103-幕間:獣の王国(2)
「いま、接触してくるとはな」
《驚かせてしまったか? ミスター・ディアブロ》
「……いいや。大した度胸だ」
ショットグラスに、琥珀色の液体を注ぐディアブロ。
差し出されたそれを、コロッサスはモーターの覗く指で受け取った。
そして、ひとくち、飲む。興味深げなディアブロに対し、コロッサスは微笑んだ。
《我々は人造兵士。半ば機械で、半ば人だ。このような補給も必要とする》
「意外だな。アメリカが補給線を絶てば、死は免れんだろう」
《支援がある。ロシアだ。それに、アメリカもそう我々を邪険に扱っているわけではないよ》
「ああ……“国家”か」
かすかな笑いの雰囲気を声に滲ませ、ディアブロもまたグラスを傾ける。
コロッサスは逆だ。微笑を消し、グラスを静かに置いた。
《そう、“国家”だ。私がここに来た理由も》
「……」
《ミスター・ディアブロ。我々と手を組まないか?》
「手を組む?」
さも意外そうに目を丸くし、ディアブロはソファの背もたれに体を預ける。
今度はコロッサスも、同じようにした。椅子に、深く腰掛ける。
《そうだ。アメリカとロシア、我々ならふたつ抑えるのも大した労力にはなるまい》
「自信家だな」
《これは自信などという曖昧なものではないよ。自律進化したAIによる演算結果だ》
「なにを、演算したと?」
《国家だよ。ひとつ、大きなものを打ち立てるのだ。私の人造兵士と、キミの部下たちで》
「ン、ン……ふ、ハハハ」
噴き出すディアブロ。彼は笑いながら、脚を組む。
表情を微動だにさせないコロッサス。その赤い瞳で、見つめる。
彼らのかたわらで、ディアブロの部下は冷や汗を拭えずに立っている。
「そう来たか。……国、成程な」
《私は冗談を口にしているつもりはない》
「そうだろうな。冗談にしても、笑えん」
《74.6%》
ぴたりと、ディアブロの動きが止まった。
コロッサスは淡々とした口調だ。
《新文明社会への移行に“適応不能”と判断されている、現行人類の割合だ。分かるか、ミスター・ディアブロ。人類という種は、もはや旧い》
「……だから、貴様らが導くということか?」
《我々が導くのだ。あらたな種として。……“イカロス”と“フォールン”。そして“人造兵士”をね》
「……」
しばしの、沈黙があった。
何も言わないディアブロ。動かないコロッサス。
立ち会う部下は、息すらひそめている。その指が、無意識のうちにトリガーにかけられた。
「……面白い」
《受けてもらえるか?》
「ついて来い。ミスター・コロッサス」
不意に、ディアブロが立ち上がった。革張りのソファが軋みながら巨体を吐き出す。
コロッサスは数瞬、ディアブロを見上げていた。だが、やがて彼も立ち上がる。……立ち上がっても、絶対的な高さには届かない。
「留守を見ていろ」
「了解、ボス」
ドシリ、ドシリ。歩き去って行くふたりを、内心で安堵しながら見送る部下。
部屋のドアが閉まった途端、彼は詰めていた息を吐いた。
◆
《……大規模だな》
「“ナハシュ・シンジカート”から、一部拝借させてもらった。知っての通りだ」
《“クァーラ”を信仰するカルト団体。麻薬カルテルは表の顔だ》
「少し手を加えた。俺がな」
金網のキャットウォークを歩きながら、ふたりが無造作に会話する。
その眼下に広がるのは、切り立った崖の下、いくつもの仮設工場じみた建造物だ。
「銃を作っている。非正規軍を吸収した際、ノウハウを知っている連中を引き込めた」
《銃か。種類は?》
「スマートガン。クラリス・コーポレーションの製品を土台に、改良中だ」
《疑問だ。イカロスやフォールンに銃は必要か?》
「焦るな、ミスター・コロッサス」
歩いてゆくディアブロ。
その背をチラリと見て、コロッサスはそっと、トレンチコートの内側に手をやった。
「見えるか。アレが訓練場だ」
《……アレか》
「イカロス、フォールン、人間。全員を鍛えている」
《人間? ただの人間を、か?》
ディアブロが指さす先には、たしかに、ドーム状の施設がある。岩壁をくり抜いて、急峻に作られている。
巨大なものだ。数百ヤード、あるいはそれ以上。コロッサスはその赤い瞳を光らせる。
《……小さな王国。なるほど、ただびとに使わせるなら銃は必要か。キミは存外、感傷的だな》
「王国? フッフ……そうか。ミスター・コロッサス。貴様は“国家”にこだわっていたな」
《……?》
「国か。実につまらん、くだらん枠組みだ」
そこで、ディアブロは立ち止まった。
振り向く悪党と、動かない人造兵士。二者の視線が、交錯する。
「夢見がちな機械が、主人のたわごとを真に受ける。筋書きにしてもお粗末だ」
《それは、どういう意味だ。ミスター・ディアブロ》
「やはり貴様はアメリカ製だよ、ミスター・コロッサス」
びょう。高所を吹き抜ける風が、ふたりの足場をガタガタと鳴らす。
コロッサスがトレンチコートに入れた手が、かすかに動く。それを、侮蔑的に見下ろすディアブロ。
「イカロスやフォールンは、所詮は人類の“外れ値”。新たな文明に現人類が適応できないのなら、その新しさが間違っている」
《……私の手を、拒絶するということかな?》
「協力しないことを、そう呼ぶのであれば正解だ」
《無念だ、ミスター・ディアブロ。この手は使いたくなかったのだが》
す、とコロッサスが何か取り出す。
それは、小さな丸い機械だ。スイッチのようなものがついている。
すぐに何かを見抜いたらしく、ディアブロの目が細まった。
「……発信機か」
《私がスイッチを押せば、即座にアメリカが探知する。キミと私が接触していることも伝わり、排除のための部隊が送られてくるだろう》
「フッ、フ……良い性格をしたAIだな」
《“国家”とは、人類がもっとも長く信仰してきた幻想だよ。ミスター・ディアブロ。誰しも踏みしめる地面に、名前なんてつけられないだろう?》
口を裂き、低く笑うディアブロ。
微笑み、顔の横に通信機を持ち上げるコロッサス。
《だが、これからは違う。なぜなら“国家”は、我々が利用する演算単位のひとつに成り下がるからだ》
「コンプレックスか。上等すぎる思考回路も困りものだ」
《ミスター・ディアブロ。最後にもう一度たずねよう。……我々と、新たな文明の扉を開かないか?》
「断る。国家も、人類も、幻想も。なべて俺の獲物だ」
《ははは。傲慢な男だ》
その時はじめて、コロッサスは声をあげて笑った。そして、視線を斜め下に向け、名残惜しそうに笑みを消す。
《ああ。残念だ……残念、極まる》
「……」
腕組みのまま、動かないディアブロ。その目の前で、発信機のスイッチが押し込まれた。
《うむ。吹いてしまえば、破滅のラッパもこんなものか》
「……で?」
《うまく谷間に隠れていたようだが、連中の基地もそう遠くない。来るまで5分もかからないだろう……お仲間を呼んだ方が良いんじゃないか?》
「フッ、フフフ……ナメられたものだな」
ごきり、ゴキリ。拳を鳴らし、ディアブロが笑う。
遠方から、すでにジェット機の甲高いエンジン音。豆粒のような影が、空に現れている。
「俺の部下に、いちいち現状の説明など不要。平時ですら一分一秒が戦場だ」
《……なんだ。人造兵士より、よほど機械のようじゃないか》
「少しは楽しみたいものだな。なにせ、歯ごたえのありそうな相手は久々だ」
甲高い警報音が、谷間に鳴り響き始めた。
工場やドームから、わらわらと人間が溢れる。手に手に、銃を持って。
ジェット機が一機のみ、衝撃波を伴いながら通過。そこから、数人分の影が飛び降りた。
が、ガン! キャットウォークへと正確に着地する彼らは、全員がそれぞれに違う、純白の装備をまとっている。
05。06。04。それぞれの装備に、刻み込まれた番号。ディアブロは眉根を寄せる。
「“V7”……実在したか」
「起動指令、受領」
「起動指令」
「起動」
3名。彼らは小さくなにか呟くと、ゆっくりと立ち上がる。
あの速度で飛び去るジェット機から、何事もなく着地する頑丈さ……まず間違いなく、イカロスかフォールン。
そして、情報が正しければ……。
「……懲りない連中だ。イカロスすら電脳に置換したのか」
《論理的だ。技術は追いついていないが……あるいは、我々で実験したいのかもな》
「“ディアブロ”“コロッサス”、接触確認。目標更新:両名の殺害」
「ディアブロとコロッサスを殺害します」
「広域兵装はすべて使用許可が降りています」
彼らだけではない。また別の方角の空からは、戦闘ヘリの部隊が迫ってくるのが見える。
現地政府のものだ。アメリカと連携したか。
《どうする、ミスター・ディアブロ。今なら、北米に散らばる人造兵士たちを使って……》
そこまで言いかけて、コロッサスは言葉を失った。
ディアブロの、圧。AIですら気圧されるほどの、プレッシャー。
笑っているのだ。内なる高揚を、抑えきれないとでも言うように。
悪魔が、歓喜に、打ち震える。
「貴様への頼みは、たったひとつだ。コロッサス」
彼はゆっくりと両腕を上げ、空気を渦巻かせながら構えた。
右手が少し前に出され、左手が拳を握って溜めを作る。踏みしめる足は、恐るべき踏み込みのリーチを示す。
そこでようやく、コロッサスは悟った。
計算違いだ。この男は、野心家などではない。
「邪魔をするな。俺の楽しみを」
この男は、貪欲な獣なのだ。
V7が動き出すと同時に、ディアブロの殺気が弾けた!!




