16-篠原ナコの反応
「はー。ユキカゼ地区ってホント、何回運転しても緊張しちゃうな」
「歩いて来るだけでもプレッシャー半端ないっすよ」
シートベルトを外し、来客用の駐車場に降りる。見上げきれないほどのタワーマンションは、今日も変わらず威圧的だ。
ユキカゼ高級住宅街。うっかりぶつければ人生100回繰り返しても弁償しきれない生垣や車を避けて、ようやく俺たちは目的地に到着していた。
車のドアを閉じる音が響くほど、あたりは静けさに満ちている。庶民の住む世界と違いすぎる……。
「こんなに裕福なのに、なんで高校は私立にしなかったのかしら。堂本くんは何か聞いてたりしない?」
「あー……なんか社会勉強の一環って言ってたのは聞いてます」
「すごいなぁ。先生なんて選択の余地なかったもん」
「いやぁ大抵の人はそうでしょ……」
俺だって気付いたらアワナミ高校だ。奨学金とバイトでようやくカツカツ。
(テレビに出れば1発大富豪ですよ。びっくり人間枠でもタレントでもリアクション芸人でもオッケー!)
「……」
トロ7の当選番号で制服を弁償しようとしてきたアホは言うことが違うぜ。尊敬しちゃうね。バカがよ。
(はー!? 言い過ぎでしょ! この超天才スーパー有能AIパラサイトちゃんを捕まえてバカって! 謝って! いま謝って!!)
「じゃ、守衛さんに話通しますんで。……えっと、ついて来て頂ければ」
「あ、はーい。なんだかワクワクして来ちゃった」
(では謝罪しろ高校校歌を斉唱します)
マジでうるさい脳内をフル無視し、広大な庭のパーゴラを潜り抜けてエントランスに入る。
受付で守衛さんと目が合うと、ニッコリ笑ってくれた。あー癒される。
「すみません……」
「608号室、篠原さんですね。確認します」
「あとその、今日は学校の先生も一緒で」
「あ、生駒志保です! このたび新しく担任になりまして……」
先生が差し出した教職員証を、守衛さんは手際良くコピー機にかける。ものの数秒で手続きが終わった。
「はい、生駒さんですね。では、同じエレベーターを」
「ど、どうもありがとうございます」
「……行きましょうか」
大理石の床を踏み渡り、暖色光あふれるエレベーターに乗り込む。ドアが閉まり切って、生駒先生は大きく息を吐いた。
「厳重だね。悪いことしてなくても、悪いことしてる気分になっちゃうよ」
「ですよね……。来るたびに金持ちの怖さを思い知りますよ」
「あはは。それでも来る堂本くんは偉いね」
「篠原が居ますから」
どんなに高級感あふれるマンションでも、アイツが居ると思えば親近感が湧いてくるんだよな。趣味が近いからかな……。
柔らかい音が鳴り、開いたそこは既に玄関だ。部屋直通のエレベーターも、初見の時は驚いた。
先生も固まっている。壁一面の姿見やら、巨大な花瓶やらをチラ見して居心地悪そうだ。
「えっと、どうしたらいいのかな」
「篠原のママさん呼びます。多分いるんで……すみませーん、堂本です!」
「はーい、今行きます!」
パタパタと、スリッパの音。若干疲れた笑顔の女性が顔を出した。
「こんにちは堂本くん……あら?」
「お邪魔してます、このたび新担任となりました生駒ともうします」
「新しい先生? いやだわ、おもてなしの準備もしてないのに……ともかく上がってください」
またパタパタと走ってゆく彼女を追い、俺たちも玄関から上がらせてもらうことにした。
(ほーん、まあまあな部屋ですねぇ。金持ちのテンプレートって感じですけど)
「嫌な言い方すんなよな……」
「え?」
「あ、すみません」
(ふーんだ。バカ呼ばわりしてくるご主人様の言うことなんて聞きませーん)
腹立つわぁ。コイツって言葉を選べるのに露悪的な言い方するフシがあるんだよな。AIのクセに。AIのクセによ!!
カフェのような香り漂うリビングでは、ママさんが忙しく立ち回っていた。広大なアイランドキッチンで、カップや茶葉を取り出している。
「えっと……」
「堂本くん、ナコに会っててもらえるかしら? あの子、人質事件からずっとあなたの話ばっかりで……やだ、モルトってもう切らしてたのね」
窓際の観葉植物を位置調整するママさんが、片手間に声をかけてくる。
すると先生も、ぽんと背中を押してくれた。
「私からもお願い。できればナコさんと話してみたいから、先生が来てることも伝えてみて。ダメそうならすぐ諦めて構わないよ」
「……やるだけやってみます」
「ありがと」
なんだか一気に責任重大だ。2人を残してリビングを抜け、長い廊下に出る。
見たことのある絵画や芸術品をわき目に、1番奥の部屋を目指す。
そして、たどり着く。『ナコ』とプレートの打たれたドアの前だ。
ずいぶん久しぶりな気がして、少しためらってしまう。だが結局、トントンとノックした。
部屋の中で慌ただしい気配。数秒後、ガチャリとドアが開いた。
そこから、セミショートの女子の顔が覗く。深い茶色の瞳は、何か言いたそうだ。
「……よ」
「よ、じゃない……」
(あーこれね、パッケージヒロイン顔ですねーこの人)
黙ってね。
「その、なんか怒ってる?」
「人質事件……聞いた。め、めちゃくちゃ、心配してたし……」
「いや、メールに返事したじゃん」
「な、“なんもない”だけだった! しっ、心配してた!」
めちゃくちゃ怒ってるわ……。篠原はめずらしく、その瞳を激情に揺らしているようだ。
参った。こういう時、コイツのご機嫌を取るのは意外と難しい。いやまぁ、確かに沢山メールきてんなぁとは思ったけど……。
(は〜? 女子からの心配のメールを一文だけで一蹴ゥ〜〜??? マジで最低ですねご主人様。見損ないましたよ)
「いや、その、ホントに何もなくて。余計なこと言って心配させるのもなって……」
「逆に心配した!」
(逆に心配するでしょ!)
「ごめんなさい。俺が悪かったです」
降伏するに限る。ここまで言われるってことは、不備は俺にあったのだ。
篠原はしばらく黙って俺を見ていたが、ため息を吐いた。
「……入って」
「お、おぉ」
直後に部屋に招き入れられる。どういう機嫌なのだ……。
部屋の中は、いつにも増してゴチャゴチャだ。菓子袋やカップヌードルがカーペットを埋め、壁一面のポスターには乱れが見える。
「座って、そこ」
「は、はい」
取り調べを受ける気持ちで、キャラクッションで渋滞するベッドの端に腰を下ろす。
篠原は俺の向かい、ゲーミングチェアに座った。
「話して」
「へ?」
「だから、は、話して。ネットで、誰か撃たれたとか、殺されたとか。見てて、おかしくなりそうだった……」
いやネットに情報を求めるのはやめろって……。うん、メールに碌な返信をしなかった俺が言えた義理では無いね。
「……だから、ど、堂本は、たぶん、もっとおかしくなりそうだと、思うから……こ、ここで、ちゃんと、話して。整理、するから」
「……」
(はぁ〜……できた子ですね。ご主人様には勿体ないですよ)
本当にね。優しいやつなんだよ。
ちょっと涙が出そうになり、咄嗟に目を逸らす。事件以降、人とまともに向き合うのを避けていた節はあった。
銀の怪物になって、銃弾をはじく自分……あまりにも荒唐無稽で、自分が狂ってしまったようだった。まともに人と話せば、“狂った”部分が出るんじゃないかと不安だった。
「……いやまぁ、俺はあんまし。ショックっていうか、現実感がなくて」
「……」
「はは。犯罪者とか、死体とか……どっか別の世界のことみたいだったのにな。めちゃくちゃだ……」
そう、めちゃくちゃだ。手で顔を覆い、震えを押し殺そうとする。
肩に触れる暖かな感触。篠原の手だ。
「大丈夫、だから……堂本は大丈夫だから」
「……俺、……」
「私は、平気だから……ぜんぶぶつけても平気」
大丈夫では、ないかもしれない。
平気でもないだろう。
本当のことを伝えれば、俺たちはどちらも貴重な友達を失ってしまうのかもしれない。
だがもう、俺は限界だった。
マズルフラッシュ。ディアブロの低い笑い声。広がる血溜まり。脳裏に焼きついた、嫌な記憶。
気づけば口が動いていた。
「……俺、変なんだよ。コーポレーションに行ってから、ずっと変だ」
「……」
「銀色の化け物になったり、車をひっくり返したり……犯罪者に撃たれて、傷もなかった。狂ったみたいだ」
篠原の顔を、見ることができない。
きっと憐れむような視線なのだろう。事件の後遺症で精神を病んだ人間を見るような目なのだろう。
乾いた笑いが漏れた。どうでも良くなって、捨て鉢に篠原を見る。
だが、彼女は笑っていなかった。真剣そのものの瞳が、視界に飛び込む。
「……それで、あの。犯罪者とかを、その……殴ったりして、撤退してもらって……色々あった、かな」
「……」
衝撃的な事実を伝えているハズの俺が狼狽えながら、一応の話を終える。
篠原はしばらく黙って俺を見ていた。やがて溜め息を吐くと、俺の肩に拳をぶつける。
「やっぱ何かあったんじゃん……!」
「いや、その……こんなの話しても作り話だと思われるだろ」
「そんな嘘、つ、ついたこともないクセに。い、言い訳ばっかり考えて……」
「……嘘じゃなかったら、もっと狂ってるだろ」
参った。ここまで話してもまだ若干怒ってる。
篠原はむくれている。いやお前のためでもあったんだよ……多分。
「銀のって、なに?」
「ああ、えっと……なんだっけ」
(“変身”です。掛け声ね)
「それだ。変身」
“ス・ス・ス・スーツアップ! スタンダード!!”
とたん、軽快なミュージックが辺りに鳴り響き、俺の全身はあっという間に銀色のアーマーのようなものに包まれた。
鉤爪のような指。トゲトゲしい関節部。篠原の部屋の鏡には、顔まで覆われた怪人が映る。
『これ……』
ビビって椅子から転げ落ちた篠原に、両手を広げてみせる。
小動物のような構えから、彼女は少しずつ身を起こした。
「な、なにこれ」
『その、言ってたやつ。銀の……』
「ど、どこから出てきたの、その」
(ダオロスマイトの5次元格納構造により……)
『掛け声で出てくるんだってよ』
パラサイトが長々説明しようとするのを遮り、簡潔に伝える。
篠原は恐る恐る、アーマーの腹部を指でツンツンしたりしている。だんだん大胆になって、指やらヘルメットやらもペタペタ触り始めた。
『いや、ビビるだろもっと』
「……な、中身が堂本だと思ったら、変な親近感がある」
『俺の方がビビってるのはおかしくないか……』
もう手汗がビシャビシャ。ちょっとでも力を込めたら、コイツの手を握り潰してしまうんじゃないかと戦々恐々だ。
篠原はしかし、お構いなしにアーマーの検分を続けている。
「な、なんか……“ゲート”みたい、だな。都市伝説の」
『……それってバケモノ集団じゃなかったっけ?』
「合成映像の、殿堂入り……堂本も、陰謀論界隈の仲間入りか……」
『このアーマーが一気に卑近なものになった気がするよ……』
(“ゲート”。アメリカの“リンドン大災害”を機に設立された秘匿組織です。5ちゃんでは“影の巨人”と呼ばれるほどの影響力を……)
陰謀クソ情報を流し込もうとするのはやめろ。
『ともかく、そういうことだよ。……えっと、これ解除したいんだけど』
言うや否や、全身からアーマーが消える。声の歪みもサッパリ失せて、篠原の手の感触が普通に伝わってきた。
「おぉ……堂本の手になった」
「変な感じだよな……」
「うん……でもなんか、カッコいい。アレを着て、犯罪者を倒すのって……すごく、ヒーローっぽい、感じ」
「……」
(アーわかってますねこの人。最高。酒入れて話しましょうよ)
そんなこと、考えたこともなかった。ただ目の前のことに必死だっただけで、ヒーローなんて。
……なんだか照れ臭い。
「……ヒーローってより、バケモノ側じゃないか?」
「最近は、そういうラノベも流行り……」
「そ、そうか」
そこはかとなく台無し感があるが、篠原にからかうような声色はない。
真正面から、怯えなしで、俺の現状を受け止めてくれる人がいる。それも、こんなに身近な友達に。
ありがたい話だ。……本当に。
じーんとしていたその時。ドアがノックされた。
「ナコー? 堂本くんとのお話は終わった? 先生がお話したいって仰ってるわよ?」
篠原ママの声。それを聞き、目の前の少女からサーッと顔色が失せた。
「せ、せせ、先生!? 先生って、先生が来てるの!?」
「そ、そうだった。ごめん伝え忘れてた! 新しい担任の先生が来てて」
「な、なんでそれをまず伝えてくれないの……! さっ最重要情報……!!」
「い、いやごめん!」
急いで部屋の奥のクローゼットに引っ込む篠原。あわただしい着替えの音が響く。
(これね、視界透過できますよ)
「くたばってくれ」
マジでさっさとお陀仏してください。
◆
目の前のカップから高級茶葉の香りを感じながら、俺は背筋を伸ばして座っていた。
隣に座る篠原は、蒼白になっている。その体のこわばりが、俺にも伝染してきそうだ。
「えっとね、そこまで緊張しなくても……」
「は、ひ、ひひ」
向かいに座る生駒先生がそう言ったら、余計に篠原がガチガチになる。
先生は困ったように眉を上げ、俺を見てきた。正直そんな顔されても。
「あの、篠原。なんかあったら俺もいるし、力を抜けって」
「ど、ど、堂本。わ、わかった」
「うん、その……話すね?」
少々警戒が緩んだ篠原を見て、先生はようやく本題を話し始めた。
「そのね、篠原さん。今日、あなたの出席日数と成績を照らし合わせてみたんだけど……このペースだとどうしても進級に足りなくなりそうなの」
「うぎっ……や、やっぱり、そうですよね……」
なっかなかヘビーな話題が飛んできたぞ。顔を歪める篠原を横目に、我が事のように内心で冷や汗をかく。
何か希望はないのか。さすがに死神の宣告のためだけにここに来たわけじゃないだろう。
「その、手はあるんすよね?」
「勿論! あのね篠原さん。“クラリス・コーポレーション”が提供している課外プログラムがあるの。それに参加してくれれば、出席日数や課題の不足分を挽回できそうなんだ」
「おぉ」
まさに暗雲を貫く光! コーポレーションさまさまだ。
篠原も、さっきまでより若干マシな表情。そりゃ誰だって進級はしたい。
「今年のプログラムはね、おとといグランドオープンした“アーク・プラザ”で、どんなテクノロジーが使われてるかの観察レポートとか、新商品のアイディア提出とか!」
「あ、アーク・プラザ……陽キャの集まり……」
「いや俺も行くって。そこは頑張ってみようぜ」
なーに尻込みしてんだコイツは。進退がかかってる時に、ためらうのも惜しいだろ。
それにしても、アーク・プラザか。あんなところにも関わってるとは、さすがコーポレーションは支配者だ。
「たしか、デッカい商業施設ですよね? いろんな店とか、病院まで入ってる」
「うん! すごいらしいよ? スポーツグラウンドとかライブ場とか丸ごとおさまってて、ぜんぶにコーポレーションの技術が関わってるって」
「それは、楽しみっすね」
テーマパークみたいだ。おとといオープンとなれば、人々の活気はいよいよピークだろう。
篠原を見る。嫌そ〜な顔をしていた彼女に、キッチンの向こうから声が飛んだ。
「行っちゃいなさい、ナコ。お友達とお出かけなんて久しぶりでしょう」
「ぐぐ……」
ママさんからの援護射撃にも、渋顔が崩れない。まあママさん、留年とかよく分かってないっぽいからな。
仕方がないので、切り札を使うことにした。
「……俺は、篠原と一緒に卒業したいけどな」
会心の一撃だったらしい。篠原はとうとう観念したように口を開いた。
「い……いき、ます……」
(ご主人様って結構いい性格してません?)
お前に言われたくないよ。




