100-構造的敗北
しばらく白鳥を抱いていた正一郎さんが、顔を上げる。その口を、言いにくそうな形で開いた。
「……クラップロイド。ドローンくん」
『え?』
《な、なに》
「……キミたちに、十分に礼を尽くす術を、今の私は持ち合わせていない……それでも、言わせてほし……」
その言葉が、途中で間延びした。
ちがう。俺の感覚が、時間を延ばしている。
なにかおかしい。白鳥が生き残ったとわかった途端に、空気が変わった。
誰の? ……A-SADの。
《……成程。生き残ってしまったか》
「はい」
黒い群れの中、誰かが報告するのが聞こえた。
犬飼さんではない。彼も、なにかに気付いたらしく、眉根を寄せている。
ちらりと、A-SADたちが白鳥を見る。そして、レーザー銃を持ち上げた。
「下げなさい。被害者に銃口を向けるな」
冷徹な声で、犬飼さんが指示を飛ばす。そこで、遠くにいた鉄巻さんも異変に気付いた。
だが、銃口が下がらない。彼らは犬飼を一瞥すると、無機質に答えた。
「“真壁警視監”の命令です。アバターセラムの生存者は、“利益”よりも“損害”が勝つと」
「……なんだと?」
「抹殺指令がくだりました。白鳥 さくらの」
引き金が引かれる! 咄嗟に庇えば、アーマー胸部で受けたレーザーが、四方八方へ飛び散った!
『あぢぢぢ!! あぢ、焼ける焼ける焼ける!!』
「くっ」
隣の正一郎さんが、レーザー銃をためらいなく射撃。
受けた銃身が爆発するも、あと何十丁それを繰り返せばいいのか。A-SADは次々に部隊を展開してくる。
『“損害”が勝つってなんだよクソ!』
「クラップロイド! 娘を連れて、狙いをつけさせるな!」
『あたぼうっすよ! 逃げるのは大得意!』
「トクタイ! 防御陣形!!」
力強い号令。シールドを構えるトクタイ隊員たちの、壁のような背中が現れる。
A-SAD。トクタイ。彼らの間に、不可侵の数メートルが生まれる。
その先頭にあって、鉄巻さんは鼻息も荒い。怒り心頭だ。
「嫌な集団とは思っていたが、ここまでとはな! どうする。市警内で潰し合うか?」
「……鉄巻隊長。おそらく指示の行き違いです」
「犬飼ッ! 甘いことを言うな! ここで決めろ。トクタイに着くか、A-SADに着くか!」
そうは言っても、A-SADの物量は圧倒的だ。瓦礫の向こう、校庭の半分まで黒々として見える。
犬飼さんは無線機を持ち上げ、口を開く。
「真壁警視監。私です」
《犬飼くん。なにかあったかね》
「白鳥 さくらは脅威にカウントされない。セラムの効果は切れています」
《それで、生きている。違うかね? 新型セラムの適合者なぞ、放っておくことはできん……》
無言。犬飼さんはチラリと俺を見て、俺が抱えた白鳥を見る。
そして、鉄巻さんに視線を戻しながら、無線機に口を近づけた。
「……いいえ。生存確認は取れていません」
《なら、キミが自分で確認したまえ。……言っておくが、下手なごまかしが通用するとは思わんことだ》
「わかりました。……失礼」
歩き始める犬飼さん。
鉄巻さんとしばらく見合っていたが、彼女が舌打ちしてハンドサインを出すと、シールドの壁が僅かに開いた。
そこから、歩いてくる。メガネで光が反射し、その瞳を見ることができない。
「……」
わずかに緊張し、銃を構える正一郎さん。俺も全身に力を込め、いつでも逃げられるように構える。
抱えた腕の中で、白鳥は苦しげに呼吸を繰り返している。確認などしなくても、生きているのは丸わかりだ。
それでも、犬飼さんは白々しく脈をとる“フリ”をする。
そして、ささやいた。
「……いいですか。A-SADは止まりません」
『え』
「彼女を連れて、逃げなさい。……白鳥室長。構いませんね」
「……」
見つめても、犬飼さんはポーカーフェイスだ。
正一郎さんも、無念そうに頷いた。拳銃を握る手が、震えている。
「警視監が彼女を殺そうとするのは、何故なのか。それが分からない限り、闇雲に戦うのは下策だ」
『待ってくれ……犬飼さん、いいのかよ。俺たち、アンタの敵で……秩序の敵だろ』
その言葉に、やれやれと犬飼さんは首を振った。
「……あなたはとんでもないバカで、交渉もマトモにできないが……少なくとも、謀略のたぐいとは無縁です」
『……信じて、くれるのかよ。俺を』
「勝手に言っていなさい。……ええ、そう言い換えても通るでしょう」
立ち上がる犬飼さん。
正一郎さんが、次いで俺を見た。
「……キミに頼り続けること、市警として情けない限りだ。だが……」
『……』
「私では、守れない……! く、クラップロイド……娘を、頼む……!」
『……絶対に、守ります』
ガシ、と手を掴まれる。父親の力は、アーマー越しでも痛いほどに伝わってきた。
「……合図します。そのタイミングで逃走しなさい」
《る、ルート検索する! クラップロイド、準備して》
「いいですね。3、2、1……」
「トクタイ!! もう撃てッ! ここまで我慢した鬱憤を晴らしてやれ!!」
「……では、アレが合図ということで」
鉄巻さんが叫ぶのを聞き、俺も駆け出す!
犬飼さんと正一郎さんが、それぞれ拳銃をA-SADに向けるのが見えた。彼らも決死だ。このあと、市警内でどんな沙汰が待ち受けるやら。
そんな覚悟を受け取って、全速力。回り込もうとするA-SADを、トクタイが射撃して足止めしている。
「クラップロイドを守れッ! 白鳥嬢に傷一つ負わせるんじゃない!」
「トクタイが反抗。発砲許可を」
《やむをえん。全武装の使用を許可する。大義をなしたまえ》
「人質を取れ人質を! 麻痺させたA-SADをひん剥いて盾にしろ!」
「鉄巻よぉ、そりゃ悪党のやることだぜ……」
健診で待たされている人々のあわいを縫い、アワナミ高校の校門を突破。
遠くから、ヘリのプロペラ音やサイレンが追跡してくる。
それを背に、目覚めない白鳥を抱えたまま俺は逃走した。




