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神様を撃ち堕としたいけれど!  作者: 砂原翠
あなたの偶像を壊したい
9/28

友達

 家に着く頃には、すっかり日は暮れ、宵闇に空気が澱んでいた。電灯も点けず、私はまっすぐにキッチンへ向かった。紫亜と大声で歌った喉は枯れて乾き、疲弊している。けれど水で潤す気にもなれず、私は冷蔵庫を開けた。

 白い箱の、橙の淡い光の中に、汐屋がくれたプリンが鎮座する。プリンの蓋の上にのって、すっかり冷えたビニールのスプーンも一緒に取りだす。

「……汐屋の、馬鹿」

 私は冷蔵庫の扉を閉めることさえできず、そのまま床にしゃがみ込んだ。縋るように、冷たい冷蔵庫に背を預け、膝の上で包装からスプーンを取りだし、プリンの蓋を剥がす。

 小さな容器の中は、白い海だった。雪白の水面にスプーンを差し入れ、柔らかな氷山を掬い取る。白いプリンの上から純白のクリームが垂れる。

「汐屋なんか、嫌い」

 私は呟き、スプーンを口に運んだ。口内に冷たくなめらかな触感と、もったりとした甘さがひろがる。歯の表面と舌で押し潰すだけで溶けていく脆さ。唾液と混ざり合う過剰な甘さが胸に苦しくて、でもどこか懐かしくて心が安らいだ。

「美味しー」

 へらりと笑い、冷蔵庫から漏れる光と冷気を頭に浴びる。私は疲れた喉を労わるように、ゆっくりとプリンを食べ進めた。ようやく底が見えると酷く安堵して、反面、言いようのない後悔を覚える。

 空になった容器を両足の間に置き、私はプリーツスカートのポケットからスマートフォンを取りだした。暗い画面に表情の滑り落ちた真顔が映り、掻き消すようにロックを解除する。

 メッセージアプリを開き、汐屋のアカウントを呼び出した。ぼやける脳が、深く考え込まないように通話ボタンを押す。

 呼び出し音が五回鳴って、次で最後にしようと思っていると応答があった。

『……どうしたの』

 低い問いかけがスピーカーから流れ、私は目を瞠った。

「何で、電話出たの?」

『かけてきた人が、それ聞く?』

「だって、絶対に無視されると思った」

 機械音の沈黙が流れ、汐屋が小さく息を吸い込む音が聞こえた。

『……高崎さんは、もしかして俺のことを必要としてるの』

「何それ。好きだって言ったじゃん」

 スピーカーから汐屋の吐息を模した掠れたノイズが響く。

『俺は、高崎さんのことを信用していなかったのかもしれない』

「……怒ってないよ」

 努めて険のないように、丁寧に優しい声音で言う。

「汐屋の信用を損なったのは、私なんでしょ」

『違う、と思う』

 たどたどしい声が、私の鼓膜を揺らす。

『俺は、高崎さんのことを人間だと思っていなかった』

「知ってる」

 汐屋が私を神様にした。全ての始まりがそこだったのだ。

『遠くから見る高崎さんは俺には神々しくて、俺なんかが釣り合うわけないと思うから、信仰という形で弱い部分を高崎さんに明け渡して、心の均衡を保っていたんだ』

「もう、私が人間に見えるから電話に出たの? それとも私のこと、本当に嫌いになった?」

 尋ねる言葉が震えた。後者なら、私は今度こそもう、汐屋に関われない。

 端末越しに、汐屋の周囲の空気が揺らいだ。静かに吐かれた息は、笑いのようだった。

『嫌いなら、電話に出ないでしょ。……高崎さんを拒絶した時点で、俺は偶像を守るのに必死で、信仰を裏切っていたんだ』

 私は両足に力を込め、立ち上がった。冷蔵庫の扉をようやく閉じ、そして瞼も閉じると完全な暗闇が訪れる。視覚を捨て、汐屋の声に耳を澄ませる。

『俺は高崎さんに勝手な信仰を託して、高崎さん自身を信じなかった。高崎さんを否定し、拒絶した。本当に、ごめん』

 私は暗黒の視界が潤み、緩むのを感じた。頬の内側を噛み締め、言う。

「いいの。傷つけたのは、お互い様でしょ。私も汐屋の誠実な部分を踏み躙った。私のことも、許してくれる?」

『俺は気にしてないよ』

「そっか、ありがと」

 深く息を吸い込む。暗く、生ぬるい空気で肺を満たした。

「汐屋は、人間の私と向き合う覚悟ができたの……?」

 一瞬の逡巡。言葉を澱ませ、汐屋は声を絞りだした。

『高崎さんが望むなら、高崎さんを対等な存在だと思えるように努力したい』

 それは――言いかけ、私は口を噤んだ。私が震わせた空気に気づかず、汐屋がきっぱりと言葉を発する。

『だから高崎さん、俺と友達になってください』

 思わず、私は噴きだした。目を開け、腹を抱えて笑い声を跳ねさせる。

「変なの、汐屋」

 笑顔に涙が滲む。付き合ってはくれないんだね、という恨み言を飲み込む。汐屋は神様の私が好きなだけで、生身の私が好きなわけじゃないという事実が重く腹部に沈み込む。

 それでも汐屋は神様を捨てた。私のために。今はそれだけで十分だった。

「私、頑張るね」

 唇を引き結ぶ。私は今、汐屋から信頼を手渡された。生まれたばかりで脆く柔いそれを取り落とさないように、握り潰さないようにしなければならない。

 そしてできれば――汐屋に好きになってもらえる自分になりたい。

 かすかに笑う、まろやかな振動がスピーカーから流れる。

『そんなのいいよ。友達付き合いを頑張るのって変だろ』

 友達以上になりたいからに決まってるじゃん。

 私は唇を合わせ、繋ぎ目を舌でなぞった。粘膜のとろりと甘い味がする。

 夜闇に慣れた瞳は、窓から差し込む仄かな光を捉え、部屋の中の輪郭を浮かび上がらせた。淡い光の粒を水晶体から逃がさないように、私は瞼で蓋をした。

拙作をお読みくださり、ありがとうございます。

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