15-朝の一悶着(2)
教室に滑り込み、時計を見る!
……ギリギリセーフだ! 席について、大きく息を吐く。あれだけ走っても、息はひとつも乱れていなかった。
周囲はすでに喧騒まみれ。昨日の人質事件のことを、皆が忙しく話し込んでいる。
「だからヤバいって! 本当に、銃で脅されたらしくって」
「ガイドさん殺されたんでしょ? みんなトラウマ確定じゃん!」
「ミヨなんて膝撃たれたらしいよ!」
「鮫島のこと聞いた? ありえなくね?」
「白鳥さん、すごいよな。尊敬だわ」
好きなドラマについて話すようなトーン。それが彼らなりの事件の乗り越え方なのは理解できるが、話のタネくらいにしか捉えられてない気もする。
人が死んだ事件を、そう楽しげに話し込める彼らには共感ができなかった。なんだかガックリしてくる。
(なーんで私たちの活躍が語られてないんですかね? 銀の英雄、生徒たちを救う! その話題で持ちきりじゃないとおかしいでしょう!)
「やめてね」
能天気AI野郎。あんな黒歴史、誰にもバレない方が好ましいんだ。
その時、ガラリと戸が開いた。教室が静まり、ようやくチャイムの残響が耳に届く。
そこに立っていたのは、いつもの担任……ではない。なんと、教頭だ。
彼はいかめしくメガネを上げると、ゆっくりと教壇の前に立つ。そして、口を開いた。
「おはよう。今日は時短登校ですが、その理由をお伝えします」
もう皆知ってるだろ……と思うが、これも手続き。大人の世界は窮屈だ。
「昨日、クラリス・コーポレーションで行われた企業見学会中に、武装集団による人質事件が発生しました。この事件により、見学に参加していたガイドの方が亡くなり、本校生徒にも負傷者が出ています」
小声の囁き合いが、教室に生まれる。恐怖というより、興奮の声。“やっぱり本当だったんだ”とか、“じゃ、鮫島って……”とか。
教頭は咳払いして、言葉を続ける。
「現在、負傷した生徒は治療を受けており、命に別状はありません。我が校では保護者説明会を行い、希望する生徒には専門カウンセラーとの面談も用意しています」
さて、と話が止まる。次の言葉をはかりかねる沈黙。生徒たちは、そのゴシップに飢えた瞳で教頭を見守る。
「この後ですが、キミたちのクラスの新しい担任から挨拶があります。元担任の古谷先生は、持病をこじらせたらしく……」
新担任。またざわめきが広がる。恰好の餌が放り込まれた動物園の檻みたいだ。
教頭は肩をすくめ、長々とした説明を諦めた。
「……先生、あとはお願いします」
「はい!」
カツン! 教室に入ってくるヒールの音。パンツスーツに、ロングヘアが翻った。
大きな栗色の瞳に、見覚えのある顔。バッチリ目が合ってから、記憶が浮上してきた。
この人朝にぶつかりかけた人じゃねえか!!
(あーホラ! 攻略ルートにギリ乗ってたんですね。キャラの再登場は鉄板ですから)
「やめてね?」
何とか頭を整理しようとして、パラサイトの余計な言葉に乱される。なんで? 何が起きてる?
あちらも気付いたらしく、パッと顔を輝かせた。
「あ、キミは」
サッと顔を伏せ、それ以上の接触を未然に防ぐ。ヤバい。咄嗟とはいえあまりにも失礼すぎる対応が出てしまった。
音のない空間が、一瞬だけ訪れた。気まずすぎて胃を吐きそうだ。
「……えっと、皆さんおはようございます! 今日からこのクラスの新担任になった、“生駒 志保”といいます!」
やがて聞こえた頭上の声に、皆が拍手で迎える。ゆ、許されたか……。全身を弛緩させて顔を上げる。
だが、彼女はまだニッコリと俺を見つめたままだった。
「先生も皆の顔を覚えたいから、自己紹介と好きなモノ紹介をしてもらおうかな!」
許されませんでした……。
◆
「はい、じゃあ今日はここまで! 時短登校だから、この後は下校になります!」
みんなの無難な自己紹介が終わったところで、生駒先生はそう宣言した。
皆の喜色に溢れたやり取りが、ワッと溢れる。経験もしてない事件で休校措置なんて、嬉しくてたまらないだろうな。ふざけた話だ。
「はい、落ち着いて。みんなにお願いがあります。被害に遭った子のことを、できる限り気にかけてあげてほしいの。もちろん先生たちもそうするけど、教師相手じゃ言いにくいこともあるだろうし」
被害に遭った子たち。すなわち、見学会に参加した生徒だ。
俺は途中退場したが、鮫島も白鳥も、他にも大勢いる。彼らの心理的負担は計り知れないだろう。同情する。
……まあ俺も無事とは言い難いが。
「このおやすみで、皆の心がしっかり休まることを願います。……はい、暗いお話は終わり! 海の日と合わせて連休、楽しんでね!」
解き放たれた生徒たちは、一斉にお喋りに精を出す。皆が楽しげで、事件の爪痕なんて見当たらない。
(さあさあご主人様! やるべき事は多いです! まずはそのヤボったい髪型を変えるべく近所の美容室へゴー! そんなビジュアルでこの小説の主役は張れませんよ!)
「あーはいはい分かった分かった……」
先生に見つかる前に俺も帰ろ。鞄を肩にかけ、椅子を引いて立ち上がろうとして……。
振り向き、椅子に足を置いて“その一撃”を相殺した。
俺の座っていた椅子に、キックが入っていた。間接的に伝わる衝撃が、どれだけ本気の威力かを伝えてくる。
「……」
冷蔵庫のようなガタイに、典型的なツーブロ頭。蹴り足を戻して睨んでくるのは、鮫島だった。
やつは血走った目で、荒い息を吐きながらもう一撃狙ってくる。飛んできたジャブを掴んで押し戻すと、大げさによろめくのが見えた。
「何か用かよ」
「ってめぇ、この卑怯モンが! 俺ら見捨てて逃げ出したクズ野郎!!」
絶叫に近い声量。それで全部理解できた。
コイツ、色々噂されてるのを俺に全部なすりつけようとしてるな。おそらくは、人質事件での醜態が漏れたのだろう。
証拠に、いつもの取り巻きがほとんど居ないのだ。だから反撃できない俺を攻撃して、責任も全ておっ被せようってハラなのだろう。
クラスの連中は静まり返り、俺たちを見て距離を空け始めた。生駒先生ですら目を丸くしている。来て早々、災難続きだなあの人……。
(はーん!? だーれのご主人様がクズ野郎ですってこの猿顔! 動物園に引き取るよう連絡してやるから待ってなさい!! えーとタウンワークは……)
「何か用かって聞いたんだけど」
「テメェみたいなクズモブが、生きてる価値もねぇんだよッ!!」
支離滅裂なことをほざいて、大振りの拳を繰り出してくる。
かなり痛そうな拳だ。恐らくは空手。あまり鍛錬はしていないのだろうが、ケンカやいたぶりの度に繰り返したのだろう動きに迷いがない。腰を捻り、肩を突き出し、その後に拳。シャツのシワで分かったけどコイツ服のサイズ合ってないなワザとワンサイズ小さい服を着て筋肉を誇ってるとかかないや流石にやってることが小さすぎないかあと殴る時に2回もまばたきしてるのはどうなんだ足の置き方もなんか違和感があるがどこの流派の空手って言ってたかな……
いや、遅くないか? アクビでも漏れそうなスピードの拳を、喰らってやる理由もないので避ける。すると、鮫島の表情はゆっくりと驚愕に染まっていった。
風が、ハラリと髪を払う。とても平常運転だ。危機感すら湧いてこない。
やつはすぐに怒りを充填し直し、次々拳を繰り出してくる。だが……。
(いやー遅い遅い。どうしますご主人様? 一曲踊りますか? 踊ってみたカテゴリいけますよ)
「……」
パラサイトのいう通り、遅すぎる。たまに近所でやってる老人の太極拳みたいだ。
それにしても、しつこい。どうしても俺を殴りたいらしく、必死に俺を捉えようとしている。
ふと、殴り返そうかという気持ちになる。白鳥に何度も言われていたし、ここでやり返せばコイツも絡んでこなくなるんじゃないか?
いつもの如く、スイッチが切り替わるようにその気持ちは萎えるかと思っていたが……。
(あ? なんですこのクソコード……はい解除解除、ご主人様は自由に生きるのです!)
よく分からないパラサイトの声がしたと思うと、拳が前に出た。
それは正確に鮫島の喉仏を狙い……寸前で止まった。遅れて、相手を殺しそうだったことに気付く。
(おーっと! なぜ止めるんですご主人様! 今いいところだったのに! 観客はスプラッターをお望みですよ!)
「……」
肩で息を繰り返しながら、鮫島は恐怖の眼差しで見つめてくる。対する俺も、一線を容易に越えかけた衝撃で声もない。
あとほんの少しでも、感情の制御が遅れていれば。考えたくもない。
静寂。クラスメイトたちも、黙りこくっている。鮫島が生唾を呑む音が、やけに大きく響いた。
「……もういいだろ。お前の責任くらい、お前が背負えよ」
やっとそれだけ言い、拳を引く。それだけで鮫島は全身の緊張を失い、汗だくで机に寄りかかった。銃口が逸れたような反応だ。
好奇の視線と、ヒソヒソ話が俺たちを囲む。気持ちのいい感覚ではなかった。
中には、鮫島の金魚の糞だった連中も、嫌な笑いを浮かべて話し込んでいるのが見える。
「……マジやばくね? いきなり絡んでアレとか……」
「ぷっく、ダサすぎ。てか、鬼城にフラれたって話、絶対ガチじゃん。あんだけイラついて……」
「堂本あんなキャラだっけ?」
「……いつでもああやって反撃できたってことじゃん……」
「それさ、鮫島めーっちゃ惨めじゃね?」
うるせーーーコイツらマジでクズカス野郎共がよ。どうせ俺がイジメられてる時は俺の悪口で盛り上がってたんだろコラ。鮫島の心配なりして筋通さんかい。
(ヒュウ! お次はどうしますご主人様? こそこそ話してる奴らに“わからせ”フルコースいっちゃいますぅ?)
「そのチンピラみたいな話し方やめてくれ……」
うんざりだ。カバンを担いで、その場から離れようとし……。
「堂本ぉぉぉぉおおおおお!!!」
奇声が上がった。
鮫島だ。肩越しに振り向くと、やつは立ち上がりながら何か取り出している。
ギラリと輝くそれは、カッターナイフ! 武器だ!!
「いかれてんのか」
咄嗟に出た言葉がコレだから、俺も相当チンピラだ。向き直りと、鮫島がソレを振り抜くのはほぼ同時!
もはや打撃をぶつけるほかなし……と覚悟を固めていると、俺たちの間に誰かが割り込んだ。
その人は、鮫島の手首を掴むと、円を描くようにぐるりと回す。足を引っ掛け、膝をついた巨体の肩肘を極めた。
しなる長髪。華奢なパンツスーツ。見事な合気道で凶行を止めたのは、
「生駒先生?」
「そこまで。それ以上は警察を呼ぶわ」
あまりにも冷静な動き。教室で悲鳴が上がりすらしないうちに、事態を鎮火させてしまった。
鮫島はその太い腕で必死に抵抗しようとしているが、モゾモゾと膝が地面を擦るだけだ。
「くそっ、離せ! 俺は悪くねえんだ!」
「そうね。悪くなる前に止められて良かった。はい、これは没収」
あざやかな手際でカッターナイフを回収。そして彼女は手を離した。
尻もちをつき、介入者を睨む鮫島。呪詛のようなものがしきりに口から漏れている。
「くそっ、どいつもこいつも……邪魔、邪魔臭え……なんで俺ばっかり……!」
「さあみんなも、解散だよー! はやく帰って、親御さんを安心させてあげなさい!」
見世物は終わりとばかり、先生はパンパン手を叩いて生徒たちを追い出しにかかる。なんて頼れる人なんだ……。
まだまだショーを見たかったようで、教室を後にする生徒たちはやや不満げだ。本当に無責任な連中だよ。
やがて俺と、鮫島と、先生だけになった。鮫島はしばらく凄まじい形相で、俺と、先生を睨みつけていたが……やがてやつも、唾を吐き捨て、駆けていった。
はーーーつっっっかれた。なんなの登校しただけでコレって。最悪だよ。
「すみません。ご迷惑をおかけしました」
「んー? こんなの朝飯前だよ! 朝の借りは返せたってところかな?」
頭を下げると、先生は笑った。明るいのは嬉しいけど、朝のことは忘れてて欲しかったな。
(うーん、マンダム)
うるさいよ。
「じゃ、俺はこれd」
「そうだ! こんな風に居残る感じになっちゃったし、ちょっと用事を頼まれてくれないかな?」
いま完全にドロンさせてくれる流れだったじゃんか……。先生はニコニコ、まったく揺らがない表情だ。どうやら俺を逃すつもりはないらしい。
(こ、これは……ドキドキ⭐︎秘密の個人レッスンルート!?)
「えっと、用事すか」
「うん! キミって篠原ナコさんのお家にプリント、よく届けてるみたいだから……どうかな、一緒に。私って新しい先生だから、挨拶もしたいし!」
また絶妙に断りづらいことを。確かに篠原は、知らない人間と1対1なんて不可能だろう。
俺が間に入って……いや、そもそも人質事件のことも話さないといけないのか。気が重い。
「……あんま期待しないでくださいね」
「ふふ、やったね。それじゃ、ちょっと職員室に寄ってから出発だ!」
元気だなこの人……。
(ではこちらにデート中の会話選択肢を用意しておきます。間違ったものを選ぶと好感度が……)
さっきからうるさいよ!!