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神様を撃ち堕としたいけれど!  作者: 砂原翠
わたしを神様にしないで
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読書

「しーおや」

 揶揄うように笑みを混ぜて呼びかけると、机に向かって本を読んでいた汐屋は面白いくらいにびくりと肩を震わせた。

 私は汐屋の正面にしゃがみ込み、机の上で腕を組み、上目遣いに汐屋を見た。

 昼休みの教室はざわめいて、接点のないはずの私たちをクラスメイトが窺う、炭酸のような視線がぱちぱちと肌で弾ける。

 見せつけるように、私は人懐こく目を細めた。

「汐屋、また本読んでんの? 好きだね」

「高崎さん、何か用?」

 おどおどした調子で汐屋が言う。下から見た汐屋は長い前髪が鬱陶しそうだし、濃い眉も、暗い瞳も、血色の悪い肌も、何もかもが澱んでいて気が滅入るけれど、私は明るく笑った。

「えー、用がなきゃ話しかけちゃいけないの? お喋りしようよ、お喋り」

 私の言葉に汐屋は目を瞬かせ、表情に薄い緊張を張り巡らせた。

「でも俺、高崎さんが興味ある話なんてできない」

 面倒くさ。私は表情には出さずに、心の中で毒づく。

 こいつ、コミュニケーション下手すぎ。せっかく私が歩み寄ってやってんだから、ちょっとぐらい協調性見せろよ。

 私は汐屋のネガティブ発言をさくっと無視して、汐屋が両手で開いている文庫本に手を伸ばした。傾いた背表紙を、人差し指でなぞる。

「『東京の三十年』?」

 指先を本の端に引っかけこちらに倒して、開かれたページを覗き込む。

「うわ、文字ばっかり。面白いの?」

 自分の世界を覗きこまれた汐屋は、困惑したように視線を彷徨わせ、逡巡の後、口を開く。

「……面白い」

「ふうん。慶だから?」

「は?」

 私はこてんと首を倒して、瞠目した汐屋を見つめた。整えられた丸い爪で、ページに刷られた登場人物の名前をトントンと軽く差し示す。

「ほら、KとTって書いてある。汐屋慶の『慶』だから、親近感あるの?」

「はあ、思ったことなかった」

 私は汐屋の薄い反応にもめげず、友達に向けるように笑い声を漏らす。

「ふふ。Kが汐屋なら、Tは私だね。高崎のT」

 汐屋は反論したそうに声を出しかかったが、私は構わずに言い募る。

「あー、あれもKだったよね、ほら、『こころ』」

 紙の端を指先で弄ぶ。汐屋は私に遠慮するように、わずかに本を押さえる指を浮かせた。

「知ってるのか?」

「馬鹿にしてんでしょ。授業でやったもん」

「……ああ」

 私は汐屋の文庫本を大きく引き倒した。机に本の背がぶつかって、かこんと音を立てる。汐屋は驚いて本から手を離した。ページが流れ、本がぱたんと閉じられる。悄然とした表情の汐屋に、私は悠然と笑ってみせた。

「覚えてるよ、『向上心のないものは』、でしょ?」

 私は、汐屋の制服の袖口を人差指の先で、少し引っぱった。汐屋が焦りを滲ませ、手を握り込む。

「うん」

「汐屋がKなら、私は先生かな」

 指の端が、汐屋の手首の骨が突きだした部分にふれる。重なった肌が、びくりと震えた。

 かすれた声で汐屋が問う。

「お嬢さんじゃないの?」

「違うでしょー」

 じゃれるように言って、私は表情を滑り落とし言った。

「『精神的に向上心のないものは、馬鹿だ』」

 私は、その言葉が汐屋にどう影響するか、じっと見つめた。一瞬の緊張を解き放つように、微笑む。

「私があんたを殺すんだから」

 私は折り曲げた人差し指の第二関節で、汐屋の手首をこん、と叩いた。握られていた汐屋の手がぱっと開かれ、指先が所在なさげに空を彷徨った。

 汐屋の顔の前で、私はぱっと手のひらを見せた。汐屋が目を瞠り、小さく息を詰める。

「じゃあね、汐屋」

 立ち上がり、教室の後ろでたむろしている友人たちの元へ向かう。

 私が近づくと、クラスで一番気の合う紫亜が、勝ち気な眉を跳ね上げ振り向いた。

「ちょっと澪、どーしたわけ?」

 紫亜は緩くウェーブしたショートカットの髪を揺らし、ほそい腕を私に絡めた。

「汐屋なんかにちょっかいかけてさー」

 私は自分のストレートヘアーの根元に手櫛を通し、ぐしゃりと握り潰した。

「新しいおもちゃ。賭けてるから、邪魔しないでよ」

 そっけなく放言すると、紫亜は大きな瞳を細め、きゃらきゃらと軽薄な笑い声を零す。

「うわ、澪、性格わるー」

「俺も、俺も賭けたい!」

 いつもつるんでいる連中のなかで、一番調子の軽い侑真が身をのりだした。

「それで、何の賭け?」

「そりゃ、澪が汐屋を落とせるか、でしょ?」

「澪なら賭けになんないだろ」

 常に冷静な暁人が、乏しい表情で腕組みして会話に加わる。

 私は舌先を上下の前歯で小さく挟み、悪戯に笑う。

「へへ、やっぱりそう思う?」

 私は猫の目前で猫じゃらしを振っている心地だった。その爪が肌を裂きそうになったら、即座に手を引っ込めればいい。もし引っかき傷に血が滲んだって、その事実をもって「お前は猫だ」と嗤ってやれれば、それでよかったのだ。

 この頃の私はとにかく人間を見下していて、自分を含め誰もが低俗で取るに足りない存在だと信じていた。この世に本当に美しいものなんてないのだと思えば、瞳に映る景色が醜悪でも安心することができた。

 だから私にとって人間関係はいつも矮小で、俯瞰して見るのが癖になっていたから、人を都合よく動かすことなど造作もなかった。恋愛なんて下らない欲望に振り回されている人間は、どうかしていると思っていた。

拙作をお読みくださり、ありがとうございます。

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