告白2
「澪、おはよ」
「おはよ、紫亜」
私は紫亜に手を振り、自席に向かう。机に鞄を置き、中身を探りスマートフォンを取り出す。そんな私を紫亜が覗き込んだ。
「ねえ、澪あのさ」
「ごめん、後でもいい?」
私は紫亜の横をすり抜け、汐屋の席の前に立つ。
「汐屋、おはよ」
汐屋は手元の文庫本から目を上げない。私は前列の空席の椅子を引いて座り、もう一度「おはよ」と笑いかけた。
胡乱な視線を上げ、汐屋は低い声で言う。
「あんまり、教室で話しかけない方がいいんじゃない」
「汐屋、おはよ」
めげずに笑う私に、汐屋は渋々と「おはよう」と返す。自分の行為が半ば強制だと知っていても、それでもやはり上辺も私にとっては大事なので、満足して笑みを深める。私は汐屋の前に自分のスマートフォンを差しだした。
「ね、汐屋。連絡先交換しよーよ」
汐屋の感情の読めない瞳が私を見て、血色の悪い唇から不愛想な言葉が飛びだした。
「必要性を感じない」
「えっ、私が知りたいって言ってるんだよ? それだけじゃ駄目なの?」
汐屋は面食らっていたが、私は自己中心的な思考で言ったわけではなく、人間関係なんてしょせん個人的な欲求によってしかその正当性を担保されないと思っているだけだった。
「汐屋は、私と連絡先を交換したら、不都合なことでもあるの?」
「……ある」
苦虫を噛み潰したような顔で、汐屋は言う。
「高崎さんのいないところで、高崎さんからの連絡をいつでも待ち望むようになってしまう。きっと他のことが手につかなくなる」
「はあ、じゃあ汐屋から連絡してくれば?」
「結局返事を待つことには変わりないんじゃ?」
「いやでも、会話の主導権をどちらが持ってるかも重要じゃない?」
首をかしげる汐屋を何とか丸め込んで、私たちは連絡先を交換する。私は早速汐屋にメッセージを送信する。
『放課後、体育館裏にきて』
汐屋のスマートフォンが振動し、見開いた双眸が私に縫いとめられる。
私は蜂蜜とメープルシロップとホイップクリームとチョコレートソースとシュガーバターを一気に頬張ったような顔で、汐屋に笑いかける。糖分に浸食された汐屋は僅かに肩を揺らして、塩分を求めるように薄く息を吸った。
夏の熱気が、湿った体育館裏の地面を茹だらせる。私は体育館の影にしゃがみ込んで、汐屋を待っていた。本当なら、こんな陰気な場所来たくない。湿気が臭いし、雑草は汚いし、屋内から響いてくる部活の音はうるさいし。
だけど、汐屋を呼び出すのにこれ以上の場所を知らないし。汐屋がここを選んだんだもん、文句ないでしょ。
ローファーの爪先に白く浮いた泥を指先でこすっていると、足音が聞こえた。見上げると、汐屋が白い陽光を背負って私を見下ろしている。
私はしゃがんだまま一歩奥へと体をずらした。
「汐屋も日陰入りなよ。暑いでしょ」
「平気」
「そ」
頷き、私は立ち上がる。明暗が私たちを分けるので、私は数歩汐屋の方へ歩みを進めた。汐屋が後ずさり、私たちは揃って白日の下に晒された。
眩しくて、汐屋の顔がまともに見れない。それでも、強い光に耐えながら汐屋に笑いかける。
「来てくれて、ありがと」
「いや、そんな」
汐屋の表情が、少し怯えていておかしい。私は少しも緊張していなかった。照れ臭かったけど、それだけだ。笑って、言う。
「汐屋、あのさ。私、汐屋のことが好きかもしれない」
陰鬱とした双眸が見開かれ、驚愕が私を射抜く。
「ねえ、付き合わない?」
陽光を顔面に受け、肌の細胞のひとつひとつが光の粒を弾いて美しく輝けばいいと思いながら、目を細める。汐屋が小さく息を吸う引き攣った音が響く。暗い色の瞳が揺れる。瞳孔が、必死に答えを手繰り寄せようとしているのが分かる。
悩まないでよ。
真剣に考えて。
相反する感情が私の中でせめぎ合い、薄い寂しさの膜が胸中にひろがる。これがきっと、緊張なのだと思う。怖いのだ。自分の内側に守られていた不純物のない感情を、私は今、外気に晒し、汐屋に向けて差しだしている。
握っている手のひらさえ熱くて痛いのに、汐屋に拒絶されたら生きていけない。この感情を否定されたら、もう私は自分の内側にこんなに無防備なものを飼うことができない。
肉体に守られた心臓が、鼓動を暴れさせる。この心拍を外へ出せと、汐屋に届けろと、叫んでいる。うるさい、うるさい。私は、こんなに一遍に汐屋に大切なものを手渡していいのだろうか。
汐屋が長い息を吐いた。私はかすかに肩を震わせ、汐屋を見る。お願い。祈る気持ちで汐屋を見つめると、汐屋の陰気な表情が悲しみをたたえた。
乾燥して罅割れた唇が開かれる。
「高崎さんは、俺のことなんて好きではないだろう」
心臓が、肋骨を叩いた。
「確かに、俺は君に惹かれている。だけどこれは俺の片思いだ。付き合うことなんてできない」
どうして。
感情が言葉にならない。口の中が急激に乾燥して、舌が動かない。
やっぱり、鼓動さえも差しださないと分かってもらえないのか。
酷い、と叫んで、汐屋を殴ってやりたかった。きっと普段の私なら、そうする。だけど汐屋に叩き落された私の純粋は、ただただ痛いと泣くだけだった。
私は瞠目し、裏切られた気分で汐屋を見た。体内の水分が全て蒸発してしまったような心地だったのに、私の双眸からはすぐに涙が溢れでて、堰を切って乾いた頬を伝った。
本当に、汐屋のことが好きなのに。
多分、こういうのを自業自得だっていうんだろう。私が、汐屋の信頼を奪ったんだ。
潤んでわななく声を零す。
「……ごめん」
私は顔を覆った。嗚咽を漏らしながら、その場に蹲る。私を陰に匿うように、汐屋はずっとそこに立っていた。
しばらくすると遠雷が空気を震わせ、夏空を暗雲が覆った。大気に雨の香りが満ち、たちまち大きな雨粒が地面を叩く。髪も、制服もすぐにぐしょぐしょになる。
「帰ろう」
雨音に掻き消されそうな声で、汐屋は言う。私がその声に応えられずにいると、汐屋が私の手を握り、上へと引き寄せた。私はそのまま汐屋に手を引かれ、教室に置きっぱなしだった鞄を回収し、汐屋の傘に入れてもらって帰路についた。
夕立はあっという間に上がり、明るい夕焼けの中を、ずぶ濡れになった汐屋が家まで送ってくれる。徐々に藍に染まっていく空と、いつまでも茜色に輝き続ける雲が、金色の夕陽に分かたれているのがどうしようもなく悲しくて、私は手の甲で何度も目元を強くこすった。
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