フリューの決意
【サイド:フリュー・ケルニトス】
今、私は母に背中を鞭で打たれている。
正確には、私の体に入ったナノカさんが。
あの後ナノカさんが話した作戦は簡単な物だった。廊下ですれ違った明確に母の味方についている使用人に、上機嫌で一言告げただけだ。
「今日、公爵家の娘が子爵家の娘をいじめていたので、助けてあげたの」、と。
たったそれだけで、権威に執着している母は怒り狂ってナノカさんを自室から誰もいない部屋まで引きずり出し、鞭で打った。
子爵の娘など助ける意味が無い、なんて余計なことをしてくれたのだ。我が家が公爵家から睨まれでもしたら、どう責任をつもりなのか。
要約するとそんな事を言っている気がする。でも、私の頭には全然ちゃんと入ってこない。この体は意識が表に出ていないときは痛みは感じない。だから別に、私自身は痛くもなんともないのに、辛くて仕方がなかった。
ナノカさんはこの作戦の必要性を語った上でやって良いのか、本当に何度も確認してくれた。実行するほんの少し前になったとしても、嫌になったら絶対にすぐ断って、と言われた。
でも確かに、私が虐げられているのを信じてもらうためにはこの方法が一番だと、私も思った。
それにティスちゃんを助けた事実が何処かから知られれば、どの道母は怒ると思った。なので、怖かったけど「やります」と答えた。
私が打たれるつもりで覚悟して返事をしたが、ナノカさんに「私が考えた作戦だから、当然私が受けるわよ」と言われて、私は甘えてしまった。
甘えるべきじゃ、全く無かった。私が受けると言うべきだった。
私の代わりに受けてくれているナノカさんが痛みにうめき声を上げるたびに、私の心がぐちゃぐちゃになるのを感じる。
そして、自分がとてつもなく恐ろしいことを願ってしまっていたことに気づいてしまう。
これは私が望んでいた光景だ。二人目の人格を生み出すときに、私は、心の何処かで願っていた。
優しく無くても、完璧な人でも無くていいから、私のこの痛みを代わってくれ、と。
本当に、なんて、なんて恐ろしいことを願ってしまったんだ、私は。
ナノカさんは私が願った以上に、話が上手で、優しくて、ティスちゃんの様に誰かにいじめられてる人もアッサリ助ける事だって出来る、凄い人だった。そんな凄い人が、私なんかの為に痛みに必死に耐えてくれている。それが堪らなく恐ろしくて苦しかった。
結局、ナノカさんが腕で鞭を防いで痕が出来るまで、母は鞭を打つのをやめなかった。
部屋に戻ってランに少し痕が残る程度に軽い手当をして貰っているが、今回はいつもより強く鞭を振るってきていたらしく、ところどころ皮膚が切れて流血していた。
私だったら絶対に泣いているくらい痛いはずなのに、その痛みを受けながらもナノカさんは私に申し訳無さそうに謝罪してきた。
「本当にごめんなさい、フリュー。怖かったわよね」
ナノカさんが謝ることなんて一つもない、謝るのは私の方。そう言いたいが、実体もないのに涙と嗚咽が止まらない私は情けないことに返事もままならない。
『ぅあ、ちっ、ちがっ…! …ごめ、なさいっ…っ…!わたしっ…!』
「貴方が謝ることなんて無いわ。悪いのはあの母親と、この作戦を考えた私なんだから。
…この感じだと多分しばらくは痛むけど商談が終わるまでは治療も出来ないし、悪いけど予定通り私が体を動かさせてもらうわね。授業とか受けにくいと思うけど…」
そう言ってずっと私のことを気にかけてくれる。
きっと、優しすぎるこの人はこの先も私の中にいる限り、私が辛い思いをしそうになったら代わってくれるのだろう。
そう思うと、目眩の様なぐらつきが襲ってきた。つまり、私がこのまま臆病で何も出来ない弱い人間だと、さっきの胸が張り裂けそうな思いを、ずっとし続けることになる。
そんなのは、もう絶対に嫌だ。想像しただけで、実際にはしてもいない呼吸が苦しくなる。
優しくて強くて凄いこの人が、私のためなんて下らないことで痛い思いや傷つくところは、二度と見たくない。
それもこれも全部、私が弱いから。…そこまで考えた私は、解決策がすごく簡単なことに気づいた。
私が、強くなれば良いんだ。
ナノカさんを傷つける母なんかに負けないくらい。
どんな不幸がこの身に降り掛かっても、ナノカさんが代わりに受ける必要がないように、全部跳ね除けられるくらい。
私はそう心に決めた。
出し切ったのか、いつの間にか涙はもう流れていない。丁度良い、強くなる為にまずは今ナノカさんを苦しめている痛みから受け止めてみよう。
大丈夫。この程度、さっきの心の痛みに比べれば大したことなんて無いんだから。