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105-幕間:獣の王国(4)

 誰も、動けなかった。


 新手を睨むディアブロも。唾を飲み込む部下たちも。腕を組んだコロッサスも。


 吊り下げられたヴァーチューも。中空に浮かぶパワーズも。無機質な編隊を組むヘリの群れも。



 誰もが、現れた“V2”、ケルビムの次の動きを待つ。


 50メートルものはるか眼下、崖の底で撃墜されたヘリが爆発。それでも、誰1人。



「……アァ? 暗殺任務? ボケ抜かすんじゃねえよ。俺がコイツらに勝てるわけないだろ」


 その男は、めり込んでいた岩壁から足を引き抜くと、その勢いでキャットウォークに叩きつけられ、転がった。


「イッテテ……あーお構いなく。ちょっと、ジェット酔いが……」

「……」


 先ほどから無言のディアブロの目が、細まる。

 油断を誘う言動ばかり繰り返すこの男……ケルビム。とんだ食わせ者だ。


 まず、隙がない。打ち込めば必ず返してくるほどに、気力も実力も充実しているのが分かる。

 そして、装備。黒いアーマーの内側にもいくつか、警戒すべき気配が漂うが……最も危険なのは、背負った “ジェットパック” だ。小型リュックほどのアレが、ペンシルベニアからここまでの超高速飛行を可能にするほどの出力を秘めている……。



「かかるなよ」



 不意に、ディアブロがそう声を上げた。


 途端に、周囲からケルビムめがけて発されていた “殺気” が、しずまる。

 それは、うまく風景に溶け込んでいた数名の戦士たちだ。銃で武装しておらず、全員がなんらかの不穏な力を高めている途中で止められた。


 ケルビムは肩をすくめる。


「助かるよ。アンタのところのイカロスか? ……いや、フォールンも何人かいるな。闇鍋軍だな、聞いてた通りだ」

「わざとらしい隙を作り、煽るのをやめろ。俺の部下を1人でも殺せば、お前との交渉は無くなると思え」

「悪かったよ。ちょっとしたデモが要るかと思ってね」

「くだらん脚本は省け」


 カツン。


 ケルビムの足が止まる。ディアブロの指が、ヴァーチューの喉に食い込む。呻き声が上がり、静寂。


「……うちのAIやら、ハーディ少将……あぁ、上司は。アンタを殺せとやかましいことでね」

「そうか。それで?」

「どんな犠牲を払っても(at any cost)、と来てる。だが正直、気が乗らないモンでね……俺、自分がやりたくない任務はやらねえことにしてるんだよ」

「……大した兵士だな」


 参ったように、ケルビムは耳からインカムを外す。

 プラプラと遊ぶそれが、彼らの立場のように揺れる。


 ヘリの群れは、沈黙。鋼鉄の腹を威圧的に見せつけて、動かない。


「そいつらも一応、俺にとっちゃカワイイ後輩だ。なんとか、折り合いをつけられねえかな」

「それを俺たちに丸投げするのか?」

「ドミニオンの装備と遺体、丸々くれてやるよ」

「……」


 ここでディアブロが失敗したのは、即座に “話にならん” と切り返さなかったことだ。そうであれば、条件を釣り上げられたというのに。

 歴戦の戦士が一瞬考え込むほどに、破格の提案だった。


 こうして交戦するまで、実在すら疑っていたほどの秘密主義の部隊。その装備を1人分、丸ごと。研究の機会が転がり込んでくるというのだ。


 一式で何千万ドルだ? ヘタをすれば、国家予算レベル……それを即決で、交渉のテーブルに乗せてくる胆力。ケルビムの目は揺らいですらいない。



「……どういうつもりだ?」

「パワーズとヴァーチューを取り返しに来ただけだっての。俺、どうも暴力ってのが性に合わなくてね」

「こいつらの命にそこまでの価値があると?」

「おいおい! アンタだって、部下が大事だろ? そこは共感してくれると思ってたぜ」

「信用できん」

「直球だな。……まあしょうがねえ。すこぉし譲ってやんよ」


 見上げるケルビムが、指を回す。

 それだけで、ヘリの群れは少しずつ撤退を始めた。……現場指揮の権限すら、この男は持ち合わせているのか。


 すっきりした空を前に、ケルビムは無邪気にすら見える笑みで振り向く。


「ホラよ! ちょっとは信用が得られるんじゃないか?」

「……」

「……あとは、パワーズ。ヴァーチュー。俺たち “V7部隊” だけだぜ。ディアブロ」


 ヘリのプロペラ音が消え、互いの息遣いすら感じられるほどの静けさが戻る。

 だが。ディアブロも、ケルビムも、息をひそめていた。どちらが必殺の一撃を先に繰り出すか、待ち合う野生動物じみて。


「……いいだろう」


 やがてディアブロが頷いた。

 その指がヴァーチューの喉から離れ、解放。



 キャットウォークで尻餅をつき、咳き込むヴァーチュー。その背をさすって立たせながら、ケルビムが晴れやかな笑みを浮かべた。


「よーしよーし、よく頑張ったなヴァーチュー。パワーズもお疲れさん」

「げほっ、も、申し訳ありませんケルビム様! とんだ失態を…….」

「オイオイ! やめろって。俺がいつもとんでもないパワハラやってるって勘違いされるだろ? ケルビム様ありがとうございますで良いんだよ」


「いますぐに、消えろ」


 V7部隊が互いに声をかけるのを見下ろしながら、ディアブロが冷たく言い放つ。

 ヴァーチューに肩を貸すケルビムが、今度は頷く番だった。


「オーケー。俺の目標は達成したし……」

「ケルビム様! 私と貴方様が居れば、このような連中程度!」

「ボケ抜かすんじゃねえよパワーズ。恥かかせんな。さっさと撤退、背を見せてトンズラ……あー……」


 血気盛んなパワーズを抑え、そこから居なくなろうとしていたケルビム。

 しかし、インカムを耳に入れ直すと、奇妙な脱力声をあげてよろめいた。


 眉を顰めるディアブロ。振り向き、曖昧な笑みを浮かべるケルビム。




「……すまんディアブロ。コロッサス。勝手しすぎた……」

「なに?」

《なにかあったか……ああ、これは》


 別個体から共有を受けたらしいコロッサスも、こめかみを抑えて苦笑する。

 ケルビムはすこし躊躇って、口を開いた。


「……巡航ミサイルが発射されたってよ。これじゃ丸きり茶番だぜ」

「……」


 少し遅れて、谷間を警報音が満たす。レーダーにも引っかかったのだろう、地下の簡易シェルターへ繋がるハッチが開き始めていた。


 それでも、ディアブロは冷静そのものだった。


「茶番に思えても、契約は契約。ドミニオンの装備と遺体はもらうぞ」

「そりゃ、構いやしないが……まあ、いい。俺は巻き込まれたくねえし、パワーズもヴァーチューも同じだろ」


 背中のジェットパックから真っ赤な炎を噴出させはじめながら、ケルビムは諦めたように前を向く。

 しばらくディアブロを睨んでいたパワーズも、ぐったりとしていたヴァーチューも、ケルビムの手を取る。


「あばよ、獣の王サマ。二度と会わねえことを祈るぜ」

「……」


 ゴウ!! 谷間の空気を一枚、剥がしとるような風圧。ジェットパックが変形し、小さな翼のように広がったかと思えば、真っ赤なアフターバーナーの残光を残して彼らは消えた。

 空を切り裂く炎の剣じみた軌道は、すぐにかなたへと消えてゆく。



 反対に、恐ろしい速さのコントレイルがいくつも、空を汚して飛んで来るのが見えた。太陽を受けてきらめく弾頭が、隊列をなして。

 低い地響きのような飛行音。生ぬるい突風が、予兆のように、500メートルを超える谷幅を満たしてゆく。


《……これが国家だよ、ミスター・ディアブロ》

「フン。俺のような一犯罪者に対して、大仰なことだ」

《現場の意思など、なにひとつ介在しない巨大な力。美しいとは思わないか》

「滑稽、極まるな」

《ふっ、はは。最後まで、キミとは話が合わなかったな》


 笑うコロッサス。退避する気配もない。

 当然だ。彼はあくまで一個体。ここで破壊されたとて、痛くも痒くもないのだ。


《弾道ID照合完了。到達まで残り90秒。東海岸艦載……アメリカのトマホークだ、半端なシェルターでは防げまい》


 ディアブロの部下たちは、すでに地下への避難を開始している。生存のための指示を待つ人間などいない。

 それを見下ろしながら、ディアブロとコロッサスは、ここに最初に来た時と同じように留まっていた。


 アリのようにうごめく人間たち。どの目にも、必死な生への渇望が光る。


《……獣の王国、か。私は好むよ。人間の、直裁的な欲を》

「……」

《もし私がもう少し、人間について詳しければ……キミと良き友になれた世界も、あったような気がする》


 それだけ言い終わると、コロッサスは操り糸を失った人形のように崩れ落ちた。

 通信が切れたのだ。AIらしい、詫びもさびもない別れである。ディアブロは肩をすくめた。



 上空。ミサイルの群れがわずかに角度を変え、降り注ごうとしている。谷間に直撃し、あたり一帯の地形を変えてしまうだろう。


 

 

 その時。



 一発だけ、爆発が起きた。バラのような形の、真っ赤なフレアじみて。

 ミサイルが数発、誤誘導されてゆく。辺り一面、白むほどの爆発が起きた。


 空を切り裂く炎の剣が、そこから急いで退避してゆくのが見える。



 意外そうに目を見開くディアブロ。だが、それで終わりではない。


 残るミサイルが、今度こそ任務を果たそうと飛来する。……が、先行弾頭のランプが赤く点滅したと思うと、はるか上空で誤爆した。

 計算し尽くされた爆発は、ほかの弾頭をつぎつぎ巻き込み、直撃すらしない。


 爆風が抜け、鉄骨が軋み、工場が半壊してゆく。だが、それだけだ。ディアブロの “王国” が、傷つくことはない。

 


「……律儀なことだ。どいつも、こいつも」


 鼻で笑うディアブロは、強烈な風圧の中で、ドミニオンの死体を担ぎ上げる。


 そしてしばし、天使の遺体を抱えた悪魔は、上空の狂乱を見上げていた。


 



「クソッ!!」


 ディアブロ、生存。


 その報を聞き、オリーブグリーンの軍服“ハーディ少将”は怒り狂っていた。

 ヘッドセットを机に叩きつけ、司令室を歩き回る。


「トマホークだぞ!? ありったけ撃ち込んだんだ! なぜ失敗する!?」

「これは……弾頭ネットワークに、旧式のAIパルス痕跡あり! こ、コロッサスのハッキングを受けたようです」

「コロッサス? バカな! ディアブロとは決裂したんじゃなかったのか?」

「分かりません! ですが、ぶ、V2の介入痕跡もあり……何が起きたのか、まったく」

「それを分析するのがお前たちの仕事だろうが!! それでも軍人か!?」

 

 手近な技術者の胸ぐらを掴みながら、ハーディが怒鳴りつける。

 衛星写真には、不適に笑うディアブロの姿。ドミニオンの死体を担いで、谷間の、観測できない場所へ引っ込んでゆく。



 やがてハーディ少将は椅子に座り込んだ。その大きな手で顔を覆い、固まってしまう。


「……やはり、現場で起きるイレギュラーに左右されるような兵器はダメだ……いかに “V7部隊” が強かろうと、“イカロス” や “フォールン” が怪物的だろうと……!」


 悔恨の声が、怒りに染まってゆく。今回の作戦は、まるで落第点。ディアブロに、犯罪者風情に! 軽くあしらわれたのだ!!


「そうだ……! もっと、強い火力が必要だ……! 一発で世界を変えてしまうような、放った時点で勝ちが揺らがない兵器……!!」


 その血走った目が、ぐるりと前を見る。

 今日の “超常災害サミット” が、何度もモニターに放送されていた。


 中でも、颯爽と円卓から去ってゆく日本代表。土御門の姿が。



「……V2に任務通達。日本の “アマテラス弾頭計画” について、調べさせろ」



 ひどく冷えた声が、ハーディ少将の喉から溢れた。







 





 






 





 

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