101-悪魔
「……こちらが、今回の健診で手に入れた情報になります」
フードの女がボロボロの手で差し出す資料を、見事に整えられた指が受け取る。
蓮美 カレン。リムジンの後部座席、高級ホテルの一室と見紛うようなそこで、彼女らはやり取りしていた。
「やはり、“コーポレーション”はA-SADとも繋がっていると思われます。“エントロピーボム”や、未確認のレーザー兵器など、すでにいくつか回収できました」
「……アバターセラムは?」
「は。炎玲は摂取、適合。……白鳥 さくらという少女も摂取しましたが、適合できるかは……」
「白鳥? ……元・警備部長の娘さんね。“天”も悪趣味なことをするわ」
鼻で笑い、カレンは資料をペラペラとめくってゆく。
「で? そのお嬢さん、生き残ったのでしょう?」
「は」
「真壁としては、殺そうと必死よねえ。くく、“カエシ”として十分だわ」
「ヤツはA-SADを使い、大規模な捜索を行なっております。“超人狩り”の名の下に」
「現金ね、アイツ。“炎玲”は“生贄”だからどうせ死ぬって事かしら。……まあ間違ってないのだけど」
パタンと資料を閉じると、カレンは心底つまらなそうに放った。
「それで? クラップロイドは?」
「は? クラップロイド……ですか。ヤツは、その後の足取りがつかめず……」
「ふうん。もう折れちゃったかしら」
「……おそらくは」
それを聞いたカレンは、金箔の施された扇で顔をあおぎながら、見下すように口元だけで笑った。
「……つまらないわね。もう少し踏みにじって、遊んであげたかったのだけど」
「……」
「くっくっ。だって、面白いじゃない? ぜんぶ救えると思い上がってるバカから、ぜんぶ奪うのはやめられないわ」
「……では、今回の件……クラップロイドと、他勢力の対立は……」
「当然、計画通り。大局を見られない愚か者が、土足で支配者の秩序に踏み込むからこうなるのよ」
「……」
「もう二度と這い上がれないでしょうね。結局、アレもつまらない男だったわ」
リムジンが、停車する。
外には大量の報道陣。あんな事件の後でも、被害者の生死よりカレンの動向が気になる人間の方が多い。
「じゃ、あとは任せるわよ。アバターセラムの管理と、“儀式” の準備。引き続きやりなさい」
「仰せのままに」
ガチャリとドアを開け、ハイヒールで降り立つカレン。
あっという間にフラッシュとマイクで囲まれながら、彼女は見る人の心を蕩かすような笑みを浮かべた。
「こんにちは、みなさん。今日も、人々が幸せに過ごせますように……」
日傘をさす彼女が向かうのは、市長公邸。
アワナミ市の、最高権力の根城だった。
◆
「ど、堂本。これ、替え……」
「ああ、ありがとう。悪いな」
篠原からホカホカのタオルを受け取り、寝込んでいる白鳥の額に乗せる。
小さなビジネスホテルにて。AI経営のそこをハッキングして、俺たちは棺桶のような一室に3日ほど詰めていた。
白鳥は、アレから一度も目覚めていない。それどころか、うなされながら、少しずつ体温が下がっている。
まつ毛は白く凍っているし、交換したタオルは冷凍庫で放置したように凍りついていた。それなのに、彼女の呼吸は止まっていない。
「……や、やっぱり、セラムの影響なのかな」
「わからない……A-SADが血眼で探してるだろうし、ヘタに病院にかかるわけにも……」
「うぅ……会長……」
篠原も、憔悴してしまっている。正直言って、俺もだ。
あと何日、こうして潜伏しなければならないのか。
“超人狩り”が、始まっていた。
犬飼さんの発言はブラフではなかった。毎日、毎日、どこかで“A-SAD”の出動サイレンが鳴っている。
外に出れば、彫像のような黒装備が、通りの一つ一つに配置されている。おかげで、外出の際のマスクは必須だ。
抜き打ちで、区画ごとの検査が始まることもある。市民からは不満続出だし、俺もやめてほしい。
そんなワケだから、家には帰れないし学校にもいけない。A-SADに捕捉される危険性が高すぎるのだ。
「……どうなるんだろ」
「……」
「こ、このまま……会長、死んじゃったら……私たち」
「……そんなことにはならない……大丈夫だ」
カーテンも閉め切って薄暗い中、俺は椅子から動けずにフロアを見下ろすしかない。
白鳥の治療法はまったく見つかっていない。3日かけて、図書館に足を運んだり、篠原に検索してもらったりもした。
だが、何も分かっていない。検査をしなきゃいけないのに、その設備もないのだ。
……手詰まりだった。俺たちは、詰んでいる。
それに輪をかけて気が滅入るのは……。
《《《……“テロリスト”であるクラップロイドを見かけたら、すぐに通報してください。有力な情報には、懸賞金として……》》》
「……」
篠原が、そっと鎧戸を閉める。チラリと、その目が気遣わしげにコチラを見た。
“超人狩り”の開始と同時に、A-SADはとある情報を発布した。
“クラップロイド”は、国家の敵である。彼と同じく逃亡している“白鳥 さくら”、これも国賊である。
2人は凶悪な犯罪者で、日本社会から排除すべき異物である、と。
SNSは酷いものだった。白鳥のファンクラブから、反転アンチのようになった連中がわんさかいる。
“解釈違い。心の底から失望した”とか、“見かけたら、市警に知らせずぶっ殺してやる”とか。
特にまずかったのは、セラム影響下の白鳥が暴れる映像が世に出回っていたことだった。
それが決定打となり、今まで白鳥に抱いていた幻想が死んだことで、彼女を擁護する世論は消滅しかかっている。
“堂本 貴”への評価も、ひどいものになっていた。
どこからそんな説が流れたのか——“クラップロイドは堂本 貴である”という話が、ネット上に蔓延るようになっていた。
証拠はないのに、説得力だけはあるらしかった。俺の家に落書きされたり、窓が割られたりする映像が、大量に出回っている。
映像のもとを辿れば、やはりというか、緋村真一のアカウントも上がった。足を引っ張ることにかけては一流だ。
「……炎玲と直政の居場所は、なにか進展あったか?」
「う、ううん……いろんなカメラとか、ハッキングしてるけど。……せいぜい、紅龍堂の動きが活発なくらいで……」
「……難しいよな」
数えるのも億劫になるほど、何度目かのため息を吐く。
すこし、部屋から出て気分を変えよう。そう思って立ち上がると、違和感を覚えた。
「……ど、どしたの」
「静かに。……なあ、この階って誰も泊まってないんだろ」
「う、うん。最上階だし、角部屋だし……」
「……」
空気が、かすかに震えるような感覚。
足音だ。
「誰か来てる」
「え? だ、だれが」
「すくなくとも、ここを知ってる誰かだ。篠原、逃げる準備!」
「う、うん!」
そんなやりとりの間にも、足音はどんどん近づいてくる。
階段を上り、廊下を過ぎ、エレベーターホールを横切って……
「いけるか!?」
「い、いける! けど、ど、どうすれば」
「……俺が引き付けて、合図する。そしたら、走れ」
白鳥を重そうに抱え、紐で固定する篠原。
俺はドアの死角に立ち、傘の腹を握って槍のように構えた。むなしい時間稼ぎだ。
足音がドンドン近づいてくる。10。9。8。
「7……6……5……4……」
指を立て、篠原に見せる。
3。
2。
1。
コンコン。
ノック音。おだやかなソレが、逆に恐ろしい静寂を引き立てる。
篠原と目が合う。彼女も困惑して、ドアに目を戻す。
コン、コン。もう一度、ノック。
生唾を飲み、傘を強く握って、下を見る。
廊下の電灯で、影が一人分だけ伸びていた。
コン。最後通牒じみた、一度だけのノック。
俺も覚悟を決めた。ノブを掴んで、ゆっくりと回す。
ガチャリ、とドアが離れてゆく。開かれたそこには、ひとり、誰か立っていた。
「わお。狭い部屋だね。まさにカンヅメってカンジかも」
「……アンタ」
「あ、“それ”がナコちゃん? で、“それ”がさくらちゃんでしょ。合ってる?」
シンプルなライダースジャケット。
カーペットを踏むブーツ。
灰色の髪や瞳は、生命の気配からかけ離れた印象を与える。
その目が、俺を見て細まった。笑みではなく、観察のために。
「やっほ、タカ。そろそろ、全部イヤになってくれた?」
「……ミコトさん」
俺が名を呼べば、彼女はイタズラっぽく笑った。
第2章前半が終了しました。
後半はいま手掛けております。もう少しお待ちください。




