ブラック・セクション
我々一般の人間は知らない方が良い部分、そこかしこにあるんです。 しかも大概、都合のいい『都市伝説』なんて形でそれは伝わっていくのです。
「おいおいデーブ、お前はどこまで『ダンガーズ』のハンバーガーが好きなんだ。 一体何日連続で食っていやがる?」
スポーツマン体型をした黒髪の青年マーヴェラーが、大きなカップ入りのコーラを手にあきれた様子で尋ねた。
「ああ、これで2週間は軽く続いてるね。 ブフッ、いつ食ってもたまらない美味さだぜ」
正視に堪えない肥満体をボグンッとソファにめり込ませ、クセのある金髪を持つ太った青年デーブは答えた。
時刻は夕方。 家も近所で気の合う同僚同士のこの二人は、仕事が終わればしょっちゅうマーヴェラーの家でたむろし、遅めの間食に勤しみながら話すのが楽しみだった。
6個目のハンバーガーを難なく平らげたデーブは、さらに意地汚くも包み紙についたソースを指ですくい取り、ペロペロと舐めながら言う。
「しかしマーヴェラー、不思議なことだが、このダンガーズのハンバーガーの虜になりだしたのは、ちょうど2年前からなんだ。 なんでこんなに急に味が良くなったのか、さっぱりわからないぜ」
するとマーヴェラーは驚いてこう返した。
「え? もしかしてお前、何も知らないでそのハンバーガーが好きって言ってたのかよ……」
「何だよ、それ、どういう事?」
この答えにはデーブの方もまた面食らった。 何かがあるって言うのかよ、といった目の見開きようがその心中を物語る。
「そりゃ確かにダンガーズのビーフパティが急に美味くなったのは有名だが…… 俺はてっきりお前が『あのこと』まで知ったうえで、そういう事を言ってたのかと思ってたぞ」
「あの秘密……? 何だそりゃ、いったいどういう話なんだよ?」
デーブが重そうに身を乗り出して食いつくと、マーヴェラーはふうっとため息一つ、先程までとは打って変わった神妙で重い雰囲気に改まった。
「じゃあ、聞くか? 言っておくが、ちょっとばかりショッキングな話だぜ? それでお前が後悔しないって保証はないぞ」
一方のデーブは、そのただならぬ空気が自身の脂肪の厚みに阻まれて感じられないとでもいうのだろうか、まったく揺らぐ様子も見せずに即答した。
「ブフッ、いいぜ、望むところだぜ。 このままその秘密ってのを知らないようじゃ、州一番のヘビー・ダンガーズ・ユーザーを名乗るにも支障が出ちまうぜ。 聞かせてもらいたいぜ」
「そうか……まあ、いいだろう」
マーヴェラーはカップのコーラを一気に吸いきり、大きく息を吐きながらそれをテーブルの上に置いた。
「じゃあ、話すぞ。 ダンガーズの最高に危険なトップ・シークレットをな……」
二人が向かい合って座るリビングには今、まるで事の深刻さを暗示するかのごとく、橙色の西日が作る長い影が炎と闇とのコントラストを与えていた。 マーヴェラーが口を開いたのは、そんな時だった。
「優れた物の作り方ってのは、ほぼ必ず『企業秘密』ってもので守られてるものだ。 そうして秘密で守られた製造工程ってのは、基本的には他社にその製法を盗まれたくない為にあることだが――こういう外部の目には触れないって特性が、時として疑惑のタネになってしまう。 秘密をいいことに、たとえどんなヤバい事をしていようと、バレないっていう事なんだからな」
「まあ、な……と」
慣れきった手つきで包装紙を取り、またたるんだ大口を開けてかじりつくデーブ。 まだ彼に緊張感のようなものはまるでない。
「だがそのうちに憶測が飛ぶようになり、『ある噂』がささやかれだした」
「ある噂?」
「ああ。 誰も知らない秘密の生産プロセス、『暗黒部門』の存在がな」
「ブ、ブラック・セクション…… やけにものものしい響きだぜ…… ブフッ、なるほどな。 そこが『企業秘密』の正体かもしれないってか」
怯むどころか話に興味をそそられるデーブ、その目には輝きさえ加わっていた。
「その噂の真偽を確かめようと、ある雑誌記者がダンガーズの特集記事を装って取材に訪れた時のことだ。 彼は生産の現場、上層部、取引相手の企業と、あらゆる関係者に取材を行った。 しかし得た情報といえば、いずれも他社のやることと大差ない当たり障りのないものだった。 目的の怪しい噂の真相については、有力な情報はなかなか得られなかったんだ。 効率の良い生産のためにあまりにも作業が細分化・分業化していたせいだ、自分のやっている仕事が全体の中でどういう役割であるのかも知らない人間さえ少なくなかったという。 これではいっこうにブラック・セクションにたどり着くことなどできやしないと、記者は途方にくれた」
「へぇ…… その話、ちょっとリアリティがありやがるぜ。 この国の医薬品製造の最大手『セルメンテックス社』の関連工場で働く俺達の仕事も、何かの漢方薬みたいな粉をひたすら計量して次の部門に送るだけだし、やってる事がいまいち分からないもんな」
自分の仕事との共通点から、彼はマーヴェラーの話に少しばかり真剣に耳を傾け始めた。
「しかし記者は、あまりに意外なところから核心に迫るきっかけを掴んだ。 同僚の記者と飲んでいた最中に、ついに決定的な情報を聞いたんだ。 その同僚の記者ってのは、後を絶たない人工中絶問題について取材を進めている立場だった」
「なに、中絶? どうしてそんなところから?」
「同僚が言うには、以前取材したある産婦人科医がどう見ても不自然なほどにダンガーズと深い関わりがあるようで、ひょっとするとそいつはブラック・セクションについて何か重要なことを知っているんじゃないかということだ」
「…………」
ふむ、面白くなってきたぞ、といった様子で、デーブはゆっくりと口の中のハンバーガーを噛み潰していく。
「記者はすぐさまそのキーマンと思しき産婦人科医を直撃した。 その産婦人科医自身はダンガーズとの関わりを一切否定していたが、その周辺の人物らにワイロつきの取材を行ってみたところ、そのうちの一人から、情報元を決して明かさないことを条件に洗いざらいを知ることができたらしいんだ」
「おお……で、どうなんだ、その秘密ってのは」
デーブがそう聞いたとき、マーヴェラーは目を閉じ唇を結んでいた。 ここに来てこの後を口にするのが少なからずためらわれるのだ。
「ああ……」
しかし彼は重い口を開き、これまでよりもいっそう小さく暗い声を放った。
「どうやらその産婦人科では、中絶した後の子供を恐るべきことに利用していたらしい」
「恐るべき、こと…… おいおい、まさかそれって……」
ここでようやくデーブにも自身で計り知れぬ程の緊張が走る。 しっとりと西日に照らされる脂汗を拭うことも忘れていた。
「『人間の体は自然と、オーガニックを求めるものさ』――それがその産婦人科医の口癖だったそうだ」
マーヴェラーの体も、よく見るとかすかに震えているのが分かる。 話し手の彼自身がその内容に恐れを抱いていた。 そう、その台詞の意味を深く読めば比較的容易に察することができる――ともすればそれが『人間が最も美味と感じるものは人間』と言っているようにもとれることを!
「何しろ法的には生き物ですらない、そのままじゃゴミ同然に消えていく存在だ。 しかしもしもそのゴミに価値が備わるルートがあるなら…… 表沙汰にならない限り、素晴らしく上等な『食用肉』として生まれ変われるとしたら……!」
気おされたデーブはその戦車みたいな巨体を思い切りのけぞらせてしまっていた。
「うっ……! ……で、でもよ、そんなん可能か? いったん中絶した子供を生かしたまま育てる事なんて、いくら何でも……」
「確かに、子宮外でそのまま育てるなんてのは、現在の医学をフル活用しても難しいんだろうな」
「ふぅ、ヒヤッとさせるぜ…… ブフッ、ならその話はやっぱりガセ……」
デーブがふと安心しかけたその時だった。
「だがそれは『まともな人のかたちのまま育てる』のなら、の話さ。 もしそれが、途中でどんな奇形が発生しても構わず、肉が収穫できる大きさになるまで『培養』できさえすれば良いって前提だったらどうだろうか? 当然そのハードルはぐっと下がるだろう」
「……!!」
デーブはその脂肪ごと凍りついて戦慄した。
「そして院内で畜産された新鮮な肉は、解体された上で次のセクション、ダンガーズの加工場へと送られる。 しかしそのセクションの仕事はすでに『届いた肉』をミンチに加工することであって、肉の出所も、それが何の肉なのかも知るところではなくなるわけだ……!」
「おいおい、なんてこった……なんて薄気味悪い話なんだ」
「ダンガーズのブラック・セクションが、ダンガーズと一見何の関連も持たないそんなところにあるなどとは誰が思う? 部門どころか分野がまるで違うんだ、そりゃあダンガーズの従業員に尋ねたところで誰も知るはずがない。 他ではまず手に入らないキモとなる食材の入手ができて、機密を守るのにもうってつけ――それはまさに一石二鳥の企業秘密だったわけだ」
「ああ……なんか気分が……」
「結局、記者は『これを公表するのは自分には荷が重い』と考えたのか、ついにブラック・セクションについては記事にすることのないまま、しばらくして不可解な事故に巻き込まれて亡くなったという。 それでもどこからか漏れるように広まってきたのが、この都市伝説ってわけさ」
話の前にはあれほど血色の良かったデーブだったが、今は不釣合いに蒼然として顔をしかめ、俯いていた。
「なんてこった…… まったく、やな事聞いちまったぜ。 きょうはこれ以上食う気なくなっちまったぜ」
するとマーヴェラーは、テーブルの上に1個だけ手付かずで残っているハンバーガーを指して言った。
「ならその最後の1個、俺が貰おうか?」
食べ物への信じがたい執着と独占欲で生きているといっても過言ではないデーブであったが、
「ああ、いいぜ。 俺も夕食のことを考えたらこの辺でやめておいた方が良さそうだぜ」
このように、珍しく自分のものを他人に譲った。
こうして二人の周りは、やはりいつもと変わらずのどかに暮れていった。
マーヴェラーはハンバーガーをモグモグとかじりながら言った。
「ハッハー! 別に心配するなよデーブ、所詮はせいぜいどこかのライバル企業が悪ふざけで広めたジョークさ。 仮に実際にブラック・セクションが存在してたとしても、別にヤバい事をしてるとは限らないだろうよ」
その言葉にデーブはほっと一安心し、朗らかにマーヴェラーをたしなめた。
「おいおい勘弁してくれよ、軽く信じちまったぜマーヴェラー。 そうだよな、そんなバカな事があってたまるかよって話だぜ」
「うーん、それにしても確かに美味い。 何というか、『不思議と体になじむ』っつーか…… これじゃ企業秘密の一つや二つあっても納得だ」
そしてマーヴェラーは、何の気なしにデーブに訊いてみた。
「それにしてもお前、これだけ大量にハンバーガー買い続けてて、よく経済的にやっていけるよな。 どこにそんな金があるんだ?」
するとデーブは得意げに、ハンバーガーをモグモグとかじるマーヴェラーにこう言った。
「これは本当は秘密なんだが……親友のお前にだけ教えるぜ。 実はな、詳しいことは分からないが、ある生理学の研究所が『君は、人工的にはまだ到底作れない特別なうまみ成分を体内で作れる体質をしている』だとか、それを研究に役立てたいだとか言ってきてな、それで…………」
「え?!」
デーブの言葉を最後まで聞いた瞬間、ハンバーガーを味わうマーヴェラーの口の動きが止まった。 自分たちが先程交わした会話がなぜか不意に、断片的にフラッシュバックしてきたのだ。
(ダンガーズのブラック・セクションが、ダンガーズと一見何の関連も持たないそんなところにあるなどとは誰が思う?)
一方のデーブは調子づいてさらに言葉を繋ぐ。
「そういえばさっきの話で今思い出したぜ。 そこの研究所の博士も話の中の産婦人科医みたいに『人間の体には人間由来の食品が一番合うに決まってる』なんて事をしょっちゅう言ってた気がするぜ」
(人間の体は自然と、オーガニックを求めるものさ……)
極めつけにデーブはこう言った。
「よーし! 明日も仕事だし、今日はそろそろ帰ることにするぜ。 いつも通りに変な粉を計量するだけの退屈な一日だが、今みたいな楽しく食って休まる時間があればやっていけるってもんだぜ」
(俺達の仕事も、何かの漢方薬みたいな粉をひたすら計量して次の部門に送るだけだし、やってる事がいまいち分からないもんな……)
(作業が細分化・分業化していたせいだ、自分のやっている仕事が全体の中でどういう役割であるのかも知らない人間さえ少なくなかった……)
マーヴェラーは口に含んでいた、もうペースト状になってしまっているハンバーガーを思わずポトリと床に吐き落としていた。 なぜならばその時、彼の脳内ではさっき聞いたデーブの言葉がしつこく脳内を殴り続け、彼の精神をたちまちぶっ壊してしまったからだ。
『それで、その研究所がしょっちゅう俺の出すクソを高値で買ってくれるのさ』
(……るのさ……るのさ……るのさ……るのさ…………)
マーヴェラーはしばらくの間、ただただ無言で打ちひしがれていた…………。
生涯変わらぬ厚い友情で結ばれたかに見えた二人だったが、一体どうしたことだろう、この日を境に若干疎遠になった。
ほどなくして、ある人物が匿名で、ダンガーズのビーフパティの味付けにあろうことか人糞が使用されていると糾弾した。 ブラック・セクションとなる人物『D』から採集したそれをある研究所が特定の成分のみ抽出、セルメンテックス社傘下のある関連工場でそれを無臭の粉末に加工し、最終的にダンガーズの食肉加工場に調味料として送られるという、一連の闇ルートの告発とともに。
が、これをまともに信じる者は皆無だった。 そんなバカな話があるかと、誰もが一笑に付したのだ。
その後この話は、せいぜいライバル社が苦しまぎれに言い出したのであろうくだらない都市伝説として、ダンガーズ・ユーザーの若者達の間でごくまれに語られるにとどまっているという。
このたびは内容的にもアレで、カテゴライズ的にもホラーと名乗っては不適切となりかねない作品を出してしまいましたことを、まずは深くお詫び申し上げます。
さておきいかがだったでしょうか、笑うに笑えない都市伝説の怪――
ホラーとはまた違った意味でそらおそろしく感じていただけたならとても幸いなことです。
それから、勘がよくて英語のできる方にはネタバレになってしまったかもしれませんが、作中に出てくる固有名詞は、(一部を除いて)この話のオチを暗示するちょっとした伏線でもあったんです。 デーブはまぁそのまんまですが、
マーヴェラー(marvel-er)→『驚く側の人』
ダンガーズ(dunger's)→『クソする奴の』(ハンバーガーチェーン)
セルメンテックス(Cermentex)→『排泄物』(excrement)のアナグラム
となります。
わかりましたか? それ以前に重ね重ねすみません、こんな事して。
次はもうちょっとぐらいマジメなのをやりますんで……ごきげんよう、失礼しました。