最後の馬鹿騒ぎ
「残念ながら、手の施しようがありません」
アメリカのとある病院で、眼鏡の医者がカルテを手に口にした。向かい合って座るのは、七十歳の男性、ジョン・スミスだ。
ジョンの年齢から想像もつかないような筋骨隆々のバカでかい体は、今まで軍人として、幾度もの死線を潜り抜けてきた。どんなテロリストだろうと、兵士だろうと、相対して怯えるようなことはなかった。むしろ、高笑いを上げてマシンガンを手に突っ込んでいく男だった。
そのジョンが震えていた。俯きながら呼吸を荒くし、現実を否定するように首を振っている。
「……助かる見込みは、ねぇのか」
どうにか言葉を絞り出したジョンだが、医者は言葉を探してから、一つ一つ現実をつきつけていった。
「先ほども言ったように、癌が全身に転移しています」
「それはわかってる。俺が訊いてるのは、助かるかどうかってことだ」
とはいえ流石に、ジョンは数多の戦場を潜り抜けてきた軍人だ。恐れを飲み込み、静かながらドスの利いた声で問いかける。
「金ならある。この体なら荒療治でも耐えられる。それでもダメなのか」
思わず身を引いた医者だが、難しい顔をしていた。
「確かに、これだけ転移して平気そうにしているのは、相当強い体なのでしょう。ですが……お気持ちを害されると思いますが、内臓と筋肉は別物です。何人かドナーが見つかれば、改善の余地はあるかも知れませんが……」
「いないってことはねえだろ。俺が守ったこの国にどれだけ人が住んでると思ってやがる。たかが臓器の一つや二つ……」
「一つや二つじゃないから、手の施しようがないと言っているのです!」
医者が声を荒げた。そんな単純な事ではないのだと、ジョンへ告げている。
「あなたの前に、臓器提供を待つ人の列が果てしなく続いているのです! あなたの言う通り、転移したのが一つや二つなら待てるかもしれませんが、具体的にはもっと――」
そこまで言って、ジョンが項垂れているのを医者は気づいた。一息吐き出し、「ともかく」と仕切りなおした。
「今のところ、臓器さえ用意できれば助かる見込みはあります。運良く、そういったところにしか転移していませんから……ただそうなると、臓器提供者が一人の場合、相手の体を空っぽにするまで摘出しないといけません」
これ以上は話しても無駄。ジョンも悟り、席を立った。
「……長生きなんか、するもんじゃねぇな」
~~~
部屋を出る前に突きつけられた現実は、もう半年と経たず死ぬこと。そしてそれより早く体が動かなくなること。現実を告げられたジョンは、軍人時代から行きつけのバーでラム酒を舐めていた。
戦場では、死ぬときは呆気ない。マシンガンの乱射を浴びた、ミサイルが降って来てバラバラに吹き飛んだ、スナイパーに頭を撃ち抜かれた。
数え切れぬほど見てきた仲間の死を思い返し、ジョンはいつしか、羨ましいと思っていた。
自分の選んだ戦場という職場で、国のために死ねる。だというのに自分はどうだ。見送ってくれる家族もおらず、今更戦場で名誉の死も遂げられない。
ベッドに寝たきりになり、抗いようもなく弱っていく体に絶望し、死ぬ時間が来たら死ぬ。
どこかの戦場で死んでおけばよかった。ジョンはラム酒を一気に飲もうとして、隣りに誰かが座った。
「ヤケ酒するなら薬を飲め、ジョン」
「キッド……」
キッド・カトラー。ジョンと同じく年を感じさせない屈強な体つきだ。二人の付き合いは長く、共に入隊し、同じ戦場を駆け、一緒に除隊した。ジョンがこの世で一番信頼できる友だ。
「どうして俺がここにいるのがわかった」
尋ねるジョンに、キッドは肩をすくめ、スマートフォンを取り出す。
「癌で近々死ぬからもう会うことはない――そんなメッセージを送った後に、お前がここへ来るのは簡単に予想できる」
テキーラを頼んだキッドがジョンのグラスにカチンとぶつけ、喉に流し込む。酒が入ってもジョンも浮かない顔だが、キッドは深いため息を漏らした。
「酒はいつまで飲めるんだろうな……」
キッドがらしくもなく項垂れていた。ジョンは訝し気に「お前の人生はまだまだ続くだろう」と投げかけたが、キッドは首を振った。
「これ見てみろ」
キッドがカバンから取り出したのはクリアファイルだった。中身を見ると、ジョンは思わず言葉を失った。長年の友に語る言葉を探すも、見つかりそうにない。それを見かねてか、キッドは自嘲的に笑った。
「死ぬのも秒読みの肺炎だとさ。ドナーもいないから、もうタバコも吸えないな」
「キッド……」
「下手な慰めはよせよ? お前だって死ぬんだからな」
しばらく、二人は酒を飲みながら何も喋らずいた。死を突き付けられて、冗談の一つも思い浮かばないのだ。
バーがそろそろ閉まるときまで黙っていると、キッドが口を開く。「戦場で死ねたらな」と。
同じ思いのキッドに、ジョンは少し笑った。
「なんなら、どっかの紛争地域に昔の装備で突撃でもしちまうか」
「馬鹿か、ライフルの一丁くらいなら家にあるが、マシンガンもなけりゃ、手榴弾もない。防弾チョッキもな」
「もうすぐ死ぬってのに、防弾チョッキがいるか?」
それはそうだ。キッドも笑うと、懐かしい名前を口にした。
「こうやって二人で馬鹿を考えてると、集中しろってアロルド大佐に怒鳴られたもんだ。それからアドバイスもくれてな」
「もう八十の爺さんだろ。死んでんじゃねぇのか?」
「それがそうでもない。退役してるみたいだが、なにかと呼び戻されてルーキーの指導をしてるそうだ。この前会った時は死ぬまで現役とか言ってたな。肺炎の相談にも乗ってくれた」
「アロルド大佐、か……なぁキッド、俺たちは大佐のためとか軍のためってのもあるが、いつも国のために戦ってきたよな」
今更なんだと顔を向けるキッドへ、ジョンは続ける。「最後くらいは、自分一人のために戦ってもいいんじゃねぇか」と。
そしてジョンは、慣れない手つきでスマートフォンを操作し、一枚の画像を見せた。
「俺の家の地下室だ。時代遅れの武器が埃をかぶってる」
まるで博物館の様に、古臭い銃が薄暗い地下室一杯に置いてある。見ているキッドへ、もう一枚画像を見せた。
それは、ヒッチハイクもろくにできないような僻地にある廃工場だった。
「俺の親父が経営してた工場だ。土地は持っときゃ、いつか金になると思ってとっておいたが、ここなら十分だろ」
「十分?」
首を傾げたキッドへ、ジョンは悪い笑みを浮かべた。
「最後にドンパチ馬鹿騒ぎするには十分だろってことだ」
~~~
ジョンの提案は、実に簡単なものだった。地下室にあった重火器をしこたまトラックに積んで二階建ての廃工場へ持っていき、キッドと二人で分けて殺し合う。
そして、生き残った方は相手の臓器を丸々いただく。医者に確認したところ、お互いの臓器をどちらかに集めれば、片方は助かるそうだ。
ジョンは時代遅れのアサルトライフルAK47とハンドガンSMITH&WESSONを二丁ホルスターに装備し、対局線上にいるキッドへ「問題ないか―!」と投げかける。返答替わりか銃声がすると、AK47を手に、工場の遮蔽物に隠れた。
極限にまで集中し、キッドの位置を探る。物音がした気がしてAK47を向けるが、ネズミだった。
それを見て、安堵する。そして思い出す。ネズミ一匹どころか、ハエが飛んできただけで振り向いたら敵がいた時のことを。同じように、敵だと思って飛び出したら、壊れたスピーカーが異音を立てているだけだったりもしたことを。
これが戦場だ。兵士の命など、虫一匹で死ぬ世界。敵の呻き声がスピーカーだと勘違いし、大きく動いてこちらの位置を知らせてしまう世界。
数十年ぶりに戻ってきた。今のジョンは死の恐怖など微塵も感じていない。キッドも同じようで、ジョンの位置を先に見つけ、弾丸をありったけ放った。ジョンはそれより数舜早く気配に気づき、咄嗟に身を屈めてベルトコンベアの影に隠れる。
「なんだジョン! あれだけ撃って当たってないのか!」
「ここまで生き残ってきたからな! 八十年代のアクション映画並みには当たらねぇぞ!」
ジョンもまた、物陰越しに声のする方へAK47を乱射する。キン、キンと金属に当たって跳ねた弾丸が天井を貫くと、日差しが差し込んだ。
「おいキッド! どうやらあの世にはあそこから行けるみてぇだぞ!」
馬鹿を言いつつ、ベルトコンベアの影から転がり出てキッドを探す。二階部分の鉄格子に姿を確認すると、AK47の残弾をすべてくれてやった。
キッドもキッドで弾が当たらず、柱に隠れ、アサルトライフルから鉛球の雨を降らす。
楽しい。心の底から、自分たちの居場所は戦場だと、改めて理解する。たとえ廃工場で長年の友と一対一でも、心から満足していた。次の瞬間に死んでも悔いはないと、二人して最後の戦いに身を投じている。
「なぁキッド!」
「なんだ!」
「楽しんでるか?」
「――ああ、そりゃもちろんだよ」
そうやって撃ち合いが続くが、二人とも致命傷は負わない。二人とも同じ戦場を駆けてきたのだ。実力も運も、なにもかもが同じだ。
しかし、勝負の女神はジョンに味方した。二人ともアサルトライフルはマガジンを使い果たし、ハンドガンで撃ち合っていたが、キッドが「弾切れだ!」と声を上げる。
そうして、隠れることもなく堂々と出てきた。両手を広げて、アサルトライフルとハンドガンを手にしていた。
「昔なら残弾計算をミスることなんてなかったが、やっぱり歳だな」
ポイっと銃を捨てたキッドを確認し、ジョンはハンドガンを構えて現れる。
「ほら、撃てよ。臓器は傷つけるな? 頭を狙え」
完全敗北。キッドは目を閉じて死を待ったが、ジョンの一声が、まだ終わらないことを告げた。
「お前は脳天ぶちまけて戦場で死ぬってのに、代わりに俺は、丸腰の相手を撃って助かった体で無様に生きてけってか?」
「ならどうする? 仕切りなおすか?」
「ガキどもがやってるゲームじゃねぇんだ。戦場で都合が悪いからってリセットボタンなんか押せねぇのは、お前もわかってんだろ。だから――」
ジョンはハンドガンを放り投げ、ナイフも投げ捨てた。
「老いぼれ同士、古いやり方で決着をつけようじゃねぇか」
キッドは面食らうと、クククと笑った。
「ランボーか? それともダイハードか?」
「映画なんて高尚なもんじゃねぇのは確かだな!」
ジョンは武器をすべて捨て、キッドにタックルを食らわせる。キッドも負けず、その腹を膝で蹴り上げた。
泥臭い戦いの音楽が、廃工場に響く。二人はなんども意識を失いそうになりながらも戦い続けていた。
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フラフラの二人がクロスカウンターを食らわせて同時に倒れた時、なにやら外が騒がしい。なんとか立ち上がった二人に向けて、廃工場の入り口からライトが照らされた。銃を構えた男たちの姿もある。
二人には見覚えのあり過ぎる連中だった。
「よぉルーキーども、なにしに来た? 逮捕でもするのか?」
ジョンもキッドも笑っていたが、遅れて入ってきた人影に言葉を失う。
「ワシから見たら、お前たちはいつまで経ってもルーキーどころかガキみたいなもんだ」
しゃがれた声に、二人はフラフラなのも忘れて、思わず背筋を伸ばした。
「大佐……!」
アロルド・マックダフ。かつての上司が部隊を引き連れてやってきたわけだが、
「その、邪魔はしないでもらえませんか」
キッドがそう言うと、アロルドは「相変わらず馬鹿だ」とため息をつく。
「ジョン、あれだけ地下室に武器を隠し持ってたのを監視してないと思ったか? まぁ乱射事件なんか起こすことはないと思っていたがな」
ともかく、アロルドは二人に来るように命じた。かつての上司に逆らえず、フラフラ歩み寄る。すると、アロルドは部下を下がらせた。
訝しむ二人に、アロルドは咳払いをした。
「話には聞いている。あれだけ死ななかったお前たちも死ぬそうじゃないか。それで死ぬ前に最後の決闘か?」
「大佐、俺たちは」
「わかっている。お前たちが暴れた時のために部下を呼んでおいたが、どうやら杞憂のようだしな……さて」
アロルドはホルスターからPYTHON 357マグナムを一丁ずつ二人に渡した。
「殴り合いで解決されては、せっかくワシが叩き込んだ技術が無駄になる。それにアメリカで決闘だというのなら、リボルバーでの撃ち合いに尽きる」
PYTHON 357マグナムは、コンクリートの壁だろうと粉砕する超威力の弾丸を発射する。命中すれば、命はない。
だがおあつらえ向きに、入り口からは夕日が差し込んでいた。砂埃も舞い、僻地だからか西部開拓時代のようにどこまでも地と空が続いていた。
「別に、ワシはお前たち二人が死のうが知ったことではないが、上官らしく導いてやる必要がある。二人とも外に出て距離を取れ」
アロルドはそう言うとコインを取り出した。一セント銅貨――ラッキーペニーだ。
「ワシがコイントスをして、地面に落ちたのが合図だ」
それ以上は何も言わなかった。夕日の指す廃工場前で、フラフラの二人がPYTHON 357マグナムをホルスターに仕舞う。
ここまで来れば、あとはどちらが早く相手を正確に撃ち抜くかだ。風が吹き、静寂が流れると、アロルドはコインを親指で弾く。
まるで永遠のような刹那を感じていた二人は、宙を舞うコインが地面に落ちるのを音で確認すると、
「「ッ!」」
ほぼ同時に引き抜き、弾丸を放った。357マグナム弾は空を切り、ドォンと銃撃音が響き渡る。
「……ロマンもクソも、ねぇな」
「……そうだな」
銃撃音から数秒経つと、ジョンが腹から血を吹きだして倒れた。風穴が空いており、内臓が零れ落ちる。
しかし、ジョンの顔は晴れやかだった。
「俺には……家族も……いねぇからな」
だからといって、ジョンは手を抜いてなどいない。キッドもそれは、重々承知だ。
敗因などない。あれが足りなかった、これを抱えていたから負けた……そんなものは一切ない。
ただ、運が少しキッドに味方した。低い声で笑うジョンの瞼が閉じられていくと、キッドは近寄り、抱きしめた。
「じゃあな、兄弟」
ジョンはキッドの言葉を聞き届けられたのか。もはや誰にも分からないが、ジョンは確かにここで死んだ。マイホームとも言える、戦場で。
立ち上がるキッドは、アロルドになぜ決闘をしていたのか、すべて話した。その上で、アロルドは機密でジョンの遺体を回収し、肺の移植手術をすることを約束する。
ふと、キッドは空を見上げた。暗くなりつつある空には、一筋の流れ星が見えた。
先に逝っていろ。俺は生きる。キッドは心の中でジョンに語り掛けると、「長生きする羽目になって損だな」なんて、聞こえたような気がした。
「損にしないよう、戦う以外の余生を探すよ」
ジョンの遺体が運び込まれていく軍用車に乗車し、夕日に向かって走っていく。老兵の決闘はここに、終結した。