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神様を撃ち堕としたいけれど!  作者: 砂原翠
きみの戒律を破らせて
20/28

押し花

 日没後の暗がりを背負いながら玄関の戸を引くと、廊下から祖母がこちらを見た。

「おかえり、慶」

 彼女の皺だらけの手には、夕暮れ色を煮詰めたような、鮮烈な花弁が数枚のせられている。

「どうしたの、それ」

 靴を脱いで問うと、祖母が靴箱の上の花瓶に目を遣った。仄暗い玄関で咲き誇る花の群れは、沈みゆく太陽に似ていた。

「隣の佐伯さんにもらったポピーの花びらが落ちちゃったから」

 皮膚の突っぱった指が、花瓶の周囲に散った花の欠片を拾い上げる。

「捨てんの?」

「気になる?」

 にやりと口元の皺を深くして祖母が笑う。

「いや、別に」

 わずかに身を引いた俺に、祖母が背を向けた。

「いいから、見においで」

 俺は苦笑し、先導されるままに祖母の部屋へと入った。ただでさえ狭い家の彼女の自室は、衣装棚やら大きな人形やらが密集し、更に窮屈に感じる。

 祖母が床に並ぶテディーベアを越えて本棚に手を伸ばし、横倒しに積まれた辞典の上から仏和辞典を手に取った。

 鏡台の上で皺にまみれた手が辞典を開くと、重ねられたティッシュペーパーが現れる。それを一枚剥ぎ取ると、中には桜の花が挟まれていた。

「押し花?」

「そう」

 祖母が、整列した桜のひとつを摘まみ上げた。薄く押しひろげられ、セピア色に褪せた花は、それでも春の儚さを纏っている。今にも風に飛びそうに繊細な花を眺め、祖母が微笑む。

「私にとって押し花はね、タイムカプセルなんよ。お花の美しさとね、楽しかった記憶を一緒に未来へ運べるの」

「へえ、なんかいいね」

 俺が相槌を打つと、祖母は鏡台の上にポピーの花弁をのせた。

「慶もするかい?」

「俺、不器用だからなあ」

 首を振る俺の横で、祖母は辞典のページをめくり、ティッシュペーパーを被せる。その上に、鮮やかな朱色の貝殻に似た花弁を並べていく。

 祖母の繊細な手つきを眺めながら、俺は静かに口を開いた。

「ばあちゃんはさ、どうしてじいちゃんと結婚したの?」

 美しい花びらから目を離さないまま、彼女は言う。

「優しそうな人だと思ったからだよ」

「じいちゃん、優しかった?」

 小さく噴きだし、祖母は悪戯がばれた子どもみたいに笑った。

「まあ、だいたいね」

 夕陽の欠片を、ティッシュペーパーが覆い隠す。

「結婚して、幸せだった?」

「あんたからは、どう見える?」

「そりゃあ……」

 半笑いで、俺は一瞬言い澱んだ。ばあちゃん、幸せだったよね? 違うの? 違ったら、どうしよう。

 仏和辞典のページを閉じ、祖母が俺に向き合った。感情の凪いだ、静謐な表情だった。

「ばあちゃんね、癌だって言われたの」

 瞠目し、俺はかすかに唇の合わせ目を開いた。息を吸ったのか吐いたのか分からないが、喉がひゅっと鳴った。

「……父さんと、母さんは……」

 違う。そんなことが言いたいんじゃない。それだけは分かるのに、何を言いたいのか、何を言うべきなのか、祖母はどんな言葉を期待しているのか、何もかもが一瞬で分からなくなって、ただつまらない質問を零して口を噤んだ。

「うん、二人とも知ってるよ。真千佳にもこれから話すつもり」

 祖母のまっすぐな目が怖かった。思わず視線を逸らすと、たしなめるように、なだめるように、「慶」と名前を呼ばれる。俺は顔を上げることができず、ただ身を固くして彼女の声を聞いた。

「ばあちゃんは幸せだよ。あんたたちと出会えて、幸せじゃなかったことがない」

 確かに祖母の声は肉親へのあたたかみを帯びているのに、どうしてか俺の鼓膜には、死刑宣告みたいな冷たさが響いた。全身が強張り、ぬいぐるみが放つ埃の匂いがやけに鋭く感じられて、目頭が熱くなる。ただ、仏和辞典に閉ざされた落日が恋しかった。

拙作をお読みくださり、ありがとうございます。

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