共鳴
病室の中は白熱灯の清潔な光に満ちて、様々な苦悩を凛と包み込んでいるような気がした。
薄ピンクのカーテンの仕切りの中、祖母はベッドで眠っていた。俺と澪が枕元へ立つと、物音に気づいたのか重い瞼がゆっくりと開いた。
「慶か」
もうほとんど一日を寝て過ごしている祖母の目元には目やにがこびりつき、顔はぼんやりと浮腫んでいる。それでも祖母はたるんだ頬を持ち上げ、微笑んだ。
「おや、澪ちゃん来てくれたんだね」
祖母に呼びかけられ、澪は唇を震わせたが、やがて恐々と細い声を出した。
「こんなことしか言えないんですけど……頑張ってください」
澪の言葉に祖母は静かに瞼を閉じ、口元に笑みを象ったまま言った。
「もう、あんまり頑張れないかもねえ」
軽やかな口調があまりに重く鼓膜に響いて、俺も澪も小さく息を吸った。しかし祖母は歌うように続ける。
「いいんだよ、私は十分生きたから」
祖母の濁った瞳が、澪を見つめた。
「慶と、ずっと仲良くしてやってね」
澪の双眸が揺れ、潤んでいく。濡れた吐息で、澪は言葉を零した。
「本当に、私でいいんでしょうか」
俺は固唾を飲んで、絞りだすように声を紡ぐ恋人を見守った。
「どうしてだい」
「……私には幸せがよく分からないんです」
ゆっくりと、祖母の両目が瞬く。彼女は天井の更に遠くを見遣るように、視線を投げた。色のくすんだ唇が、ゆっくり動く。
「私の故郷はね、戦争で焼けたんだよ。真夜中にね、戦闘機がやってきて。何にも分からなくて逃げた山から、火が燃えひろがった町を見下ろしてね、ただ綺麗だと思ったの」
ここではないどこかを眺める瞳が、静謐さをたたえていた。彼女の乾いた白髪に、皺にまみれ垂れた肌に、骨ばった体に、病を得た内臓に、彼女が生きた歴史が息づき、胸に迫った。
「全部失くしたけどね、もう幸福を感じる心も家族と一緒に燃え尽きたと思ったけどね、それでもやっぱり人間ってしぶとくて、貪欲によりよい人生を求めて生きるんだよ。そしたら思いがけず幸せが飛び込んできた」
痩せ衰えた手が、澪の腕にふれた。
「幸せな人生が、幸せに幕を下ろすだけ。悲しくなんかない」
節くれだった指が、服の上から澪の腕をそっと包む。今にも掻き消されてしまいそうな声音だったが、まっすぐ届いた。
「慶も澪ちゃんもね、幸せになるよ。若葉がお日様の方へ伸びるように、命は幸せに向かっていくものだから。生きていれば、幸せに辿りつく」
枯れた体から紡がれた、優しい響き。澪の瑞々しい手が、祖母の手に被さった。
生きた時代も、生きた年月の長さも異なるふたつの命が、まるでひとつの生き物になったように見えた。二人の悲しみと、喜びが、無言のうちに空気を震わせ、長い長い咆哮を放った。
痛みを孕んだ呼吸が、歓喜に震える鼓動が渦を巻き、病室を跳ね回る。窓を飛び越え、遠く遠くへ駆けていく獣の足音が、俺の脳裏にじんと木霊していた。
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