。
舞い散る黒羽根。エリアを半ば覆うような大翼。石畳を抉る鉤爪。そして、嘲笑うように歪んだ嘴。
レオ・オルネラス。鳥の怪物、無傷。クレーターのふちに立ち、トクタイたちを見下ろす。
白鳥は無意識に、堂本を守るべく胸元にかき抱く。あれが敵だ。あれが、彼を。……あんな、恐ろしいものが。
「……鉄巻、不味いぜ」
「分かっている。トクタイ、防御陣形!」
トクタイ達が、白鳥たちを囲むようにシールドを構える。
その背中は、既に血まみれ。それでも彼らは、訓練通りに腰を入れる!!
「安心してください、白鳥のお嬢さん!」
「俺たちゃこのために来てるからよ」
「気にせず治療を続けな。鳥の1匹、大したことはねぇ」
「その意気だ。トクタイの心得その1!」
「「「仲間が命を懸ける時、自分の命も差し出すべし!!」」」
それを聞き、白鳥もまた覚悟を固めた。今はただ、彼らを信じ、堂本を信じて動くしかない!
震えのおさまった手で、治療を再開する!
レオは笑い続けている。その邪悪な笑いに、いつしか風音が混じり始めた。
広げた両手にわだかまる真空の塊。もはや幻惑のカモフラージュすら使わない、舐め切った態度。
「成程、成程! これはやりやすくて大変助かりますね……先程のようにウロチョロされず、確実に始末していけるというわけだ!」
《あ、アイツ、何をしてるの!? なんか映像がモニョモニョしてて……》
「知らん! 逆に何をしたら空気の刃なんぞ生み出せるか教えて欲しいものだ」
《空気の刃……》
その時、篠原は電撃的に思い至る。さっきまでなぜ敵が攻めてこなかったのか。土煙で居場所が分からない状態で、トドメを放たなかったのか。
やらなかったんじゃない。できなかったんだ。
カメラ越しに、彼女はその閃きのまま打鍵!
ターミナル制御権が指令を下す! とたん、ARで統制された空間が“変色した”!
「……なに」
レオが目を細める。乳白色に染まるエリアは、空間が肌に張り付くような湿り気を帯びる。
“濃霧”である。危険制御システムにより、視界が効かぬほどのものは用意できない。
それでも、レオは不快げだ。
「……なるほど。少しは考えたようですね。“真空刃”の威力を、空気中の水分で鈍らせようと……」
《や、やっぱり……! さっきまで、爆発の土煙で攻撃できなかったんだ!》
「……でかしたぞ、ハッカー」
真空塊の周波数が、トーンダウンする。
トクタイ達の目に希望が宿った。どの程度の威力減衰か分からないが、それでも、先ほどよりマシだ。
レオは鼻で笑う。哀れなものを見る目つきは、変わらない。
「全く、猿の浅知恵はこれだから……威力を小さくしたからなんなのです。むしろ、皮を一枚ずつ剥がれる苦痛が増しただけ……一思いに殺してくれと、泣き叫ぶことになりますよ」
「……確かめてみたらどうだ」
鉄巻の瞳は、覚悟と怒りに澄んでいた。他のトクタイ隊員も、一歩も引かない構え。
彼らはとうに心を決めていた。クラップロイドは死を覚悟して動いたのだ。新人に遅れを取るわけにはいかない。
「お前の下らん鳴き声は聞き飽きた。中身のない威嚇を、ピーチクパーチクと……そんなに我々が怖いなら、ケチな鳥の巣に飛び帰れ」
「……良いでしょう。では、まずは1人」
放たれる真空刃! シールドが斜めに両断され、トクタイの一名が袈裟がけに出血!
吹き飛ばされ、吐血する隊員を見下ろしながら、レオは昆虫じみた無表情。
鉄巻たちは即座に動く。怪我人を庇う要員、抜けた穴をカバーできるように立つ要員。報復の射撃は、レオの寸前で真空壁に弾かれる。
「次」
レオが手を振るう。また血が迸り、隊員が転がる。それを庇うように動き、射撃と防御の続行。
圧倒的優位にありながら、レオは苛立っていた。絶望が、感じ取れない。連中は少しすれば立ち上がり、シールドの輪に戻る。
そして、吐く息が白いことに気付いた。成程、テクノロジーエリアのARシステムで温度を極端に下げたか。出血を遅らせ、延命措置を。
「それが浅知恵だと言うのです! 死ねッ!!」
空刃が、とうとう鉄巻を捉えた。
スマートガンが切断され、アーマーが血溜まりにバシャリと落ちる。噴き出す血しぶきが、地面に落ちた胸部プレートの“特殊事件対策室”を濡らす。
鉄巻は数歩、よろめいた。目の光が失せ、気絶しかかった。
だが、背後の白鳥の息遣いを聞いた瞬間、自分がトクタイの隊長であることを思い出し、踏ん張り直す!
「……しつこい方だ」
「……」
呆れたようなレオの声。鉄巻はボロボロの盾にすがるようにして立つ。
そして、笑った。
「誰か、一思いに殺してくれと懇願したか?」
「言ってません……」
「ガハッ……望む、ところ」
「あったまってきたぜ……!」
隊員達が集まり、それぞれの傷ついた盾を前に出す。彼らは、ここに至って、絶望などしていない。
レオのこめかみに血管が浮かび上がる。あまりにも不敵な態度! あれほど劣勢にありながら、まだあんな口がきけるとは!
その両手に音鳴らす空刃を作り出し、握り締める。もはや“クァーラ様”への絶望の献上は諦め、この目障りな連中を片付ける!
「後悔しなさい。泣き喚けば、今少し長らえたものを」
血と霧が溜まるクレーターの底へ歩きながら、レオは処刑人じみて空刃を振り上げる。
この形態ならば威力の減衰はない。つまり、全員を一刀両断にできるということ。
《ど、堂本! お願い起きて! 死んじゃう、このままじゃみんな死んじゃう!!》
「……ッ」
篠原の声にも、堂本は反応を返さない。白鳥は震えながら、それでも彼を守るように抱きしめる。
鉄巻は退かなかった。最後まで、白鳥達を守るために立ちはだかっていた。
レオが歩み寄り、その空刃を振り下ろそうと力を込めた。次の瞬間!
堂本の指が、カリと地面をかいた。
その目が、見開かれる!!
《ス・ス・ス・スーツアップ! スタンダード!!》
バシィン!!
振り下ろされた空刃が、銀の両掌で挟まれた!
レオが目を見開く! その視線の先で、クラップロイドのバイザーから青い光が溢れ出した!!