交渉前夜
【サイド:高峰七ノ花】
突然、体の主導権が切り替わった。未だ体を蝕む痛みを受けてフリューが苦痛の声を上げる。
「ッ…!」
『フリュー!?何かあったの!?痛いでしょう、何かの不具合じゃないならすぐに交代して!』
一体どうしたというのだ。ついさっきまで彼女は泣いていたはずだ。ティスを助けた時のように、怖くても誰かの為に行動しようとすることが出来る心優しいこの子の事だから、きっと私が痛めつけられているのを見て辛くなってしまったのだろう。
だが今回の件に関しては私が立てた作戦だ、全ての責任は私にある。
ティスの父親であるギルシア子爵との商談が終われば、フリューが癒やしの魔術を使って傷を治せるらしい。そもそも最初からそれまでは私が体の痛みを受けるという話だった。
だが、フリューは体の主導権を握り続け、はっきりと私の要求を拒んだ。
「…嫌です」
『…どうして?貴方の体は、私のせいで傷つけられているのよ。その責任くらい取らないと…』
「…その、それは、違います。
そもそも、ティスちゃんを助けたいって言ったのは私なんです。だから、責任は私にあると思います。
………それに、もう二度とナノカさんに、痛い思いしてほしくないです…」
『フリュー…』
そんないじらしいことを言われたら、なんて説得すれば良いか分からない。何とかして体の主導権を取り戻そうと考えるが、元々フリューの体だからなのか奪うことが出来ない。
勿論フリューの事を心配しているのは私だけではない。目の前で不安そうな顔をしているランはこの計画を聞いた瞬間に反対してきた。
だが、フリューが賛成したこと。そしていつかバレれば結局同じことになる可能性が高い、と説明すると渋々納得してくれた。それでもとても歯痒い思いをしていたのは間違い無い。
「お嬢様、その…」
「…ラン、代わらないし治さないよ、私」
「ですが…!」
「ごめんね、心配してくれてすごい嬉しい。
でも、もう決めたの。もう絶対二度と、こんな辛い思い誰にもさせないって」
これまでに無い強い意志の宿った瞳でランを見据える。その気迫に気圧されてランと私は何も言えなくなってしまう。
「お嬢様…」
『………はぁ、そこまで言われたら、止めるに止めれないわ。
今はそれで納得するけど、本当に辛くなったり苦しくなったりしたら絶対に私かランさんに言って。強い人って一人で完成するものじゃないの、誰かに頼れるのも立派な強さだからね?分かった?』
「はい、分かりました…!」
『…じゃあ、今日はもう寝ましょう。眠りに入れれば時間が過ぎるわ。痛くて眠れなかったら、私も話し相手くらいにはなれるから』
そう言うとフリューははにかんで笑って、元気に返事をしてくれた。
…健気な彼女がここまでしてくれているのだ。これで子爵との交渉が上手く行かなければ示しがつかない。
既に商談材料は準備した。情報不足感は否めないが、絶対にこの一戦は勝ち得てみせる。
【サイド:アスク・ギルシア(ティスの父親)】
娘が薬の材料を余所の人間に漏らしてしまったらしい。
これに関しては娘を叱ったが、そもそも漏らした自分が悪いのだと理解していたのでそれを念頭に置いた上で厳重注意に留めた。以降気を付けてもらえば良いだろう。
それよりも気になるのは娘が持ってきたこの手紙の主だ。材料については娘から一方的に聞かされたのにも関わらず文章は謝罪の言葉から入っているし、どういった話の流れで聞いたかの経緯まで丁寧に記してある。
そして最後は、実際に会って書面にて口外しないことを約束したい、という文言で締めくくられている。対応が余りにも丁寧できっちりしている。
娘から聞いた話では同い年と言っていたが、とてもそうとは思えない対応力だ。成り上がりの貴族の私には高位の貴族との繋がりなどさして無いから分からないが、もしかしてこれくらいしっかりしているのが普通なのだろうか。
何にせよ書面で契約してくれるのは実に助かる。向こうが心配している通り、リカル草の存在は現在秘匿している。約八年間研究し続けて、やっとの思いでポーションが出来上がったときの嬉しさで娘には子細をつらつらと喋ってしまったが…。
…今回の件を妻に伝えたら、しこたま怒られてしまった。反省している。
都合の良い事に、明日の夜は王城から機密統括室の担当者が来る。ついでで悪いが今回書いてもらう契約書も追加で持っていってもらえるか聞いてみようか。
私はティスに、明日フリュー嬢に我が家に来てもらうように伝えてくれ、と頼んだ。